第55話 クロム・ガルシアン
※――――――――――――――――――――――
油断して眠りにつけば、あの悪夢が蘇る。呪いなんて馬鹿げたものは大して信じていないが、もし仮にクロム・ガルシアンにかけられた呪縛があるとすれば、繰り返される悪夢こそがそれだ。
十六歳の誕生日を間近に控えた時だった。俺は貴族として王都に生まれ、両親と二人の弟、そして妹とともに暮らしていた。生活は実に裕福で、幼い頃から剣を習い、日々魔術学校にも通う。由緒あるガルシアン家の人間は武芸と学問の比翼を持つことが求められる。俺は長男として、特に剣術と歴史学を学んでいた。
ルディナ王国の歴史を勉強する上で重要になるのが“英雄”、“開拓者ギルド”、“王国騎士”の三つの要素。三者は歴史の転換点には必ず名を連ね、この国を動かしてきた。粗暴な開拓者たちと実力ある王国騎士を束ねた者の中に“英雄”と呼ばれる者の存在があったようだ。
しかし肝心の“英雄”は明確な形を持たない。歴代の開拓者のギルドマスターも王国騎士団長も名前くらいは伝わっているのに、英雄だけはまるで何かを隠すかの如く、不自然なまでに名が残っていないのだ。
俺はそんな不確実な奇譚よりも、荒くれ者の集うギルドよりも、王国騎士という形ある憧憬を目指していた。この国における正義の象徴。両親もそれを望んでいたはずだった。
――あの日までは。
剣術訓練の帰りのこと。いつもと違って明かりを灯していない家に入った瞬間、床が滑る感触がした。足を上げると粘性を持った赤黒い液体が糸を引いて持ち上がる。鼻に残る異質な鉄の臭いの先に、ぐったりと伏す両親の姿があった。
「父上、母上っ」
すぐに二人の元へ駆け寄った。しかし既に息は無く、体から漏れるのは血液だけ。俺は絶叫した。
家の人間は一人残らず惨殺されていた。使用人も料理人も含めて。弟たちの死体も見つかり、悪夢の如き惨状を受け入れざるを得なかった。
「サルコ……ゴルド……」
抱えた弟たちの体はまだ温かかった。もし少しでも早く帰路についていたならばという後悔と、ここに居るべき幼子が一人足りないことに気づく。
「イェーナ……どこだっ!?」
妹はまだ片手の指の数にも満たない年齢だ。体も小さく、もしかするとどこかに身を潜めているかもしれない。犯人の魔の手から逃れているという希望を抱いて、すぐに彼女が自室として使う部屋に飛び込んだ。
そこに男は居た。手には何かを握り、血塗れの口を咀嚼のために動かしていた。臓物を食っていたのだ。空になった胃から得体の知れない嫌悪感が覗く。こんな人間が存在するのかと現実から目を背けたくなった。実際、心の中で「これは夢だ」と唱え続けていた。
腸が伸びた先には、原型を留めていない死体があった。窓から入り込んだ夕焼けが部屋を照らし――見覚えのある服のフリルが風に揺れている。
「……あ」
いつの間にか腰に帯びていた剣が手にあった。その日ほど、日々の辛い訓練の帰りだったことを喜んだことはない。
「コろス」
自分が何て言っているかなんてわからなかった。ただ明確に、ナイフを持って飛び込んできた目の前の男をどれだけ苦しめることができるかを考えていた。服と壁に新たな鮮血が溢れる。一度赤が飛び散った箇所に、上からどす黒いスプレーを吹きつけるが如く犯人の体を切り刻む。しばらくして騒ぎを聞きつけた隣人が見たのは、挽き肉のように散らばった死体を踏みつける俺の姿だったと言う。俺はそんな光景を覚えていない。記憶にあるのは目眩がするほどに充満する血臭だけ。
後に、男は王都近隣を拠点にしていた連続殺人犯だと知った。警備を担当していた騎士たちは何度も奴を取り逃し、俺の家族と使用人以外にも七人を殺していたらしい。やり場を失った怒りは誰かを恨んでいないと気が狂いそうになった。
「騎士に……騎士に、何の意味がある」
民を守れない騎士に存在理由なんてない。憧れていた者たちの無力さを目の当たりにして、家族も、そして夢さえも失った。
葬儀を終えてから居る意味の無い家を捨てた。こんな場所で家主を名乗っても虚しいだけだ。第一、家族を守れなかった男が主など名乗れるものか。
路頭に迷うように、覚束ない足が嫌な臭いを辿って進む。金網を越えた先は貴族が拒否反応を起こしながら嫌う汚れた石畳だった。
スラム街。俺の浅知恵の中では最も悪党が集う場所。上等な生地を纏う大男はさぞ異物に見えたようで、すぐにチンピラたちが目をつける。
「何だお前」
「俺は、この国の悪を滅する者だ」
最初は笑い声が聞こえた。なんだこいつ、頭おかしいんじゃないのか、と。間違ってはいない。俺は頭のネジがいくつか飛んでいたのだと思う。ただ、存在証明がしたかった。家族が希望を託していたクロム・ガルシアンが何かを成すことで、彼らの死は無為ではないと誰でも良いから知らしめたかったのだ。
初めはスラム街の一角から。次に犯罪者が寝床にしている倉庫。そして縄張りを持つ人間の住む家屋を狙う。八つ当たりの恨みが向かう先に、自分の死が見えることなんて厭わずに。鍛え上げた武力だけで制圧を続けた。
そんな生活が二年続いた頃には無法地帯を殆ど掌握していた。不衛生な飯や数日に一度しか入れない風呂も段々と慣れてしまい、俺はとっくに貴族としての威厳を失っていた。しかし「元々無いものだ」と思えばこの生活も悪くない。不思議なことに、悪鬼のような俺を見て付いて来たがる者は多かった。何でもスラム街の荒くれ者たちの中にも、退廃した雰囲気に嫌気がさしていた人間が一定数居たらしい。王国から見放されたこの場所を変えるためには、どうやら圧倒的な力が必要なようだ。
俺に付いてくる者はいつしか三十人規模の大所帯になった。やがてその内の一人が「組織の名前があっても良いんじゃないかと」言い出す。俺は組織化した覚えはなかったが、彼らの中では既に“ここ”が一つの居場所となっていたようだ。
「青髪の頭だ。シンプルに【青の自警団】で良いんじゃねぇか」
「好きにしろ」
俺たち【青の自警団】がスラム街を制圧したことによって、犯罪の温床だった場所はすっかり様相を変える。昼の人目は危険を遠ざけ、夜闇に紛れて悪事を働く人間は減る一方になった。ほんの少しの優越感。空っぽになっていた心の隙間を埋めるには十分過ぎた。殺伐とした油断ならない日々が家族を失った悲しみを紛らわせてくれる。寝込みを襲おうとする別勢力の連中すらも気持ちを昂らせる食材でしかなかった。
そんなある日のことだった。どこで嗅ぎ付けたのか、俺たちのアジトを突き止めた十数人の王国騎士が無遠慮に入って来たのだ。俺含め、スラム街の住人たちは動揺を隠せずに居た。この捨て去られた無法地帯に王国が介入するなど只事ではい。しかし、彼らの言い分で状況は一変する。
「スラムのはみ出し者が出て来たせいで、王都での犯罪が横行している。自警団は早急に解散せよ」
「なんて身勝手な……!」
騎士たちに怒りを滲ませる仲間。しかしそれ以上に憤慨していたのは俺だ。
「お前たちが本物の“騎士”だったなら、元よりこんなことはしていない……!」
家族を失った日に気づいた騎士の無力さ。それを知らしめる良い機会とすら思えた。ろくに手入れもしていない錆びた剣を握り、高らかに叫ぶ。
「奴ら如きに俺たちの正義が止められるか。迎え撃て!」
敵の数はおよそこちらの半分。戦いになれば負ける道理は無いと思っていた。実際、鈍い斬れ味によって幾人もの騎士を裂傷とともに無力化していく。しかし俺たちはどこまでいってもゴロツキでしかなかった。別働隊の騎士たちが急襲してきたことで戦況は簡単に瓦解した。
「散開せよ! 各個撃破し、あの青髪の男に我々の的を絞らせるな!」
統率された戦力の前に【青の自警団】はすぐにバラバラにされた。俺は街を駆け回り騎士たちを倒していったものの、戦果は最初に見た人数より明らかに少ない。やがてスラム街で一番大きな広場にたどり着くと、聞き覚えのある声がか細く鳴いていた。
「頭ぁ……」
広場の方々で、連れてこられた味方の喉笛に騎士剣の先端が突きつけられている。既に抵抗の許されない体にされて弱々しく救いを求めている。人質を用意した騎士の一人が俺に向かって叫んだ。
「投降せよ! さもなくばここに倒れている者たちの命を奪うことになるぞ」
まったく、これが騎士の所業とは聞いて呆れる。これではスラム街の人間と何も変わらない。
「――守る者を見失う訳にはいかん、か」
俺は剣を捨てた。だが誇りは捨てない。目の前の男たちと同じようになってたまるかという意地だけが俺にそうさせた。両手を大の字に広げると、騎士たちは飛びかかるようにして俺の体を押さえつけた。すぐに剣の腹が側頭部を打ち据えて倒される。
「頭ァ! 頼む、反撃してくれ! オレたちはあんたのためならどうなっても良いんだ!」
耳に届く仲間の声を断絶し続けた。彼らの覚悟はとうに知っている。だが、守るべきものを違える訳にはいかないのだ。頭たる俺が守るべきは彼らの居場所。貴族が民のために命を擲つ覚悟を持つように、一本筋だけは揺らいではならない。
無限の拳と足が雹みたく全身を打ち続けた。唇が切れ、肩の骨が外れ、腹の肉が抉れる。無言で痛みを受け入れ続ける中、俺はいつしか意識を失った。
※
起きた場所の天井は酷く濃い灰色をしていた。首だけを持ち上げると、鈍い痛みが体中を襲うのと同時に、目の前には極太の鉄格子が見える。両手首には鎖が繋がれていた。
ここはきっと監獄だろう。王国騎士に楯突いた俺は牢屋にぶち込まれた。そう考えるのが妥当かつ合理的な事実だ。足元にはこれまで食べたことの無いような汚い色のオートミール。砂塗れの靴で踏み潰されていて、おそらくは誰かの嫌がらせの類だ。
しかし俺は、こんな物でもスラム街ではご馳走であることを知っていた。足を伸ばして皿を取り、動物よろしく限界を迎えていた胃に詰め込む。すると鉄格子の向こうから笑い声が聞こえた。監視の男が随分と愉快そうだったので、ひと睨みしてやるとそいつは「ひっ」と声を上げて黙り込んだ。
「優秀なガルシアン家の者だと聞き及んでいたが……他の囚人たちと何ら変わらぬな。まるで狂犬だ」
そんな言葉が降ってきて、俺は再びギッと睨みつけた。しかし力ませた眉間は驚きに緩んでしまう。高圧的で人を見下すような視線の上に、この国で最も輝く冠があった。
「ルディナ王……!?」
この国の民で知らぬ者は居ない。「先代の悪いところだけを継いだ」とも言われる“置き物の愚王”フェアザンメルン・ヘロ・ルディナ。一国の王である男がどうしてこんな牢獄に居るのか。疑問などとても解消させてくれないまま、ルディナ王は偉そうに語る。
「貴様の敗因はおのれの力の過信と甘さだ。騎士たちが捕らえた者達にはそれなりの力があった。冷静な指揮能力さえあれば、チンピラの寄せ集めでも王国騎士団に遅れを取らなかっただろうに」
飛んできたのはまさかの説法だった。何を、と言い返したくもなるが、責められているのが俺自身の欠陥だと理解してしまうと暴言も飲み込むしかない。もしここで反論をしたら、それは仲間に責任を押し付けるのと同義だからだ。押し黙った俺に対し、ルディナ王は突然こんなことを言った。
「今の騎士団は弱い。貴様一人を捕えるために行った所業は、まるで蛮族のようだったそうだな」
「ああ。あんたご自慢の兵士たちは、随分情けなかったぞ」
せめてもと嫌味で返してやると、監視役の騎士が鎧を鳴らして立ち上がった。ルディナ王は騎士の憤慨を片手で制し、俺に問う。
「国に抗ってまで守りたいものがあるのか」
そのどこまでも俗世から離れた発言が鼻についた。俺は唾を吐きながら無視を決め込む。
「クロム・ガルシアン……貴様の素性は調べさせてもらった。家族を皆殺しにされたそうだな?」
しかしルディナ王の言葉が全身を沸騰させた。出来合いの決意を引き千切らんばかりに鎖を伸ばし、鉄格子越しの男に顔をぶつけようとした。骨よりも硬い棒で頭を割りながら、この国の権力に牙を向ける。
「お前如きがっ……!」
戦いもせず、高みの見物をするだけの傍観者を睨み付ける。現状の騎士団の腐敗の源は、間違いなく主たるこの男にあるのだ。黙って俺を見下すだけのそいつに向かって叫ぶ。
「この国が平和ボケしているせいで、俺の家族は死んだ! 今さらお前に何ができる!?」
ルディナ王は突如、足を折って膝立ちになった。そして冠を置き、縛りつけられる俺と同じ高さに頭をつけた。土下座だった。俺はあまりの驚愕に呆然としていた。
「いけません王よ! 一国の主がそのようなお姿を……!」
信じられない光景を見た看守が遅れて駆け寄った。しかし王は触れようとする騎士を払い除けると、顔を沈めたままこう続けた。
「綺麗な服と冠で何が守れる? 私が唯一焦がれた男は、どれだけ生傷と返り血に塗れようと、剣一本でおのれの信念を守り通してみせた」
低く響いた声は威圧感を孕んでいる気さえした。牢獄の土を舐める王などどこに居よう。当代の王は傲慢かつ私欲に満ちた愚王だと罵る貴族もいるというのに。
「この国には貴様の強さが必要だ。いずれ訪れる危機のために、私にその身を委ねてくれ」
「そんな都合の良い話が……!」
「私はこれまで、この国を傍観するだけの置き物の王だった。だがあの日、私の中にある世界の全てが一変した。憧れた姿をなぞるためには、私は何一つも足りていないのだ」
地べたに伏してもなお失われていない気品の向こうに、雄々しく逞しい剣士の影を見た。
「ルディナを強き国にする。その信念のためならば、私の命など安い」
這い蹲る威厳の塊。一国の象徴たる男が若輩のチンピラ崩れに頭を下げている。汚らわしい牢獄の中で馬鹿げた妄想を語って。
呆れるような景色だ。もしも“英雄”と語られるような存在が居るのだとしたら、このように醜く足掻いた末にその称号を得るのだろう。それならば名前など残せようはずもない。積み上げた恥の数が人を“英雄”たらしめるのだと確信した。
「――わかった」
どの道こんな場所に居たのでは未来など歩めない。噂話を信じるよりは、目の前の男の行動を信じよう。
「俺が騎士団を変えてやる」
憧れをなぞることができないのなら、創れば良い。王国騎士団はスラム街を支配していた自警団を丸ごと抱えてしまった。囚われていた【青の自警団】は全員解放され、【青の騎士団】と名を改めた。
※
初めこそ「愚王」だ「血迷った王」だと罵声を上げる者も居たが、【青の騎士団】が次々と牢屋を埋める度に異議を唱える者は少なくなっていった。彼の汚名は【青の騎士団】の活躍とともに払拭されていったのだ。
ルディナ王はやがて“英雄”とまで呼ばれるシュリクライゼ・フレイミアを見出し、ルディナに戦争を仕掛けた南国を撃退する。国同士の争いは滅多にないことだったが、これが国民の信頼を勝ち得る決定打となった。
この王ならば国と民を守れる。隣で振るわれる鞭を見続けるほどに、それは確信へと変わっていった。彼が王である限りルディナ安泰は揺るがない。信頼はとうに間違いのないものだった。
――しかしつい最近、疑問を感じさせる一件があった。
「王よ、なぜですか! なぜそのような者を宮廷に引き入れようとするのですか!」
俺はかつての自分を棚に上げて叫んでいた。国家転覆を目論んだキッグ・セアルの陰謀。それを防いだ立役者だという男を“宮廷呪術士”に任ずる。ただそれだけの話ならば看過したものを、今回の件に関してはあまりにも危険が付き纏い過ぎるのだ。
「先代の王が聞いた例の予言……『滅びの遣い』は緑の髪をした男なのでしょう! もしもルミー・エンゼが予言の者だとすれば、危険は計り知れません!」
数十年前、王が子どもだった頃に、ある一人の“預言者”が大広間に残して行った言葉があったという。まだうら若い少女にしか見えない“預言者”は堂々言い放った。
――いずれ世界の未来は暗く閉ざされる。『滅びの遣い』は、緑の髪をした男だ。
“預言者”の言葉は絶対。本来そのように凡俗な話が王宮でまかり通るわけがなかったが、その者だけは事情が違った。ハッタリに聞こえる数年後の災害や飢饉を予見し、明日の天気すら一度も外したことがない。先代の王は詳細を尋ねようと彼女を引き留めたが、翌朝には来賓室はもぬけの殻となっていた。以来、王国は法螺話にも聞こえる“預言者”の言葉に脅かされ続けている。
「クロム……心配は有り難いが、だからこそだ」
王は公の場で無ければ俺をファーストネームで呼ぶ。十五年以上の関係値は単なる主と従者で片付けるには深くなり過ぎていた。それ故に今回の判断には異議を唱えるしかない。
「ルミー・エンゼが本当に予言の男だとするならば、いざという時に我々の見えぬところで暗躍させる訳にはいかぬ」
「監視するために、宮廷呪術士の任を与えるつもりなのですか」
「そうだ」
「近くに置くにしても、もう少しやりようがあるでしょう!」
いっそ身柄を捕らえ、身の潔白を証明させてから働かせれば良い。今のルディナ王国の力は脆弱だったあの頃とは違う。どれほど強大でも打ち砕く力と、民衆が信頼とともに委ねる権力がある。
「クロムよ、私は少しだけ期待してしまっているのだ。あの“破剣”のクイップが打ち破れなかった怪物を倒したという男に」
この国で唯一騎士の叙勲を拒んだ開拓者。その伝説は、王がこの国の在り方を見つめ直すこととなった出来事だ。ただしフレイミアの倅によれば、ルミー・エンゼは何の変哲もないただの支援者だったと言う。戦いの土俵にすら居ない人間が開拓者を超えるなど、全くもって信じられるはずがなかった。
しかし王は違う。彼は実際に“破剣”のクイップが戦う姿を見て、純然な戦闘力において上に立つ者が居ないと思っている。もしもかの伝説を凌駕する者が居るとするならば、彼自身が見出した“ルディナの英雄”シュリクラゼ・フレイミアか、戦う力とは違う何かを持つ者だけだと。
「もしもルミー・エンゼが『滅びの遣い』だとわかったその時は……クロム、お前が斬れ。例え私の命が危ぶまれようともな」
「そんなこと……!」
「シュリクライゼはこの国の盾。そしてクロム、貴様はこの国の矛だ。ルディナに仇なす者へ冷徹に裁きを与える……貴様にしか頼めぬ仕事だ」
王は国民に安寧をもたらす存在。そして、失うものを持たない俺は『奪う』ことを定められた騎士だ。本来あるはずだった貴族や家のしがらみがないことで、他の者に比べて立場に縛られることが少ない。天涯孤独を嘆いた日もあったが、もし俺にルディナ王国に尽くす運命が定められていたのだとしたら、きっとあの日に焼き付いた屍の数々は必要なものだったのだろう。
「明日、王宮へくるルミー・エンゼをよく見ておれ。例え私が気に入ったとしても、決して貴様だけは気を緩めるでないぞ。そして、もしも私の判断がルディナを危ぶめると思った時には――」
覚悟の決まった表情は、牢獄で俺に這い蹲った時と全く同じだ。
「私ごとルミー・エンゼを叩き斬れ」
王は本気でこの国のことを思っている。出会った時と何ら変わらない信念を持って、ルディナ王国を強き国にしようとしている。かつて彼が憧れたたった一人の背を追いかけて。
「……御意に」
そんなどこの馬の骨ともわからない者に、決して王の命を危ぶませたりはしない。この国を統べることができるのは彼だけなのだから。
※
走馬灯のような長い夢から覚めた。実際、死の淵を彷徨っていたのかもしれない。体を貫く鉄の感覚を思い出して胃が気持ち悪かった。重い瞼を開くと、視界の先には緑色の髪に襟付きの外套を羽織るなよなよしい男がいた。そいつは俺に気づき、厚みのない胸を撫で下ろす。
「起きたか?」
「……支援者」
俺はまた負けたのだ。そしてこいつに助けられた。『滅びの遣い』である可能性がある男に。はっきりと屈辱を口にしてやろうと思ったら、支援者はやたら早口で捲し立てた。
「傷は治した。違和感は残ってるかもしれないけど、血は出てないから大丈夫だ」
言われ、痛みが消えているおかしさに気づく。背中と腹部に負ったはずの大傷は若干の跡を残すだけで嘘のように無くなっていた。万病を治すとさえ言われる国の医術士をも超える謎の力。その正体を聞こうとした時、目の前で緑の髪が大きく揺れた。
「お、おい」
「悪いけど、少し寝かせてくれ。“呪術治療”で、使う体力は凄いんだ」
言うなり支援者はぶっ倒れて眠ってしまった。鞘に納まったままの棒切れがカランと反響しながら地面へと落ちる。
「……見張りをしていたのか」
どうせ誰にも勝てはしない癖に、剣なんぞ持って。自らが対処し切れない危険に遭遇した時、真っ先に逃亡するのが支援者という人間たちだと聞いていたのに。思えばこの男は、俺が鈍色の騎士と刃を交えている間も戦場を離れようとはしなかった。
「支援者とは思えんお人好しだな。死ぬのが怖くないのか」
緑髪の男は周囲の音を一切拾わないくらい深い寝息を立てていた。まだ若いとは思っていたが、寝顔になると本当に子どものようである。少なくとも『滅びの遣い』という物騒な称号を与えるには、随分と気が抜け過ぎていると思った。
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