第57話 矜持を欠き、なおも進め

 遺跡の道は覚えていた。迷わないために紙に記していたこともあるけれど、道中で襲いかかって来た歪な生物たちの存在が嫌でも脳裏を過ぎってしまうからだ。


 この道は引き返した――否、逃げ帰った道。王国騎士団の一角【青の騎士団】を預かるガルシアンとともに異形たちを葬りながら進み、そして突如として現れた鈍色の騎士に為す術なく打ち倒された。本来ならば援軍を呼ぶところだが、俺たちには引き下がる時間も、ましてや駆けつける味方も居ない。


 今度は“暗視のまじない”を自分だけではなく、渋々ながらも受け入れたガルシアンにも与える。はっきりと見えるようになった視界の中で、彼は行きがけよりも速く歩いた。



 そして、男は初めに見た時と同じ場所で立っていた。鈍色の鎧は長く暗がりで過ごす内に光を失ってしまったようにすら思える。その兜から覗くのは酷く痩けた頬。表情筋を失ってしまったかのようにピクリとも動かず、空虚な眼光だけを俺たちに向けた。


 彼に一体どのような目的があるのかはわからない。しかし障害である以上、ずっと足止めをされている訳にはいかないのだ。


「悪いが今度は二対一だ。もう突っ立って見てるだけじゃないから、逃がすような真似はしなくて良いぜ」


 俺の台詞の終わりには、しん、と静けさが訪れる。視線を向け続ける鈍色の騎士からは何一つ返事はもらえなくて、代わりに隣に立つ大男から呆れ混じりの声がした。


「敢えて敵を煽る様な台詞を吐くな。主力は俺だ」


「わかってるよ」


 遺跡の苔よろしく風景と化してしまいそうな鎧。しかしその実態は現騎士団長に匹敵する実力を持つ、この場所の番兵だ。


「番人としての役割、戦いへの判断力は間違いない。でもやっぱり会話は叶わないか」


 本当は俺たちを見逃した意志を問いただしたかったところだ。もしも話し合いができるのなら、無駄な争いを避けることもできたかもしれない。


「そんなものはとうに諦めているだろう。それに俺は、こいつに借りを返さねば気が済まん」


 ガルシアンは戦いの火蓋が切られるのを今か今かと待ち望んでいる。彼は根本的に負けず嫌いで、あの芸術家と“封し鳥”に対しても、このままでは終われないという騎士団長のプライドが原動力の一つなのだろう。


 向こうからの返答は無いまま、されど腰に帯びた剣が引き抜かれる。俺とガルシアンもそれぞれの得物を手にした。素朴な騎士剣と、大きな背中の殆どを覆ってしまう仰々しい大剣。二度目の決闘が始まる。


「やるぞ、ガルシアン」


「命令するな、支援者!」


 ガルシアンの突貫。片手に大剣を持ちながらも常軌を逸した速度で青髪が逆立つ。巨漢は遺跡を揺らしながら鈍色に剣先を突き刺そうとした。


 刃が届く直前、錆びた鎧がその灰色に似合わないほど眩く光った。同時に人の姿が粒子となって弾けて揺れ動く。あの時と同じ――背後へと。


「後ろ!」


「わかっている!」


 いつかとは違って返事があった。鈍色の騎士の動きを予想していたガルシアンは、既に空いた方の片腕に魔術を纏っている。


「“水矛すいぼう”!」


 先端の尖った水の魔術が鈍色の騎士を狙い撃つ。しかし騎士は首を直角になるまで曲げて、水の槍は兜を僅かに掠めるばかり。


 その直線上には俺が居た。はたから見れば、誤って味方に流れ弾を寄越してしまった風にしか見えない状況だ。しかしここまでの動きは全て事前に相談した作戦の内である。


「“魔術封印”」


 既に翳していた呪符を飛来する水の正面に合わせた。すると水は布に吸われるが如く紙の中に溶け消える。衝撃もなく、突き刺さることもない。さりとて霧になった訳ではなく、俺の手元では一つの武器が完成したのだ。


「封印解放――“水矛”!」


 破り捨てた呪符が光を漏らすと、今度は俺の手から鈍色の的を目掛けて鋭利な弾が発射される。さしもの鈍色にとっても予想外の事態だったようで、瞬間移動をせずに鋼の剣が応戦した。


「今だ!」


「同じことを……何度も言わせるな!」


 ガルシアンが剣を担いで接近した。本来有り得ないはずの、同じ人間の技による挟撃。果たして水弾を紙一重で避けた騎士の兜は、背後に迫った刃によって無情にも体から離された。


 首を跳ねたガルシアンの剣は赤く染まっている。しかし屍となるはずの鎧は雷光となり、バチ、と暗闇に爆ぜた。鈍色の騎士は大きく離れた場所にさっきと全く同じ姿のまま降り立つ。ガルシアンはすぐにこちらに飛び退って悪態をついた。


「ふん。やはりすぐに元通りか」


「いや、これで良い。あいつの頭には、俺が『魔術を封印できる』って事実が焼き付いた」 


 もし不用意に魔術化した状態で俺に近付けば、そのまま体ごと封じ込められる。戦いの本能が残っているのなら、鈍色にとって“封印術”は最も警戒すべき術のはずだ。しかしこの“有効打”を切り札にしない理由は、全て元通りになる奴の特性から他の弱点の可能性を掴んだからだ。


「奴は魔術で体を構築している。いくら感覚は死体でも、体は“生きて”いるんだ。つまり再生の度に体力エネルギーを失っている。この仮説はきっと正しい」


 鈍色の騎士は失った部位ごと魔術化することで“回収”を行っている。切り離された部位を捨て置いてなお蘇生を遂げたドゥーマのような純粋な不死とは異なる。あくまで人間の命、そして身は一つなのだ。


 生物である以上、体にあるエネルギーも有限。その証拠に溢れ出した血液までは回収できていない。簡単な話、傷を負わせ続ければやがては倒すことができる。


「できるならば、封印とやらが一番手っ取り早いのだがな」


 高速で移動する鈍色の騎士にダメージを与え続けることは至難の技だ。何度斬れば良いかわからない。それでも限界があると知ったガルシアンは言った。


 ――勝つ方法があるのなら、俺は勝てる。俺はこの国の矛だ。


 それが本気の自信だったのか、一度敗北を喫した相手に対する強がりなのかまでは判断できなかった。しかし戦いに割って入ることができない俺が封印を狙うよりも、ガルシアンの剣技の方が確実だと踏んだ。これが“俺たち”の作戦なのだ。


「あんまり無茶言うなよ。俺はあくまで支援者なんだから。それに、借りを返すんだろ?」


「ふん」


 強面が「わかってきたではないか」とでも言いたげに笑う。時折思っていたが彼には戦闘狂じみた闘争本能がある。日頃は冷静でもいざと言う時は頭に血が上りやすい。そんなわかりやすい性格にも、今なら理解を示して戦える。


「あいつは無闇に魔術化して俺に近づけない。思う存分やってきてくれ」


「ああ。上出来だ」


 ここまでの流れは全て事前に取り決めた通りだ。とは言うものの、その作戦はあまりに単純。俺に警戒心を抱かせつつ、ガルシアンの攻撃を最大限通しやすくするためのお膳立て。確実に“借りを返すため”だけの作戦だ。俺だけであの騎士に勝とうとしても無理だし、ガルシアンという男との付き合い方はこれで正しいのだ。


 男は一人歩み出る。すると鈍色の騎士はその覚悟に応えるかのようにゆっくりと進み出た。二人は向かい合い、男は上段に、鎧は低い姿勢に落ちた。


「行くぞ――貴様に与えられた屈辱、雪がせてもらう!」


 走り出したガルシアンを鈍色が迎え撃ち、刃同士が拮抗する。単純なぶつかり合いとなればどちらが上回るかは前回の戦いで全員が知っていた。


 押し込まれる鈍色の騎士は突如として発光し姿を消滅させてしまう。全身を雷の魔術へと変え、この狭い空間にばら蒔いた小さな鉄の粒子を伝っているのだ。“人体魔術化”による超高速移動――しかしガルシアンは、正面を向いた状態から腰を大きく捻り、大剣を後方まで振り回す。


「ここかッ」


 大剣が虚空から現れた剣にぶつかる。それを掴む鈍色の体勢が崩れたところに追撃の一太刀がお見舞いされた。鎧から血がこぼれ落ち、バチバチと音を立てながら姿を消す。そして離れた場所で三度再生した。


「さあ、あと何度殺されれば気が済む!?」


 ガルシアンは奴が現れた箇所に突っ込み、すぐさま次の一撃を与えた。また血が飛び、男は後方へ吹っ飛ばされる。何度も瞬間移動を目にしたことで、ガルシアンはその速度に追いつくことを段々と可能にしていた。


 すると鈍色の兜の下にある空虚な眼球が雰囲気を変える。ぎらりと目を光らせたとでも言おうか、ここまで受け身の姿勢だった鈍色の騎士がおもむろに走り出した。自らへ振り下ろされる大剣に肉迫し、直前で体が雷へと変わる。


「ッ!」


 常に瞬間移動を警戒するガルシアンも相手の動きに反応した。しかし雷は一箇所に留まることなく、多面鏡に屈折する光みたいに何度も折れ曲がる。そして巨漢の死角に入り込むや否や、一瞬だけ騎士の形を象って斬撃を繰り出した。


 ガルシアンを囲うように何十、何百と雷光が舞う。そしてその輝きと同じ数の剣が襲い、まるで軍隊を相手にしていると錯覚してしまうほどだ。


「……っ! ぐっ」


 攻勢だった青髪が靡かなくなった。一撃必殺のガルシアンに対して、敵は超速の剣技。何度斬っても有効打にならないせいで巨漢はじわじわと痛ましいものになっていく。鈍色の騎士には疲れの一つも感じられず、有刺鉄線が絡み付いたみたいな状況だった。


 苦戦するガルシアンを眺めることしかできない。このままでは敗色濃厚――劣勢に食いしばる口から、絞るような声が叫んだ。


「突っ込め、支援者ァ!」


 言葉が耳を震わせた瞬間に走り出していた。ここに来た目的はマイを助けるため。戦う術があるのなら、信じて留まっていて良いものか。


 暗闇の中では魔術化した軌跡が見える。鈍色が再構築される瞬間に突っ込めば、一部だけでも奪い取れる可能性がある。それに一瞬でも隙を作れれば、ガルシアンだって攻撃のチャンスに繋げることができる。


「ここだッ!」


 稲光の先に全速力で突っ込んだ。しかし呪符を当てるよりも僅かに早く鎧が形成されてしまう。俺の手は鈍色の篭手を掠めるだけだった。


 突如乱入した俺に対し、鈍色の瞳はじっと姿を捉えていた。あれだけの高速戦闘を得意としている男だ。ガルシアンよりも遅い突進なんて死角からでも十分追いつけるのだろう。最低限の動きで剣を振り上げ、的確に俺のそっ首を狙った。


「――っ」


 降ろされた刃はぎりぎりのところで体に触れることはなかった。しかし下段からの切り返しには間に合わない。斬られる一歩手前、俺の体と騎士剣の間に大きな刃が割り込んだ。がきっ、間近で火花が散り、顔に熱さを感じた。


 防がれた鈍色の騎士にさらなる攻撃が加えられる。大剣が肩口を斬り裂き、血飛沫を散らしながら距離を取った。ガルシアンは返り血が口に入るのも厭わずに叫んだ。


「良く避けたな、支援者!」


「突然無茶な指示出すなよ!」


 仲良く赤くなった俺は勢い任せに言った。支援者として褒められた行為ではないが、結果的には不意を突いて現状を打開することができたのだ。ガルシアンもそれを考慮してか、俺を睨むのを止めて騎士の方を見遣る。


 体を修復した鈍色は再びこちらに向かってこようとして――突如として、がくりと膝を突いた。


「きた……限界だ」


 魔術は運動と同じで体内のエネルギーを消費する。体力が限界ならば如何なる高度な技術も意味を持たない。俺たちの真の狙いはこの『持久戦』だった。謎の騎士当人すら自らの意思に反する体に戸惑っているようにすら思えた。


「どうしたというのだ」


「あいつ、もしかして自分でも体の消耗に気付いていないんじゃ……」


 痛みすら感じなければ魔術化だって冷静に行うことができる。しかしそれは同時に、自らの命の危険すら感じ取ることができないという生物としての欠陥を抱えていたのだ。


 ストッパーの壊れた体がふらふらと立ち上がる。細身の剣を頼りない杖にして、鈍色の騎士はこちらに歩み出た。最後は正面からガルシアンにぶつかろうと言うのか。


「決して邪魔をするなよ、支援者」


「ああ」


 ガルシアンは敵の意志を汲むように言った。二対一という状況でありながら、鈍色の騎士は俺が動かないと見るや標的をガルシアンだけに定めていた。彼に武人としての心があったからこそ、俺は狙われることなく不意打ちに動くこともできたのだ。


 俺たちは決闘の土俵において完全に敗北している。騎士の戦いを穢してまで進むことを選んでくれたガルシアンには感謝しかなかった。


「すまなかった。名も知らぬ騎士よ……貴様のこと、青の騎士団長クロム・ガルシアンが未来永劫覚えておこう」


 二人の騎士の刃が交わる。それは霧が風に吹かれるがごとく一瞬のことだった。赤い飛沫が描いた景色の先で、鈍色の騎士は最期まで一つの言葉も発することなく、静かに、ただ静かに生命を流していた。

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