第9話 呪いの光


 ハリエラさんは【ソールサー】とともに成した依頼の報告、そして『不死の悪魔』に関する情報をギルドへ伝えるために店を出て行った。彼女クラスの開拓者ともなればギルドの責任者と直接話すことなんて造作もないことだろう。


 マイは必ずお礼をすると約束してハリエラさんを見送る。彼女は俺にも何かすると言ってくれたが、その必要はなかった。なぜなら彼女の目的である呪術研究のためにはセアル家に伝わる技術を教えてもらうことが前提だからだ。むしろ一子相伝の秘術を教われるのならば、今回の依頼料にしたってお釣りを返さなくてはいけないとすら思う。


 そして午前中から続く休業状態のまま、俺とマイは【アメトランプ】の客間のテーブルで顔を突き合わせた。


「セアル家に伝わる呪術――それは“封印術”という固有の術です」


 こう切り出したマイは一枚の呪符を取り出す。それはあの洞窟で見たものと完全に同一で、俺が使う紙とも形や質は変わらない。ただし違うのは中に記された文字列だ。俺の呪符が丸みを帯びた字体が多いのに比べ、“封印術”は一画の線がはっきりした、角ばったような字が多く見られる。


「“封印術”はその名の通り、触媒に物質を封じ込めます。そしてセアル家が持つこの術の特徴は、封印する対象が触媒の大きさを超過しても可能ということです」


 俺の知る呪術には無い特徴だ。疼く好奇心をできるだけ隠しながら、概要を説明してくれるマイに尋ねる。


「じゃあ、どんな物でも呪符の中に閉じ込められるの?」


 赤い前髪がゆっくりと横に揺れた。


「いいえ。現時点の研究では、あまりに大き過ぎる物体は封じることはできません。ですが水や魔術など、形を持たない物であれば、ある程度は可能だと思います」


「それがあの火柱の罠に繋がるわけか」


「そうです」


 俺は顎に手を伸ばして考える。鉱山の中で開拓者たちに手傷を負わせた火の槍。まさかたった一枚の紙から殺傷能力のある魔術が飛び出すとは夢にも思うまい。人の存在を感知して自動的に発動させる技術も有しているようだったから、セアル家に伝わる呪術はかなり高度なものだと見て良いはずだ。


 しかしながらその製法の根幹は俺が学んできた技術とかけ離れてはいない。新しい術式の法則性を読み解けば、理論上は呪術の力を持つ俺にも発動は可能である。思案顔の俺を心配そうに見つめる瞳に微笑みを返す。


「“封印術”は、俺の知っている呪術の範囲内にあるものみたいだ。何とか協力できそうだよ」


「本当ですか!」


 嬉しそうに座っていた椅子から身を乗り出したマイに、俺は少しだけ年相応の子どもっぽさを垣間見た。どうやら彼女は根っからの研究者気質のようである。


「マイが知っている限りの文字列を、全部教えてくれるかな? 多分そこに、何らかのアルゴリズムがあるはずだ」


「わかりました!」


 彼女にペンと羊皮紙を手渡すと、すらすらと右手が踊った。いくつもある複雑な紋様を全て暗記しているらしい。俺はマイの頭の良さに素直に感心しつつ、完成を待つ中でふと思い出したことがあった。


「そう言えば、あの石は一体何なの? すごく大切そうにしてたけど」


 彼女が目覚めた後、慌てて確認を取ってきたのが小さな石の所在。馬車の中で見た時、あれにも呪術の術式と思しき字列が存在していた。それを尋ねたところ、彼女の腕がぴたりと止まって、ポケットから小石をおずおずと取り出す。差し伸ばされた手にあまりに力が込められていたので、つられて慎重に受け取った。


「それは“刻時石”と呼ばれている触媒です」


「こくじせき?」


「はい。ドゥーマ復活の阻止に最も近い可能性があると考えています」


「……何か、確証があるの?」


 マイの言い方が引っ掛かった。阻止に関係があると断定する訳でもなく、しかしながら可能性は高いと言う。つまり彼女の中では何からの推測とその根拠があるはずだ。ペンを止めたままの腕で、迷うように虚空をつつきながら言った。


「確証はありません。ですが兄は私に、あの石を見つけたらすぐに破壊するように命じていました。もしかしたら、石の存在が計画の妨げになるものなんじゃないかと」


「破壊、か。確かに、明らかに邪魔だって言ってるようなものだよな」


 身内であるマイに排除を求めていたからにはキッグ・セアルにとって何かしら不都合が起きるものと考えるのが妥当だ。ただし実際のところは妹が離反し、“刻時石”なるものはこうして危険から逃れている。それが少しでも彼の計画の誤算になることを願うばかりだった。


「刻時石の存在意義は未だにわかりません。だから、多彩な呪術を扱える人の協力がどうしても必要だったんです」


 呪術の研究は未発達。だからこそ使用者も少なければ周知もされていない。国家に認められた“宮廷呪術士”が現れたことで噂話くらいは立っても、やはり胡散臭いものとして見られがちである。そんな情勢の中で出会うことができた俺たちは天文学的な偶然を経験しているのだろう。


 詰まるところ、マイは刻時石の用途を解明するために呪術士を探していたのだ。これからの課題がはっきりしたと同時に、これを解決しない限りはキッグ・セアルの思惑の通りになってしまう可能性が高い。なまじっか非現実的な話なだけに、責任は重大だ。


「それに昔……五つくらいのときだったと思います。病床についていた母が、私にこれを渡しながら言ったんです」


 マイは一度ペンを置いて、目を閉じ、すぅっと呼吸を整える。そして口調を変え、まるで記憶を再生するみたいに言った。


「『――これは、かの“厄災”を封じ込める力。他の誰にも、決して渡しては駄目よ』」


 一瞬、会ったこともない誰かの顔が浮かんだ気がした。少女の記憶にある母親のイメージは確かに俺へと伝わり、ゆったりとした寝室で、きっと彼女のような綺麗な眼差しを子どもたちへ向けていたのだと思う。数秒間だけ大人の顔つきになっていた幼顔が元通りになって続ける。


「使い方は教わりませんでしたが、母はこの石の存在は誰にも明かさないようにと、私にきつく言い聞かせました」


 存在が露見するだけで危険が伴う石。しかしながら『厄災』の力を封じるのであれば、普通は家全体で守るべきものだ。それがなぜ一介の少女に過ぎないマイの手にあるのだろうと疑問は残るばかりであった。難しい顔を作っていた俺に、マイは弁解するように長い髪を振る。


「母は聡明な人でした。物心つく前に亡くなってしまいましたが、私の人生に色々なヒントを与えてくれたんです。“封印術”のこと、昔話のこと……その母が言うんですから、この石を使いこなせば、きっとドゥーマの復活も阻止することができると思うんです」


「お母さんのこと、好きなんだね」


 俺の言葉にマイは頬を薄く紅潮させる。彼女は隠していたつもりなのだろうが、今まで暗い表情しか見せていなかった少女が少しだけでも笑顔になっていたのだ。崩壊しかけた家の中でも希望を抱いているのは、マイにとっての拠り所である母親の存在が大きいらしい。


「その石の研究も続けよう。マイのお母さんを信じて」


「はい!」


 元気のある返事をして、マイはさっきよりも早く文字列を書き出した。亡くなってからも大切な人間を笑顔にさせることができる。俺は名前も顔も知らないその人に敬意を込めながら、手渡された石の刻印を調べ始めた。



 マイが“封印術”に関する術式をびっしりと書き連ね終えたので、俺は観察していた“刻時石”を返して羊皮紙を受け取った。


「じゃあ今度はこちらから説明するね」


 教えられるだけも申し訳なく、加えて彼女には今後も研究の手伝いをしてもらう必要がある。そのために伝えなければいけないのは“封印術”以外の広い“呪術”についてだった。俺は店頭には並べていない二枚の紙を持ってマイの居た机の上に置いた。どちらも文字に丸みがあり、それが鎖のように繋がって文様に見える。この手の平より大きいくらいの長方形が“呪符”と呼ばれる触媒だ。


「“呪術”には大きく分けて二種類が存在する。それが“まじない”と“呪い”だ」


 傍から見れば違いのわからない二枚の内、少女から見て右側に置いた方の呪符に人差し指を添える。


「まずは“まじない”。これは触媒を消費することで、一時的に何らかの効果を得られるものだ」


「おまじない……なんだか呪術とは思えないほど平和な響きですね」


「ただし単なる験担ぎとは違う。魔術みたいに、確かな効果を及ぼすものをそう呼ぶんだ」


 「まじない」という言葉自体には神や仏へ捧げられるもの、その土地の文化に基づいた祈祷、インチキ占いの口八丁など広義の意が存在する。しかし“呪術”では、学問における一つの分野のようなものであり、言葉だけで何かが起きることは絶対に無い。


「例えばその呪符を使ってできるのは“暗視のまじない”。暗闇の中でも、半日以上昼間みたいに視界が明るくなる」


「便利なものなんですね。些細なお願いごとなら、叶えたい放題じゃないんですか?」


「ところがそうはいかない。“まじない”はとても繊細で、同じ人間に次の“まじない”をかけたら、前の効果は消えてしまうんだ」


  つまり欲張っちゃいけないってことだ。そう付け加えるとマイは口に手を当てながら淑やかに笑った。


「それでこっちが本題。マイが教えてくれた“封印術”の基盤と思わしき方――“呪い”についてだ」


 不穏なワードが少女に緊張を走らせる。


「“呪い”の中には病を誘発させたり、直接人間を死に至らせるものもある。はっきり言って、危険な力だ」


「それは封印術を扱っている時から感じていました。上手く言えないんですけど、こう、嫌な予感がする時があるんです。そういう時は、必ず作業を止めるようにしています」


「懸命だね」


 実際危険度の高い“呪い”ほど、失敗した時のリスクは高いとされている。ボヤ騒ぎ程度で済めば良いが、“呪い”のせいで集落が滅んだという事例もあるという。


「“呪い”は“まじない”と違ってヤワじゃない。一度かかれば呪術士が解呪するまで解けることはなく、また幾つもの呪いを重ねることができる」


 今度は左側の呪符を指さす。先程のものとは内側にある文字列に変化が見られるだけだ。しかしながら、これを知る者からすればその違いの他にも異なる点がある。


「そして“呪い”の発動は、条件さえ整っていれば、こんな風に物質に残して置くことでいつでも誰でもできる。昨日、ハリエラさんが言ってたみたいにね」


「私の火矢が、人を感知することで発動するような仕組みにしていたように、ということですか……そう言えば、店主さんと開拓者さんは凄いですね。私の罠が一つも通用しなかったんですから。あれでも結構、兄の部下から逃げる時には役立ったんですよ」


「いや……ははは」


 ここで怪我をした【ソールサー】の話をすると、生真面目な彼女は飛んで謝罪しに行ってしまいそうだ。今度開拓者たちと会う時にはしっかりと事情を説明しようと心に決め、話を呪術の解説に戻る。


「闇の筋だと、人殺しに特化した“呪符”が高額で取り引きされてるって話がある。何にせよ、悪意ある呪いはとんでもなく危険なものなんだ」


 完成された“呪い”は、扱いは至極簡単。ただし危険度のことを考えれば、まるで丸出しの爆薬と言ったところだ。無闇に扱えば自分の身だけではなく近しい人間の命すら危ぶまれる。赤髪の少女はごくりと息を飲んだ。


「封印術は“呪い”の物と物を結びつける能力に特化した技術なんだ。初めて見たけど、これは凄いよ」


 洞窟でマイが“火連槍”と呼んだ火の魔術を込めた呪符。毒性を呪符に持たせるとかならともかく、紙切れに即時攻撃の手段を与えられる技術は聞いたことがなかった。


「用途は色々なことに使えそうだ。魔術だけでなく、大量の水、果ては物質を詰め込むことも可能かもしれない。これなら、でかい獣を封印したって言う伝承にも説得力があるよ」


 伝承通りならば『厄災』の二つ名を冠するドゥーマの封印を可能にした技術だ。これを完全にモノにすることができれば、俺の呪術士としての評価もワンランク上へと上昇する……邪な気持ちが顔に出ないよう努めていると、ふと、マイが曇った顔をした。


「“封印術”は……我が家に伝わる技術は、本当は誰にも開かれてはいけないような危険な技術なのでしょうか?」


 彼女は泣きそうな顔で問うてきた。それはおそらく、セアル家の過去と関係していることだ。王国に危険視され、冷遇されることとなってしまった原因。今の彼女たちの生活環境も、もしも“封印術”が開発されていなければ、一流貴族としてもっと良い暮らしを約束されていたかもしれない。セアル家の繁栄を願っていたマイの祖先たちがもたらしてしまった、現在にまで繋がる本物の呪い。


「“呪い”なんてものがあるから、兄は道を踏み外してしまったんでしょうか」


 少女の睫毛が悲しげに伏せられる。荒れた髪の毛は、多分数日前まで綺麗な紅色をしていたのだろう。艶やかさに欠けてしまっている原因を作ったのは、他でもない家の事情である。失望と責務が、いたいけな少女一人の肩に大きな重圧となってしまっているのだ。


 ――その小さな肩が、まるで昔の自分を見ているようで。


 事情も違う。彼女のように、歴史による大きな運命の歯車に翻弄されているわけでもない。それなのに、どうしても彼女と重なってしまった。誇れる力ではなく、皆に嫌悪される力を持ってしまったことに。


「そんなことない」


 だから俺は、つい強い口調になってしまった。不思議そうに見つめてくるマイに向かって「見ていて」と言ってから、俺は“呪い”がかかっている方の呪符を手に取った。その長方形を二つに破ると、細かな繊維の間から薄らと黄緑色の光が漏れ出した。


「店主さん……?」


「呪いは、確かに危険だ。だけど、それを悪用するのも正しく使うのも、人でしかない」


 俺は光り続ける呪符を持ったまま、カウンターの隅にあったガラス瓶を取った。その中に仕舞ってコルク栓をしてやると、瓶は火のような灯りを持つ即席のランプとなる。


「ほら。これで雨の日だって、どんなに強い風が吹いていたって、明かりが絶えることはない。これはずっと残り続ける“呪い”だからできることなんだ」


 差し出すと、桃色の爪が恐る恐るその瓶に触れた。やがてガラスを指が包む。


「暖かい……」


「日の光を発する“陽光札”。呪いでも誰かを照らせるって、俺は信じてるんだ」


「――そう、ですね」


 そう言ってマイはまた少しだけ笑顔になった。彼女にとって封印術は家族との――大好きな母との縁でもある。それを否定されることが辛かったのだろう。しかし、曇天の空の下にも光を生み出せる。その可能性があるから、“呪い”も呪術に必要な要素だと思うのだ。優しい熱を放つ小さなランプが、少女の手の中でゆらゆら光っていた。

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