第24話 策謀者たち

「よし……」


 粗方の止血処置を済ませた頃には、ソラウは深い寝息を立てていた。ここまで暴れ回ったからには当然体力など残っていまい。じわじわと赤く染まる包帯を見ると心配は絶えないが、後は彼の強靭な生命力に頼る他なかった。俺は立ち上がり、位置の歪んだ鞘を直してトウマに告げる。


「俺は先に行く。トウマは彼のことを見ておいてあげてくれ」


「おいおい。付いて行くって言っただろうが」


 旧友は実に予想通りの反応をした。意固地な表情を見て、やはりトウマが付いて来てくれて良かったと心底思わされる。だけどソラウほどの強者がボロボロになっている姿を目の当たりにしてしまったら、この先の危険に彼を巻き込む訳にはいかなかった。


「まだ敵が居ないとも限らない。この人を放置して行ったら、それこそアーティアさんに呪われるよ」


「だけどな……」


 言い淀む彼もソラウのことが気掛かりなのだ。その優しさを見て「彼にならば任せられる」とソラウの親友も言うに違いない。


「大丈夫。マイを見つけたら、すぐに逃げるよ」


 トウマは五秒くらいうんうん唸った後で、かーっと茶色の髪をかき乱した。もの凄く不本意そうな顔が俺を見据え、小指だけが差し出される。


「死ぬんじゃねぇぞ」


「あぁ」


 血のついた指に自分の小指を絡めて約束を交わす。頼れる友人にソラウのことを託すと、俺は一人で森の中を駆け続けた。


※――――――――――――――――――――――


 薄墨色の視界の中では、気配を敏感に察知してしまう。それ故に、目の前に立つ男の常軌を逸した修羅の香りが嫌と言うほど鼻の周りを漂った。


 腰に帯びた細剣――いつからか“破剣”のクイップと呼称された自身の代名詞の鞘から手を離せないでいる。それほどまでに命を脅かす相手は、かつての戦で凌ぎを削った古の猛者たち以来だった。


 荒れた深紅のそそけ髪に、決して福相ではない長身痩躯の後ろ姿。先の戦いで開拓者たちを鏖殺した凶人は、今はたった一人の家族である妹を抱え暗がりを進む。


 キッグ・セアル。国家転覆を目論む大罪人。それが今、私の仕える主なのである。


「キッグ様……」


 呼びかけた相手は人相の悪い顔で「あ?」と聞き返してくる。その表情はあまりにもあの優しい血族とはかけ離れていて、まるで魔女にでも取り憑かれたかのようだ。しかし特徴的な紅髪や横顔は彼の祖父に似ている。きっと彼が無垢な頃に出会っていれば、少しは恩人たちの面影を感じることもできただろう。


「その方をいかがするおつもりで?」


 彼が抱え上げる少女などは昔の母親にそっくりだ。一番初めに出会った瞬間――フード越しに交わった青藍の瞳など、まるで彼女の生き写しかと錯覚させられた。セアル家に相応しい高貴で清廉な様子は、あの一瞬だけで感じ取った。


「お前には関係ないだろう」


「私は貴方がた兄妹のことを命を賭して守らなければならない。無闇に傷つけようとするならば、ただ言葉を慎んでいるわけにはいきませぬ」


「心配なら無用だ。俺だって、たった一人の肉親に死んでもらうのは本意じゃねぇからよ」


 その言葉がどれだけ信用に足るかと言えば、開拓者同士の口約束にすら劣るものだ。この男は妹のことなど微塵も大切に思っていない。ただ彼女の存在に利用価値があるから私に連れてくることを命じたに過ぎないのだ。きっと本当は、この男の計画の片棒を担ぐことを私の恩人たちの誰もが望んではいまい。


 ――わかっているのだ、そんなことは。


 キッグは、それに、と言って言葉を続けた。


「お前と殺り合うのも本意じゃねぇ。計画の前に部下を殺すなんて、些か滑稽が過ぎるだろう?」


 台詞に表れるとてつもない自尊心。かつて私に対しこれ程までの自信を示した者は、井の中の蛙か自惚れた王国騎士だけだった。しかし彼の実力は間違いなく私を凌駕している。ぐっと息を飲むと、キッグはやや大袈裟に声を大きくして言った。


「しかし驚いたものだ。昔から母さんに『本当に困ったら王都へ行け』なんて教えられていたが……まさかギルド最強の剣士にお力添えいただけるなんてよ」


「私はセアル家の先々代当主、つまり貴方がたのご祖父様に大恩ある身。なれば、そのご令孫に仕えるのは道理と言えましょう」


「よく言うぜ。一度は殺す気で俺を試したクセによ」


 一年ほど前、彼が初めて私を訪ねて来た時に、一度だけ立ち合いを申し込んだ。目的はその実力を見るため。国家を揺るがすキッグ自身にどの程度の覚悟があるのか試すつもりだったのである。果たして、彼の強さは“ギルド最強の剣士”など持て囃された自分の片目と引き換えにようやく命を取り留めるほどのものだった。死を予感したのはいつ振りだっただろう。


 そしてわかったのは、彼は信念が強固なのではないという事実。そこにあるのは純然たる実力だけ。まるで子どもが不相応な権力を与えられたかのようで、到底同調できるはずもない危うさだ。セアル家という才覚ある血筋だからこそ産まれてしまった鬼才の化け物――それがこの目に映るキッグ・セアルという男だった。


「まぁ良い。お前のお陰で事が首尾良く運んだことも事実さ。さっさとこの国を貰っちまうとしよう」


 敗北を喫したことで、私は不本意ながらも彼に仕えることとした。いや、選択肢など最初から無かった。セアル家の血脈を持つ者ということは必然的にあの方々にとって大切な存在。例え国を敵に回したとしても守らなくてはいけない人なのだから。


 主が片腕に妹を抱えたまま手を翳すと、途端に辺り一帯が橙色の光に包まれた。等間隔に配置されていた燭台に火が灯っている。先々代のセアル家当主も得意としていた炎の魔術。それを松明代わりから馬車が灰塵と化す威力まで自由自在に操ることができる程に洗練されている。ギルドでもキッグ・セアル並みの使い手には出会った覚えがない。


 ――もし一人だけ可能性があるとすれば、十年前に一度だけ同じ仕事をしたあの無愛想で若い女の魔術士。生きていればもう三十路近くにもなっているだろうが、彼女もまた偉大な才覚の器を予感させた。しかし彼女もキッグと同様に、誰かを信じるということをやめた瞳をしていた。孤独になることが強さを手に入れる代償なのだとしたら、彼にも彼女にも些か憐憫の情を向けざるを得ない。


 長い薄明かりの通路を抜け、辿り着いたのは祭壇だった。数段ばかりの階段の先には巨大な棺が縦向きに立てられるように置かれている。幾多もの呪符が貼られているのは、その先にある深潭を存在すら許さないためだろう。荘厳で、どこまでも悪寒を覚える景色。かつてのセアル家が封印したと言われる『厄災』がすぐ側に眠っているのだ。


「ここが、大悪魔ドゥーマ封印の間」


「セアル家が蔑まれた時代は終わりだ……! 最強の駒を手に入れて、何も奪われねぇ世界を創る」


 思わず独りごちていた私とは対照的に、主はこの世界そのものに宣戦布告を送る。鋭く持ち上がった口角は、あたかも彼自身が悪魔であるようにしか見えなかった。


「さぁて、クイップよ。俺の読みだと、そろそろ送り込んだ部下たちはお前の弟子とやらに斬られている頃だと思うんだが」


「……」


 その読みは恐らく正しい。私の剣の全てを教えてきた弟子は、キッグ・セアルはともかくとして、彼が用意したゴロツキなどに負けるような剣士ではない。主は甘い言葉で荒くれ者たちを引き入れていたようだが、まさか奇襲をかけた相手に全滅させられるとは思ってもみないはずだ。何とも運の悪い者たちである。


 私の無言は肯定と取られ、主は狂気混じりの笑みを向けてきた。そこに私の知るセアル家の面影は一切存在しない。


「お前がその手で愛弟子を殺してこい。そいつの首で、改めて俺への忠誠を誓ってもらおう」


「……御意に」


「忘れるなよ――俺は家族を殺すことに、躊躇いなんざ持ってねぇからな」


 先の発言とはかけ離れた一言だった。家族として、兄として本来持ち合わせるはずの情は寸分たりとも見られず、キッグ・セアルという人間がいかに人の道を踏み外しているかがわかる。


 もしここで命を賭せば、健気な妹を助け、その兄の命を奪うこともきっと可能だ。そうすることが世のためであり、これ以上罪の無い人々の命が軽んじられることも無くなる唯一の手立て。誰もが認める“英雄”ならば、きっとその決断に迷うことなどないのだろう。


 ――あなたなら、私の大切なものを全て守ってくれるでしょう?


 脳裏で昔の景色が歪んだ。それはあの雨の日、強き女性が言ったたった一つの弱音。


 ――ずっと、ずっと頼りにしているわ。私の騎士様。


 それが彼女との最後の別れの言葉になった。数年後、元々病弱だった彼女は亡くなり、今や彼らの忘れ形見はあの兄妹だけ。名を与えてくれた恩人、そして生きる意味をくれた彼らの娘に、私は今、本当に報いることができているのか。


 来た道は振り返らない。例えこの道がどれほど間違っていたとしても、私には彼らを守り続ける義務がある。それが一生をセアル家に捧げると決めた『クイップ』という男の責務であり、覚悟なのだ。



 地上に出た時、照らしたのは太陽ではなかった。ごうごうと盛る炎が辺りの地面を焼き這いで、今にも汗の垂れ落ちそうな熱波が全身に襲いかかる。


「クイップ……! 探したわよ」


 遺跡の前に立っていたのは、その嫋やかな藍色髪を血に濡らす少女――否、少女と呼ぶにはもう齢を重ね過ぎた。今この場に立つのは、紛うことなき自分の一番弟子。


「仲間はどうした」


「どうでも良いわ、そんなの!」


「そうだな……お前も私も、そうやって生きてきた」


「なぜ裏切ったの!?」


 弟子の問いに答えることはしない。私たちの間にあったのは、常に血腥い鉄と火花の香りだけ。剣を抜き、この世で唯一の弟子と対峙する。


「私たちの間に余計な言葉は要らないってわけね。上等じゃない」


 私の様子を見て、彼女もまた剣を抜いた。互いにレイピアを上段にかざす。“破剣”のクイップ我流剣術の構え。


 この戦いは稽古ではない。どちらかの死をもって、初めて鞘に納まる殺傷のやり取り。ならば師としてかける言葉は一つしかない。


「全てをぶつけ、超えてみせろ――アリシア」


 『本当』の名を呼んだ時、少女は大きく瞳を開けた。

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