2章 宵に架かる虹

第38話 ルミー連行

 拭いたばかりの丸型テーブルに音を立てながら皿を乗せていく。盛られた料理は漏れなく大盛り。隣には瓶ごと酒を配置して、今日の【アメトランプ】の夜間営業準備は万端だ。


 カウンターの前には今回の宴の発起人である長身の男が、蓄えた髭を撫でながら待ち遠しそうにしている。他に居る十人の屈強な戦士たちも同様に、空っぽの胃袋を満たせるのは今か今かと店主である俺の緑髪を注視していた。


 俺はタレの香りが混ざった空気をすうっと取り込むと、気合いを込めて彼に準備完了の相槌を送る。男はにやりと笑い、この店で一番大きい酒瓶を振り上げた。


「さあ、今日は【ソールサー】約束の宴――もとい店主さんの復活祝いだ! じゃんじゃん金落とすぞ、お前らァ!」


「うおおおおッ!」


 店の内側にびりびりと響く開拓者たちの叫号。腹の底まで揺れる銅鑼のごとき声々に、隣に立つ紅髪の少女は身震いした。


「乾ッ杯だぁー!」


「かんぱぁぁぁぁい!」


 店の中には笑顔が散った。俺はこれから訪れるであろう忙しなさに覚悟を決めつつ、一緒になって水の入ったグラスを掲げるのだった。



 【アメトランプ】本日の業務は、以前から約束していたクラン【ソールサー】の宴会場だ。


 【ソールサー】と言えば、およそ二か月前にアルテナ鉱山周辺の探索を共に行ったクランである。現在のギルドの若手の中ではかなり有力な開拓者たちで、あれからも着々と方々の依頼をこなして名を広めているらしい。


 怒涛の注文がようやく収まりを見せ始めた頃、開催の音頭を取ったクランリーダーのナゲさんに話しかけられる。


「聞いたぜ、店主さんよ。大変だったそうじゃねぇか」


 かなり飲んだのか頬は赤く、開いた口からはツンと酒の臭いがした。良い感じに出来上がりつつある彼に苦笑いを向けてやる。


「ええ、もうホント……」


「いやぁ、アンタらにも見せてやりたかったさね! ルミ坊の獅子奮迅の大活躍!」


 同じ席に座る紫紺髪の女性――ハリエラさんは、いつにも増して露出の多い服装で足を組ませて座っていた。彼女が肌を出す時は全力で戦闘する時か全力で飲む時である。無論今日は後者で、がっつり空いた胸元は既に色白だった地肌の面影を失くしていた。


「大袈裟ですよ、ハリエラさん」


「謙遜することないさね! よくやった、アンタはよくやったよ!」


 ばんばんとテーブルを叩きながらグラスを呷る彼女を見て、直感的に危険を察知する。ハリエラさんが手放しで誰かを褒めるなんて相当酔いが回っているのだ。案の上、顔を青ざめさせたかと思ったら急に立ち上がってどこかに駆け行ってしまう。


 何とも言えない表情を向け合うことになった俺とナゲさんだったが、アイコンタクトでハリエラさんのことは放っておく方針が定まった。


「だが五体満足で戻ってこれて良かったなぁ。姐さんから聞いたが、開拓者だって片腕落としたっておかしくねぇぜ」


「あ、あはは……」


 ナゲさんの言葉に渇いた笑いが溢れていた。“不死の悪魔”ドゥーマを封印する戦いで、俺は本当に片腕をもぎ取られた記憶がある。そのこともあって生死の境をさまよっていたらしいが、目覚めた時には元通りだったため、幸か不幸か痛みを実感する暇はなかった。ハリエラさんのことだからその辺りの詳細は諸々省いて話したのだろう。おかげで、思いがけないところで右手首がひりついた気がした。


 殺伐とした世間話にテーブルが沸き立つ中、紅髪の少女が微笑みとともに料理皿を持ってやってくる。華奢な体つきに幼顔だが、漂う雰囲気は年齢以上のものを感じさせた。


「お待たせ致しました。次の料理です」


 あたかもレストランの給仕を習っていたかのように綺麗な立ち振る舞い。母親仕込みだと言う所作は背筋や指一つ取っても丁寧で、誰も彼女のことを没落した貴族の末裔などとは思うまい。


 マイ・セアル。特徴的な赤い髪は以前まで首を隠していたが、先の戦いを終え、焦げてしまった部分と一緒にばっさりと切ったようだ。それもあってか青藍の瞳がはっきりと見えるようになり、可憐さを一層引き立てる。丈長なワンピース調の服の上に髪と同じ色をしたエプロンを付け、毎日【アメトランプ】で働いてくれている。


 こつ、と寸毫の音も聞こえない様子で皿を置かれると、ナゲは張り付いたような笑顔で言った。


「お、おう。ありがとな、マイちゃん」


「……」


 騒々しかったテーブルに訪れる突然の沈黙。誰も意図していないであろうこの状況を取り持たなければ、という使命感に駆られて言葉を考えていると、マイに袖を摘まれた。


「店主さん、ちょっと良いですか?」


「う、うん」


 マイに連れられて宴会場の隅に寄ると、彼女はみんなからは見えないように壁の方に向かってから物悲しげな表情を浮かべてしまう。お盆を胸に抱えてしゅんと縮こまる様子は小動物みたいだ。


「私、みなさんに何か無礼をしてしまったんでしょうか? 店主さんと違って、何だかよそよそしい態度を取られてしまっている気がして……」


 さっきまでの微笑とは打って変わった様子に言葉が詰まる。きっとマイは自分なりに開拓者たちと打ち解けようと努力しているのだろう。実際、マイが【アメトランプ】を手伝ってくれるようになってから客足は伸びている。その内の何人かは、俺が接客すると嫌そうな顔をするのが癪ではあるが。


 そんな麗しの看板娘たるマイだが、こと【ソールサー】にとっては苦い記憶を想起させる人物である。何せリーダーのナゲ含む数人のメンバーは、彼女の仕掛けた罠によって手痛い思いをした上、危うく鉱山の下敷きにさせられるところだったのだ。今はマイが危険な人間ではないと理解はしてくれていても、染み付いたトラウマはそうそう払拭できるものではないだろう。


 言えない。まさか有望な若手開拓者たちが年端もいかない少女を怖がっているだけだなんて。


「初対面だから緊張してるんだよ。彼ら、シャイだから」


 幸いにして――かはわからないが、マイはそのことを知らない。【ソールサー】の開拓者たちが気を使って欲しくないからと内密にしてくれているのでそれに甘えてはいるものの、これでマイが接客の自信を失うくらいならば正直に明かそうと思う。


 マイは懐疑的な顔で「それなら良いんですけど……」と弱々しく呟いて仕事に戻って行く。この宴が終わったら真実を話すことをひっそりと決意したその時、突如として『貸し切り』の札を掛けていたはずの扉が開いた。


 日頃ならばカランコロンと軽快に鳴るはずのドアベルの音は聞こえず、代わりにノブが内壁に強くぶつかって店内を揺らす。人数は十人弱で、全員が同じ紺色の服装を着ていた。革質の服にはしわが見られず、銀によってあしらわれた細かな装飾が光る。胸元の記章は、両刃の剣とレイピアが交差して突き立つ様子を表したかのようなもの。


「支援者、ルミー・エンゼは何処へ!」


 先頭に立つ男が高圧的な姿勢で店内に叫んだ。貸し切りの店に無理やり立ち入るなんて、本来ならば非常識極まりない行為だが、彼らの記章に描かれたエンブレムにはそれすら覆す大義名分がある。全員が腰に帯びる同一の剣の柄が、ギラリとこちらを睨みつけた気がした。


「王国騎士……!?」


 誰かが彼らの素性を呟くのと同時に、俺は慌ててマイの肩を引き寄せていた。カウンター席の裏に滑り込み、屈んだ姿勢で来訪者の死角に入る。


「マイ、俺の部屋に隠れておいて」


「で、でも……」


「きみはキッグ・セアルの妹だ。狙いは俺じゃない可能性もある」


 国家転覆を図ったマイの兄、キッグ・セアル。その所業は王国も認知するところであり、事態の解決にはあの“ルディナの英雄”も関わったという。


 マイが計画に加担していないことは間違いない。彼女もまた複雑な呪いの運命に巻き込まれただけの被害者でしかなく、あまつさえ兄の凶行に立ち向かった身だ。しかし、詰問された場合に彼女の無実を証明できるものがないことも事実。マイの存在は秘匿する方が懸命であることは明白だった。


 開拓者たちと王国騎士の睨み合いが続く中、店の裏手に行っていたのであろうハリエラさんが戻って来た。さっきまで蒼白だった顔はどこへやら、いつも以上に煽情的な表情を作っている。


「王国騎士がルミ坊に何の用だい?」


「どけ。私たちは国務でここを訪れた。開拓者に用はない」


「おかしいねぇ。アタシは昔っから、騎士サマってのは礼節を弁えた真っ当な人間だと聞いてたんだけどねぇ」


 彼らの様子を窺っていたら、ハリエラさんが一瞬だけこちらを向いて目配せをくれたことで彼女の考えを悟る。おそらく時間を稼ぐからマイを隠せということだろう。まったく、酔っ払いにしては随分と頼りになり過ぎる。


「なんだと!? 開拓者風情が、我々を誰と心得るか!」


「さぁー? 生憎育ちが悪いもんで、目上の人への言葉遣いを知らないのさ」


 ヒートアップする王国騎士を、歴戦の開拓者は飄々と手玉に取り続ける。加えて騎士の小馬鹿にする態度が気に食わなかったらしい【ソールサー】の何人かまでが立ち上がったことで、店の奥は喧騒に隠される形となっていた。


「さ、行って。ハリエラさんが時間を稼いでくれている間に」


 マイは不本意そうな心配顔をしたが、やがて「ごめんなさい」と言ってから、小さな体を別の部屋の扉を向けた。


 店内は売り言葉に買い言葉が飛び交ったせいで一食触発の雰囲気である。俺はマイが扉を開けるのと入れ替わるようにして、カウンター席の奥から飛び出した。


「すぐに対応できずにすみません。俺が店主のルミー・エンゼです。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 下手したてな態度で向かうと、王国騎士は熱のある視線ながらも唾を飛ばすような真似はしなかった。代わりに眉間に皺を寄せたまま、思い出したように丸められた一枚の羊皮紙を取り出す。そして静かになった空間に高らかに言い放った。


「ルミー・エンゼ。ルディナ王の勅命によって、貴様を王都へ連行する」


「連行……!?」


 物騒な響きによって頭がぐわんと揺れた気がした。原因不明の状況に訳が分からなくなる中、反撃するように動いたのはハリエラさんだった。


「ルミ坊が何か悪いことでもしたってのかい?」


 騎士は先程のやり取りのせいで残る苛立ちを舌打ちに出しながらも、さすがに問答無用で俺を連行するつもりはなく、面倒そうに訳を話した。


「不死の悪魔討伐の件についてだ。事実かどうかも疑いがあるが……少なくとも指名手配されていたキッグ・セアルが関わっていたことは確認が取れている」


 事件の首謀者の名前が出たことで、より一層マイの身が心配になる。まさか王国に彼女の存在が知られていない訳がないだろうが、言い振りから察するに重要なのはキッグ・セアルの計略の方に思える。王国騎士は俺の心中に余裕を持たせてくれるはずもなく続けた。


「あわや国の一大事になりかけたことをこのまま放置などできん。国としても、この者が本当に無害であるか見定めるつもりだろう」


「つまり……場合によっちゃ罰せられるってことかい?」


「必要と判断されたらな」


 その言葉にハリエラさんの堪忍袋の緒がぶちりと引きちぎれる音がした。


「雁首揃えてふざけんじゃないよ! ルミ坊はルディナの危機を救った英雄だよ!? それをこんなっ……!」


「ハリエラさん」


 俺は菫色の瞳だけを見た。彼女が怒りで余裕を失うなんて非常に珍しい。それほどまでに俺のことを気にかけてくれるのは正直嬉しかったし、できることならば無礼な彼らにお灸を据えて欲しいとも思う。


 しかし彼女の怒号と迫力は王国騎士に留まらず、この場に居る全員を凍てつかせている。このまま放っておけば開拓者たちは王国騎士と一戦交えかねない。王国の意思そのものとも呼べる彼らと敵対させるのは俺の本心ではなかった。俺にとってもハリエラさんは大切な友人だから。


「大丈夫ですよ。非は無いんですから、堂々としていればすぐに帰してもらえます」


「だけど……」


「お店と……彼女のこと、よろしくお願いします」


 マイが飛び込んだ部屋の方を視線で知らせてから、表情を歪めたハリエラさんに深く頭を下げる。彼女の脳裏にはたくさんの反論の言葉が浮かんだのだろうが、やがて何かに観念したように深い溜息と悪態じみた言葉を吐いた。


「このお人好しが」


 俺が苦笑いを向けると、ハリエラさんはこれまでにないくらい真面目な表情になった。そして急に肩を抱き寄せられたかと思うと、耳元で囁きかけられる。


「必ず、無事に帰ってくるんだよ」


 どこまでも優しい声が俺の中にあった不安を吹き消し、霧にしてくれた。待ってくれている人が居るというだけで心は気丈を保てる。俺にとってハリエラさんは、もう会えないかもしれない兄を彷彿とさせるような人なのだ。


「はい。必ず」


 名残惜しい気持ちで抱擁を返し終え、俺は王国騎士たちに囲まれながら店を出た。店より少し離れた道路脇には大きな馬車と他にも何人かの騎士が居て、改めてあの一件がどれだけの大事だったか実感する。支援者には戦う力なんて無いのに、これだけの人員を割いていることが尋常ではない。


 天幕を上げて馬車の荷台の段差に足をかけた時、遠くから何か声がした。慌てた様子の伝わる高い音は徐々にこちらに近づいて来ているようで、俺は「まさか」と思いながら暗がりの先を凝視する。


「待ってください!」


 ここ二か月前で聞き馴染んだ愛嬌の良い声。紅髪が荒れることも厭わず走って来たのは、【アメトランプ】に隠れているはずの少女だった。


「マイ……!?」


 俺が驚いて馬車の荷台を離れると、騎士たちは怪訝そうにしながらマイを注視した。絶え絶えの呼吸をする彼女に向かって、騎士の一人が両腕を広げながら制止する。


「何用だ、娘」


 マイが人を裁くことのできる立場の人間と接触するのは危険だ。勝手な判断で店を空けてしまうことには申し訳ない気持ちがあるとは言え、せめてこのままシラを切り通して欲しいと願う。しかし彼女は何を恐れるでもなく、毅然とした態度で言い切った。


「私はドゥーマを復活させたキッグ・セアルの妹です。店主さんを連れて行くのなら、血族である私も連行するのが道理ではないですか」


 騎士たちがざわつくのを感じた。無論、俺の心臓までばくばくと跳ね上がる。国家転覆の首謀者、その妹ともなれば、当然悪事に加担した可能性を疑われる。数人の騎士たちが何やらぼそぼそと相談をした後、やがて短く「乗れ」と促した。俺たちは揃って荷台に押し込まれ、騎士たちに見張られる形で隣に座る。


「マイ……どうして」


 俺は腰を下ろすと同時にマイに問うていた。あまりに危険な行為であることは彼女自身が一番理解しているはずだ。兄の凶行を押し留めようとしたとは言え、法は万能ではない。疑わしきは罰せられる。それなのに、店での俺の制止を振り切ってここまで来てしまった。


「ごめんなさい、店主さん。どうしても心配だったものですから。それに何も言わずに店を出て行ったのは、私を守るため……なんですよね?」


 よく見えるようになった横顔は悲しげな笑顔をしていた。俺は翳る表情を見て、初めてマイの心を悟る。


 彼女は誰かを守るために【アメトランプ】に居たいと言った。その意思を汲むのなら、俺の行動は過保護過ぎる部分があったのかもしれない。少なくとも、ちゃんと事情を説明する時間は設けるべきだったと思う。


「これは私が向き合わなければいけない問題でもあると思いますから。もう店主さんだけには任せ切りにさせませんよ」


「……わかった。帰ったら、一緒にハリエラさんに怒られるとしよう」


「はい」


 マイは不安なんて一つも感じさせないように、今度こそ本心から笑っていた。そして馬車は暗闇の中を進む。揺れそうな心を天幕の中に隠して。

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