第52話 共闘、再び
現れるなりデリカシーの無さを披露してくれた大男は、濃さの増した俺の緑髪を避けるようにしながら部屋に入って来た。そして深過ぎる眠りに陥るマイを見るなり呆れとも取れる溜息を吐く。
「だから言ったのだ。貴様らでは犬死にだと」
「なんだとっ……!」
掴みかかろうとしたところにシュリクライゼさんの手が伸び、片腕だけで全身を制止させられる。争っている場合ではないのはわかっていた。しかし、マイを侮辱されたことに黙っていられるほど大人ではないのだ。
「騎士たちだって何十人もやられた。お前にマイが侮辱される謂れはない」
「……ああ。そうだな」
タダでは終われない気持ちを正直にぶつけると、ガルシアンからはいつになく覇気のない返事しか返ってこなかった。張り合いを求めていた訳ではないが、こうまで気分の沈んだ大男にこれ以上何か言おうとする気にはならない。彼みたく舌打ちをしかけたところで黒髪の騎士が頓智のごとく言った。
「ガルシアン殿は現在、世間では封し鳥によって囚われた人間とされています」
「……どういうことですか?」
数秒考えても意味がわからず、答えを求めると、問題の当事者であるガルシアンが解説する。
「王国の権威のためだ。俺は王国に長く仕える身……単独で行動を起こしたとなれば、ルディナ王家は部下の統率も取れないと批判を受けることになる」
「じゃあ、あんたも騎士たちを助けるつもりなのか」
渓谷でアルト・ワイ・ヘロスリップと会敵した時、ガルシアンは騎士たちを犠牲にしてでも奴を討ち取ろうとした。もしも彼が再度一度あの忌々しい自称芸術家と相見える機会を得れば、それこそマイの寿命を縮めかねない。そんな警戒が思考を過ぎったが、さしもの騎士団長とてそこまで冷血ではなかった。
「俺としても部下を失うのは本意ではない。騎士たちの覚悟は間違いないが、助けられる命ならば救う。それだけだ」
「信用、できるんだな?」
「俺と貴様の協力関係は、あくまで封し鳥を討伐し、不敬の輩に万斛の恨みを返すことだ。貴様は黙って“呪い”を解いていれば良い」
言い方の悪さはともかくとして、詰まるところ、俺の呪術士としての能力を利用するための決断ということだ。
「わかったよ。今はそれで良い。無駄に言い争うよりも、事態は一刻を争うんだからな」
それならば俺としても騎士団長たる男の力を有益に使わせてもらう腹積もりだ。初めて互いに向けた視線が睨み顔じゃなかった気がする。山吹色の瞳を真正面に捉えながら、握手なんてしない歪な協力関係が結ばれた。
「して、ルミー殿。奴の“身代わりの呪い”を解く手段は、何か思い浮かんでおいででしょうか?」
ヒヤヒヤしてもおかしくないやり取りを至って冷静に見ていたシュリクライゼさんに尋ねられる。どれほど息巻いても首は横に振るしかなかった。隣で聞こえた鼻笑いをさっそく睨みつけると、彼が「でしたら、まずはお連れしたい場所があります」と言って一つの提案をしてくれる。
「以前、貴方とマイ殿にお見せしたのはハリウェルさんの最後の研究資料のみです。しかし、今回は彼の研究室へお入りいただこうと思っています」
「い、良いんですか?」
宝の入った金庫を開けるようなわくわくがよぎる。しかし案内役を務めてくれるであろう騎士はあからさまに視線を落としてしまった。悲しげな表情を見て、はっと理由に気づいた時には時既に遅かった。
「……王は、ハリウェルさんの帰還を希薄なものだと判断されました。そのため、彼の研究部屋は撤去することとなったのです」
“封し鳥”の脅威が明確になってしまったことで、ハリウェル・リーゲルの生存確率は低いと判断したのだろう。無慈悲に聞こえるかもしれないが、むしろ三年もそのままだったと言うのだから王やシュリクライゼさんがどれだけ彼の帰りを切望していたのかは想像に難くない。
「すみません。喜ぶような真似をして……」
「お気になさらず。学問に励む者ならば、先人の知識を学びたいと思うのは当然です。ガルシアン殿もそう思われませんか?」
「ふん、知るか」
歴史学者の側面を持つ彼だってわからない訳ではなかろうに。少しも気を合わせない男に、協力なんて本当にできるのかと不安ばかりが繰り返す。とかく封し鳥を研究していたハリウェル・リーゲルの部屋ならば、何かしらヒントが残されているかもしれないのだ。
「多くは国家機密として王宮内に所蔵されることとなりますが、その前に、貴方を名目上『資料分別係』として招きます」
「その中から封し鳥の手掛かりを見つけられるかもしれないってことですね」
「はい。しかしながらハリウェルさんは部下を作らず、日頃から一人で研究に没頭していました。部屋に入った王国の司書たちも封し鳥に関連する記述は見つけられておりません。あまり期待ができるものではないと思われます」
「見つけられないとしても価値のある部屋です。ぜひ中を見せてください」
「わかりました。では付いて来てください」
騎士たちが部屋を出る直前、俺は少女の寝顔を見た。真っ赤な前髪から覗いていた青藍ともう一度瞳を交わす。そのために、彼女が起こした行動の意味は必ず作り出してみせる。
「誰にも無駄だったなんて言わせないよ。だから、少しだけ待っていて」
返事のない病室の扉を閉めた。タオルを一枚手にしながら王宮内を歩く。誰かとすれ違う度、その顔色は優れなかった。このどんよりとした雰囲気も、全ては封し鳥の存在があるからだろう。王国騎士団が壊滅させられた敵。次はどこでどんな被害を生むかわかったものではないのだから。
そんな中、壊滅した騎士団の長であるガルシアンへ向けられる視線は厳しいものだった。みんな言葉にすることはないが、偉丈夫の背中には哀れみや失望の感情が込められた小さな溜息が聞こえる。シュリクライゼさんが戦場で俺に向けたものの同じ――期待していた瞳と一緒に。
暗澹とした王宮内の階段をいくつも下り、やがてランプを片手にしなければいけない地下にまで入って行く。長く使われていないのであろうジメッとした空気と暗がりの通路を進み、やがて奥には重々しい雰囲気の扉があった。
「この場所は何度見ても気分が悪いな。まるで独房だ」
湿気で落ちてきそうな前髪をかき上げながらガルシアンが呟く。もしも宮廷呪術士になっていたら一日の殆どをここで過ごさなければならなかったのかと思うと、やはり話を受けなかったのは正解だったように思えた。
「ハリウェルさんから聞いたことがありますが、この場所は大昔、実際に凶悪な人間を捕らえていたそうですよ」
「監獄じゃなくて王宮に閉じ込めていたんですか?」
「理由や人までは記録が残っていないのでわからなかったようですが、いわく付きというのは確かです」
黒髪の青年は気でも紛らわすみたいに、いつになく饒舌に無駄話をした。そしてすぐに扉の取っ手を掴んだ彼の手は、心なしか寂しそうだ。
「それでは――ここから先の光景は、決して他言無用に願います」
王宮内の開かずの間が開く。ぎぃ、と高い音を鳴らす扉は、見た目ほど重たくはないようだった。
そしてその先にあったのは、俺どころかガルシアンの身長をも優に超える本棚の数々。紙の散らばった机の上に、インクが染み付いた万年筆が転がっている。黒板にはガルシアンの部屋よろしく地図があったが、どうやらこちらはルディナ王国の地形図らしい。脇にある棚は常識外に引き出しが多く、これも天井に迫る高さだった。
「ここが……ハリウェル・リーゲルの研究室」
何の数奇な運命であることか、俺は昔から彼の背中を追っている。生まれ故郷で読んだ彼の学生時代の文献。そして今は、唯一無二の王宮呪術士として登用され与えられた研究室。不思議な縁を感じつつ、紙の匂いでむせ返った部屋を無言のまま観察する。文字として読むことはできない呪術式が目に映る殆どの紙に記されていた。
また、荒れているのは机の上だけではなかった。床にまでたくさんの資料が無造作に溢れており、足の踏み場はかなり少ない。その様子を見て、綺麗な私室を持つガルシアンが言った。
「なんだ。随分散らかっているな」
「日頃から整理整頓を心掛けていた人だったのですが……彼が見えなくなってからしばらく経った後に部屋に入ったら、ご覧の有様で」
俺はシュリクライゼさんに視線だけで許可を請い、研究室の中を慎重に進んだ。本棚に並ぶ資料を見ると、整頓されていたと言うだけあって殆どの紙が糸で縢られていた。まるで慌てて探し物をしたかのような惨状だがハリウェル・リーゲルの几帳面さはよく伝わる。
ふと、近くにあった一冊の本が気になった。今は見慣れた、しかしつい二か月も前には断片も知り得なかったもの。マイの家、セアル家に伝わる“封印術”に使う文字列の断片が書かれていた。
「凄い……独学で封印術の仕組みにたどり着いたっていうのか」
「ハリウェル・リーゲルは自身が魔術を扱えないにも関わらず、魔術理論の研究だけで魔術学校の首席になった男だ。卒業後は各地を渡って単身、魔術や呪術の研究を行っていたと聞く。貴様のような半端者など及ぶべくもない研究者だろうな」
「その研究を信じなかったのはどこの誰だ」
またお互いの視線の間で、ばち、と火花が散った。どうやらガルシアンはハリウェル・リーゲルを認めてはいるものの、あまり良い印象を抱いているとは言い難いようであった。難しい顔を作って次のように言う。
「奴はその才を見込まれて王宮に召し抱えられた。王やそこの小僧はいたく気に入っていたようだが、あのように無愛想で研究を独占する男を信用し続けて、もしも国を売ったらどうなる」
「ハリウェルさんに限ってそのようなことは……!」
「独占と口が堅いことは違う。仮に奴が呪術を使ってこの国を陥れようとすれば、止められるどころか密告する人間もおらんのだぞ」
シュリクライゼさんの味方をしたい気持ちは山々だったが、一理あるのは事実だ。情報共有する相手が居なければ、国の財産を私利私欲に使われたってわからない。実際、呪術研究に関しては彼に一任されており、他の理解者が居ないことは問題視すべきである。だとしても現状はそんな話をしても仕方がなかった。
「今は居ない人を責めるべきじゃない。俺たちだって、彼の言葉を軽視したからこうなったとも言えるだろ」
ハリウェル・リーゲルは俺にとっても尊敬すべき師である。少しのフォローを入れると、ちっ、という舌打ちがまた聞こえた。
「とにかく手掛かりが無いか探します。暫く時間をください」
「わかりました」
「俺は貴様のような部外者なんぞ信用せん。国家機密になる情報をくすねられては堪らんからな」
「未だに部外者扱いかよ……」
ガルシアンはそう言って俺の監視を務めることを宣言した。戦場を共にし、協力すると言った矢先にこれだ。しかしながらシュリクライゼさんも部屋から離れていない辺り、警戒しているのは間違いないのだろう。国家機密扱いの情報が詰まった部屋だからという理由には納得せざるを得なかった。
それから本棚の資料、そして床に散った資料を何時間探していただろうか。いくつもの未知なる研究、新たな呪術の鱗片を見る度に、知識欲を理性だけで抑えつけるのはかなりの苦痛だった。その間、シュリクライゼさんは時折出入りを繰り返していたようだったが、ガルシアンは微動だにせず俺を見ていた。血が騒ぐ研究の数々のお陰で視線が気にならなかったのが唯一の救いと言えた。
日の入らない部屋でひたすら資料を見ては片付けていく。今日中には終わらないかと考えてしまっていた頃、床に散らばった資料の中にあった一枚の厚紙が目に付いた。
「――これは」
「何か見つかりましたか?」
久方振りに出した声に、黒い目の騎士が聞いた。俺は厚紙に書かれた文字をそのまま読み上げる。
「『魔女の痣に纏わる研究記録』」
『魔女』と『痣』。この二種類のワードはつい最近、同じ人物から耳にしたばかりだ。俺は自らの手の甲を見遣る。右だけに黄色い線で刻まれた呪いの勲章。これが『魔女の痣』である可能性は非常に高いと言えた。
「縢っていた表紙が切れ落ちているだけだ。肝心の中身が無いぞ」
「だけど敵は俺の痣を狙っていた。もしかしたら何か関係があるのかもしれない」
周囲を見渡し、何枚もの紙の間を漁った。二人も協力してくれたが肝心の本文はどこにも見当たらない。
「ハリウェルさんの最後の研究は封し鳥にまつわることでした。もしかすると、その際に資料を持って行ってしまわれたのかもしれません」
「探し回ったから部屋もこの有様ということか。帰って来てから片付けると考えていたなら、あの几帳面な男の行動としても納得だ」
シュリクライゼさんもガルシアンも資料には諦念を示していた。しかし他に手掛かりもない。ほぼ丸一日、この部屋にある様々な文献に目を通したけれど、さっきの表紙以上に今回の件に関連深そうな記述は見つかっていないのだ。
「何か、他に……」
表紙をじっくりと観察した。タイトル以外に目立ったものはなく、紙だってただの厚紙に過ぎない。手掛かり薄かと淡い期待を捨てかけた時に、表紙の裏、つまりは見返しに小さく記号が書かれていることに気づいた。
「暗号。いや、印か」
俺は黒板に貼られていた地図を見遣った。ルディナ王国周辺が描かれた大きな紙の中には、あらゆる場所にびっしりと記号が入っている。
「これだ。この地図に描かれた印が、この表紙と一致する」
記号の内、たった一つを指し示す。騎士たちも指先に焦点を合わせ、俺の言いたいことを察したらしかった。
「つまりこの場所に行けば、封し鳥の手掛かりが見つかるかもしれないということか」
「封し鳥……とまではいかないにしても、あの芸術家の目的の中には俺の痣もあったんだ。関係が無いとは言い切れない」
そもそもあの男の本来の目的についてはわからずじまいだった。内通者でも居ない限り俺が居ることはわかりようがない状況だったし、あくまで『痣持ち』の俺が居合わせたのは偶然で、目的は騎士たちにあったのではないかと考える方が自然な気がする。
とかく、何にも確証は無いが、今はこれしかない。
「行きましょうシュリクライゼさん。ここに行けば、みんなを取り戻すきっかけが得られるかもしれません」
「いいえ。僕は行けません」
意気揚々だった自分の口から、え、という間抜け声が漏れていた。説明を求める前に黒い目がじっと見る。
「先程ガルシアン殿が仰いました。王の近衛を務める人間が安易に離れては、王国の信用に関わります」
「それもそうですけど……」
「ですので、ここからはガルシアン殿と行動してください。そのために、彼は世間から身を隠したのですから」
何だって、と心の声が顔に貼り付く自覚があった。ガルシアンは片眉をひしゃげ、互いに不服そうな視線をぶつけ合ったのだった。
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