第54話 鈍色

「ルディナの騎士がどうしてこんな場所に……」


 俺たちは同様の疑問をぶつけ合った。依然沈黙したままの鈍色の騎士を前にして、俺はガルシアンに問うた。


「見覚えのある顔か?」


「いや、俺の知り合いにあんな顔色の奴はおらん」


 彼はばっさりと切り捨てる。兜の下は恐怖に怯えた者のように青白い。男は血色が悪いどころではなく、ちゃんと血が巡っているのかさえ怪しかった。僅かに覗く首元の血管はどす黒くて、アルト・ワイ・ヘロスリップの呪術式を思い起こす。


 男の視線だけがこちらを捉えていた。兜に隠れてあまり見えないが、首の向きが確実に俺たちを敵視している。互いに黙ったままでは埒が明かないと思ったのか、ガルシアンは異形と対峙した時と同じように名乗った。


「我が名は『青の騎士団』団長、クロム・ガルシアン! 調査のためにこの遺跡へ参った! 道を空けろ!」


「……」


 先の異形たちと違って音すら発しない。団長サマは自慢の気の短さで眉を寄せた。


「退かぬなら押し通るぞ!」


「……」


 男は無言のまま腰にある柄を握る。騎士の前で剣を取ることがどういった意思表示になるかなんて、“英雄の国”と呼ばれるこのルディナ王国では子どもでも知っていた。つまり、立ち会いの申し込みだ。


「あいつ、やる気か」


「面白い。陰気臭い場所で侵入者を排除しようとするのなら、この先にはそれなりの何かがあると思って良かろう」


 ガルシアンはくじ引きで当たりを引いたかのようにニヤッと口角を広げた。話し合いよりも一戦交える方が手っ取り早いと思ったのだろう。背中に手を伸ばし、そこにある剣を引き抜いた。


 彼の剣は大きな背に見合った両手剣である。しかしかの渓谷では片手に持って振っていた。騎士と言うよりは粗暴者の剣技と言えたが、騎士団長を担うだけの実力は本物だ。


「何者か知らぬが……王国騎士ガルシアン、参るッ」


 宣言とともに猛進する巨漢。初手から両腕に力を込めた、大上段から真っ向勝負の一振り。対して鈍色の騎士は抜き切った細身の刀身を横にして、両手による防御を試みた。


 石造りの遺跡の中で、金属が弾ける音が鐘のように鳴り響く。両者は競り合いになるが、押し込まれる角度が明らかにガルシアンに分があることを告げていた。まるで鉄パイプと木の枝ほどの差があるようにしか見えない。パワーの差は瞭然だった。


 重い一撃によって謎の騎士はじりじりと追い詰められている。しかしガルシアンはそのまま押し込むのではなく、競り合っていた剣を押し退けて上段に構え直した。


「ふぬぁッ」


 もう一度叩きつけると、鈍色の騎士の剣が悲鳴を上げて真っ二つになった。乱れることすらない青髪は造作もないと言わんばかりの笑みを浮かべ、両手剣は三度持ち上がる。


 ガルシアンの三撃目が騎士の頭上から降り注ぐ。圧倒的な力の差で、決着は一瞬だと思われた。


 その時、騎士の体が眩く光った。


 短く動揺の声を上げたガルシアンの目の前から鈍色がかき消える。霧の粒子みたいに広がった騎士の体は刹那の間だけ見えなくなり、そして現れた――ガルシアンの後ろへと。


「後ろだ!」


 見えた瞬間に叫んだが、光のような速度で移動した鈍色は既に攻撃の姿勢を整えていた。先程叩き折られたはずの剣はいつの間にか元通りになり、まるでさっきまでの攻防が無に帰したかのよう。


 横薙ぎの剣がガルシアンを捉えた。その大きな背中に赤い線が長く刻まれる。


「ぐっ!?」


 しかし彼もただやられている訳ではなかった。こちらも振り向きざまに剣を振り抜き、後ろに回った鈍色の鎧を捉えようとした。


「……」


 しかし騎士の姿が再び粒子になって消える。ばちっと火花が散るような音がすると、道の奥に再びその姿を現した。無論、ガルシアン決死の一撃は掠りすらしていない。


「瞬間移動だと……!?」


 彼は目の前で起きた奇妙な現象に心底驚いている。しかしそれ以上に、ガルシアンの呼吸を一気に荒くした深い傷が心配だ。


「ガルシアン、傷は!? 大丈夫なのか!?」


「黙っていろ支援者!」


 上下に揺れる青髪が逆立つように吠える。剣を構え直し、無表情を貫く鈍色の騎士をもう一度捉える。


「俺は王国騎士クロム・ガルシアン……!」


 その名を語るのは、果たして何の決意の表れだったのか、俺にはわからない。ただ感じ取れたのは、男にとって譲れない意志を孕ませた名乗り上げだったということだ。


「王の矛たる俺が、そう何度も――負けることなどあってはならぬのだッ」


 片手の五指を広げ、鈍色の騎士に向けて突き出した。瞬間、敵を囲うようにして地面から噴水が沸き立つ。封し鳥との戦いでも見た“水盾”と呼ぶ水の膜。それが垂れ幕になり鈍色を隠した。


 あの水幕の中、騎士が何を考えているのかはわからない。ただし影だけは確かに残っていて、先の瞬間移動による脱出は試みていないようだった。それを好機とし、逆立つ青髪が猛進する。


「ぬうぅおぉぉッ!」


 殆ど浮くような動きで、両手剣を携えた体が切迫した。そして自ら生み出した“水盾”ごと巨大な刃が叩き斬る。水を割り、ガルシアンの斬撃は確かに鈍色を捉えた。肩口から袈裟斬りに。溢れ出した血液が赤い染料となって溶け、彼の背以上の傷が露わになった。


 勝利を確信した一撃。青の騎士団長からは白い歯が覗く。深手を負いながらも敵を屠る猛然な騎士の姿が戦いの幕を引く、はずだった。



 再び騎士の体は粒子になった。今度は移動することなく、その場で鈍色の騎士の姿が生成される。砕けた鎧は、新品のまま錆びてしまっているようだった。


 ――また、傷がない。


 斬り裂いたはずの体はまたも無傷。動きを止めることすらなく、鈍色の剣が勢い良くガルシアンの腹部を貫いた。空気が巨漢の中で激しく振動する音が響く。


「かっ」


「ガルシアン――っ」


 鈍色の騎士は刺した剣を持つ逆の手で巨体を引き抜き、蹴り飛ばした。大きな体が丸くなることなくこちらに向けてごろごろと転がって来て、血の跡が道を引く。慌てて駆け寄ると、ガルシアンは体を突き刺された時のショックと、打ち付けた頭部への衝撃で意識を失っていた。


 すぐに助けようとしたが、鈍色の視線に足が止まる。


「……」


 動く気配はない。それどころか血が付いたままの剣を鞘に落として直立不動になる。


「助けろって言いたいのか」


「……」


 考えてもみれば、瞬間移動が可能な相手だ。斬られるならとうに斬られている。敵にどんな意図があるにせよ、戦えない俺には助ける選択肢しか残されていない。力の抜けた巨体をやっとの思いで担ぎ上げると、肌に伝わる冷たさと自分の体温の差にぞっとした。治療を急がねば、彼は間違いなく命を落とすだろう。


 俺は敵に背を向けて逃げ走った。思ったよりもずっと速度の出てくれない足に苛立ちが募る。


「死なせないぞ。あんたが居ないと、この先に進むことなんてできないんだからな」


 ちらと後ろを振り向いてみると、やはり人影が追ってくることはなかった。鈍色の騎士はこの場所における番人のような者なのだろうか。まるでガルシアンのことを試すようにすら見えた鈍色の目は、道中に居た異形たちとよく似ている気がした。

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