第20話 開拓者たちの戦闘訓練
遠征は三日目を迎えていた。初日のテルフ襲来以降目立った戦闘は無く、湖を迂回する時も至って安全だった。大所帯で移動しているから襲おうとしてくる獣もなかなか現れない。しかしそれはそれで問題もある。
開拓者たちはただ馬車に揺られるだけの時間が退屈でかなりのストレスが溜まっているみたいだ。休憩と称した戦闘訓練の時間を多めに取って体を動かしているようだが、それでもフラストレーションを解消し切るには至らない。明らかに顔色が悪い開拓者が何人か見えた。
「クイップさんが目を光らせてくれてなかったら、きっと支援者に八つ当たりしてきたんだろうな……」
ソラウの行動をクイップさんに相談しておいて良かったと思う。彼は訓練中の若手開拓者の相手を率先してくれており、彼らの鈍った体をほぐすことに一役買ってくれていた。全力で挑んでも決して倒れることがない“ギルド最強の剣士”が相手だからこそ、この退屈な遠征を凌ぐことができている。俺が安堵の息を放った隣で、茶色の髪がこちらに向かって額を向けた。
「聞いた話じゃ、毎晩自分で見張り番を買って出てもくれてるんだろ? 若手に任せっきりじゃない辺り、やっぱり偉大だな。クイップさん」
「本当に頭が上がらないよ。予定なら今日の夜には『クルエアリの森』に突入できる。まだまだ遠征は長いけど、一旦落ち着けそうだな」
「そういうの、普通は探索が終わってから言うことなんだよなぁ……」
一緒に荷台に腰掛け携帯食糧を齧っていたトウマのぼやきに、同感を示しながらほとほと呆れるしかない。肝心の調査には何一つとして着手していないのにも関わらず支援者たちの疲労は心身ともにピークに達してしまっている。強者相手に獲物を振るう彼らと違って、俺たちは皆一様に日陰に引っ込んで落ち着いた休息の時間を取っていた。
「な? 大変だろ、この仕事」
「二度と関わりたくないよ。常に周囲に気を配らなきゃいけないのに、なんで仲間にまで気を遣わされなきゃいけないんだ」
「ホントなー。せめてもうちょい自由にやらせてくれりゃあ、こっちだってこんなに根詰めなくて済むのによぉ」
クライアントの悪口なんて滅多に言うものじゃないが、俺たちにできるストレス解消はせいぜいこうして裏で愚痴を吐くことだけだ。危害を加えられる可能性がある以上、武力で敵わない支援者の肩身が狭いことは理解している。現に何か陰湿なものを感じ取ったのか、遠くから開拓者の一人がじろりと目を向けてきた気がした。
「……ちょっと黙った方が良さそうだな」
「……あぁ」
揃ってもそもそと口が渇く干し肉を急ぎめに突っ込む。さして美味しくもない物を作業的に食べている内に、開拓者は訝しげな顔のまま仲間の元に去って行った。どうやら地獄耳ではなかったようである。口を塞ぐ物が無くなったあたりで、トウマが何やらわざとらしい口調を作りながら言った。
「『あぁ! 俺一人だけならガツンと言ってやるのになぁ! ハリエラさん直伝の、開拓者の何たるかを教え込んでやるのに!』」
「……それ、なに」
「ルミーの心の声」
こいつにはもう一つほど不味い食べ物が必要だ。さすがに俺だってそんなことは思っていない。今問題を起こせば確実に他の支援者たちにも飛び火するだろうし、何よりマイを助けられなくなってしまう。
マイは開拓者の冒険という未知の世界への好奇心からか他の人よりは多少元気そうだ。今は馬車の奥で、まだ慣れない硬い肉を頑張って噛み切っている。こんな過酷な環境に連れて来た以上、そして助けると約束した以上は、何か明確な成果を挙げてやりたい。
「問題なんて起こせるわけないだろ」
静かに、穏便に。だからこそクイップさんという抑止力になってくれる人を頼った。俺が直接抗議するよりもよっぽど守りたい人たちを守ることができる。今はどんな心の声よりも、結果だけを追い求めることが大切なのだ。
俺たちが下らない会話をしている間に、支援者の男が近づいて話かけてきた。彼もまたトウマと同じように以前から【ソラティア】に協力している古参メンバーの内の一人だ。
「いやぁ、正直あんたが来てくれて助かってるよ。開拓者の注目はあんたと、あんたを連れて来たトウマにばっかり向いてくれてるからな」
途中から話を聞かれていたらしく、彼は悪戯な笑みを浮かべている。どこか調子が良さそうなのは普段通りなのか、はたまた俺たちが助けたとやらの結果なのか。
「おいおい。好き
「わーってるよ。礼は例の件に加えて、ルディナに帰ったらなんか奢るよ」
「いえいえ、そんなお気遣いなく。【アメトランプ】に寄って、ちょっと飲んで行ってくれれば良いですから」
ニヒルな笑みで返してやると、男は「おぉこわ」とわざとらしい身震いをしてから誰かの所に行った。支援者たちは疲れこそ見受けられるが、このように仲間としての不和は無い。開拓者たちの迫害が結果的に仕事を円滑にしている部分もあるのだから皮肉なものだ。
のどかな休息に身を落ち着けていると、突如として巨大な破裂音と振動が内蔵をかき乱した。暴れ出す馬を必死に止める人が居る中、俺は飛び上がった体をぐっと捻らせて、荷台の向こうを見遣った。
行われていたのは開拓者同士の決闘だった。先の攻撃を放ったのは雷を全身に纏う戦士、ソラウだろう。薄手の服装に金属製の物は一切見受けられないものの、電気が放つ光沢がまるで一種の鎧のようになっている。
片や伝説の男クイップ。得物であるレイピアを上段に構えるという特殊なスタイルでソラウを迎え撃つ。剛腕を振るう彼に対して、その細い剣で真っ向勝負を仕掛ける気だ。
「今度は外さねぇ。いくぜぇっ……!」
宣言とともに彼の居た地面が抉れ、雷鳴を伴いながら一歩を踏み込んだ。たった一歩だった。
「……!」
風魔術にも頼っていないはずのソラウの体は、しかしそれだけでクイップさんに到達する。足元に流した雷の爆発力によって推進したものと思われるが、粗暴なタイプの彼にはあまりにも似合わない器用な芸当だ。
果たして、届いたのは右ストレート。クイップさんは寸でのところで上段からの一振りを繰り出し、再び轟音。拳と鍔が拮抗する。バチバチと閃光が散る競り合いはたっぷり五秒も続き、やがて踏ん張りきったクイップさんによってソラウは飛んできた方向に大きく跳ね飛ばされた。
「うぅぉあっ」
ソラウは地面に尻と頭をぶつけながら、ごろごろと十数メートルは転がってからようやく止まった。あれは反動によるものか、反撃か、はたまたそのどちらもか。とかくソラウが片膝立ちの姿勢で起き上がった時には、既にクイップさんが弟子にも劣らぬ神速で、若者の眼前に細剣の切っ先を突きつけていた。
「それまで!」
審判役を買っていたらしい開拓者の一人が高らかに言い放つ。あえてどちらが勝ったとは言わなかったが、それは誰の目にも明らかな模擬戦結果であったことと、副クランリーダーの名誉に対するせめてもの譲歩だったのだろう。衰えなんて言葉とは無縁の実力を見せつけたクイップさんは、あの流れるような動作で細剣を鞘に納めた。
「いやぁー! やっぱクイップさんはハンパねぇッスね。パワーもスピードも段違いだ」
全身土まみれになったソラウが立ち上がりながら言う。圧倒的な敗北を喫したというのに、あんなに晴れやかな態度をしているのはあまりにいつもと印象が違った。あの男はプライドが高く、負けなんて素直に認めないくらい短気だと思っていたのに。そんな俺の無言の違和感を肯定するように、一緒に観戦していたトウマが嫌そうな顔になりながら言った。
「あいつ、自分よりつえー人にはあぁやってヘコヘコしてんだよ」
「……」
どうやらあの調子は平常らしい。ということはクランリーダーであるアレスにも同様の態度を取っているのだろうか。しかしながら、やはりどうにもソラウという高慢な男には似つかわしくない感じがする。
「オレの戦い方、どうでしたか? クイップさんから見て、弱点みたいなところありました?」
支援者を相手にするときの侮蔑的な表情とはまるで違う。クイップさんという真の強者と相対して、本気で向かい、本気で教えを乞うているようにすら見える。色々と思うところはあるが――
「化けの皮」
トウマの言ったこれが一番しっくりきた気がする。人によって態度を変えること自体は悪いことだと思わないが、ここまで露骨だと悪感情を向けられている側としては堪らない。クイップさんに警戒を頼んだ俺が性悪みたいではないか。
クイップさんは少しだけ悩んだ様子を見せてから、やがてとつとつと語った。
「豪快なことは良いが、粗野な攻撃は隙を生む。特に対人を考えるのなら、自身を強化する時のように雷を微細にコントロールする技術を磨くべきだろう」
「っす! わかりました、ありがとうございます!」
びしっとした姿勢で頭まで下げて、本当に別人格でも持ち合わせているんじゃないかとまで疑える。しかしその顔は土埃塗れでも、間違いなくソラウそのものだ。
「強さに従順なのか、それとも素でアレなのか……どちらにせよ、腕っ節が無いと会話にならねぇのは確かだ。妙な期待はすんなよ」
「わ、わかってるよ。どの道この遠征限りだ。期待も何もあるか」
「どうかな、お人好し殿」
うぐ、と空気が喉につかえた。もしかしたら、なんて考えが少しでも頭に浮かぶから、こうして旧知の人々にとやかく言われるのだ。ソラウはマイに危害を加えようとした人間だと認識しておくべきだ。トウマにじっとりとした視線を浴びせかけられる中、向こうでは決闘を終えた二人に話し掛ける影が見えた。
「こっぴどくやられたわね、ソラウ」
ソラウとクイップさんの間に入ったのは、薄藍色の髪を翻す――戦いの行方を静観していたアレスだ。やや口元を緩めているのは、見物先に面白さを見出していたからか。
「どう、私の師匠は強いでしょう?」
「つえーなんてもんじゃねぇな。アンタの剣技が化け物じみてる理由がよぉくわかったよ」
使う技術はまるで違う二人の戦い。そうだとしても力量の差は歴然だったと言えよう。素人目に見ても『あしらっている』という表現がピタリと当て嵌る。いつかにクイップさん本人は自身を老骨だなんて称していたが、彼を越えられる開拓者は一体いつ現れるのだろう。
「私も毎度勝たせてもらえないのよね。偶の一回くらい、膝をついてくれたって良いのに」
「それでは何のための修行だ、アレス。お前も私の弟子ならば、早く私を越えてみせろ」
「耳が痛いわね……はいはい、精進するわよ」
師に睨まれたアレスは厄介事を抱えたみたいにやれやれと両手を振った。『ギルド最強の剣士を超えろ』なんて命令は、下されたからといって成し遂げられるものではない。しかしアレス当人も諦めている様子が窺えないあたり、彼女の潜在能力は未知数だ。その様子を眺めていたトウマが俺にこっそりと耳打ちする。
「見れば見るほどわかんねぇよな。どうしてクイップさんがアレスさんみたいなタイプの人を弟子にしてるのか」
「うん。性格的には真逆な感じだもんな」
自由奔放、傍若無人。アレスに当て嵌るような印象は、厳格なクイップさんにはとても似つかない。共通点があるとすれば『自分の目で見たものを信用する』というスタンスくらい。彼らがどう折り合って師弟関係を結んでいるのか気になるが、それは俺たち部外者が気軽に尋ねて良い問題ではない気がした。
「さぁて! 休憩は終わりにしてそろそろ行くわよ! さっさとギルドから報奨金を頂いて、私たちはもっと名を上げる冒険をするわ!」
彼女の宣言に開拓者たちが呼応して叫ぶ。迫力満点の声に耳をもがれそうになって、俺たちは揃って疲れた顔を見合わせた。
※
その日の夕方、俺たちはとうとう目的地である『クルエアリの森』に踏み入れた。昨日まで走っていた荒野が嘘のように森の木々は鬱蒼と茂っている。
「なんか……嫌な感じの森だな」
馬車の御者を務めていた俺はそう独りごちた。日が落ちてしまい、妙にじめっとした感じだけが残る。そのせいか先程から見慣れない虫なども多く、馬が暴れないように随分気を遣わされる。
王国が手付かずで放置してきたこともあって道のりも険しい。時折巨大な倒木があると迂回を余儀なくされるし、ただでさえ入り組んでいるから進行が遅くなる。先程業を煮やしたアレスが「全部斬り倒してやろうかしら」などと物騒なことを言っていたのは多分聞き間違いじゃないだろう。流石に調査を頼まれた身である以上、思い直して天幕に下がったようだった。
合計四台の馬車は直列に並びながらゆっくりと進む。前方には開拓者の乗る馬車が二台。その後ろを俺やマイ、トウマが乗る馬車が追い、最後尾は別の支援者たちだ。そろそろ夜も近いのでどこかで野営となるだろう。それまでに多少なりとも開けた場所が見つかれば良いのだが。
――そんなことを考えていると、ふと違和感のあるものを見つけた。それは紛れもなく、こんな場所では決して見ることがないと思っていた『人影』だった。
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