第8話 セアル家と『不死の悪魔』
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翌日、俺の一日は入口に掛けてある札が「休業」であるか確認するところから始まった。そして日頃は私室として使っている部屋に客用の椅子を運び入れる。持って来たその椅子に座る俺、ハリエラさん、さらにベッドに腰掛ける赤毛の少女。彼女が意識をしっかりと取り戻したおかげで、本日の午前中の業務は話し合いとなったのだ。
「まずは自己紹介をしておくね。俺はルミー・エンゼ。この店、開拓者支援店【アメトランプ】の店主だよ」
「アタシはハリエラ。スラムの出だから性は無い。ギルドで開拓者をやってる」
初めて顔を合わせてから二日弱が経過していたが、お互いに名前も知らない身である。俺とハリエラさんはできるだけわかりやすいように自分の身元を明かした。すると少女は礼儀正しく一礼して、星空に溶けそうな藍の目を向けながら言った。
「私はマイ・セアルと言います。セアル家の長女で十六歳です」
マイと名乗った少女は昨日よりはいくらか顔色が優れていた。どうやら夜な夜なうなされている彼女を見ては、ハリエラさんが水を与え、体の余計な熱を取り除いていたようである。そんな甲斐甲斐しい世話もあり、起床したマイが「良く眠れました」と語った時にはとても満足そうだった。
「まずはお二人に感謝させてください。あの洞窟で、敵対した私を殺さないでいてくれたこと。そしてあまつさえ、こうして命を繋いでもらったこと。本当に、ありがとうございます」
「そんなかしこまらなくて良いさね。アタシはルミ坊の提案に乗っただけ。コイツがアンタを連れて行くって言わなきゃ、アタシはここまでしなかった」
「そうは言ってますけど、ハリエラさんだって結構心配して……痛っ」
余計なことは言わなくてよろしい、とハリエラさんに脇腹を小突かれる。一度は殺し合った仲だと言うのに面倒を見てしまう辺りに「彼女らしいな」という台詞が浮かんだが、それ以上は自分にも当てはまるような気がして口にするのはやめた。
「本当にありがとうございます。あのまま洞窟に居たら、殺されるのは時間の問題でした」
「殺される……?」
おおよそ小さな体には似合わない物騒な発言を聞いて思わず繰り返してしまう。しかしこれまでのマイの行動を見れば、一介の少女の手に負えない存在が居ることは疑いようもない。洞窟での決死の表情。あれは強い敵意とともに、マイ自身に降りかかっている危険をありありと伝えてきた。
「話してくれるかな。正直きみの事情が全くわからない。きみの目的や、どうして殺されそうになっていたのか、とか。それに、何を助けて欲しいのか」
「もちろんです。でなければ、店主さんや開拓者さんに協力を仰ぐなんて虫の良い真似はできませんから。まずは私の知る限りのことを話します。それから判断してください――これは、お二方の命をも危険に晒す可能性があります」
俺やハリエラさんの命すら脅かす。その言葉に当事者二人して目を合わせた。俺には一人の人間を生かし、ここまで連れて来た責任がある。だからほっぽり出すような真似はできなかった。ハリエラさんも同様らしく、珍しい思案の表情に了解を得てマイに向き直った。
「わかった。まずは聞くよ」
「ありがとうございます……今から話すのは、私の家、セアル家とルディナ王国の伝承に纏わるお話です」
少女は語り始める。それは、彼女が何者からか命を狙われるきっかけとなる歴史についてだった。
「セアル家はかつて、ルディナ王国で貴族位を与えられていた由緒ある家系、だったと聞いています」
「だった?」
「私が生まれるもっともっと前。それこそ、家の文献にしか残されていない古い時代です。セアル家は高名な『呪術士』の家系として、その名を知られていたようなのです」
呪術。その起源は詳細には語り継がれていない。なぜなら呪術の根源は各地の祈祷や祝詞にあるとされ、神秘的なものとして扱われてきた分野だからだ。研究者が現れたのもここ十数年で、まだまだ未開の技術なのである。
「ルミ坊、聞き覚えは?」
「いいえ。呪術の先駆者は王国に登用されたハリウェル・リーゲルくらいしか。それに彼も一代で名声を得た人間と聞きますし、家として呪術に関わっている家系は知りません」
ハリウェル・リーゲルは近年の呪術の発展に尽力している人物だ。面識は無いが、俺も彼の知識を元に『呪術』を身につけた。生まれた家のある村の長が古馴染みらしく、その家にあった彼の昔の研究著書が俺の基盤なのである。
「そもそも、なんで呪術ってのは広く周知されていないんだい? 便利なものじゃないか」
ハリエラさんの疑問は、以前にナゲさんに言われたものと同じだった。俺はいつかに答えたことを復習のように唱える。
「研究が進んでいないというのもありますけど、呪術士っていうのがそもそも希少なんですよ。誰でも魔術が使える訳ではないみたいに、呪術にも使える、使えないの適性があるんです」
「……んん? 待ちなルミ坊。アンタ昔、アタシにピカーって光る紙を使わせたろ。びりって破ってさ。あれに才能は関係ないのかい?」
「『呪符』のことですね。あれは基本的に触媒として使うものですけど、既に術を完成させた状態で残す場合もあるんですよ。だから誰でも使えますが、作れるのは呪術を使える人間だけなんです」
呪術にも魔術にも、行使するならば先天的な才能が必要である。加えて『呪術』の発動には特定の触媒を消費するため、そもそも自分にその才覚があるかどうかを試す人間がいないのだ。ふーん、と一応納得の素振りを見せたハリエラさんを確認すると、マイが話を元の路線に戻す。
「貴族位を失ったのは、希少な呪術の技術を独占していたことが原因だったそうです。危険視した王国が、セアル家の繁栄を抑制するための処置でした」
「そりゃあ随分と理不尽な話だねぇ。どの家にだって、特徴があるものじゃないか」
「それだけ呪術というものが謎に包まれ、周知されていない存在なんです。事実、私も“封印術”……家に伝わる固有の技術が呪術に属することは知っていても、その根幹については未だに理解できていません」
聞き慣れない言葉に好奇心が疼いてしまっていた。おそらくはその“封印術”こそが【ソールサー】を襲った力なのだ。呪術は未知の領域があまりに広く、セアル家の者しか研究に触れられていないのならば基礎的な知識が足りないということにも納得がいく。彼女が呪術士を求めていたのにはそんな背景が存在するのだ。
「しかし、私たちにとっては過去の出来事。のんびりと存続していくことだけが一族の願いでした――ただ一人を除いて」
淡々としていた少女の口調が唐突に揺れた。まるで何かを思い出して、恐れ、震えているようだった。瞬きもしない瞳がどこかを遠くを見据えている。マイは固まった体を無理矢理引き剥しながら告げた。
「当主キッグ・セアル――私の兄は、セアル家を没落させたルディナ王国を崩壊させようとしているのです」
「なっ」
国家転覆。この国における第一級の犯罪の名称が脳裏をよぎった。驚き声を上げてしまった俺とは対照的に、日頃より何倍も冷静な目つきになったハリエラさんが問いかける。
「……それは、そのキッグって奴にとって、勝算のある計画なのかい? ルディナはギルドに所属する開拓者に加えて、自国防衛戦力の王国騎士団がある。他国と戦争してもそうそう遅れを取るような国じゃあない」
「兄自身、王国騎士にも引けを取らない強さだと思います。ですがそれ以上に、彼の計画が問題なんです」
「もしかして、それがきみの言っていた『厄災』?」
鉱山で彼女が口にした言葉を思い出す。マイはその『厄災』とやらが誰かの手に渡ることを恐れていたようだった。そしてそれはどうにも事実であるらしい。
「はい。お二人はルディナに伝わる『大悪魔伝説』をご存知でしょうか?」
聞き馴染みの無い単語に首を傾げる中、隣にいるハリエラさんは深く頷いた。
「昔雇われたクランの連中から聞いたことがあるよ」
「どんな内容なんですか」
その質問に対して彼女はうーんと、と記憶を探りながら答えてくれた。
「むかーしむかし、ルディナが建国して間も無い頃の話さね。何年も続いた各国との戦争が収まってようやく平和が訪れようとしていた時代。突然、ルディナに一匹の獣が現れた」
「獣、ですか」
「青い体に山羊よりもデカい角。人間を遥かに越えるガタイを持った猛獣……だそうな」
俺は知っている様々な動物に例えてみようとしたが、想像できたのは図体の大きい青山羊だけだった。どうにも凶悪さが感じられない見た目を頭から消し去って、俺はハリエラさんに続きを頼んだ。
「ただの獣なら駆除して終わり……そのはずだったけど、その猛獣には一つだけ他の生き物とは明らかに違うところがあったそうだよ」
「違うところ?」
「――死なない。不死、ってヤツさね」
不死。命という概念を持たない存在。永遠に生き続ける生命は、果たして生きていると呼ぶのだろうか。ハリエラさんの話した獣とやらは、生物とは一線を画す脅威を持った怪物らしい。
「それで『大悪魔』……ですか」
「そいつはルディナの街にふらりと現れては、人間を殺戮したって話さね」
死なない体で襲い続ける。事実ならば虐殺と言っても過言ではない状況が想像できるが、あくまで空想の物語である。それを承知で伝説の顛末を尋ねた。
「不死の悪魔はどうなったんですか? おとぎ話なら、終わり方があるはずですよね?」
「“ルディナの英雄”が討伐したってよ」
「やっぱり」
やや呆れたハリエラさんが両手を広げながら嘆くように言う。
「もう、この国の昔話は何でもかんでも英雄サマが解決しちゃってつまらないねぇ。もうちょっと何か捻りはないのかい」
「仕方ないですよ。ルディナは“英雄の国”と呼ばれるくらい、その手の伝説が多いんですから」
物語の最後は決まって「英雄がその武勇で討伐したのです」だ。まるで言葉尻を合わせたようにこの国の子どもたちへと伝えられていく。あまりに伝説の数が多いせいで、伝説に出てくる“ルディナの英雄”は非同一人物であるというのが通説になっている。
「それで、そのおとぎ話がどうかしたんですか?」
これまで静かにハリエラさんと俺の応答を聞いていた赤毛の少女は、少しだけ目を伏せて言った。
「その伝説はこの国に伝わる物語としては合っています。ですが、史実とは異なる点があるんです」
――史実?
一瞬、言葉の意味を疑った。伝説はあくまで空想の物語であり、現実に干渉するものではないはずだ。だからマイの次の言葉は信じ難いものだった。
「不死の大悪魔は実在します。名を『ドゥーマ』。英雄に討伐されたのではなく私たちの先祖……セアル家の呪術によって、今も封印され続けているのです」
店内には無言の時間がやって来た。伝説的な開拓者が来店したりでもしたなら、きっと俺はこのように呆気に取られるのだろう。揃ってぽかんとしていたハリエラさんとともに顔を見合わせると、マイは暗い困り顔になって言った。
「あ、あの。馬鹿げた話に聞こえて信じられないとは思うんですけれど、決してふざけている訳では……」
「い、いや! 信じてない訳じゃないんだ。ちょっと面食らったというか何というか……」
「ルミ坊。アンタはハッタリが苦手なんだから下手に誤魔化すのは止めときな」
どうやら俺の緑髪の上にはわかりやすく疑問符が浮いていたらしい。この場に居る全員に嘘が見抜かれたバツの悪さに耐えかねて、咳払いをしてから本筋に立ち戻った。
「つまりキッグ・セアル……きみのお兄さんは『厄災』である不死の悪魔を使って、ルディナ王国に復讐をする算段だと」
迷うことなく首を縦に振った少女には不安そうな表情が続いている。数百年前の伝説が史実だなんて簡単に信用されるとは思っていないのだろう。事実、俺もどこか遠くの話だとしか考えられない。ただ、お伽話に具体的な固有名が出てくることが「いわく付き」の匂いを漂わせているような気がした。
「そうなると、きみがあの洞窟に逃げ込んだのは……?」
「兄の計画を阻止するため、家を抜け出した先であの場所を見つけました。兄の部下たちに命を狙われていたからです」
随分と血も涙もない話だ。家族でも反乱因子は殺す。確固たる意思と言えば聞こえは良いものの、やっていることはただの独裁政治に他ならない。
「仮にドゥーマの話が本当の話だとして、アタシにはキッグって奴の狙いがイマイチわからんねぇ。復讐って言ってたけど、ルディナ王国からの待遇が悪くなったってのは生まれるずっと前の話なんだろう?」
ハリエラさんの疑問は当事者でないからこそ感じてしまうことだろう。キッグ・セアルにのしかかる当主としての重責が彼を動かしたのか、それとも他に要因があったのか。ともかくわかったような口は聞けずに押し黙る中、マイはこれまでのはっきりとした口調を潜ませながら語った。
「兄がこんなことを言い出したのは、一年ほど前のことです。温厚だった彼が、父の病死をきっかけに変わってしまった。葬式もろくに取り行わないで、何かに取り憑かれたみたいにドゥーマ復活のことばかり話すようになって……」
赤髪の下の表情はなおも曇っている。話辛そうな様子は、豹変してしまう以前の兄を慕っていたからなのだろう。自分が殺されかけた今でも、思い出の中の兄は優しいままなのだ。
「兄、か」
俺は思わず口からこぼしていた。ふとハリエラさんと目が合い、その視線が心配げに見えてかぶりを振った。
「事情はわかった。それで……改めて聞くけど、俺たちに協力して欲しいことっていうのは何なのかな?」
彼女の最初の要望がキッグ・セアルの計画に関わることだというのはわかった。ただその話を聞いたところで、俺たちが関わることができる余地は無いと感じてしまう。マイはしっかりと息を吸うと、再び意を決したように話し出した。
「私の願いはドゥーマの復活を阻止することです。もし伝承の通りなら、ルディナ王国は未曾有の危機に陥るでしょう。それに……」
少女は続けようとする言葉に、また下を向いて迷っていた。しかし両の拳をぐっと握ると、苦痛を伴っているかのような声で言う。
「身勝手な話ですが……兄を、殺戮者にしたくないんです。あんなに優しかった兄ならきっと、戻ってきて、くれると」
小さな体をもっと丸めて言ったマイの想いは本気だ。むしろ、ルディナ王国を危機から救いたいなど建前でしかない。『兄を救いたい』。それが彼女の本当の願いだ。長い髪を小刻みに揺らしながらマイは懇願する。
「お願いします。私一人では国やギルドを動かすことはおろか、ドゥーマに関する“呪術”の解明もできませんでした。報酬は、私にできることであれば何でもします。労働でも、身売りしても構いません。だから……」
――強い少女だ。
命の危機だったろう。突然バラバラになってしまった家族に戸惑ったはずだ。それでも自らの命を投げ打つほどの覚悟で、兄を救うために奔走している。ろくに信用もできない開拓者と支援者に、身を震わせ、誇りまで捨て去って。
俺はキッグ・セアルという人物に怒りを感じていた。まだ年端もいかない妹にこんなことを言わせる計画の先に、家の繁栄など確実にありはしない。あるのは死体の山の上に立つ、空虚な君主の立場だけだ。
「ハリエラさん」
「あぁ。多分、考えてることは一緒だろうさ」
その答えに安心した。長年の付き合いの強気な女性は、どうにもいつも心強い。
「そんな兄貴、一発ぶん殴ってやる」
一緒の言葉を選んだ俺たちは、目を丸くする少女に向かうと揃って笑顔を向ける。ハリエラさんは立ち上がって、震える肩に手を添えた。
「なんとびっくり、ここにいるのは一流の開拓者と一流の呪術士さね。お嬢ちゃんは運が良い。欲しがってた人材は全部揃ってるわけだ」
「そうとなれば決まりですね。ハリエラさんは信頼できるギルドの人間に伝えてください。俺は彼女の研究の手伝いを……」
「ま、待ってください!」
マイがベッドから立ち上がった。彼女の動揺やら困惑やらが詰まった顔に思わず吹き出しそうになる。
「ちゃんと考えてください! さ、最初に言いました! 情報の出所が知れれば、お二人も兄に命を追われてしまいます。それに、私が返せるものも少ないですし、それに……」
「依頼者とは思えないセリフだねぇ」
紫紺の髪の方が堪え切れずに笑った。どうやらマイは俺たちの即決に対して随分と不安なようである。しかしながら意見はもう固まってしまったわけで、何より“凍土の魔女”の可決は絶対に揺るがない。そう思っていた矢先、当人がこんなことを言う。
「反論はやめときな。そこの支援者はどうにも意固地なんだ。無駄な体力を使うだけさね」
「ハリエラさんだけには言われたくないです」
互いに睨み合っていると、マイは焦り混じりで俺たちに詰め寄る。
「信じられなくて当然の話なんですよ! 伝承とか『厄災』とか……誰も見たことないんですよ? なのに、なんでこんなこと信じてくれるんですか」
「きみが命を懸けて俺たちを殺そうとしたから、かな」
「え……」
間近にあった青藍の目がこれ以上ないくらい困惑を示した。
出会った洞窟で、マイは俺たちのことを追っ手だと判断したからこそ、迷うことなく攻撃して自らの命をも懸けた。そんな少女の『本音』すら信じられないなら、俺は誰かの手助けを生業にすることなどできてはいない。
「あの洞窟とこの場で、きみは十分過ぎるってくらい覚悟を見せてくれたよ。俺はそれに応える――支援者だからね」
「取り越し苦労ならそれで良いじゃあないか。でもアンタの兄貴には……悪いけど、凍え死ぬ直前まで反省してもらわないとねぇ」
この回答に俺もハリエラさんも、お互いにお人好しだと改めて思ったことだろう。ただそれが間違いなく、マイという少女への敬意を示したという確信だったのだ。
「ありがとう……ございます」
絞り出たか細い感謝は、俺たちの決意をより強くさせた。次の依頼は『厄災』ドゥーマの復活阻止。そして依頼者は赤髪の少女、マイ・セアルである。
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