第22話 一蓮托生
※
「……い、……ミー! 起……ろ、おい!」
全身が大きく揺さぶられる感覚。人の手が力む感触が伝わるのは肩だろうか。うつ伏せに這った体が異様に怠く、冷たい土の匂いが鼻孔をゆっくりと抜けていく。
「ルミー!」
自分の名前を聞き取れた瞬間が覚醒の合図になった。若い声が切羽詰まったように降りかかっており、気絶する直前の光景が鮮明に過ぎる。垂れ下がった紅の髪が、背広を纏った男に担がれ連れ去られて行く。
「マイっ!」
筋肉が動くようになった腕で全身を持ち上げると、後頭部が何か突起物を捉えた。直後に「いだっ!」とさっきの声が叫んで状況を悟る。後ろを振り向いた先には全身を砂埃で汚したトウマが鼻を抑えていた。
「わ、悪い」
「この恨みはいずれ返す……それよか今はこの状況だ」
こもった声で恨み節を言うトウマに手刀を切ってから辺りを見渡した。空にはほんの少し欠けた月が浮かび、木々が微細に揺れる音しか聞こえない。
キッグ・セアルの襲撃があってから数時間が経っていると思われる。乗っていた馬車は荷台こそ無事ではあれど、馬たちは頭部を失っていた。そのどれもが首に一律の綺麗な断面を描いている。
「クイップさん、どうして……」
俺を昏倒させ、マイを連れ去ったのは紛れもなくあの老剣士だ。王国と共存するギルドの信頼を得ている彼が、なぜ国家転覆を目論むキッグ・セアルに協力するような真似をしたのか。
「なぁ。あれってやっぱり、クイップさんの仕業なのか?」
「……? やっぱり?」
「あぁ。実は俺もさっきまで向こうの天幕の中で気絶させられてたんだ。一瞬の出来事で何が何だかって感じだったんだけどよ……その時に偶然見えたのが、クイップさんの着てた背広によく似てた」
段々と俯いて話すトウマが不憫に見えてならない。彼は俺よりもクイップさんに憧れや敬意を抱いていた。だからこそ【ソラティア】で学ぶこともあると思っていたに違いない。しかし、もしも俺たちの見間違いでないのなら、彼の行った行為は――
「裏切り……だよな」
彼は明らかに襲撃に加担する形で行動を起こしていた。そしてこれが以前から計画されていたのだとしたら、キッグ・セアルの部下たちが急接近できたことにも頷ける。夜の巡回にはクイップさんも参加していたのだから。
――辻褄は、合ってしまう。
信用を預けていただけに、信じたくはない事実だ。だが現実から目を背けてしまってはそれよりも大切なものを取りこぼしてしまう。今は、俺が救うべき人がいる。
「聞いてくれトウマ。マイが連れ去られた。俺は追いかけなくちゃならない」
「お、おい正気か? きっとここから遺跡の方に向かったら、まだアイツらが戦ってるぞ」
「だからこそだよ。マイを救出して、すぐに離脱する」
真正面から会敵してしまえば、戦えない俺では数分も持たずに殺されてしまう。だが逃げることだけに注力すれば少しは策と呼べるものもあるのだ。さらにこの暗がりなら姿を隠し易く、勝算はある。
「――っ。あぁー! わかったよ! それなら俺も付いて行くぜ」
さっきまで信じられないといった表情をしていた彼は、急にボサボサと茶髪を漁って言った。俺は驚いて思わず声を大きくしてしまう。
「トウマは戻るべきだろ? お前も俺も殺されていないなら、天幕の中にはまだ無事な支援者も居るはずだし……」
「うるせ! お前一人じゃ、どうせ無茶ばっかするだろうが。ここで死なれたら寝覚めにハリエラさんの氷塊が飛んでくるっつーの」
「なんでハリエラさんが出てくるんだ……」
「とにかく! さっさとマイちゃんを連れてこんな所オサラバするぞ!」
言うなりトウマは立ち上がり、俺たちが本来向かうはずだった遺跡のある方角を向く。視界に広がるは夥しい木片や血の数々だが、どうやら死体は最初の爆発に巻き込まれた開拓者たちと斬られた馬のものしかないようである。
「やっぱり、あの爆発に耐えられた人は居なかったか……」
「それも実力のうちだ。開拓者なら、これくらいの覚悟はあったはずだ」
「……わかってる。トウマ。危ないと思ったら、すぐ引き返せよ」
「どの口が」
忠言はそっくりそのまま返されたようである。もし息のある人が居れば助けたかったが、命を失った人間にはいかなる治療も意味を成さない。打ち付けられる現実に奥歯を噛み締めることしかできないのだ。一瞬立ち止まってしまい、その様子を心配そうなトウマに見られた。
「気に病んでたら、この後助けたいものも助けられなくなる。全部終わったら弔ってやろうぜ」
「……あぁ」
後悔しても仕方のないこととはわかっている。それでも開拓者が亡くなるのは、心のどこかでおのれの無力さを痛感させられた。俺は両頬を強く叩いて、この時だけは彼らのことを忘れさせてくれと願う。そうして天幕の中に転がっていた自分のポーチと剣を引っ掴み、トウマと共に夜の森を駆け出した。
森は実に代わり映えの無い景色が続く。木の種類は広葉樹一本で、それがこの森一帯を埋め尽くしているというのだからどれだけ手つかずだったのかがよくわかった。肌に触れる空気には湿度を感じられ、森林火災が起こりづらかったこともこの繁茂の要因なのだろう。木々が豊かなのは一刻を争う現状では実に厄介だ。
「あの木、さっきも見なかったか……?」
日が落ちて方角を失ってしまえば、ここは天然の迷宮とすら言える。誰かに見つからないために慎重になっているおかげで目的地には近づいているはずだが、トウマのような疑問を抱いてしまうのは当たり前だった。
「一応違う木だろうな。ほら、あっちの木が倒れてれる」
もう一つ、俺たちを助けてくれる要素が時折見られる戦いの痕跡だ。倒木や武器の破片、幹に付着した血などが道標になってくれている。しかし頼りにするほどに、自分たちがどれだけ危険な場所に向かっているかも再認識してしまうのだ。
「多分、キッグ・セアルは遺跡に向かってる。それを追う【ソラティア】と部下たちの動きが、この森を壊しながら進んでるんだ」
「なぁルミー。そろそろ聞かせてくれよ。そのキッグ・セアルっていうのは何者なんだ?」
トウマに尋ねられたのは当然の疑問だった。クラン共々命の危険に晒されたのだから今さら隠しても納得してもらえないだろう。心の中でマイに謝り、トウマに真実を告げた。
「キッグ・セアルはマイのお兄さんだ。元々マイは、兄の凶行を止めようとして俺に助けを求めてきたんだ」
「なっ!? それじゃあそいつは、妹一人を奪うためにクラン一つを襲ったのか?」
「正確には、多分この石だ」
俺はポケットから刻時石を取り出した。謎の印が施されただけの小さな石。もちろんトウマにもそう見えただけのようで、さらに謎を呈してくる。
「これが何になるんだよ?」
「マイから聞いた話だと、どうやらこれがキッグの計画の障害になる可能性があるらしい。まだ、用途も何もかも不明だけどな」
しかしマイが殺されず、連れ去られたことを考えるとそれすらも怪しくなったと言える。単に石を破壊したければ、アルテナ鉱山までの道中で彼女を襲った理由が無いからだ。
――キッグには刻時石が必要? でも、何のために?
「なるほど、大方読めたぜ。お前らがしたかった調査ってのはこれのことだったんだな」
「あぁ……でも、まさかクイップさんがキッグと通じてたとは思わなかった。今思えば、この遠征に呼ばれたのも奴の差し金だったんだな」
アレス・ミークレディアが【アメトランプ】を訪れた際、クイップさんから直々に紹介があったと言っていた。俺のことを高く評価していた、と。しかし本当の理由は、マイの存在に気付いていたからだったのだ。
ただ不可解なのは、クイップさんがどこでマイの存在に勘づいたのか。最も怪しいのは店に治療を受けに来た時だが、あの時マイはフードで顔を覆っていた。少なくともマイの方には面識が無い様子だったし一瞬で彼女だと断定できた原因がわからない。
「今は過ぎたことでクヨクヨしてても仕方ねぇ。とにかくマイちゃんを取り戻す。それで万事解決だろ?」
「あ、あぁ。でも、実はそれだけじゃないんだ。キッグ・セアルの本当の目的は……」
「おいルミー、止まれ!」
言いかけた言葉を遮って、トウマの腕が俺の行く手を阻んだ。促されるまま一本の木に揃って身を隠す。何が、と視線だけで疑問を伝えると、トウマはくいくい、と首だけで方向を示した。
見える景色の中に映ったものに、はっと息を飲んだ。よもぎ色のベッドの上に横たわるのは全身が赤く染まった男だった。衣服に見覚えはなく敵の一人だと思われる。俺たちは十数秒ほど観察して、やがてピクリとも動かないそれが死体だとわかった。
「方角は間違ってなかったみたいだな」
「地獄行きの馬車なんて、間違い以外の何でもねぇだろ。畜生が」
悪態をついたトウマにかける言葉も見つからない。俺も彼も、開拓者の死の場面に直面したことがないわけじゃない。それだけ危険の伴う職業なのだ。しかし、行く先が地獄だとわかっていて足を突っ込む者など、開拓者だろうが支援者だろうが愚者でしかない。
「『愚行を冒した者には必ずその報いが訪れる』……か。やっぱり言葉の重みが違うな、クイップさんは」
いつかの夜に聞いた老剣士の言葉が鮮明に思い出せる。この先に進むことは、まさに悪鬼羅刹の苦難と相対することを意味しているのだろう。俺たちがいつ目の前の骸と同じに成り果てるか――その最悪の天秤との、勝負。
周囲に人が居ないことを確認してから、トウマが俺に尋ねてきた。
「なぁルミー。お前、本当にクイップさんが裏切ったと思ってるか?」
「……」
「やっぱ、お前も疑ってるんだな」
押し黙ってしまったのは、多分まだ「信じたくない」気持ちが強いということもあるだろう。しかしそれ以上に、不自然な行動が彼の中にはある。
「あぁ。もし俺がクイップさんの立場だったら――多分、支援者も皆殺しにしてると思う」
【ソラティア】のメンバーを躊躇いなく殺害するキッグと違い、彼の襲った支援者側の馬車からは血が流れていなかった。そして、俺に囁いた「申し訳ない」という言葉。もしかすると、彼は俺たち支援者だけでも逃がそうとしているのかもしれない。
「俺やルミーが生きてるのが、あの人をまだ信用させる理由か。皮肉かよ」
「どちらにせよ味方とは思わない方が良いだろうな。早く進もう」
俺は急かすようにトウマの背中を押した。しかし彼はキッグの部下の死体の前で立ち竦むと、体液まみれの体をまじまじと観察した。
「おい、ルミー。この死体……」
トウマが違和感を指し示しながら俺を呼び留めた。男の首は普通じゃありえない方向に曲がっている。加えて顔面は酷く陥没していて目も当てられない。鼻は砕け、眼球が浮き出かけてしまっていた。
「まるで顔を勢い任せに吹っ飛ばしたみたいだ。こんなことができる奴って……」
トウマが言いかけた正体は、突如森の中に響いた轟音にかき消された。あまりの大音量に身を震わせると、次の瞬間、森の奥から何かが飛来した。自分の身長ほどもある影はとんでもない速度ですぐ近くの木に衝突して、ずるりと垂れ落ちる。
それは既に事切れた見知らぬ男だった。先の死体と同じように顔面に重度の傷を負い、顎が砕けて口があんぐりと開いている。
俺たちは突然の事態でありながらも視線を合わせると、男が飛んできた方向に向かって走り出した。これが文字通り『人の手』に寄るものなら、こんな芸当ができる人間はあいつしか居ない。そしてもしも彼ならば、もうその体は――
木の幹に寄りかかっていたのは、この戦場から一番に脱落したはずの男だった。黄金色だった髪は原色を忘れるほど赤黒く染まり、全身のおびただしい量の生傷から命の液体が溢れている。それでもなお、睨みつける嫌悪の表情。
【ソラティア】の副リーダーであるソラウが、獣より鋭い眼光でこちらを見ている。
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