第59話 救う強さ
遺跡を出た俺とガルシアンは王都に戻った。帰り道の御者も俺が務めることになったが、荷台を引くクリュウは行きの時ほど手が掛からなかった。おそらく主の疲れを察したのだろう。俺は何を口にするでもなく、毛並みの良い白馬の配慮に甘える。
王都に着いた直後は一度【青の騎士団】本部へと向かった。ガルシアンに「汚れたまま王宮に入るなんて言語道断」と言われ浴場を借りる。騎士団の建物はあまりにも静かで、初めて訪れた時のような張り詰めた雰囲気とはかけ離れていた。
ガルシアンは言葉にこそしなかったが、きっとかつての景色を取り戻したいと思っているはずだ。いくら騎士たちの覚悟を知っているとは言え、彼らはいくつもの戦場を共にした仲間なのだから。
「お二人とも。お戻りになったのですね」
王宮の目の前に着くなりシュリクライゼさんが姿を現した。見張りからの報告もまだなのに相変わらず凄い直感を持っている。俺は驚かされつつも、頼り甲斐のある制服に安堵した。一方でシュリクライゼさんは訝しげな表情を作り、黒髪と一緒に小首を傾けた。
「……少し仲良くなりましたか?」
「馬鹿を言うな。聞くべきことがもっと他にあるだろう」
「そうでしたね。して、遺跡に何か手掛かりはありましたか?」
俺は自らの右手の甲を差し出す。黄色のラインによって引かれた二本の角みたいなマーク。エセ芸術家が狙っていた正体不明の存在だったが、今回探索した遺跡で謎の一端に触れることができた。
「わかったのはこれが“魔女の痣”っていう代物で、全部で六種類あるということ。アルト・ワイ・ヘロスリップが持っていた痣もその一種。それくらいでした」
「そうですか……やはり簡単には“封し鳥”に対する有効な手段は見つかりませんでしたか」
「いや、そうでもないかもしれん。その男は帰り道で何やら閃いた様子だったからな」
ちらりとガルシアンに一瞥され、迷う。まだ確証を得られないせいで伝えるべきか悩んでいたが、こうまで言われたら伏せる意味もないだろうとありのままを伝えた。
「遺跡で敵と戦った後に、あのエセ芸術家の行動に不審な点があったのを思い出しました。仮説が正しければ、犠牲を出さずに“封し鳥”を攻略できるかもしれません」
「僥倖、ですが……敵とは?」
俺が遺跡の出来事を説明しようとすると、ガルシアンが割って入った。
「それについては近く、王や大臣を交えて話がしたい。あのような場所に騎士の身なりをした……それも“魔術化”を使いこなすような輩が居たのだ」
シュリクライゼさんは無言のまま黒い瞳孔を大きく開いた。端整な顔に緊張が見て取れる。卓越した魔術を持つ彼であっても不可能だという人体の“魔術化”。あの鈍色の騎士の正体はいつかちゃんとした調査が必要になるだろう。
「わかりました。その者については、いずれ。今は見据えるべき相手は、アルト・ワイ・ヘロスリップです」
倒すべき怨敵の名前に、俺と隣に立つガルシアンの身が強ばった。
「お二人が調査へ赴いている間、僕は奴の素性について調べていました」
彼は頭の中にある書類を掻い摘んで諳んじる。
「男の本当の名はルルー・ジュンシュ。元は貴族であり、王都の魔術学校への在籍経験もある人間でした」
「元?」
「ジュンシュ家には、いわゆる汚職の疑いがありました」
「よくそんな情報が掴めましたね」
「『木枯らし』の手柄が多いところですが、実は王が奴の特徴について覚えがあったようなのです」
今度はガルシアンが怪訝な顔を作った。ルディナ王に長く仕えている彼でも芸術家には見覚えがなかったはずだ。男は窶れていて年齢が読めなかったが、老人と呼ぶような皺もなく、もしかしたら俺とも大して変わらないのではないかとすら思う。王に見覚えがあるとはどういうことか。
「当事者は奴の父親です。ガルシアン殿がご存知ないのは仕方の無いことかと」
疑問はすぐに解消され、シュリクライゼさんは俺たちが理解しやすいように必要な情報を付け加えながら言った。
「紫髪の貴族――ジュンシュ家はかなり古くから王国に仕えていた者たちです。しかし先代のジュンシュ家当主が国庫から多額の横領を働こうとしたことが発覚し、貴族位を剥奪されました」
「……当然だな」
「父親が失脚し、子どもだったルルー・ジュンシュは魔術学校でも立場を追われたようです。実技、成績ともに優秀だったようですが……当時を知る者によると、教師による差別的な扱いや、他生徒からの悪質な行為もあったとか」
呪術士の才能があるならば運動能力にも乏しかったはずだ。いくら魔術が使えても、それは周囲の生徒たちも同じこと。子どもに過ぎなかったルルー・ジュンシュが反撃することさえ許されなかったのは想像に難くない。
子どもの頃、生まれ育った村のことを思い出す。俺も周りの人々から煙たがられて嫌がらせを受けることがあった。幸いにして兄が睨みを効かせて助けてくれたけれど、精神的な居場所はどこにも無かった。
「奴の行動原理はルディナ王国への恨みか……」
ガルシアンの呟きに対し、シュリクライゼさんが頷いて肯定する。
ルディナ王国に住まう若者としては、現在の王政に特筆した不満は持っていない。開拓者ギルドへの協力体制や依頼斡旋などは手厚いと感じられることすらある。しかしスラム街然り、国民の不平を完全に除することなどできないのだろう。俺は敵の情報を教えてくれたシュリクライゼさんを見据える。
「それを聞いたところで同情はできません。マイを取り戻すためなら、俺はあいつを殺してでも呪いを解きます」
「……貴方からそう言ってくれて良かった。貴方はもしかすると、敵すら救おうとしてしまうのではないかと思っていたので」
彼の言葉に一瞬だけ胸の奥をつつかれたような気持ちになる。実のところ、思うところが無いと言えば嘘になる。憎しみをぶつけ合う相手でも、それはそれぞれの事情が重なった結果かもしれない。
歯車が噛み合えば理解できる人も居た。それを知っているからこそ、彼自身に罪は無いとしたらこの凶行を理解しようと心が動いてしまう。しかしこの揺らぎがルミー・エンゼの欠点に他ならない。
「全てを救うためには、俺は力不足です。それをドゥーマとの戦いや渓谷での戦いで思い知りました。だからせめて、大切だと思う命には優先順位を付けなきゃいけないんです」
この国で“英雄”と呼ばれるシュリクライゼさんでさえ、俺なんかに自らの弱さを吐露する場面があった。そこで一人で立ち上がることができる人間こそが栄誉ある称号を手にするのだ。逆に言えば、きっと“英雄”なんてのはそんなものでしかない。
ならば何の力も持たない俺は、せめて彼以上の覚悟が必要なはずだ。支援者として働いている内に捨てたとばかり思っていた理想だったが、心のどこかでその覚悟に見ない振りをして逃げていたのだと思う。
「ふん。少しは利口なことを言うようになったが、まだまだ甘いな」
横入りした言葉に唇が歪んだ。何を、と言い返そうとした直前、ガルシアンは「だが」と続ける。
「その甘さで救われた命もあるのだろう。彼らに嫌われたくなければ、せいぜいおのれの持つ強さを見失わないことだ」
「俺の強さ……?」
ガルシアンは言うだけ言ってこの場を離れて行った。言葉足らずでいまいち伝わらないのは相変わらずである。
「やはり少し……いいえ、かなり仲良くなられたようですね」
「……今のを見て、そんな感想が浮かびますか」
「ええ。嘘はありません」
シュリクライゼさんが俺を見ながら苦笑する。俺とガルシアンはようやくまともに会話ができただけだ。あいつが聞く耳を持つようにはなってくれたと言っても良い。当事者の感覚としては、あの気難しさとはおそらく永遠に折り合わない気がしている。納得とは程遠い表情を作っていると、シュリクライゼさんは真剣にこう述べた。
「貴方の持つ強さは、誰かを救いたいと願う心にあるのだと思います。暴虐な信念では成し得ることのない守ることの強さ――それがあったからこそ、貴方はキッグ・セアルの魔の手からマイさんを救い出せたのではないでしょうか」
「買い被りはやめてください。国の守護者様に言われたんじゃ、お世辞でも胸を張っちゃいそうですから」
「お世辞では無いですよ。証拠に……」
言葉を止めたシュリクライゼさんは立ち去って行く巨漢の背を向いていた。すぐに被りを振ってからこちらに直ると、何やら意味深な表情を作って無理やり話を締めてしまう。
「これ以上、過ぎたことは言わない方が良さそうですね」
沈黙を貫く姿勢は固い意思で守られているようだった。俺はと言えば、ガルシアンの背からは何のメッセージも受け取れない。しかしこちらの背を預けることに躊躇いが無くなった程度には深まった関係なのだと思うと、長い道のりを共にしたものだと感心することになった。
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