第45話 不死伝説は終わらない
ヒト二人を片腕ずつに抱えながら、スラム街の屋根という屋根を飛び移る。道具なんて必要ない。シュリクライゼさんはその身一つで投げられたボールの如く自由自在に宙を舞うのだ。さっきのトンカチ男の時にも思ったが、細身の彼のどこにそんな力があるのだろう。
激しく上下する視界に着地時に揺れる首。目を閉じていても酔ってしまいそうな状況だった。しかし、いかんせん物理的な頭の痛みが酷くてそんなことを気にしてはいられない。地上にある石畳の色が段々と白みを増して行くので、王都の中心に帰って来たことがようやく理解できた。
ものの数分で王宮へ担ぎ込まれると、俺とマイはそれぞれ別の医務室に運ばれる。その時に見えた彼女の横顔はさっきよりも腫れてしまっていた。短くなった髪のせいで、青黒い内出血がよく見える。
――また、守れなかった。
キッグの時もそう。戦う力の無い俺だけでは彼女を守れない。どれだけ自覚しても、受け入れる度に幼い心がズキズキと体よりも痛んだ。
※
スラム街から帰還した後、治療を受けた俺は翌朝まで眠ってしまっていた。無論、今日中に【アメトランプ】へ帰る計画はおじゃん。医者には「こんなに酷い頭で動いたなんて頭おかしいんじゃないか」と言われた。実際俺の後頭部には若干の陥没部があったそうで、当たり所によっては本当に死んでいた可能性があったらしい。
しかし不幸中の幸いと言おうか、ここは名医に事欠かないルディナ王国の中心部。お陰様で痛みは殆ど残っていない。念の為だと頭と上半身には包帯がぐるぐる巻かれているが、これも数日の内に取れるそうだ。むしろ痛みが消えたことで、元気な体とぼーっとする頭が噛み合わなくて気持ちが悪かった。
ストレッチでもすれば脳が覚めるだろうか、と布団から起き上がろうと胸の上まであった毛布を退けた時、ちょうど病室の扉が開いた。その姿が頬にガーゼを貼った少女だと気づいた瞬間に、俺は起こそうとした頭を枕に戻す。
「店主さん……具合、どうですか?」
マイには明朝の頃に一度顔を合わせているのだが、その時は泣きながら心配されてしまった。今までも余程気にしてくれていたのか、はたまた昨日の恐怖ゆえか、優れた睡眠は取れていないようである。隈が濃くなっていて、顔色は俺がルディナ王と会った後よりも酷い。
「だいぶ良いよ。これなら【アメトランプ】に帰れる日もすぐになりそう」
まさか体を動かそうとしていたと悟られれば厳重注意ものだろう。案の定、はだけかけていた毛布はマイによって元の位置まで戻される。彼女はそのままベッドの脇にあった椅子に座し、俯いたまま震える声を振り絞った。
「ごめんなさい。私、また何もできなくて……」
「マイが悪い訳じゃないよ。俺だって油断してた。生きてるだけ万々歳だ」
「でもっ――」
慌ててかぶりを振った俺に、マイが何かを言いかける。しかし言葉が意味を生む前より早く、扉の音が次なる来訪者を示した。
「目覚められて何よりです。ルミー殿」
労いの言葉をくれたのは黒髪の美男騎士だった。今日も公務用の制服を纏い、手慣れた手つきで扉を閉める。俺は寝たまま首だけで、マイは立ち上がって彼に一礼した。
「シュリクライゼさん、昨日はありがとうございました。あなたが来てくれなかったら、俺もマイもどうなっていたことか……」
「こちらとしても不手際でした。騎士たちが変なプライドで護衛を名乗り出ようともしなかった。来賓者に対して非常に無礼な態度でした」
するとシュリクライゼさんは深々と腰を折った。十三歳から騎士だという彼は驕りなんてものを微塵も感じさせず、真心を伝えることに長けている風にすら思えた。
「彼らに代わって、謝罪を」
“英雄”とまで言われる人間に頭を下げられては返す言葉もない。昨日はルディナ王に「詫び」を入れられるし、連行されてからは珍事に見舞われてばかりだ。元よりこちらのミスなだけに、シュリクライゼさんの謝罪も素直に受けかねる。俺は静まる病室に気まずさが訪れぬよう質問を投げかけた。
「王国騎士はみんなあんな感じなんですか? ……あ、いえ。シュリクライゼさんは同じだと思っていませんけど」
「現在この宮殿に駐在しているのは【青の騎士団】と呼ばれる騎士たちです。元々はリーダーであるガルシアン殿が率いていた自警団を、王が目に止めて騎士団に任命したと聞いております」
伝聞形なのは、彼が騎士になるさらに前の話だということを示している気がした。シュリクライゼさんが二十歳くらいに見えるので、おそらくは十年以上前からその自警団は王国に仕えているのだろう。
彼が教えてくれる中で、聞き覚えのある名前があった。
「ガルシアンって、謁見の時に居た青髪の……」
その情報だけでシュリクライゼさんは頷く。マイも青髪という言葉に反応して、王宮前の橋での出来事を思い出したようであった。
熊のような図体に威圧的な態度。睨みつけてくる視線はおおよそ世間の抱く騎士像とは違ったが、元が自警団だったと言うなら頷ける。自警団は自らのテリトリーを侵す人間に対して物理的な排除も厭わない場合が多い。言い方を悪くしてしまえば、国内に潜む無法者たち。
スラム街の人間と違うのは、その多くが上等な教育を受けられる立場に居るということ。生きていくために必死だからではなく、自分たちの信念の下に武器を取る者が殆どなのだ。
「彼らは王国騎士きっての武闘派です。無論、騎士になるためには相応の実力が伴う必要がありますが、中でも彼らは厳しい試験を課せられているようです」
「強さ重視、弱い者軽視……」
「規模の大きな【ソラティア】みたい……」
最近聞いたような話にげんなりしてしまう。『開拓者至上主義』の筆頭だったソラウたち【ソラティア】も弱肉強食を謳うクランだった。最後にはほんの少しだけ折り合いをつけることができたが、それはソラウの事情あってのものである。
ガルシアンという騎士を頭ごなしに否定しようとは思わない。しかし、あんなにも威圧的に出る必要は無かっただろうと考えてしまうのも事実だ。
「元々別組織だったということもあり、彼らは騎士団内での結束力は随一です。しかし彼らが仕えているのはあくまで『王国』。選民的な意識があることは否めません……もちろん、こんなことが貴方がたへの言い訳になるとは思っておりませんが」
「いえ。昨日スラムで襲われたのは、俺たちの注意不足が招いたものですから。シュリクライゼさんは気にしないでください」
「そう言ってくださると助かります」
一頻りの会話が済むと、シュリクライゼさんが複雑そうな表情で、瞬きとともに視線を俺の顔と頭の包帯の間で泳がせる。何かを言いあぐねる様子に俺とマイが目配せを交わした頃、彼は割り切った騎士の顔に戻って語り出した。
「こんな状況になって言い難いのですが……実は、折り入ってルミー殿に内密のお話があるのです」
「話?」
「ルディナ王国からの公式の依頼。そう捉えていただければと」
王国直下の依頼、それも名指しで。突然の状況に聞いておきながら動揺してしまう。つい昨日に宮廷呪術士になるという名誉を断った人間に、今度は一体何を期待しようと言うのか。ぽかんとした俺の表情を察してシュリクライゼさんが二の句を継いだ。
「本当は貴方が宮廷呪術士となった際にお話しようとしていたようです。そうすれば公にこの話ができるから、と」
「もしかして……ハリウェル・リーゲル氏の研究のことですか?」
「その通りです」
平然と言われたのは謁見の際に「国家機密」として扱われた内容だ。つまり、王国どころかルディナ王直々の勅命に等しいということではないか。国という権力の象徴は、立場上どこの馬の骨ともわからない呪術士に自国の研究内容は明かせない。だからこそ王宮に仕えさせ、俺の立ち位置を公然のものにしてしまえば、どんなところからも反発がこない状況にできる。
そこまで理解して、話に追いついていないマイに仔細を告げる。俺が宮廷呪術士に登用されようとしていた訳がシュリクライゼさんの話の中にあるのだと言うと、彼女は納得した素振りで騎士に顔を向けた。
「現在、王国は早急に、優秀な呪術士を探しているのです――ルディナは今、未曾有の危機に陥っています」
未曾有の危機というワードを最近でも聞いた気がする。あれはマイが不死の悪魔に纏わる伝説を語ってくれた時だったか。不穏極まりない状況が連続していて、この世界は何かに呪われているんじゃないかとすら思う。
しかしながら、王国が重要視するほどの話は噂でも聞いたことがない。ギルドの上層部とパイプがあるハリエラさんが頻繁に珍しい情報を酒の肴にするせいで、荒事については結構なツウであることを自覚している。ギルドにも届いていない危険ということが「国家機密」の言葉に一層重みを与えていた。
シュリクライゼさんは満を持してその危機の名前を問う。
「――“不死鳥”をご存知ですか?」
「ふし、ちょう……?」
「はい。『死なずの鳥』と書いて“不死鳥”です。聞いたことは?」
それがハリウェル・リーゲル氏の抱えていた最後の研究。つまり何かしら呪術に関連する存在である可能性が高いということだ。俺はいつの間にか研究者の顔になっていた少女に向きながら言う。
「ありません……マイは知ってる?」
彼女にも思い当たる節は無かったようで首を横に振り否定する。ドゥーマの伝説に関わりが深かったマイならば他の異形も知っているかと思ったが、今回は全く新しい問題に出会ってしまったようであった。
「と言うか、また『不死』か……」
不死なんて特性はそもそも常識的にあり得ない話なのだ。ドゥーマと言いその“不死鳥”と言い、立て続けに稀有な話題が重なっている。偶然とはわかっていても悪い因果を感じざるを得ない。
「実際にドゥーマは不死の性質を有していたと聞いております。あの戦場に居た貴方がたは特に、不死鳥の存在に現実味があるかと」
確かにドゥーマは何度首を飛ばしても蘇る化け物だった。クイップさんの剣技をもってしても絶命には至らず、セアル家の先祖たちが施した封印術を使うことで消滅させることに成功した。
ただし実のところ、未だにあの時の原理を解明し切るには至っていない。偶然の産物であることは否めず、謎を残したままの『刻時石』も失った今、不死鳥とやらも同じ道理で倒すのは難しいだろう。
「俺が居たからと言ってどうにかなる問題だと思えないんですが……」
「それでも、貴方が適任であることは誰もが認めるでしょう。一度は不死の悪魔を打ち破り、ハリウェルさんと同じ呪術士としての素養がある貴方なら」
率直な意見を言ったつもりだったのだが、シュリクライゼさんからの指名は至って揺らがなかった。それどころか身の丈以上の期待を感じてすらいる。どうしてそこまで、と言いかけて、俺は一つの理由に行き当たった。
この事件はハリウェル・リーゲル氏の失踪と関係している可能性がある。だからシュリクライゼさんは、こんなにも熱を帯びて一介の支援者を頼っているのではないか。彼、そして主たるルディナ王も、三年経ったハリウェル・リーゲルの帰還を渇望しているのだ。
「困ったな……」
率直な言葉が口をついていた。俺はこういう視線に強く出るのが一番苦手だ。誰かのために頑張る――単純だけど難しいそのことに真正面から挑む『強い人』。俺は隣に座るマイを見た。もしここで彼の依頼を断れば、あの時マイを助けた覚悟が嘘になってしまう。そんな格好悪いことはしたくなくて、小首を傾げた青藍の視線を追い風にするように返事をした。
「わかりました。俺で良ければ、お引き受けします」
「感謝します」
シュリクライゼさんは今日何度目かの感謝を述べた。“英雄”は頼み事をされる立場にあっても、人に協力を求めることは少ないだろう。有事を一人で解決できてしまう強さを持つ人にこそ、支援者の本領を発揮しなければなるまい。そうでなければ、俺が求める理想像は遠く離れてしまうに違いないから。
「体調が優れれば、今日の午後にでも本作戦の総司令官に会いに行きましょう」
「責任者ってことですか。誰なんです?」
何気ない質問に、黒髪の騎士は何食わぬ顔でバツの悪いことを言う。
「先ほど話をしたガルシアン殿ですよ」
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