第39話 行先は絢爛
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【アメトランプ】から王都の中心へ出るにはさほど時間はかからない。今回は十数人での大所帯で、人ほどの速度しか出さない馬車ではあるが、それでも数時間といったところだ。しかしながら馬車に乗っている間は時の流れが凄まじく遠く感じ、硬い地面と相まって体が休まることはなかった。
格子窓の外を見ると、そこに広がるのはルディナ王国の心臓部。宮殿を中心に網目状に広がる縦長の建築物たちの中には貴族や官僚が住まうと聞く。住宅地を囲うようにして四方それぞれに時計塔があり、一際目立つそれらが一般市民との見えない境界線を作り出しているのだ。
馬車はいつしかその境目も越えて、殆どが石床の地面に車輪を転がす。やがて辿り着いた宿舎で、俺たちは眠れない一夜を明かすこととなった。ついさっきまで開拓者たちの盛り上がりを見ていたのが嘘だったみたく、急な出来事に感情が付いて行かない。複雑な心境が重なっていたが、マイと他愛無い話をしながら過ごせたのはとても有り難かった。
そして翌朝。明けの空にまだ月の残影が浮かぶ頃、俺とマイは騎士たちに呼ばれて再び馬車に乗せられた。大勢の王国騎士が何かを護送する様子は王都の街中でも珍しいようで、住人たちは高い建物から中身の見えない馬車を見下ろしている――と言うのは、騎士たちの会話を盗み聞きたところによる。もっとも「見世物みたいで気分が悪い」と言っていたから、彼らの機嫌を損ねないためにもやめて欲しいと思ったが。
どれくらいの時間が経っただろうか。我が物顔で都を闊歩していた馬車は唐突に足を止め、手綱を握っていた騎士が中に居る俺たちに向かって言い放った。
「着いたぞ」
それを合図にして座っていた騎士たちもぞろぞろと動き出す。天幕から追い出されるように降りた俺とマイは、目の前に広がる圧巻の光景に呆然とするしかなかった。
「ここは……王宮?」
無数とも思える硝子窓に彫刻のあしらわれた支柱たち。遥か天空まで届きそうなほど巨大な大理石造りの外装は、ここまでに見てきた他のどんな建物よりも荘厳美麗だ。コの字に構える宮殿の最も高い円錐屋根からは、燃ゆる炎を象ったとされるルディナ王国の国旗が垂れている。目の前には宮殿の前方に広がる水堀を越えるための橋が架けられ、その先には国中の腕利き庭師が手入れしたのであろう庭園が広がっていた。
マイは宮殿の壮大さに感嘆の息を漏らしている。以前は中庭もある屋敷に住んでいたと聞いたが、大昔に没落したという彼女の家との規模の差は天と地ほどであろう。ルディナ王国の発展は全てこの宮殿を中心に回っており、古い由緒とともに人類の進化の最先端を感じられた。
「審問所ではないんですか?」
俺は歴史の重さに押し潰されそうになりながらも王国騎士に尋ねた。騎士は不機嫌な態度を隠すこともせずに鼻を鳴らしながら言う。
「知らん。俺たちはただ、お前たちを連行しろと命令を受けただけだ」
そうして睨まれてしまうとこちらから聞けることなんて何も無い。しかしここまでの異様な警戒度を考えると、話したくないと言うよりは、彼らには必要以上の情報が与えられていないと考える方が妥当に思えた。騎士の手にせっつかれて王宮に繋がる橋を渡り始める。汚れの残る靴で歩くには綺麗過ぎる石橋が、足元から冷ややかな視線を向けてきた。
橋を渡っている途中、向こう側の庭園から一際大きな影が歩いてくるのが見えた。混じり気のない青髪に雄々しく太い眉。それを目に見えてわかるほど不愉快そうに吊り上げているものだから迫力は満点である。俺たちを連行する周囲の騎士たちが揃って礼による敬意を示していて、ただ者ではないことは明らかだった。
「ルミー・エンゼだな」
太々しく力強い声が誇りや自尊心といったものを聴覚を介して伝えてきた。他の騎士とは一線を画す存在感と巨漢。硬そうな胸の辺りに付いた騎士たちと同じ記章とは別に、襟には制服の紺色を上書きするかの如く青い剣の形をした刺繍が施されていた。
確固たる自信を纏った姿は、今まで出会った人間の中では八代目ギルドマスターであるバグファ・ネイバーに近しいものを感じる。この男はきっと、精鋭を募った騎士の中でもかなりの立場のある人間なのだろう。俺は話をややこしくしないためにもできるだけ懇切丁寧に挨拶をする。
「はい。本日は一体、どのようなご用立てでしょうか?」
「それはこれからわかることだ」
大男は取り付く島もない様子で質問を突っぱねた。酷い態度だと思っていると、さらに睨むようにして、ずいと一歩迫って来る。如実な体格差に仰け反ってしまう俺に、騎士は冷淡な声音をぶつける。
「だが一つ警告しておく。貴様がこの宮殿の中で狼藉を働こうものなら、真っ先に俺が叩き切ってやる」
「……ご忠告感謝します。ですが安心してください。俺は戦う力を持っていませんから」
表情を変えることもしない大男は、鼻を鳴らして王宮の方へと戻って行った。まさか釘を刺すためにここまで来たのだろうか。連行の仕方といい、無駄に警戒心を高めてしまっていることが窺える。半歩後ろでやり取りを見ていたマイが不満気な顔をひょっこりと肩の傍に傾けた。
「あの方、私たちを見るためだけにわざわざここまで来たんでしょうか」
「訳知りそうな立場の人に見えたけどな。頭を押さえつけられなかっただけマシだよ」
「頭を……?」
「い、いや! 何でもない」
過去の痛い記憶を思い出したが、話すとおそらくマイは怒ってしまうだろう。【ソールサー】の時と同様、世の中には懐に仕舞っておく方が懸命なことは多いのである。そうして一人で結論付けると、俺たちは並んで橋を渡り終え庭園を抜けて行く。たっぷり五分ほどをかけて芳醇な木の実の香りの中を歩き、ようやく宮殿入口の正面へと立った。
「開門!」
身の丈三つ分はある巨大な正門が開く。飲まれるようにして入った先には、足が滑りそうなほど磨かれた大理石で造られた床。部屋の柱などあらゆる部分が金で縁取られ、美術品と思しき壺や絵画まで散見される。まさしく権力者の家の玄関という印象だった。
そして使用人が十数人居ても余りあるフロアには、たった一人、騎士服を着た青年しか存在しなかった。上手く言葉にならないが、何だか『存在を気づかせている』ような気がする。こんなにも広い空間に一人だけなら当たり前かもしれないが、この部屋に入った瞬間、俺やマイの視線は操られているみたいに青年騎士を捉えたのだ。
「お待ちしておりました、ルミー・エンゼ殿。どうぞこちらへ」
今までの騎士たちとは態度が全く違う。純黒の髪が耳を隠しそうなくらいまで伸びていて、お辞儀をすれば焦げ色の大きな瞳が見えなくなる。細身の体付きではあるが声はしっかりと響き、細工屋の作った彫刻人形が喋っているようにさえ感じられた。さっきの態度の悪い大柄の男同様、二本の剣が交差する記章に加え、こちらは赤い剣の刺繍があった。
見覚えのない顔に今までとは比べられないほど敬意を示されて唖然としてしまう。しかし隣に立つマイは俺とは違う驚きに包まれているようだった。
「あなたは、あの時の……」
「マイ、知り合いなの?」
思わず聞き返すと、マイは少し嬉しそうな様子になった。まるで憧れの人にでも会ったみたいに紹介をしてくれる。
「この人が、店主さんがドゥーマを封印した後で応援に来てくれた騎士の方なんです」
「えっ。じゃあ、あなたが“ルディナの英雄”?」
マイたちの話によると、俺が気を失ってしまった直後に遺跡からキッグ・セアルが現れたらしい。致命傷を負いながらもマイを逃がさんとする奴の執念に終止符を打ったのが、目の前に立つ“ルディナの英雄”だったと言う。化け物級の強さを誇ったキッグを真正面からねじ伏せた彼の実力は、まさに英雄と呼ばれるに相応しかった――とは、ハリエラさんの言葉だ。
しかし目の前の男は、聞き及んだ武勇伝とは縁遠く見える好青年である。線が細く中性的な印象さえ感じられる。戦場よりも劇場なんかで活躍したら大人気になりそうなルックスだった。彼は俺たちに付いていた騎士たちに何やら合図を出すと、騎士たちは離れてどこかへ行った。
「そんな呼び方もされますね。ですが、今となっては貴方もその一人であると、僕は思いますよ」
「いやそんな……滅相もないです」
思いがけない褒められ方に少しだけ頬が弛んでしまう。開拓者になることがかつての夢だった者としては、実際の英雄にお世辞を言われるだけでも嬉し過ぎるのだ。
浮かべられた余裕のある笑みは他のどんな騎士よりも『騎士』らしく見えた。騎士の矜恃や誇りは知らないが、少なくとも彼は威圧的な男たちとは一味違う様子だ。
「改めまして、僕はシュリクライゼ・フレイミアです。本日はようこそお越しくださいました」
胸に手を添えて深く腰を折った敬礼に、俺とマイも釣られるようにして頭を下げる。厳格な意識を持っていた役人たちとは違い、物腰が低くとても話しやすく感じる人だった。
背を向けて歩き出した黒髪を追いかける形で通路を歩む。次の階段を上がった先には見えるだけでも十以上の部屋があるフロアが広がっており、おそらくは客間に使われていることが推測できる。その内の一室にマイを入れると、シュリクライゼさんは俺たちを隔つように立ち塞がった。
「貴女はこの部屋でお待ちください。王への謁見は、許可を与えられた者にしか許されません」
「お、王に謁見!?」
マイに告げられたはずの言葉なのに、俺の方が素っ頓狂な声を上げていた。静謐な宮殿でマナー違反もいいところだったが、あまりに突然の宣告に言葉を封さずにはいられない。口をあんぐりさせて二の句が継げなくなった俺の代わりに、マイが叫ぶようにして言う。
「どうしてですか!? 私にだって、先の件は責任が……」
「王は貴女に責任の所在を求めてはおりません。無論、彼にも」
「ですがっ」
今にも部屋の境目を超えてしまいそうなマイ。イレギュラーを受け入れた俺は、なおも食い下がる彼女の頭に手を置いた。せっかくドゥーマの事情は表沙汰にされていないのに、照明を当てたら都合の悪い状況になりかねない。俺は一旦現実から目を背けて、マイの不安を和らげることに専念する。
「大丈夫だよ。すぐに戻ってくるさ」
俯きながら何度も視線を動かすのは、言葉では拭い切れない煩悶の現れだった。人一倍責任感の強い彼女だからこそ【アメトランプ】での制止も聞かずにここまで付いて来てくれたのだ。俺にとってはそれが心の支えとなってくれており、今もこうして強がれている。
だからこの場は俺が勇気を振り絞る番だ。そんな意志を感じ取ってくれた訳ではあるまいが、マイは不服そうながらも一言だけ言った。
「……必ず、ご無事で」
うん、という頷きで返して、できるだけ笑顔を努めて背を向ける。しかしながら虚勢は次の曲がり角までしか持たず、先を歩くシュリクライゼさんに堪らず質問した。
「お、俺はこれから、本当にルディナ王……様に会うんですか?」
「いかにも、その通りです。そもそもルミー殿が連れてこられたのは、先の一件を奏された王による勅命なのですよ」
そういえば店に来た騎士がそんなことを言っていた。勅命、つまりは王直々の命令ということだが、そんなものは強制連行する建前だと思っていた。まさか本当に王自身の意向だとは考えてもおらず、宮殿から与えられる重圧が一気に増した気さえする。
「ここまで罪人みたいな連行の仕方だったから、てっきり尋問されるのかと思って……」
「その理由は二つあります。まず、いかに“支援者”と言っても不死の悪魔を封印した者。最大限の警戒を怠ってはならないという判断でした」
完全に杞憂であるが、見当違いを面識のない彼らに求めるのは酷というものなのだろう。あの事件については全貌を知らない人間が殆どで、秘密裏に暗躍していたキッグや復活したドゥーマの脅威は正しく認識されていない。警戒心を高めるに越したことはないということだ。
「そしてもう一つは、王が貴方に直接聞きたいことがあるようです。願いを聞き入れてもらうためには直に伝えるのが道理だと、そう仰いました」
「は、はぁ。俺に答えられることなら、それは答えますが……シュリクライゼさんは何か知っているんですか?」
「ええ。ですが、それもまた王が話す道理でしょう」
隠す素振りもなく勿体付けたシュリクライゼさんは、黒髪を揺らしながら歩き続ける。俺はまたその後ろ背を追うことしかできずに重い足を持ち上げた。
王とは何となく我儘なものだと固定化していたが、随分と謙虚な姿勢のようである。しかしながら、一介の支援者を個人指名してまで聞きたいこととは一体何なのだろうか。ドゥーマの一件の顛末であれば、それこそ目の前の青年一人で十分だと言うのに。
次に立ち止まったのは正門に負けず劣らずの大きな扉だった。しかし外に晒されている門とは違い、こちらには汚れの類が一切存在しない。金の刺繍が施された純白のカーテンのように、彩りと輝きが幾何学模様をもって主張されている。他の部屋では見られなかった特別感があった。
「王はこの先にいらっしゃいます。どうか、我が主の願いを聞き入れていただけますよう」
シュリクライゼさんは最初に出会った時のような胸に手を当てる仕草で言った。もちろん自分が住む国の王を無下にしたいと思わないが、俺にはそんなことよりも目下重要なことがある気がした。
「シュリクライゼさん。俺、こういう場所の所作とかわからないんですが……」
高貴な生まれでもない俺は作法というものから縁遠い世界で生きてきた。ギルドに所属する上で開拓者たちと関わる礼儀なんかは学んできたものの、騎士や貴族的な言動にはとても疎い。マイだったら謁見という大事にも臆せず挑めたのだろうな、などと思ってしまっていた。
シュリクライゼさんは「そうですね……」と短く悩む素振りをする。そして再び和やかな笑みを向けてから、閑談でもしているみたいにさらりと答えた。
「王の前に呼ばれたら、片膝を突いて頭を垂れてください。後は身を委ねていればどうとでもなります」
「どうとでも、って……」
ここに来て随分と信用のならない回答を出されて肩を落とす。そりゃ慣れているであろう英雄殿にとっては日常の一ページに過ぎないだろうが、一般市民にとっては一生に一度あるかないかの出来事だ。参考にならない端麗な顔をじっとり睨んでいると、彼はこれまた何の気なしに言った。
「安心してください。僕が十三で叙勲された時には、そんな感じで儀礼は済みましたので」
ルディナでは十七で成人を迎えるので、ちょうど今のマイが成人間近ということになる。十代半ばを過ぎれば稼ぎ手になる人も多いが、十三歳ともなればそれはもう立派な子どもだ。
彼はそんな頃から騎士として活躍しているというのか。やはり英雄とまで呼ばれる人間の規格外加減は、常人の及ぶところにはないようである。
「さあ、そろそろ。王がお待ちしております」
「は、はい」
とかくシュリクライゼさんに言われたことを胸に留めておくことにした。国を守るための手が大扉にかけられ、重苦しげもなく開かれていく。
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