第53話 魔女の遺跡


 出立までは早かった。ハリウェル・リーゲルの研究室で見つけた“封し鳥”の手掛かりと思しき場所。そこに向かえば暗中の現状にも希望をもたらすことができるかもしれない。可能性を見つけた翌朝には、こうして草原を駆けていた。切る風があまりにも忙しないと感じるのは、果たして速度ゆえか、気が急いているからか。しかし一つだけ確実なのは、ガルシアンに借りた馬は実に扱いが悪いということ。


「お、おい。あんまり暴れないでくれ」


 手綱を通して指示を送るのは屈強な白馬だ。今まで開拓者に貸し出される用の馬を様々見てきたけれど、その中でも群を抜いて頑健である。骨格はあたかも闘牛のようで、手綱を引く度に体を大きく揺らされて酔ってしまいそうだった。気性が荒いとまでは言わずとも気難しいのは間違いなかった。


 悪戦苦闘する俺に、荷台から低い笑い声が聞こえる。ガルシアンは染物のような青髪を覗かせて言う。


「そいつはの名はクリュウ。│鱗馬りんまと呼ばれる種族で、通常の馬の数倍は強い脚と蹄を持っている」


 聞いたこともない特別な種族だった。いわく、王国騎士団の中でも彼しか乗っていない珍しい馬だと言う。鞍でわかりにくくはなっているが、馬の背や横腹には魚じみた文様がある。それが正しく鱗だとは思いもよらなかった。


「何よりプライドが高く、自分が認めた者や、主の信頼を持つ人間しか背には乗せん。貴様の命令を聞くこと自体がストレスになっているだろうな」


 なるほど、飼い主に似たということか。納得の説明を受けたものだから、もはや怒りすら浮かんでこない。俺は冷静に宥める言葉を選んだ。


「お前のご主人様が乗ってるんだぞ。俺は良いから、飼い主のことを気にかけてやってくれ」


 言うと、クリュウは舌打ちをしそうな勢いでそっぽを向きながらも体を落ち着かせる。しかしさっきよりも鼻息が激しくなったのは間違いなかった。


「精々あとで蹴っ飛ばされんことだ」


「宥めてくれよ……」


 頼りになるのだろうが頼り切れない。そんなところまで飼い主そっくりだ。ただしクリュウの実力は本物で、目的地までは丸一日かかる距離だと思っていたけれど、夕方頃になればかなり近くまで迫ることができていた。後ろの乗客が口を開けば「まだかかるのか?」と言ってこなければ、かなり順調な旅路だと言えただろう。


 草と空でできた地平線。数えるのを止めた溜息をガルシアンがこぼした時、俺の目には薄らと緑と茜色ではない突起物が映った。


「おい、ガルシアン。あれを見てくれ」


「地表が盛り上がっている……のではないな。あれは遺跡か?」


「他に目立つものもない。ハリウェル・リーゲルの記した場所は、あそこみたいだ」


「野営の予定は無しだ。このまま夜通しになってでも探索するぞ」


 身勝手な判断に聞こえても疲労がどうのと言い訳立てている暇はない。頷きで同意を示したら、クリュウを遺跡の近くに停めた。


「悪漢が現れたなら蹴り殺してやれ。人数が多ければ来た道に逃げろ。良いな?」


 ガルシアンは馬から荷台を外す。飼い主の物騒な言い草を、クリュウは言葉を正確に読み取ったかのように首を曲げた。この利口さもプライドの高さを助長する要因なのだろうか。騎士団長に全幅の信頼を預けられている馬を信じることにして、地表に埋まる階段を見下ろした。


 神殿のような柱だけが地上に露出し、内部は地下を掘って造られたと思われる。中の広さは未知数で、本来なら開拓者の探索する領分であろう。


「ドゥーマの遺跡を思い出すな……」


「訳の分からんことを言う前にさっさと足を動かせ」


 不死の悪魔もこういったタイプの遺跡に封印されていた。まさか第二第三の悪魔は居ないだろうが、用心するに越したことはない。いちいち喧嘩腰の態度を取るガルシアンに一枚の呪符を向けた。


「入る前に“暗視のまじない”をかけるためだ。あんたも止まって……」


「要らん。そんなことをしている時間が惜しい」


 言うなり用意していたらしき手持ちのランプを取って砂だらけの階段をじゃりじゃりと踏み始める。そうなれば「へぇ、そうですか」と言って諦める他ない。今は言い合いをしている時間の方が惜しいのだ。俺は自分にだけ“まじない”を施したら、遠くなった大きい背中を追った。


 騎士団長サマはズカズカと進んで行くが、ここまで御者をしていたのは専ら俺である。戦闘員に体力を温存させるのは当然のこととしても、ろくに会話もしない人間から命令されて気分を害すのは人の性だ。とことん相性の悪さを強調されながら誰にも聞こえない文句をぶつくさ言って大きい歩幅に付いて歩く。


 遺跡の内部はアリの巣のように入り組んでいた。分かれ道がいくつもあって、かと思ったら二つの道が繋がったり、四つに増えたりした。外観は明らかに人工物なのにまったくと言って良いほど人間の脳みそに優しくない。


「これだけ枝分かれしていたら、何かあっても見落としそうだ」


「それ以前に迷うことの方が問題だ。道順をしっかり記しておけよ、支援者」


「やってるよ」


 道が分かたれる度にどう曲がったかを手持ちの羊皮紙に記している。ガルシアンがでかい図体で遠慮なしに歩くから書き追いつくだけでも忙しい。だけどここで文句を言われる原因を作るのは、日頃ハリエラさんに鍛えられている支援者としてのプライドが許さなかった。


「止まれ。何か居るぞ」


 しばらくして、いつの間にか数歩先の前方に居た青髪が立ち止まる。暗闇が見えるはずの俺よりも早く索敵した騎士の先を見ると、そこにはあまりに歪な“何か”があった。


 赤子のように頭が大きく、かと言ってヒトと呼ぶにはあまりにも体が細過ぎる。目と鼻と口はあるが頭髪はない。針金じみた胴体から手と足が伸びていて、その内の一本ずつが頭より大きく肥大化した筋骨隆々のものが生えている。そのせいかバランスは取れておらず地面に伏したまま、眼球らしき部分から視線が上へ伸びていた。


 生物と呼べるかも怪しい何かが鳴いた。


「ギィー……」


「な、何だこいつ」


「人……か? いや、それにしてはあまりにも……」


 ぶるぶると震えた喉笛に嫌悪感が酷く駆け巡る。手の平大の害虫を見てしまった時のような――言葉を選ばなければ、這う姿は実際に虫に近い。ヒトと虫を掛け合わせたらこうなってしまうと言われたら納得してしまいそうな風体だった。


「き、気味が悪いぞ」


「ふん。どの道、立ち止まっている訳にはいかん」


「お、おいガルシアン」


 声を揺らすことしかできなかった俺と違い、青髪の騎士はさっきまでと同じ歩幅でずかずかと歩み出た。臆することなく異形の前に立つ。


「聞け! 俺は【青の騎士団】団長クロム・ガルシアンである! ルディナ王の名のもとに、その場を空けてもらおう!」


 謎の生き物を見下げる形になって、騎士は高らかに名乗りを上げた。


「ギッ、ギャイィッ!」


 すると異形は叫びながら、くっついたみたいな大きさの腕や足で跳躍する。不気味な体躯からは想像がつかないような機敏さで、蜘蛛が飛ぶようにガルシアンへ襲いかかった。


「命知らずめ」


 騎士は静かな罵倒を呟いた。彼の視界は暗がりのせいで殆ど見えていないはずのに、飛来する唾液さえ躱して異形の真横に回り込む。そして背負う形で携えていた巨大な剣を両手で抜いた。


「ぜぃッ!」


 獰猛なまでの気迫を前面に押し出しながら彼の頭上まで振り上げられた剣が降下した。鉄の雨が降るかのごとく異形の体を捉え、その胴体と思しき部分が空中で真っ二つになる。血に見える体液がぶわっと吹きこぼれ、汚れた地面にびちゃびちゃと糸を引いて広がった。その上に、少し遅れて異形の体が落ちてくる。びく、びく、と流れる体液のリズムに合わせて奇妙に跳ねていた。


「さすが騎士団長だな……」


「それは俺に対する愚弄か? この程度、当然だ」


 素直な賛辞すら快く思われない。実に褒め甲斐の無い男に対して暗闇で舌を伸ばしていると、あの音がした。

 

「キャッ、ギャイッ……イッ」


 上半身には巨大な腕。下半身には腫れ上がった足。別々になったはずの体は動きを止めることはなく、奇怪な声がずっと残り続けている。


「お、おい。こいつらまだ生きてるぞ」


「体を両断されても生きているとは……なんて生命力だ」


 歪な生物はぐちゃぐちゃになっても跳ね続ける。眼球はこちらを向いているようだったが、感情は何一つとして読み取ることはできなかった。


「せめて元よりも醜い姿を晒さないようにしてやる」


 無情な言葉にも聞こえたが、今だけはガルシアンに賛同していた。腕や足が無いのとは訳が違う――まるで生物として不完全にされたような形に、気味の悪さよりも哀れみが勝っていたから。俺はいつの間にか、振り下ろされる騎士剣から目を背けていた。


 流す液体も無くなった頃、異形はようやく動かなくなった。だけどさっきまでののたうち回る様子が嫌でも脳裏から離れてくれない。気味の悪さに比べたらガルシアンとの会話の方が何倍もマシに思えて、気を紛らわそうと話を振った。


「この先にもあんなのが居るのか……?」


「知らん。だが、ハリウェル・リーゲルはここに何かしらの目星をつけていたのだろう? 呪術士が興味を持つような場所がまともだとは思えんな」


「……あんたみたいな人が居るから呪術士の肩身は狭くなるんだよ」


「ふん」


 鼻を鳴らして文句を吹き飛ばしたガルシアンは再び大股歩きで遺跡の奥に歩き出す。付いて歩く時、俺は不用心にも後ろを振り返ることができなかった。



 結果から言えば、異形の数は一匹に留まらなかった。行く先々に別の生き物のパーツがくっ付いたような歪な生命が横たわっている。時には跳ねることすらできず、自ら身動きの取れないものまで。ガルシアンはその全てに剣を突き立てていった。


 異形たちの体液の臭いが鼻奥にこべりついた頃、前方から再び「止まれ」という声が聞こえる。しかしさっきまでのような流暢な口調は聞こえず、黙ったままのガルシアンに違和感を覚えた。


「何だ? また……?」


「いや、違う。さっきまでとは比べ物にならん」


 ガルシアンから漂う緊張感も、異形を前にした時とは明らかに違う。


「奴は何だ」


 俺たちの視線の先にあったのは人影だった。たっぱだけで言えば大柄のガルシアンにも劣らない。じっと目を凝らすと、“暗視のまじない”によって開けた視界が信号を脳に送ってくれた。


 人間の男と思しきその人影は、纏った兜や鎧が錆びていて全身が鈍色だった。目がぎょろりと目立ち、鼻は高い。頬の痩け方は健康とは程遠く骨張ってしまっている。紫がかる唇はこの遺跡を極寒の地とすら思わせた。


 しかし、ガルシアンが呈した疑問が男の奇妙さを示していないことはすぐにわかった。なぜなら、あらゆる錆びた金属の中に、この十日前後で見慣れてしまった小さな紀章が一つ。同じ物を持つガルシアンは、俺なんかよりもずっと早くその存在に気付いていた。


「なぜあの鎧に、王国騎士の紀章が付いている?」

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