第25話 戦場へ

※――――――――――――――――――――――


 森の静寂はしばらく続いていた。さっきまで「おい、ルミー」と気さくに話しかけてくれていた声はない。歩を進めるごとに大自然の損傷は酷いものになり、とうとう闇夜には目立ち過ぎる炎を焚いた木々が見え始める。


「ボヤ騒ぎじゃ済まないぞ……!」


 口に出した言葉以上に事態は深刻化してしまっていた。最初にキッグに襲われた時に見た奴の部下の人数を考えると、戦いはクラン同士の戦争と言っても差し支えない規模である。放置されてきたこの未開の森でさえ、翌朝には地図にも残らぬ灰塵と化しているかもしれない。


 押し寄せる熱波に顔をしかめながら走る。きっとマイだって家を抜け出す時にはこんな苦痛に耐えていたのだろう。それでも希望を繋ごうとした少女の気持ちを考えれば、俺だって折れるわけにはいかない。


「もう、あの子ばかりが泣いて良いわけがないだろ」


 キッグには先手を打たれてしまったことは間違いない。ならば俺が取れる行動は、奴を出し抜いてでもマイを救い出すことだ。クイップさんの行動からして、キッグがマイを必要としていることは確か。狙いは恐らく彼女が持っていた『刻時石』であり、そしてその在り処を聞き出すまではマイを殺すことはできないだろう。


 そして刻時石は今、俺の手の中にある。


 足を止めることなく、ポケットに突っ込んであった刻時石に一枚の呪符を貼り付けた。戦闘能力は無い支援者でも、交渉ならば商売で身に付けている。この石でどこまでやれるかわからないが、少女の命一つ救えるのならばお釣りが返ってくるくらいの成果と言えよう。


「一度は殺そうとしておきながら、どういう風の吹き回しだって言うんだ……!」


 彼女が死んでしまうことを厭わないほどに追い詰めていたというのにも関わらず、ここに来てキッグは何故かその身を欲している。あまりに辻褄が合わない行動には疑問を抱くばかりだ。


 ――もしも、彼女が意図的に「生かされて」いたのだとすれば。


 嫌な思考は耳に届き始めた喧騒で断ち切った。それは間違いなく兄妹の信頼を裏切る行為に他ならず、微かにも兄を信じるマイの想いを否定してしまうからだ。


 【ソラティア】とキッグ一派の争いは近い。燃え盛る深緑を駆け抜けて、とうとう『クルエアリの森』を飛び出す。景色が開けて、雑草の床が砂利と岩の世界になった。



 そこは紅蓮が飛び交う地獄だった。剣と剣が弾け合う音。荒い呼吸の邪魔をする砂の食感。食べたことの無い肉が焦げる臭いを放ちながら、「熱い」と「冷たい」という言葉を繰り返す。原型すら保たない人の成れの果てが、蝋燭のようにドロリと体を落とした。


「……ッ」


 醜悪、という言葉が脳裏を過ぎる。光景の一部分だけではない。動く人間たちの争い、知性を持つもの同士が巻き起こす戦争に嫌悪感が巡るばかりだ。ルディナ王国でも開拓者らの喧嘩などは見かけることがあったが、今やそんなものは児戯の延長にすら思える。


「早く、マイを探さないと」


 例えキッグが何かの理由をもって彼女を生かしていたとしても、このような煉獄の世界に居るだけで危険だ。今しがた飛んできた火の粉のように、いつ戦いのにわか雨を浴びてもおかしくない。


 岩陰に身を隠しながら場違いな戦場を移動する。目と鼻の先では【ソラティア】の人員と荒くれ者らが争っており、時折舞い散る血飛沫にくらりとした。そして同時に心配が過ぎる。ソラウのような重傷の開拓者がいる可能性は高い。しかしこんな状況で敵にバレれば一瞬の内に消し炭だ。


「あんな大口叩いてこのザマだ、俺ってやつは……!」


 開拓者たちを助けたい気持ちは間違いない。しかしそれは自分自身の命があってこそ。無力な俺が戦況を変えることはできないし、敵に目を付けられた彼らを逃がす手段もない。支援者は自分を守れてようやく一人前なのだ。


 鳴り響く怒号と怒号のぶつかり合いを意識から切り離して、俺は土を蹴った。もし守れるだけの力がある人間なら――そう考えるほどに奥歯を噛み締める顎だけが力む。


 この後に訪れる最悪の状況は、キッグの計画が成就してしまう可能性だ。そうなればマイの言っていた『厄災』の力がこの場で猛威を振るうことになり、誰も生き残ることができない世界になってしまう。


 正当化なんてことは心の中でわかっていた。熱波渦巻く空気が重い重い罪悪感となって心を苛む。


 だから向かった先の岩陰に、体が短くなった人間が居たのに気づくのが遅れた。


「たす、けろ……たすけ、で、よぉ」


 下腹部から下を失った開拓者の男はそれでも生きていた。どんな技術で断たれたのかもわからないような血肉の断面図。一本の真っ白な骨の周りは火傷で膨れ上がって、どばどばと体液を垂れ流している。男は救いを求める言葉を喉が裂けるまで言い続けて、やがてかぐりと項垂れた。


「おい……おい!」


 必死に肩を揺らしたが、男の首は軸を失った振り子のような反応しかしなかった。やるせなさで埋め尽くされる感情を、固い地面にぶつける。


 何より、また一人ソラウの仲間を失わせてしまったことが悔しくて仕方がない。


「見づげたぞ……開拓者ぁ……!」


「!?」


 酒焼けのような枯れ果てた声はすぐ近くから聞こえた。半身を失った開拓者を迫いかけていたのは、キッグの部下と思わしき男だった。


「ころ……ごろず。お前らは、おで、が」


 男もまた喉に風穴が空いており、もはや息をすることも叶わない状態だろう。しかし戦いの中で培った生命力がまだ彼を突き動かし、未だ苦しみから解き放たれることを拒絶している。妖怪の類とすら思える男に胃が底冷えするほどの恐怖心を煽られ、俺はその手に捕まる直前にようやく一枚の呪符を取り出せた。


「ふ、封印解放! “火連槍かれんそう”っ」


 破り捨てた紙からは三本の火柱が勢い良く発射され、その内の一本が男の腕を穿った。赤黒いペンキを被っていた皮膚の内側から、今度はそれよりも赤い血液が吹き出る。


「うぐぁっ」


 キッグの部下は射出された火の勢いのままに後方に小さく打ち上がった。後頭部から地面に落ち、ぐしゃりと何かが折れた音がした。しばらく男が動かなくなったのを見届けて、俺は得体の知れない気持ち悪さと安堵の息をごちゃ混ぜにして吐き出した。


 念の為、マイに攻撃型の呪符を何枚か作ってもらっておいて正解だった。元々は開拓者からの被害を受けそうになったら抵抗用に使おうなどと相談していたものだ。だから使わないことが一番だと思っていだが、まさかこんな形で命を救われることになるとは。


「こ、これじゃあ本当にどっちが助けるかわからないな……助かった……」


 今回は呪符のおかげでどうにかなったが、こんなものは自分の力だなんて言えるはずもない。いつか、こんな状況でも対応できるだけの支援者にならなければ。


「急げっ……!」


 竦みかけていた足を叩き起こして前に進む。幸い今の騒ぎを誰かに気づかれた様子はない。いや、気づく人間が居なかったと言うべきだ。【ソラティア】も荒くれ者たちも組織として機能していないほどに壊滅状態なのだから。



 果たして、主力である彼らのリーダーたちは一体どこへ行ってしまったのか。その疑問は鉄を炉で叩く時よりも大きく、無秩序なメロディーが解決した。辺り一帯に響くほど大きな剣戟の音が実力者たちの戦いを遠くからでも感じさせる。


「この音……」


 拮抗する力のせめぎ合いは強者同士の命のやり取り。その条件に見合う人間同士なら、俺が思い起こせるのは「彼ら」しか居なかった。


 鋼が奏でる即興演奏の元へ走ると、背景にはおあつらえ向きに荘厳な遺跡が建っていた。細かい石組みでできた入口は、天井こそ低くはあるが地下へと続く階段が見える。支柱にはマイが教えてくれた“封印術”に使う文字が細かくびっしりと彫られており、あまりの緻密さが得体の知れない不気味さを醸し出していた。


 そしてその眼前で舞うは、最強の師弟。


 藍色髪は踊るように。そして白髪は寸分乱れぬ不動の塔の如く。戦闘スタイルは対極にありながら、剣筋はまるで変わらない二人だけの世界がそこにあった。。


「アレス……クイップさん!」


「ルミー殿……!」


 俺が呼びかけると、いち早く声に気づいたクイップさんが驚き顔になる。その一瞬の間を突くようにして、アレスは砂塵を巻き起こし飛び込んだ。


「余所見なんて!」


 間違いなく不意を突いたアレスだったが、ギルド最強と呼ばれた剣士にとっては油断の内にすら入らなかった。脇腹から迫る高速の剣を真っ向から受け止め、あろうことか気迫の声一つ漏らしただけで鍔迫り合いを制した。


「きゃあっ!」


「アレス!」


 彼女の細身な体は闘牛に撥ねられたようにふっ飛び、乱立する岩場の中に放り込まれた。俺がソラウに投げ飛ばされた程度が可愛く思えるくらいの勢いがあり、常人なら間違いなく骨の一本や二本は折れているだろう。しかしクイップさんは弟子のことなど意に介さず、俺に哀れみの目を向けるだけだった。


「来て、しまわれたのですね」


「はい」


「貴方には恩義がある。できればあのまま逃げて欲しいと思っておりました」


 その言葉で、やはりクイップさんに俺たちを殺す気はなかったのだと確信する。敵であるものの、命を奪う気がないのなら聞くべき問いは一つだけだった。


「マイは……どこですか!?」


 クイップさんは本来マイの名前を知るはずがない人間。だけどこれまでの行動から、彼女の存在を知っていたことは明らかである。キッグから聞いたのか、はたまた別の理由があるのかはわからないが、今はそんな理由よりも彼女の命の所在が優先だ。


「ルミー殿が探しておられる方は、この中に居ます。ですが……」


 拍子抜けするくらい、遺跡を指さしてあっさりと答えてくれた。しかし老人の表情はすぐに変わり、獣すら射殺しそうな眼光と低く唸る威嚇のような声音で尋ねてくる。


「この先は修羅。私をも凌駕する化け物が居ます。そうだとしても、貴方は歩みを止める気はございませんか?」


 凄味のある剣気。培った齢に見合うだけの迫力に襲われた気分だった。


 キッグ・セアル。今にして思えば、彼の片目を奪い去ったのは奴の魔術なのだろう。焼け焦げた裂傷は馬車を破壊したものと同質の爆発から生じたものであり、ギルド最強の称号をもってしても勝機は無いと悟らせている。


 ならば、尚更。


「はい。助けるって、約束しましたから」


 出る幕が違うことは百も承知だ。それでもマイと出会ったあの日の言葉はずっと頭に残っている。絶望の中で縋る姿は、思えば彼女が唯一、年相応の感情を吐露した瞬間だった。悩みを抱えても、尊厳を捨てて懇願しようとしても、あの時ほどマイが幼く見えたことはない。


 ――『救いたい』と願ってしまった。


「なれば……」


 紡がれようとした言葉に警戒心を抱く。クイップさんは俺の偽善など認めず、愚かな支援者など斬り殺すだろうか。それこそが、これから惨憺な結末を迎えてしまう俺に対する餞別だと思って。


「どうか、あの兄妹をお救いください。妄執に囚われた兄と、運命に翻弄される幼き妹――私には、どちらにも肩入れし切ることができなんだ」


 俺はその言葉を聞いて驚きを隠せなかった。キッグに協力しているのならセアル家の事情を知っているのは当然としても「肩入れ」という言い方には引っ掛かる。彼はまだ何かに迷っているようだった。


「クイップさん、あなたは一体……」


 聞きかけた俺に対して、クイップさんは遮って言う。


「お進み下さい。私が仰せつかった命は弟子との戦い。貴方を止めることは含まれておりません」


 言うなり彼は遺跡への道を開き、戦闘態勢へと戻った。伝説の剣士、クイップの弟子があの程度で倒れるなどとは微塵も思っていないようだった。


 彼らの戦いに割って入る隙はない。むしろ入ってはいけないと感じた。それは俺の力の問題ではなく、彼らの交わすべきやり取りのために。


 譲られた道を駆け抜ける。俺の後ろにいる弟子を睨んでいたクイップさんが、すれ違いざまに「頼みます」と言った。


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