第41話 宮廷呪術士
宮廷呪術士はここ数年の内に生まれた職業だ。業務内容はその名の通り王宮に仕えて呪術の研究をすること。呪術という世間にあまり認知されていない技術であるにもかかわらず、ルディナ王国はその有用性を見出した。そして研究職における最高クラスの立場を、とあるたった一人の人物に与えた。
「宮廷呪術士……ですか」
「そうだ」
繰り返した単語にルディナ王が頷く。同時に、ここまでの騎士たちの態度にも少し納得がいった。たかだか支援者。高潔な暮らしとは一切無縁な平民がいきなり国お抱えの職に就こうと言うのだ。王国騎士になる人間の多くは貴族や上流階級の子息だと聞いたことがあるので、俺のようなぽっと出の身分違いが良い地位に収まるのは些か面白くはないだろう。とは言え、本当にそうならばただの逆恨みである。
ひとまずの合点は隅に追いやって、目の前に突き付けられた『宮廷呪術士』の話題を拾うことにした。
「現在はハリウェル・リーゲル氏が登用されているのですよね? 私にも彼の研究に加われ、ということでしょうか?」
ハリウェル・リーゲルとは、ある意味では俺の呪術の師匠に当たる人物だ。「ある意味」と付けるのは、彼に直接師事してもらったことはおろか、出会ったことすらないからである。
生まれ故郷の村長が管理していた彼の研究文献。それらを頼りに、俺は独学で呪術の勉強をしていた。言わば教科書の上の人間ではあるのだが、それでも希望を与えてくれた存在には他ならなくて、憧れの人と言い換えても良いくらいだ。
もしかすると彼に一度会う機会が得られるのかもしれないと淡い期待を抱いたが、ルディナ王の表情は芳しくないものになってしまった。
「ハリウェルは今、消息を絶っておる」
「えっ」
予想だにしなかった事情に顎の角度がさらに上がる。食いつきの良い反応を見た王は、少し声のトーンを落としながらぽつぽつと話し始めた。
「三年ほど前のことだ。誰に何を告げることもなく、ぱたりと姿を消してしまった。奴ほど律儀な男が無断で失踪などあるはずがない……だから私は、奴が研究途中だったものが原因なのではないかと踏んでおる」
「研究途中だったもの、とは?」
「これ以上は私の口からは話せぬ。国家機密というやつでな」
「し、失礼致しました」
好奇心の赴くままに質問してしまったが、相手はこの国の王である。安易に何かを求めるなんて烏滸がましい。発言に気をつけなければ舌を抜かれたっておかしくないことを今更ながらに思い出した。
「しかし貴様が宮廷呪術士になってくれれば、その研究を引き継ぎ、全容を知らせることができる。そして同時にハリウェルが消えた理由を探って欲しいと思っている。無論、宮仕えの研究者として相応の地位を約束しよう」
王は次々と条件を諳んじた。魅惑的な条件を矢継ぎ早に言われ、俺は目の前の男の人心掌握術を見た気がした。彼はただ国を治めているのではない。王宮に必要と感じた人間を自ら出向いて引き入れる。こうした積み重ねでルディナ王国をより強国にしようとしている。それは、自分自身の目を信じていたクイップさんと同じ強さだ。
「どうだ、ルミー・エンゼ。宮廷呪術士にならぬか?」
王の言葉の途切れ目に、辺りを静寂が包んだ。側近に付いた人々の吐息すら聞こえない空間で、ただ俺の心臓だけがバクバクと脈打っている。
おいしい話だ。ルディナ王は欲しい要素をたくさん提示してくれていて、おまけに一介の支援者では絶対に手に入らないような名声まで付いてくる。自分の店を持って商売をするだけでは、間違いなくその領域にまで手を伸ばすことはできない。
それでも、迷う時間はなかった。
「――申し訳ありません、ルディナ王」
台詞は用意されていたように流れ出た。情動と理性の狭間を揺蕩う感覚に襲われながら、言葉を選ぶのではなく溢れる水を全て掬い上げていく。
「俺はまだ、支援者としてやり残していることがあります。宮廷呪術士になり自由のない身になれば、俺の目的は達し得ません」
宮仕えは名誉ある仕事だろう。ルディナのどこでだって誇らしく名乗ることができる。生まれ故郷に帰れば、呪術によって嫌な思いをさせた両親でさえ泣いて喜んでくれるはずだ。しかし俺を求めてくれている開拓者たちと、何より俺自身には堂々と転身を伝えられなかった。
脳裏に一人の影が過ぎる。それはみんなが蔑みの視線を浴びせる中で、唯一暗闇から光を見出してくれた人物だった。
「俺にも待ち人が居るのです。もう生きているかどうか定かですらありませんが、俺は彼を信じて待つ……そう決めています」
幼い頃に交わした約束――開拓者になると言った兄もまた、ギルドの報告によれば行方知れずだ。遺体が見つからずに死んでいるなんてことは日常茶飯事の世界。兄が生きている確率は限りなく低いだろう。
ただ、希望は捨てたくない。どれだけ子どもじみていると言われても、あの兄ならばいつかひょっこり帰ってくるのではないかと信じている。もしも俺が待つことを止めてしまったら推測が確かな現実になってしまう気がするのだ。
「貴様ッ! そんな藁にも縋るばかりの戯言で王の拝命を拒絶するのか!」
王に最も近い騎士が吼えた。青髪の大男はさっきとは比較にならないほど眉を吊って怒りを露わにしている。余程王に心酔している様子だ。
「よい、ガルシアン」
そんな迫力を制したのは他でもない王だ。側近の老人たちまでたじろぐ中、騎士の方に首を曲げて嗜めるように言う。
「藁にも縋る気持ちなのは私も同じだ」
「しかしッ……!」
今度は無言で手のひらを胸の前に出しただけだった。ガルシアンと呼ばれた大男はとうとう口を閉ざしたが、俺に対して凄んだ視線をぶつけることはやめなかった。ギルドでもそうそう見ない迫力に身を引きそうになる中、ルディナ王は気に留めるでもなく俺との対話を続ける。
「残念だ。どうやら貴様にも、強い『信念』があるようだな」
「申し訳ありません。やはり俺には、やるべきことがありますので」
「『俺』か。ふっ。敬意を忘れるほどの信念には、何を言っても変わるまい」
「あっ……」
いつからか意識し損ねてしまっていた部分を指摘されて、不敬を咎められるのではないかと危惧した。しかし王は気に留める様子も見せることなくむしろ楽しそうに目尻を下げる。
「私の拝命を断ったのはこれで二人目だ。やはり貴様は、あの男が命を賭して守るだけの価値がある人間なのだな」
一人目は無論、クイップさんを示すのだろう。今の俺はとても彼と肩を並べられる存在ではないが、いずれは彼のような開拓者の横に立つ支援者になることが目標になった。あの戦いを経て、目指すべき将来が見えた気がしたのだ。返事はできずとも頷くように下を向く。
王は俺の答えに納得すると、張っていた背筋をふっと緩めた。同時に厳格だった表情まで崩れて、まるでどこにでも居る農夫のように溜め息を吐く。
「しかし残念だ……ハリウェルはシュリクライゼのことも、よく気にかけておったのだがな」
「ハリウェル氏と、シュリクライゼさんが?」
その二人の名前が並んだことは少し意外だった。王宮で顔を合わせることくらいはあっただろうが、年齢は親子ほどに離れていると思われる上に専門分野も大きく異なるはずだ。少なくとも騎士になれるほどの剣術を体得できる人間は呪術の才能がないと思って良い。何せ呪術が扱える者は身体能力が大きく飛躍しないという、それこそ「呪い」じみた制約があるから。
戦闘員であるシュリクライゼさんと研究者であるハリウェル・リーゲルは、親しくなるための接点が希薄な気がする。ただルディナ王が残念がるところを見ると、彼らの共通の接点は王その人にあるように思えた。
「シュリクライゼはクイップをも越える剣士に育て上げた。奴はあの若さで最強の何たるかを知っておる。あとは常識……ハリウェルの知見は、奴の成長の糧になると思ったおったのだがな」
シュリクライゼさんはかなり目をかけられているらしい。それもそのはず、見たところ二十歳程度の年齢で既に“ルディナの英雄”の二つ名を冠する男だ。これから先、この国を長く守護することは明白である。
それにさっき一瞬だけ見せた表情は、あたかも父親が息子を気にかけるが如く優しげなものだった。ルディナ王にとって、シュリクライゼさんはそれだけ大切な人ということなのだろう。強さや職務上の関係ではないもっと大きな繋がりが二人にはある気がした。
――甘いって言われるんだろうなぁ。
今はこの国に居ない旧友の顔が浮かぶ。俺はこういう『誰かを応援する人』を助けたくなってしまう。マイのように両親の想いに応えようとした人。いつも若い開拓者たちを気にかけるハリエラさん。そういう人が俺は好きなのだ。
「ルディナ王様。改めて、私は宮廷呪術士になることはできません」
俺が喋り出すと大男が再び前のめりになった。しかしルディナ王は表情を変えずに次の言葉を待ってくれた。本来なら俺は用済みで、これ以上ここに残って発言することは首を絞めかねない行為なのだろう。そうだとしても、部下思いのこの人のためならば少しでも力になりたいと思っていた。
「ですが、もしもハリウェル・リーゲル氏失踪の件を『支援者』として依頼していただける場合には別です。これからも呪術を研究していく中で、彼について何かが掴めた場合には、こちらからお話を持ち掛けてもよろしいでしょうか?」
謁見の間が騒然とした。今の状況は、言ってしまえば拝命を断ったのにも関わらず、図々しくも国家相手に商談を持ち掛けているといったところである。守銭奴と思われても仕方のないことであり、青髪の男に至っては腰に携えた剣を構えかけている。
ただ俺は確信していた。王ならば俺の考えを理解してくれる。しがない支援者の気持ちに通ずる気持ちを持った彼は、驚くこともせずに予想通りの答えをくれた。
「――良かろう。こちらとしても、願ってもないことだ」
「……! ありがとうございます」
俺は二度目の心からのお辞儀をした。快く思っていない様子の人間が何人か居るようだったが、後悔しないために本心を伝えることができた。唯一の救いは、ルディナ王の笑みが増していったことだろう。王はその証拠となるように次の言葉を言ってくれた。
「今日はよく来てくれた、ルミー・エンゼ。再び貴様に
その言葉を合図にして二人の騎士が俺の脇に付いた。赤い絨毯の上でくるりと向きを変えるよう促されて、退室の時間なのだと素直に従う。ちらと振り向いて見えた王の顔はやはり愉快そうな表情をしていた。それが弟子の成長を喜んでいたあの老剣士に重なった気がして、俺はこの国に生まれて良かったと実感したのだった。
大きな扉を開いた先では、シュリクライゼさんが直立不動で待機していた。疲れや退屈なんて微塵も感じさせない凜然とした様子は、王の傍に居た大男と比べて余程イメージ通りの『騎士』っぽく見える。
彼はまるで出てくるタイミングをわかっていたかのようにこちらを向いた。ここに来た時と一切変わらない敵意を抱かせない表情。その何でもない顔が、この人の前で何かを下手に隠すような真似は愚策だろうという直感を抱かせる。俺はいっそシャンデリアくらいわかりやすい表情で彼に告げた。
「すみません、シュリクライゼさん。王様の願いを聞くことはできませんでした」
「そうですか。大方想像はしていましたが、残念です」
「怒らないんですね」
「ええ。貴方は芯の強い男だと聞いていましたからね。支援者であることに強い拘りがあるとするならば、容易に想像がつく決断です」
「……誰からそんな話を?」
「無論、ハリエラ殿ですよ」
呆れ顔になりそうな頬を力ませて、またあの人は、と心の中で呟いた。日頃は酔いでもしないと本心を言わないくせに、他人のことはぺらぺらとよく喋るのである。彼女が【アメトランプ】にくる度にお気に入りの開拓者を語っていたが、まさか俺までその対象に入っていたとは。溜め息になりかけた空気を小さく吐き出して報告の続きをする。
「でも王様に言っておきました。もしもハリウェル・リーゲル氏に繋がる発見があれば、すぐに伝えるって。もちろん、シュリクライゼさんにも伝えますね」
それを聞いた青年の真っ黒な瞳がよく見えた。俺はシュリクライゼさんの表情が変わったのが非常に珍しく感じられる。この王宮に来てからの彼しか知らないのに、いつの間にか浮かべ続けられている微笑を当たり前だと錯覚していたらしい。柔らかな顔が板に付いている――そんな気さえしたのだ。
しかし小さな驚き顔はすぐに元通りになり、にこやかな理想の騎士の姿がそこにあった。
「やはり貴方はハリエラ殿の言う通りの方なのですね」
「えっと、彼女は他に何と?」
「お人好し、と。頻りに言っていましたよ」
「……」
脳裏でしたり顔が二度目の笑いを溢した。もう彼女の話を店以外で聞くのはやめよう。そんな決意が一瞬で巡る。俺の密かな辟易を見破ったのか、シュリクライゼさんは深々とお辞儀をしてそれ以上の情報は出さない。
「わかりました。その時が訪れれば、ぜひ」
自分から言い出したことなのに、俺は彼の返答にげんなりした表情で頷く他無かった。俺たちのやり取りを待っていた騎士たちが強めの視線を向けてきたため慌てて体の向きを変える。その時、後ろからぼそりと、それでも確かに聞こえるようにシュリクライゼさんは言った。
「しかし……貴方ともう一度話すのは、そう遠くないことだと思いますよ」
「それって、どういう……?」
「さあ。貴方のことを待ち侘びている方がいらっしゃいます。部屋へお急ぎください」
彼は答えてくれなかった。早くしろと言わんばかりの騎士に背を向けて、王の居る大広間の警護に戻る。浮かんでいた微笑みは、初めて出会った時よりも口角が上がっているようだった。
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