第10話 “破剣”のクイップ
※
マイの依頼を受けてから数日が経った。『厄災』と噂されるドゥーマやそれに纏わるとされる“刻時石”の研究はなかなか進展しないものの、教えてもらった“封印術”については多少の感覚が掴めてきた。魔術も封印術も、行使するのに大切なのは慣れである――と言うのは、そのどちらもを巧みに扱えるマイの談だ。
「始めてナイフを持った時、単純な使い方は何となくわかるじゃないですか。でも野菜の皮を剥くにはちょっとしたコツが要りますよね。魔術も封印術も同じなんです。“術”という道具があり、それをどう効率良く使うか。元々呪術が得意な店主さんなら、きっとすぐにできますよ」
「……なんか、教える立場が逆になって申し訳ないよ」
あれだけ盛大に彼女の依頼を引き受けておきながら、まず俺は理解のために“封印術”をマスターしなくてはならない。二つ歳下の少女に手取り足取り学ばなくてはならないとは、自分が少しだけ情けなく感じてしまう。
「そんなことないですよ。さっきまで私に“呪術”を教えてくれてたじゃないですか。お互い様です」
未知の発見とは、今ある知識を成熟させ、離れた場所で開花させること。そのためには俺とマイは互いに知ることを全て教え合わなければならない。未だ使い方がわからないマイの母親が残した“刻時石”。その読解を進めるには、牛歩でも確実な手段を選ぶ必要がある。
「マイのお兄さん……キッグ・セアルは、一体いつ動き出すんだろう」
この瞬間も彼は王国転覆という計画のために粛々と準備をしている――いや、もしかすると、マイが逃げ出したことでもう動き出しているかもしれない。ハリエラさんがギルドに報告したことで『アルテナ鉱山』とその周辺の森には偵察隊が忍んでいるらしいが、それも彼らの行動の抑止力になっているかは微妙なところだと言う。
「……わかりません。ですが、もしこの石にドゥーマを封じ込める力があるのなら、一刻も早くそれを解読しないといけません。復活を防げるものなのか、復活した後にもう一度封印できるものなのか。それがわからないことには、こちらからの対処はできませんから」
「せめて封印を解除するにも、何らか面倒な手順があることを祈るばかりだ。死人が出てからじゃ遅いんだから」
実際のところ、ドゥーマという青山羊の脅威度がいか程のものかはわからない。しかしながら『不死の大悪魔』として伝承に語られるまでの存在を楽観視するのは愚策だろう。思ったよりも追い詰められている状況を改めて認識すると思わず深めの溜息を吐きたくなる。とは言え、マイが頑張っているのを目の前で見ているのでそれも憚られた。
「今朝はこのくらいにして、とりあえず店を開けよう。マイ、悪いんだけど昼食の買い出しを頼めるかな? 俺は……」
「店番ですよね。わかってます」
俺の言葉を継いでくれたマイは焦りを隠しながら気丈に振る舞っている。猶予が無いことを知ってはいるものの、生活のためには店の営業も欠かせない。普段はありがたい多忙な日々が、今は少々足を引っ張っていた。
「夕方になる前に店は閉めるから、そうしたらまた宿屋の夕飯の頃まで“呪術”を教えるよ」
「よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げたマイに少額の入った小袋を手渡し、店の外まで見送った。彼女は店以外の場所では常にフードポンチョをかぶって行動している。もしキッグの手の者が潜伏していたら、場所がどこであろうと狙われる可能性が高いからだ。
本来は一人で歩かせるのも危険とはわかっているのだが、いかんせんこの店はいつだって人手不足。ギルドという組織がある以上、多くの“支援者”はそこに所属するし、何より【アメトランプ】は呪術に理解がある者でないと商品一つにしても危険が伴ってしまうのだ。
「いっそマイがここで働いてくれたらなぁ……」
少女の居なくなった店内でそんなことを独りごちる。しかし彼女はあくまで今回の一件の依頼者であり、全てが上手くいけばセアル家に帰ってしまう。兄の暴走を止め、真の絆を取り戻すことができたならマイの居場所はそこなのだ。そして俺は、全力で彼女の手伝いをしなくてはならない。その契約こそが俺の支援者としての矜持なのである。マイをここに引き留めるのは、いささか勝手が過ぎるというものだろう。
俺はそんなことを思いながら“刻時石”を見つめる。ドゥーマ復活を阻止するための方法、それがこの石には隠されている。だが本当に、このちっぽけな石に幼い少女が命を賭すほどの価値があるのだろうか? 母親は、娘がそんな修羅の道を歩むことを望んでいるのだろうか――?
暫く考え事を続けていた頭に、カランカランという音が響いた。店の扉に備え付けたドアベルが誰かの来店を告げる。俺は急いで石をポケットに隠した。
「おーっす、ルミー」
「いらっしゃいませー……ってなんだ。トウマじゃんか」
そこに居たのは古馴染みの支援者だった。焦げ茶色の髪と瞳を持つトウマは、最近【ソラティア】というクランの遠征に同行していたはずだ。元気な態度とは裏腹に、顔には少しだけ隈がある。
「前言ってた依頼は済んだのか?」
「あぁ……そんなことは良いんだ。今日はお前に頼みがあって来たんだよ」
何だか言いづらそうにしているトウマに多少の違和感を覚える。ただの疲労なら構わないが、彼はちょっとやそっとの事で音を上げるような根性の持ち主ではないのだ。杞憂なら良いが、もしこれが空元気なら友人として無頓着でもいられない。
「とりあえず聞くよ。そこ座って」
「いや、外に人を待たせてるんだよ。すぐ連れてくる。お前もぜってー驚くぜ!」
「あっ、おい」
一頻り言うなり、トウマは癖っ毛を翻して外に出てしまった。いつもより平静を装おうとする様子がどうにも心配になるが、彼はすぐに戻って来た。
「入ってください」
それは誰にでも同じ目線で話すトウマが使うには珍しい敬語だった。彼はハリエラさんと初対面だった時でさえ畏まった言葉遣いをしなかったと言うのに。俺は彼が意図したこととは違う驚きに包まれながらも、新たな客の来店を待った。【アメトランプ】に新たな来客者が踏み入れる。
威圧感、存在感。そんな言葉が該当するような独特の雰囲気を持つ老男だった。全身に鳥肌が立ったのは、まるで彼が荒野に突き立つ抜き身の剣のように感じたから。背広服を纏うピンと伸びた体は、隣に立つトウマと比較すると一回り大きい。顔には深く刻まれた皺がいくつも存在し、真っ白な髪と髭は年の功というやつだろう。
そして、身につけているものに特徴が二つ。一つは左目に眼帯。覆いきれない傷は火傷跡のようで赤みがかっている。
二つ目は腰に帯びた剣。細い形状であるから、レイピアと呼ばれる刺突を得手とするものだろう。派手過ぎず、しかし貧相な印象を一切与えない逸品は、刃を見なくとも明らかに銘剣の類だとわかる。
「失礼致します」
厳格な雰囲気の老体から発された言葉は至って物腰が低い。礼儀的に驕奢な姿勢は取らないにしても、こうもしっかりと腰を曲げられてはまるで使用人や執事のようである。どうにも謎の多い人物だが、トウマが連れて来たということは開拓者なのだろうと推察できる。そしてその考えは謎の男本人によって肯定された。
「お初にお目にかかります。私はクイップ。しがない老剣士でございます」
「なっ……!」
俺はクイップを名乗る男の自己紹介に驚嘆を漏らしそうになった。
――“
「驚いたろ! 訳を話すから座って良いか?」
「あ、あぁ」
俺は驚きのせいで歓迎の言葉すら忘れていた。そして一礼してからカウンターに腰を下ろしたクイップと向かい合う。その片目には敵意なんて無いはずなのに、背筋が張る感覚をどうやっても外せない。
「お前も知ってると思うけど、“ギルド最強の剣士”ことクイップさん。今は【ソラティア】のリーダーであるアレス・ミークレディアさんに剣を教えてる」
「そのような紹介はお止めくだされ。私はただの老骨。そのような大袈裟な呼び名は、不肖ながらも弟子に譲った所存です」
謙遜しながら言うが、かつてルディナ国王直々の騎士団勧誘を受けながらもそれを無下にしたのはクイップただ一人だと聞いている。その際に斬り結んだ騎士団の持つ「剣のみ」を尽く砕いた事件は伝説として名高い。命は取らず、騎士たる誇りを奪った男。ゆえにその通り名は“破剣”のクイップ。新生クランの【ソラティア】が破竹の勢いで躍進する理由に納得した。
「紹介が遅れて申し訳ありません。俺は支援者のルミー・エンゼです。本日はどのようなご用件で?」
俺が尋ねると、クイップはゆっくりと眼帯を取り外した。その左目があったはずの場所には、布の外にまで広がる赤身よりも痛々しく黒ずんだ傷があった。まるでその近くだけで爆発が起きたみたいな、窪みが目立つ裂傷。あまりの酷さに思わず息を詰まらせる。
「先日、久し振りの探索にて不覚を取りました。これを早急に治療して頂きたく参った次第」
「く、クイップさんに不覚を取らせる奴がいたんですか?」
「人、ではありませんな。言うなれば、そう……化け物、とだけ」
含みのある言い方をしたクイップさんにゾッとさせられる。老いた身とは言え、王国の実力者や荒くれ者の集うギルドの中で頂点に立っていた男だ。実力は折り紙付き。その彼が片目を奪われる事態となれば、事は随分と重大なのではなかろうか。しかしながら不安な考えは他ならぬクイップさん自身によって否定される。
「安心してくだされ。釘を刺しておきましたゆえ、彼奴も勝手には動けますまい」
心を読まれたような答えにびくりとする。ただその言い方だと、その化け物はまだ存命ということだ。彼が監視役でも担っているのだろうかと考えたところで、隣のトウマが言い出した。
「今日の頼みってのはクイップさんの目の傷の治療だ。お前ならすぐに治せるだろ?」
「か、簡単に言うなよ……確かにできないことはないですけど、本当に急ぎでなければ間違いなく医者を頼りにした方が良いですよ。俺ができるのはあくまで緊急時の処置みたいなものですから」
俺の行える特殊な治療法はかなりの危険を伴う。必要が無いなら使わない方が良いとさえ思える代物だ。そういう意図を含めてクイップさんに言うと、彼は何の迷いもなさそうにしっかりと頷く。
「使えるのであれば構いません。医者にかかってはそれなりの期間を要するでしょうが、それでは弟子に無用な心配を生んでしまう」
おそらくトウマから既に詳細を聞いており、覚悟の上ということなのだろう。右目だけの眼光がぎらりと俺を見据えた。
「……わかりました。ですが施術は大変危険です。失敗すれば医者にも治せないことになるかもしれません」
「私は開拓者。支援者殿を信じ戦線に立つのが定めでしょう」
クイップから発されたその言葉には、若かりし頃からギルドにその身を置いた人間としての重みがあった。支援者に教えられることが自らの身を守ることだとすれば、開拓者に教えられるのは、皆が戦場に立っているということ。それぞれの居場所に役割があり、命を賭していることには変わりないという教訓だ。その決意があるならば、俺は全力で依頼をこなすだけ。
「――では、すぐに“呪術治療”を行います」
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