第11話 呪術治療

 “呪術治療”――それは文字通り、呪術による医療技術のことである。


 この世界における通常の治療とは、薬と医者が使える細胞を活性化させる“魔術”を併用したものだ。治らない部分は取り除き、新たな組織が誕生するように促す。“魔術”は術者本人のエネルギーから何かを生み出す技術の総称だが、最も繊細かつ技量が問われる分野が“医術”なのである。


 王国お抱えの医者にもなれば、もはやその存在が万病に効く特効薬だ。彼らは日々急務に追われていると思うけれど、クイップさんのような大物ならばどんな医者だって喜んで引き受けることだろう。左目の損傷は激しいが、腕の立つ医者なら確実に元通りに治せる。


 しかしながら、彼が選んだのは俺の持つ“呪術”による治療だった。医者が行う治療に比べてメリットは二つ。速さと安さだけだ。それに安いとは言え、あくまで最先端の医者にかかるならマシ、といったレベルの話。ましてやクイップさんほどの豪傑ともなればお金の心配なんて要らないだろう。つまり実質的な良点は迅速な修復にしかないのだ。


「それでは麻酔を打ちますね。眠っている間に終わりますが、治療痕は少し残ると思っていてください」


「構いませぬ」


 トウマが見守る中、俺はクイップさんを自室のベッドに寝かせて注射器を差し込んだ。彼はぴくりとも動じることをしないでゆっくりと意識を落としていく。


 彼が急ぐ事情はどうやらトウマも知らないらしい。旧知の仲であるトウマが信頼を置いているという理由だけで協力しているのだが、実際のところ二人揃って老人の素性を知らないわけである。なかなかどうして無責任。しかし、そこは開拓者としての矜恃を忘れていないクイップさんを信じたいところだ。


「よし、始めよう」


「おう……つっても、俺ができることなんて何にもねぇけどよ。店に誰か来たら対応しておく」


 俺は短く頼んだ、と言ってトウマに接客を託した。呪術に関することは専門外でも、彼の支援者としての技量は俺以上だ。さらには【アメトランプ】創業前からの付き合いで、これほど店番に打ってつけの人間は他に居ないだろう。


 安心と緊張が絡まった気持ちを深呼吸で追い出して、目の前の施術に集中する。これから行うのは、クイップさん自身の細胞が記憶している、眼球という器官を呼び戻すための“呪い”だ。体のどんな場所であっても、元々存在したものであれば無意識的に「在った」状態を忘れることはない。だからこそ幻肢痛なる症状もあると思っているのだが、俺には大した医学知識はなく、推測の域を出ることは無かった。


 “医術”は不必要な部分を抜き取り、全く新しいパーツを施す。しかし“呪術治療”は死んだはずの細胞を蘇生させることが主目的なのだ。彼らに言わせればおそらく外法とさえ呼ばれそうな代物で、危険とは表裏一体。覚悟が必要なのはクイップさんだけではないのである。


 俺は机の上に出しておいた一枚の呪符を手に取った。複雑怪奇な文字が大量に書かれており、もはや黒い紙に白を入れたのではないかと思う程だ。それを抉れた左目に押し付け、上から両手を重ねる。そして少し力を加えた瞬間――急激に意識が何かに吸い込まれるような感覚が訪れた。


「――ッ!」


 まるで暴風を背に受けているみたいに、その呪符へと引き寄せられる。もちろん俺に物理的な変化は何も訪れていない。ただ少しでも気を抜けば、肉体と精神が引き剥がされる。そんな危険性を感じ取った。


 クイップさんの年齢は見た目の感じからして五十は下るまい。つまり俺の生きた時間よりもずっと前から世界を見続けていた瞳だ。それを再び作り『直す』ことがどれほど傲慢なことか。それをこの身に叩き込まれ続けている気がする。


 ――言うこと、聞けっ……!


 俺は心の中で叫んだ。呪いの発動には呪術士本人にもかなりの負担を強いる。辛さを払拭するためだけの、ただの強がりが今は必要だった。


 やがて呪符を介してクイップさんの左目に変化が訪れる。深緑の発光が部屋中に拡がると同時に、紙を押し付けた部分に僅かながら膨らみを感じ始めた。しかしこの状態で治療が途切れてしまうことが一番危険だ。中途半端に治してしまえば欠けた部分は再び壊死を始め、その部位どころか周辺にさえ悪影響を及ぼしかねない。全身からどっと汗が噴き出して視界がぐわりと揺れる。


 気張れ。ギルドの生ける伝説の命運は、間違いなく俺の手の中にあるのだ。


「巻き戻せっ……“再生の呪い”――!」


 組織が“呪術”の導きを受けて、そこに在ったはずのものを思い出していく。呪符が四隅から段々と燃え消えるように欠けていき、最後の一片が消滅した瞬間、両手の下には強い意志の宿った檜皮色の瞳が存在していた。


 それを確認すると同時に、全身からふっと力が抜けて、床に体を叩きつけるようにしてぶっ倒れた。立ち上がろうにも足に力がろくに入らず、浅い呼吸を何度も繰り返す。すると店番をしていたはずのトウマが慌てて部屋に入って来た。


「お、おいルミー! 大丈夫か?」


 心配そうにバタバタと駆け寄られる。俺は彼の肩を借りて部屋の壁にもたれると、ようやく深く空気を取り込むことができた。


「悪いな……“呪術治療”は滅茶苦茶体力を使うんだよ」


「ホントに大丈夫かよ。前から思ってたが、呪術ってのはどうも危なかっしくて見てらんねぇな……成功、したのか?」


「成功したよ。起きた頃には再生した器官が癒着して、元のように見えるはずだ」


「そうか。サンキューな」


 お礼を言うトウマの顔はそれでも心配げだ。彼の前で倒れたことは過去に何度にもあるのだが、その度に迷惑をかけているのはこちらとしても申し訳ないばかりである。


「お前は強えわけでもないのにいっつも無茶するからな。頼んだ俺が言う義理は無いが、大変な依頼なら断っても良いんだぞ」


「トウマこそ、キツい依頼なら無理すんなよ」


「……なんのことだよ」


 話をはぐらかそうとするトウマだったけれど、彼がその手の腹芸が苦手なことは知っている。こいつは我慢強いが何でも顔に出過ぎるのだ。例えば、疲れや憔悴とか。


「気づかないと思ってんのか。顔色悪いぞ、お前。今回の依頼、結構参ってんじゃないのか?」


 トウマは最近まで、新進気鋭のクランである【ソラティア】の支援者として遠征について行っていたはずだ。勢いに乗る集団というのは評価が高くとも、その実態はかなり厳しいということはザラにある。


「相変わらずよく見てんなぁ、お前。ハリエラさんが気に入るわけだよ」


「茶化すなよ。大丈夫なのか?」


「少なくとも今のお前よりはマシだよ……でもまぁ、今まで支援したクランの中じゃ一番大変だな。何せ開拓者優遇の色が強くてな。雇われた支援者たちも日に日に交代していってる」


「前に言ってた『開拓者至上論』か。でもおかしいな。師事しているクイップさんは良識のある人だったけど」


 クイップさんの覚悟は出会う前から括られていた気さえする。あそこまで支援者を信頼できる人はそうそういない。俺たちはお互いにかつてギルドに所属していたという共通点があるけれど、あくまで初対面の他人なのだ。仲介人のトウマ、そして名が売れているわけでもない俺をそこまで信じられるのは、尋常ではない胆力あってこそだろう。


「あの人は別さ。ただ、彼が直接的に剣を教えているのはリーダーのアレスさんだけなんだ。そのアレスさんも、クラン自体には大して興味の無い人でな……直接的な運営を仕切っているのは副リーダーの方なんだ」


「それが【ソラティア】躍進の秘密か。アレスさんっていう看板に乗っかって名を上げているってわけだ」


「誰かの聞いてる場所じゃ、あんまりそんな言い方するなよ……でもまぁ、事実だ」


 トウマはバツの悪そうな顔で言う。日に日に支援者が脱落していくクラン。普通ならば使えると思った支援者には手放さないように良い扱いをする。トウマは著名なクランに頼られたことはないものの、様々な場所で活躍していて影の評判は高い。しかし【ソラティア】はそんなこともお構い無しに支援者を使い捨ての駒にしているというのだ。


「何かこう……格好悪いな。何となくだけど」


 俺は言い表せないもどかしさを吐露した。本来開拓者と支援者は助け合うための存在で、そこに優劣はない。策を弄することのできる者が軍師を、実戦の得意な者が兵士を。そうしなければ、クランが百パーセントの力を発揮することは不可能だ。


「それがアイツらのやり方だ。でも俺が名を上げるためには仕方ねぇ。こうなりゃこっちがとことん利用してやるさ」


「再三言うけど、無理すんなよ」


「あぁ……水でも取ってくるよ」


 言うとトウマは水道のある部屋まで歩いて行った。旧友の背中の張りの無さに、やはり心配を押し留めることはできない。そして疲れ果てた脳が一つ、彼の手助けになる手段を思いつく。


 ――またお人好しって言われるんだろうなぁ。


 そんな考えの浮かぶ自分に少しげんなりするが、俺は意を決した。今は自分のクライアントであるマイの依頼がある。彼に協力できることは、俺自身ではない誰かにこの一件を任せることだ。


「……あ、そろそろマイが戻って来ちゃうな」


 クイップさんの治療に集中していたためにすっかり失念してしまっていたが、マイには買い出しに行ってもらっているのだ。正直時間感覚があまり無いのだが、“呪術治療”は施術時間も大して要しないのが一つの利点だ。買い物から帰って来た途端に店主が顔色を悪くしていたら要らない気を遣わせてしまうだろう。あくまでマイは客なのだから、待偶を落とすことは許されない。


「さて、と」


 全身に力を入れて体を起こす。一瞬だけ目眩がしたが、ブレた視界はすぐに元に戻った。クイップさんはまだ麻酔の影響で眠っているようだ。俺は好奇心から彼が眠るベッドの横に立て掛けられた一振りの銘剣を見遣る。柄や鞘からわかる、歴戦の中で使い込まれた細剣。こうして伝説を残す開拓者の歴史の一端に触れたいと思うことや、支援者なんて職業を生業にしているのはきっと、俺が不本意にもかつての夢を思い出してしまっているからなのだろう。


「……未練、がましいなぁ」


「剣に、興味がお有りのようですな」


 独り言のつもりだった台詞が誰かに拾われていた。不意に聞こえた深い声に俺はビクッと体を震わせてしまった。


「う、うわっ! クイップさん……起きてたんですか?」


「驚かせて申し訳ありませぬ。今、起きました――ありがとうございます。目が、すっかり見えるようになっている」


 言いながらすぐにベッドから起き上がろうとするクイップさんに慌てて言った。


「まだ麻酔が効いてるはずですから、横になっていた方が良いんじゃ……」


「問題ありませぬ。この程度、戦で浴びた毒矢に比べれば大したことはない」


「そ、そうですか」


 比較対象がまさかの命に関わるレベルだ。俺は生ける伝説のスケールの大きさに顔が引き攣るのを抑えられなかった。動揺を悟られまいと、どうにか話を変えようと先程の無礼を詫びる。


「すみません。剣士の命をまじまじと見てしまって」


「構いませぬ。いくら見たところで、剣が刃こぼれするわけでも無いでしょうからな」


 クイップさんは言いながら、そのレイピアを鞘ごと手にしてゆっくりと抜剣する。その文字通り流れるような所作と、段々と姿を露わにする鋼鉄の輝きに俺は見惚れてしまった。派手な装飾が施されたような目に見えて価値のある一品ではなく、無骨ながらも一本芯が通り、剣の強さだけが求められた逞しい刃の姿だ。


「昔、仕えていた主から賜った宝剣です。大いなる役割を持つと聞いておりますが、未だに敵を屠る以外の用途は見つかりませぬ」


「役割?」


「相当古くに打たれたようで、いわく付きというだけです。もう果たした役割なのか、未だ果たされぬ役割なのか……それすらも定かではないのです」


 伝説の男の剣は、やはりただの銘剣では収まらないほどの逸品らしい。その謎一つにもわくわくと心踊ってしまうのだが、さすがにそんな年齢でもないから自重する。


「ルミー殿はなぜ剣に興味がお有りで?」


「え……俺、一言もそんなこと……」


「そうまで爛々とした目で見られては、誰でもわかりましょう」


 軽く笑いながら言われて、あまりに単純な自分が恥ずかしくなった。相手が伝説の男であり、そんなクイップさんが対等に見ていてくれるからこそ、まるで自分が幼子のままのようで。


「む、昔、開拓者に憧れていたんです。それで……」


「……なるほど。そうでございましたか」


 クイップさんは俺の短い答えにそれ以上の追及はしなかった。元々詳しく話そうなんて考えていなかった話題だっただけに、その気遣いがありがたかった。


「おーいルミー、水持って来たぜ……あ、クイップさん、起きたんスか」


「はい。おかげでしっかりと元通りになりました。トウマ殿の言った通り、素晴らしいご友人――いや。支援者だ」


 ギルドの大先輩にこうも賛されては紡ぐ言葉もない。多分紅潮している顔を見ながら、トウマが声を抑えて笑っているのを俺は見逃さなかった。


「そ、そんなに褒められても依頼料はまけませんよ」


「そうだぜ。コイツ苦労してるんで、しっかり払ってやってくださいよ」


「無論、そんな不敬は致しません。お好きな額を提示してくだされ」


 さすがに伝説は言うことが違うなぁ、と思いながら、俺は考えていた『依頼料』についての話をする。


「それは『お願い』でも大丈夫ですか?」


「お願い? ルミー殿がよろしければ構いませぬが……開拓者たる私に対しての依頼、ということでしょうか」


「えっと、まぁ、そんなところです」


 怪訝な顔の二人に見つめられて何だか言い出しにくいのだが、俺は咳払いで気持ちを切り替えてクイップさんを見返した。


「次の【ソラティア】の探索、クイップさんに同行して欲しいんです」


「――ほぅ」


「ルミー、お前……!」


 トウマは予想外の答えに戸惑っていた。俺の真意は間違いなく伝わっているようである。


 俺の見立てが正しければ、おそらくクイップさんは現状の【ソラティア】の体制を知らないのだろう。しかし認知さえすれば、彼はきっと『開拓者至上論』の連中への抑止力になるに違いない。お金ではない要求に訝しげな顔を続けるクイップさんは、研ぎ澄まされた鉄のような眼光でこちらの真意を問う。


「それは、如何なる理由で?」


「風の噂で、現在の【ソラティア】のやり方は支援者に対して不当な扱いをしていると聞きました。もしそれが事実なら、元々ギルドに所属していた身としては快くありません。それをクイップさんに確認して頂きたいんです」


 言葉の半分は嘘だった。もちろん同業者が無理な労働を強いられていることも、元ギルド所属の支援者として心配な事態ではある。だがそれよりも、もっと身近な存在が辛い思いをするのは見るに耐えない。


「ルミー殿は嘘が下手ですな。瞳が、真意を語っておりますぞ」


「な、なんのことでしょうか」


 じっと見つめてくるクイップさんに頑張ってしらばっくれる。しかしその顔は全てお見通しと言わんばかりで、俺のついた嘘なんて全部無意味だったようだ。ただその建前を崩すのは、友人を守るという一点において絶対に譲れない。少しの間沈黙が部屋に流れて、やがてクイップさんはふっ、と短く笑った。


「承りましょう。【ソラティア】の探索への同行。風の噂とやらの真偽を確かめて参ります」


「ありがとうございます」


 どうやらクイップさんは全て承知の上でこの依頼に応えてくれるようだ。頼もしい監視役を確保し、俺はひとまず安堵する。


「トウマ殿の言った通り、良い支援者――いや、良いご友人をお持ちだ」


「……サンキューな、ルミー」


「さぁ、なんのことだか」


 マイの件もあり、俺はこの件に関われない。例え動いたとしても【ソラティア】の開拓者たちの考え方を変えることはできないだろう。その点クイップさんはクランリーダーの師匠であり、これ以上の適任は居ないと言える。


「次回の探索の後、また店を訪れましょう。結果はその時に」


「はい。お願いします」


 短い口約束の契約を済ませ、クイップさんはよろめくこともなく店を後にしようとした。ロビーに戻って見送りを済ませようとした時、カラン、と扉が開かれる。フードを被って腕に籠を吊るした少女がゆっくりと入ってくる。買い出しに行っていたマイだった。


「ただいま戻りました。あ、お客様がいらっしゃったんですね」


「お帰り。すぐに呼ぶから、向こうの部屋で待っててくれる?」


「わかりました」


 マイは外套で顔を覆ったまま、店の隅に寄りながらさっきまで治療に使っていた部屋に向かう。邪魔にならないよう気遣ってくれたことに感謝しつつ、俺はクイップさんに向き直った。


「ではまた近々お会いしましょう――クイップさん?」


「……え、えぇ。近日の内に参ります」


 何やらぼうっとしていたらしく、さっきまでのような威風ある受け答えではなかった。この時、俺はなぜかそわそわし始めたトウマの方が気になって彼に何も言うことはしなかった。おそらく麻酔の影響が少し残っているのだろう――そんな楽観視をしながら、生ける伝説の去って行く背中を見送るのだった。

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