第51話 失意に抗う限りは

 王国軍による不死鳥討伐作戦――それは明確な敗走を喫した。被害総数八十二名。その内、外傷を負った者は殆どおらず、全員が意識不明。王国最強を自負していた【青の騎士団】は事実上の壊滅状態となり、この大き過ぎる事件は瞬く間に王国中の話題を掻っ攫った。


 誰もが騎士たちに失望し、次は民草への命が脅かされることを懸念する。しかし大きなニュースが再三報じられる中、誰にも知られない事実があった。それは、かの惨状の被害者には一人、年端もいかない少女が居たということだ。



 風にさえ揺れない部屋で、俺はその少女を見ていた。月光に透き通るような紅色の髪。元々幼顔ではあるが、こうして寝息を繰り返す表情はやはり年端もいかない少女だ。将来はきっと魅力的な女性となって夢を叶えていただろう。


 しかし、青藍の瞳はもう見れない。


「マイ……」


 幾度目ともわからない名前を呼んだ。しかし不死鳥――『封し鳥』によって魂を奪われてしまった彼女は返事の一つも返してくれない。もしここが【アメトランプ】だったならば、マイは「はい!」という元気な声を聞かせてくれたはずなのに。


 あの渓谷で、マイは俺のことを守ってくれた。自らが犠牲となって封し鳥の炎から遠ざけ、出来もしない任務を遂行しようとした愚か者を。


「何が守ってくれた、だ……!」


 本来なら彼女はこの一件にかかわる必要のなかった人間だ。それなのに俺は再びスラム街のような愚行を繰り返した。危険に首を突っ込んではマイまで巻き込み、取り返しのつかない過ちへと繋がる。


 ドゥーマの時でさえそうだ。もしも俺一人だけで遠征に赴いていたら、今でもドゥーマは復活していなかった。俺の力で封印できた怪物程度、例えばハリウェル・リーゲルだったなら、造作もなく解決したのではないか。


 ルミー・エンゼは所詮その程度でしかない。戦う力を持たず、誰かの犠牲の上に立っている。その事実から目を背け続けた結果がこんな悲劇だと言うのなら、彼女を殺したのはこの俺に他ならない。歯を食いしばりながら、痣の付いた右手の甲に突き刺すように爪を立てる。


「こんなものが、あるから……!」

 

 ドゥーマを倒した後に残された角のような二本の湾曲線の痣は、不気味であると同時にどこか勲章じみた物だと思っていた。マイはこれが呪術に関連することを心配してくれていたのに、見通しの甘さを彼女に押し付ける形になった。言い訳のしようがないほど最低な人間だ。


 これを掻きちぎってやれば愚か者も少しは反省できるだろう。指をゆっくりと引くと血が滲んで痛みが溢れた。痛覚を刺激されるほど「まだ足りない」と脳が叫んで、もっと深く、深く――


「お止めください、ルミー殿」


 それ以上、轍は引かれなかった。俺の力んだ手首は細身な怪力騎士の腕に掴まれて、いとも簡単に動かなくなった。


「そんなことを、この方が望みますか?」


 腕の先には真っ黒な瞳で見下ろす顔があった。俺なんかでは到底追い付けない無類の強さを持つ男。あの時あの場所で、俺が欲しい力を最も有していた“英雄”だった。


「シュリクライゼさん……」


 彼はいつの間にか部屋に入って来ていたようだった。そして視線だけでマイを見るように促す。安らかに息をする少女は自分ではなく俺を助けた。拭えない疑問のやり場がなくて、理不尽だとわかっていながら目の高さにある紺色の騎士服にぶつけてしまう。


「どうして俺なんかを選んだんですか……俺を差し出せば、奪われた魂を返させることもできたかもしれないのに」


「あの悪党が少しでも優しさを持っているように思われましたか? あの手の輩は狡猾に欲しい物を手に入れようとします。貴方を渡しても、おそらくは無駄骨に終わったでしょう」


 真っ当だ。当然過ぎる答えは頭で理解していても上手く飲み込めない。欲しい言葉なんて無いのに、八つ当たりのように“英雄”へ何かを求める姿は、あまりにふざけ過ぎて笑えない道化だ。それ以上口を開かなかったことがマシに思えた。


 黙り込んだ病室に、シュリクライゼさんの声がする。


「近く、王はアルト・ワイ・ヘロスリップ及び“封し鳥”の征伐命令を出すつもりです」


「征伐、って」


「封し鳥に囚われた人間の魂は奴の体と同期している。奴を捕らえ、あの術式が機能しなくなるまで致命傷を与え続けます」


「そんなことしたら……!」


 業務的に告げられた作戦は、元凶を断つために囚われた魂を破壊し尽くすということだ。騎士たちの命も、無論マイだって殺される。迫り上がる怒りを諌めるように、王の忠実なる腹心は淡々と事実を述べる。


「王も承知の上です。しかしこれ以上“封し鳥”を野放しにすれば、ルディナ王国が崩壊してしまう」


 現状、あの男の言う通り、呪いを解く術が無い。つまり封し鳥に囚われた人質は実質的な戦死者なのだ。被害を最小限に抑え、生きている人間を優先するならば納得せざるを得ない。冷徹に感じる判断も、一国の王ともなればもはや必然だ。


 現実を認識させられた時、膝に力が入らずベッドに座り込んだ。救いたい人は隣に居るのに、どれほど焦がれても届かない。あの谷で背を押された瞬間から全ては決していたのだ。


「俺は、無力でした」


「恥ずべきは僕もです。僕には奴から、彼女や他の騎士を救う術がない。国を守護する騎士の称号も……今は重荷にすら感じます」


 シュリクライゼさんは実にらしからぬことを言った。同時に、全てを兼ね備えた人間にできないことを、まさか俺なんかができる訳がないと思ってしまう。諦めが全身から力を盗んで行って、元通りに帰ってくるはずなんてなかった。


 けれど良かったのかもしれない。彼が無理だと言うのならそれまでだ。俺も潔くなれる。そう考えて楽になりたい気持ちと、胸の奥深くに針が刺さったまま抜けない感覚があった。


「――だからこそ、止まる気にはなりません」


 だがシュリクライゼさんはそんな潔さを許してはくれなかった。彼が“英雄”と呼ばれるのは純然な強さだけではなく、精神もまた成熟し切っていることが要因なのだ。年齢は殆ど変わらないというのに、実に自分が情けなくなる。


「……強いですね。俺には、とても」


「ルミー・エンゼ」


 唐突に戦場で見せたような強い語気で呼ばれ、肩を震わせた。


「『この国では誰しもが、等しく英雄になれる素質を持っている』」


 ルディナ王国は英雄の国。お伽噺の殆どは帳尻を合わせたかのごとく「英雄がその武勇で討伐したのです」となっている。あまりの数の多さから、英雄は複数人を示すのが通説。この国における常識を、民から“英雄”と呼ばれる男自らが語った。しかし、噛み締めるような言い方の中には、あたかも自分だけを特別視するような高慢さはまったく感じられない。シュリクライゼさんはすぐにその理由を明かしてくれた。


「貴方が師と仰ぐハリウェルさんの受け売りです。私は立ち止まってしまいそうな時、いつもこの言葉を思い出しています」


 はっ、と目蓋をこじ開けられる。何度も口にしていそうなのに、どうしてか彼の意志を感じなかった。あたかも彼が信じたいと願っている――そんな言葉であるような気がしたのだ。


 強さの象徴たる彼であっても縋るものがある。それが自分の人生に大きな影響を及ぼした者だと思うと、途端にシュリクライゼさんが近く感じた。


「あなたにも、立ち止まる瞬間は、あるんですよね」


「恥ずかしながら。今も、まさに」


 俺は彼を英雄視するばかりで内面をまったく見ていなかった。本質を知りさえすれば、恨みを抱えた人間とだって折り合えると学んだはずなのに。あの谷で無力を痛感したのは俺と変わらない。


「誰しもが英雄……か」


 彼が言うから説得力に欠けるとは思えなかった。むしろシュリクライゼ・フレイミアという一人の人間が“英雄”と呼ばれても尚、その言葉を信じ続けたという事実が大切なのだ。


 いかに“英雄”などと言われても、彼だって同じ人間だ。誰かの言葉に救われ、励まされ、ようやく前を向いて自らの責務と向き合っている。“英雄”は最初から“英雄”ではなかった。俺の助けが必要な開拓者たちと何ら変わらない、人なのだ。


「まだ失くしていないのなら取り戻せます。どれだけ自分を責めようと、後悔に立ち向かえるのは自分自身だけです」


 まだマイが死んだとは限らない。魂を取り戻すことさえできれば、必ず目を覚ます。


「そう……ですよね」


 とうの昔。戦う力が無いと知った時に、一番なりたかった開拓者という夢を諦めた。そしてそこに諦めを置いて来たからこそ、ドゥーマを封印することができたのだ。どうせ一度は諦めた人生――そう思うことによって、ルミー・エンゼはようやく前に進める。どんな無茶だってできる。


 これを狂気と呼ぶならそれでも良い。だけど今の俺の背中には、俺を救ってくれたマイの人生がかかっている。少女の行動が無意味でなかったと証明できるのは俺だけなのだ。


「俺は、支援者なんだ」


 支援者は助けることが役目。それが助けられただけで終わったら、俺は夢を諦めた過去にも、信じてくれる誰かにもおのれを誇れない。


 立ち上がって、近くに置いてあったコップを手に取った。その中にある水を頭からぶっかける。冷たい感触が深緑髪を通り抜けて、頭がじわじわと冷えていく感覚があった。靄塗れの思考がクリアになっていく。


 愚か者の奇行を、騎士は無言で見届けてくれた。ぼたぼたと滴る水が落ち着いた頃には、脳内を占領していた黒い靄は僅かにも残っていなかった。


「絶望なんかしてやらない。どれだけ醜くても、泥水を被っても、絶対にマイを取り戻す」


 彼女の運命を助ける――それは初めて出会った時から決めていたことだ。一度でも希望を与えたのなら責任を取る義務がある。これから待ち受けるのがどんな無理難題であったとしても、ルミー・エンゼの後悔を拭うためには諦める訳にいかない。


 マイは託してくれたのだ。俺なんてちっぽけな人間に、あの封し鳥を倒す活路を見出し、信じて。ならば俺は、絶望に抗い尽くしてみせる。


「約束したもんな。きみが暗がりから出たら、必ず呪いは晴れてるって」


 赤い髪に触れた。柔らかに流れる糸に初めて手を置いた時、彼女はどんな表情をしていただろうか。俺はきっと自分でも知らない内に思っていたのだ。マイのための英雄になりたい、と。


 髪から落ちた僅かな水滴が落ちて、彼女の頬を伝う。これ以上マイを泣かせない。過酷な運命に耐え忍び続けた少女に、何としても光を与えてみせる。


「ありがとうございました。シュリクライゼさんのおかげで、道を見失わずに済んだ気がします」


「僕は何もしていません。全ては貴方の持つ強さが導いた結果です」


 謙遜してくれるが、一番欲しかった言葉をくれたのは目の前の青年だ。彼もまた自らの弱さを持つ人間だからこそ、俺みたいな戦わない者の心を後押しすることができる。“英雄”は特別なんかじゃなく、強さへの憧れを持つ人々が呼んだに過ぎないのだ。もしも彼と並び立つのなら、俺は彼と対等でいなければならない。


「もしかして、マイは……」


 彼女が王都に来たことも全て、俺と対等で居たいと望んでいてくれたからなのか。いや、それは今考えるべきことではないだろう。答えを聞くためにも彼女を救い出す。そうして初めて、俺は彼女の心に問いかける資格を得るのだ。


「先程、王国はアルト・ワイ・ヘロスリップの征伐命令を下すと申しましたが……作戦の決行は、あの男が僕に交渉を持ち掛けた日です」


「今日を入れても、あとたったの八日……」


 どちらにしても、それ以上は人質の命の保証もない。解決するタイムリミットはルディナ王によって命令が下される前日まで。魂を囚われた人間にとっては、無慈悲にも一週間の余命宣告が告げられたということだ。


「逆に言えば、その間は王国としては動かないでしょう――ですので、ここからは私情の話となります」


「私情?」


 騎士はあたかも秘密の話を打ち明けるみたいに含みのある言い方をする。


「もしも征伐作戦までに何者かによって奴が討ち取られれば、誰一人の犠牲者も出ません」


「――つまり、残り一週間であいつの“身代わりの呪い”を打ち破る方法を見つけろってことですね」


 シュリクライゼさんは多くを語らず、神妙に頷いた。彼もハリウェル・リーゲルと一緒に居たならわかるはずだ。研究とは実験と証明の試行錯誤。あらゆる可能性を取り上げ、排除していかなければならない。未知の呪術に対して一週間という期限はあまりにも短過ぎる。


 しかし、無理難題だとしてもやり遂げると決めた。ドゥーマを封印したあの日から、アルト・ワイ・ヘロスリップとの戦いは定められていたのだと今なら飲み込める。マイを助けるということは、セアル家が抱える歴史全てと対峙することに他ならないのだから。


「やります。何としても。あんな奴に誰一人の命も奪わせはしない」


 これは取り戻すための戦いだ。あのエセ芸術家と恐るべき“封し鳥”から、囚われたマイと騎士たち全員を解放する。


「貴方ならそう仰ると思いました」


 黒い目はとても満足そうに頷いた。そして病室の扉に手をかけるとこんなことを言い出す。


「ですので、こちらからも強力な助っ人を用意してあります」


「助っ人?」


 シュリクライゼさんが病室の扉を開くと、身を屈めて入ってくる大男。青い髪の下はほんの少しやつれているようにも見えたが、高圧的な目つきは変わらない。見慣れた騎士服ではなく、あたかも平民が好んで着そうな麻生地の装いだった。


「ガルシアン……」


 名前を呼ぶと、彼はまじまじと俺を見た後で実に訝しげな表情を作った。


「……なぜ、かように濡れている」


「い、良いだろ別に!」


 疑問は真っ当だがシュリクライゼさんの気遣いを見習って欲しいものである。


 頼りのない呪術士への協力者は、大敗を喫した【青の騎士団】団長ガルシアンであった。

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