第13話 アレス・ミークレディア
※――――――――――――――――――――――
トウマによって持ち込まれた“破剣”のクイップからの治療依頼。それを解決してから一週間ほどが過ぎた。マイもすっかり店に馴染み、客に姿を見せることはしなくても裏方の仕事を手伝ったりしてくれるようになっている。
「店主さん。こちらの商品は、一度向こうのお部屋に戻してしまって構いませんか?」
「あぁ、ありがとう」
客であるマイにそんなことをさせるのは申し訳ないと思うのだが、いわく「今は無料で協力してもらっているので少しでも力になりたい」そうだ。マイがそう言うならと言葉に甘えることにしたものの、彼女の依頼に関しては未だ進展が見られない。
加えて、彼女がこの辺りに滞在するために知り合いの宿屋の一室を借り与えていることもあり、少女には要らぬ罪悪感を抱かせてしまっている気がする。しかし女の子が住み込むには【アメトランプ】は手狭で、下手に彷徨ってはキッグ・セアルの間者に居場所を突き止められないとも限らないのだ。諸々の観点からマイの待遇についてはある程度の保証が必要であり、彼女が精力的に手伝いをしてくれる理由となっているのだろう。
「これじゃどっちが依頼人かわからないよ……」
日々彼女から封印術を教わって“刻時石”の解析に努めているが、成果が出ないのでは情けなさしか残らなかった。このままでは契約的な信頼だけではなく、純粋に歳下の女の子に幻滅されるんじゃないかという恐怖がある。そうなっては俺の支援者としての矜持も一人の男としてのプライドもズタズタだ。到底受け入れられない結果になってしまう前に、一刻も早くこの依頼を完遂せねばならない。
「にしたって、手掛かりが弱過ぎるんだよなぁ」
しかし小声で弱音は吐きたくなるものである。何せ相手は古い伝承。その伝承に纏わる小石も正体不明のままで、どんな推測も空気を掴むようなものになってしまい、一寸先から崖なんじゃないかとすら考えてしまう。
「いや、こんなことで諦めてたまるか。頼らせた手前、できないなんて末代までの恥だぞ……!」
間違いなく【アメトランプ】創業以来最大のピンチだ。ハリエラさん伝手で開拓者間の評価がだだ下がることは火を見るより明らかだし、そうなればこんな小店舗は時代の波に一瞬でかき消される。とにかくやる気を滾らせて、自分を焚き付けていた時だった。
カランカランという音は来客を知らせる合図だ。俺は反射的に下を向いていた顔を上げると、そこには人が居なかった。おかしい。あの扉は、風で動くほど柔い造りじゃないはずだ。
「――ッ」
遅れて体中にぶわっと暴風がぶつかった。店中の商品が散らばり、積み重ねていた瓶や樽がごろごろと転がる。椅子に座っていたことで転倒は免れたが、背中が貼り付いたように動けなくなっていた。そして次の瞬間には、いつの間に侵入したのかわからない人影。そいつは細身の剣を俺の喉元に向け、今にも突き立てんばかりの迫力を持っていた。
「な、にっ」
状況の理解に遅れ、俺は今自身が陥っているピンチをようやく自覚した。【アメトランプ】の心配どころではない。俺は今まさに、命の危機に瀕している。
「店主さんから離れてください!」
少し離れた距離に、手に炎を生み出しこちらを睨みつけるマイが見えた。しかしそいつはマイに一切興味を向けることなく、俺をじっと見据えている。青い瞳にかかるのは薄藍色の前髪。しっかりと通った鼻筋と艶やかな唇は誰が見ても美人だと言うだろう。肌には若々しさがあり、やや大人びてはいるが大きく歳は変わらないように見える。
「ふぅん……クイップが一目置くから大層ご立派な支援者なんだと思っていたんだけど。支援者っていうのはみんなこんなに警戒心が無いものなのかしら?」
女はまるで世間話をするみたいに、街でよく見かけるようなシフトドレスのまま俺を値踏みする。素朴な様相だが、握るレイピアだけはつい先日目にした名剣にも引けを取らない光沢のある刃を持っていた。
「……」
黙ってまま身動きが取れないでいると、女は俺に向けた剣をベルトと服の間に直接差した鞘の中に流れるような動作で仕舞った。その姿が一週間前の生ける伝説と重なって正体を悟る。
「あなたは、アレス・ミークレディアさんですね? クイップさんの弟子の」
薄藍髪の女の名前はここ最近嫌でも耳にするほど有名だ。トウマが支援者として雇われている新進気鋭のクラン【ソラティア】。そのリーダーは剣の強さと開拓者らしからぬ美貌で瞬く間にギルドの新たなスターとなったと聞く。実際、街を歩けば多くの人間が振り返ることだろう。アレスは整った顔を不遜に向けて俺の質問に答えた。
「珍しい覚え方をしているわね。私のことは【ソラティア】のリーダーと認識している人の方が多いと思っていたけど。クイップはそんなことまで話していたのね」
「……こんな性格じゃ、誰もあのクイップさんの弟子だとは想像がつかないでしょうからね」
「あら、意外と減らず口じゃない」
俺の皮肉はさらりといなされ、アレスは未だ片手に炎を纏うマイに向いて言った。
「危害を加えるつもりはないわ。店を火事にしたくなかったら、その明かりはさっさと仕舞いなさい」
「そんなの、信用できるわけ……!」
「大丈夫だよ。多分、クライアントだ」
剣を納めてもなお警戒するマイに俺は促す。彼女はしばしアレスを睨んだ後、微動だにしない様子を見て行使しかけた魔術を消失させた。
「良い子ね」
アレスはまるで小動物でも相手にするかのような余裕で微笑みかける。実際、若くしてギルドで注目されている彼女の実力は、俺たち非戦闘員の抵抗など虫ケラ程度にしか感じないのだろう。そう思わされるほどに、先程の疾駆と刺突のスピードは常軌を逸していた。
「今日は、一体何のご入り用で? まさか単なる悪ふざけのために来たわけじゃないでしょう」
立つと視線は少し高めにあった。俺の問いに、アレスは少々乱れたボブカットの薄藍をかき上げながら言った。
「もちろんよ。さっきのはちょっと試しただけ。何せ“破剣”のクイップに認められた人間なんて、国中探してもそうそう居ないもの」
「……俺が?」
「そうよ。何をしたか知らないけど、いたくあなたを気に入っていたわ」
クイップさんに高く評価されたことについては純粋な喜びがあるが、それで命を狙われるなんて真っ平御免だ。否、本来そんな事態があって良いわけがない。アレスもギルドの教えを受けた開拓者ならば、支援者がどういう存在かは再三聞かされているはずである。
「あなたも開拓者至上主義の人間なんですか」
戦えない人間を悪だと断ずる思想。俺たち支援者がまるで金食い虫だと言わんばかりの考えは【ソラティア】を含む若手クランの中に浸透しつつあると教わった。アレスもその類なのかと疑ったが、目の前で呆れ顔を作られる。
「開拓者至上? そんなものに興味は無いわ。私は私の目的のために戦っているだけ。開拓者はその足掛かりに過ぎないわ。開拓者も支援者も、私にとってはどうだって良いの」
「……」
アレスという人間が薄らと理解できた気がした。詰まるところ、彼女の中に開拓者や支援者というギルドの定めた役割間の隔たりは無い。ただ一人の人間として見るがために、師匠に認められた俺をその目で確かめたかったのだろう。
「それで納得すると思いましたか?」
「認めない人間は認めさせる。それが私の信念よ。よく覚えておくことね」
支援者は開拓者と立場が異なることによって初めて価値を見い出せる。それは俺たちが生業としての名称を分かった時から交わした暗黙の了解だ。アレスのような前提を掲げない強者が居るからこそ『開拓者至上主義』は加速してしまっている。不敵に笑った開拓者との間に信念の隔たりを感じ、俺は足元に転がって来たガラス瓶を手に取りながら言った。
「用件がそれを言いに来ただけなら、もう帰っていただけますか。これでも忙しい身でして、仕事をしなくちゃ生活もままならないんですよ」
「あら。まだ本題を話していないわよ。せっかく割の良いお仕事を持って来たのに」
「……仕事?」
「そう。あなたを次回の【ソラティア】の遠征支援者の一人として任命しに来たのよ。【アメトランプ】のルミー・エンゼさん」
「なんだって?」
予想外の依頼にうっかり言葉遣いが荒くなった。くるなり刃を向けた相手に対して、あまりに非常識な話だ。しかしアレスは悪びれもせずに話を進める。
「場所は『クルエアリの森』。長らく放置されている遺跡を探索するわ。出立は一週間後だから、それまでに……」
「ちょっと待てよ!」
とうとう我慢ならなくなって、強い口調で彼女の話を遮った。
「何か問題でも?」
変わらない様子で肩をすくめるだけのアレスは、人としての礼儀をあまりに欠いている。彼女は開拓者と支援者の立場など気にしないと言ったが、それは垣根が無ければ良いということではない。
「何が任命だ。依頼でもスカウトでもないのに、俺がお前の言いなりになってやる義理は微塵も無い」
「だって仕方ないじゃない。クイップがどうしてもここの店主をってうるさいんだもの」
まるでつまらないお使いを頼まれた子どものように、彼女はぷいとそっぽを向いてみせた。おそらく彼女は、自分自身が認めた人間しか尊重できない。人を個人として見過ぎるあまりか尊敬に値しない人間をあっさりと切り捨てる。例え師が認めたと言っても、自分の目に良く映らなければ「それまで」なのだ。
「聞けばあの口うるさい師匠が【ソラティア】の遠征に参加させろ、なんて言い出したのもあなたが理由だそうじゃない。クランメンバーからも抗議されたわ。わざわざ保護者なんて連れてくるな、ってね。嫌になるわ」
――お前がそんなだから、クイップさんに頼んだんだろうが。
心のままに飛び出そうになった言葉さをどうにかぐっと飲み込んだ。そうやって興味の無い場所を見ないから、裏方の支援者たちが切り捨てられることを気にも留めていない。トウマが苦しんでいる原因は、間違いなく統制をし切れていない彼女のせいでもある。アレス・ミークレディアは、クランリーダーの器ではないだろう。
「報酬も名誉もそんじょそこらのクランよりよっぽどよ。私は近くこの国で名を馳せる。断る理由が見つからないでしょう?」
どこまでも独善的な言葉回しに、もう何かを言い返そうという気にもならなかった。彼女の思想とは、一片も折り合えないという確信があったからだ。
「あなたの隣に立って得る名誉は、俺にとって価値がありません。その依頼は断らせていただきます」
「ふーん……プライドだけは一人前ってわけ」
アレスは言うなり、一層不機嫌な顔になった。
「まったく、これでまたクイップにドヤされるわ」
そして彼女は颯爽と身を翻し、再び【アメトランプ】のドアベルを鳴らした。嵐が過ぎ去った後の内装は酷く混乱していたが、俺はそんなことも気にならないくらいに憤りを感じていた。
「店主さん……」
マイに話しかけられて、初めて扉から目を離せた。力んでしまっていた眉間を慌てて緩める。
「ご、ごめん。すぐに片付ける。そうしたら、また封印術の研究だ」
「そうなんですけど……いえ。ありがとう、ございます」
「……?」
どこか歯切れが悪いマイは、酷く唇を強く結んで、何かを言い淀んでいる様子だった。
「どうかした?」
俺が問うと、彼女は何度か瞳を左右に動かした後、意を決した様子でしっかりと視線を合わせてくれた。都合の良いことは承知、そんな思いが伝わるほど強い気持ちで。
「『クルエアリの森』の遺跡――そこは、ドゥーマが封じられたとされている場所です」
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