第48話 蒼炎――Reinforcement
暗闇に青白い光が灯った。風を受けたようにゆらゆらと広がるのは炎。ぱちぱちと舞い散る火の粉に青の影が繋がって行く。段々と勢いの増した蒼炎は鳥の羽根を象った。
全身が恐慌に包まれる。熱を感じるはずの体にはぞわりと鳥肌が立ち上ってきて、目の前で起きている現象が最悪の事態と呼べることを否が応でも認識した。
「まさか」
その呟きが俺のものだったのか、他の誰かだったのかはわからない。水に落ちたインクのように、暗闇の中には青いカラスとでも呼ぶべき姿が生まれた。青ガラスは嘴があることを確認するみたいに何度か空中を啄んで、やがて顔の半分が埋まるほど大きく開いた。
「アァ――……っ!」
おぞましく、甲高い鳴き声が洞窟内に響き渡る。耳をつんざく音の反響に誰かが言った。
「不死鳥!?」
ガラス玉のような目がぐるりと回る。無機質に見える水晶の瞳が、上も下からもわからないのに、確実にこちらを向いている気がした。
聞いていた話では不死鳥は大翼を持つ怪鳥と聞いていたが、無論、雛鳥のような存在が居たとしても不思議はない。しかし、もしも報告と同じ性質を雛鳥も有していたとするならば。
青い翼が大きく開き、不死鳥が飛翔する。
「全員、退避ーッ!」
しわの深い騎士が叫ぶ。ここは一方通行の穴蔵だ。全員が逃げ場となるたった一箇所の光の方を向くのに、そう時間はかからなかった。
入り口に走る体勢を整える中、指示した老騎士だけは不死鳥の雛に向き直った。炎との距離が最も近かった彼は、鳥の飛行速度に勝らないとわかって剣を引き抜いたのだ。
「ぬんっ」
迫真の掛け声で見事に不死鳥の翼を捉えた。ぼっ、という蝋燭を消すような音がして、斬った部分が一目でわかるくらい綺麗に体が分かたれる。歪な体にされた不死鳥は落ちて、炎は地に消えるはずだった。
「アァー……アァ」
奇怪な不死鳥の声は止まなかった。蒼炎は自分を斬った剣を伝って、纏わり付くが如く老騎士の身を包んでしまう。視界に捉えたのは一瞬だったのに、ぐちゃぐちゃの体で老騎士を這う光景はあまりに鮮明に脳裏へと焼き付いた。
次の瞬間、老騎士は言葉も吐かず、着ていた鎧で地面を鳴らした。あたかも炎が彼のことを支えていたみたいで、体の中にある大事な柱だけをすっぽりと抜かれたように倒れてしまう。隣を走るマイは荒い呼吸の中でもわかるくらいはっと息を飲み、老騎士の最期に悲痛な表情を向けた。
「あれが不死鳥の能力……!」
ガルシアンが言っていた通りだ。触れられただけで植物状態になる特性。さらにさっきの切断面もすっかり元通りになって鳥の形状を維持していることから、不死だってあながち間違いではない。
再生に飛行。加えて一撃必殺の炎。この一瞬でわかったのは、不死鳥はドゥーマが可愛く見えるくらい絶望的な要素を孕む化け物だということだった。
「急げ! 外に出れば“複合魔術”の準備がある。消化してしまえば我々の勝利だ!」
並走する騎士が猛るように叫ぶ。信じ難い光景に足の緩みかけた一団を鼓舞してくれている。俺たちは老騎士の足止めを無駄にしないために一斉に光の先を目指した。砂の匂いが澄んだ空気の清涼感に変わった。
――そして、外に広がっているのは阿鼻叫喚の地獄だった。
峡谷のそこら中に蒼炎の鳥たちが飛び交い、覆い尽くす。駆ける鎧の音と叫び声。それを追随する青い炎の軌跡が月明かりに照らされる空間に彗星を落とし続ける。宙に舞う無数の流星群は星空よりもずっと近くにあった。
「これは……!」
神出鬼没の出現を果たした不死鳥の雛たちが次々と近くに居る騎士たちに襲いかかっていた。他の洞窟からも走り出て来た騎士の後ろから奇怪な鳥が現れる。この世のものとは思えない光景に思わず足を止めてしまっていた。
「なんてことだ……」
「店主さん、まだ後ろから来ています!」
“幻覚のまじない”のあった洞窟に居た不死鳥も外目掛けて飛んで来ている。急いで入口から背を離すと、俺が立っていた場所に炎の壁が生み出されて出入りを塞いでしまった。果たして、不死鳥は炎の向こうで珍妙な声で鳴くばかり。
「越えられるかとも思いましたが……物質を透過することはないようですね」
不死鳥の道を塞いだシュリクライゼさんは冷静に分析していた。不測の事態だというのに、幼い頃から騎士に叙勲された胆力は本物である。鳴き声の止まない炎の向こうを気にしながらシュリクライゼさんは俺を一瞥した。
「ルミー殿。まずは本隊と合流致しましょう。ついて来てください」
彼の指示に従って渓谷を走る。他の探索隊も俺たちと同じ方に向いて駆けており、不死鳥が現れた際の手順ということになるのだろう。密集していく他の騎士の悪態が聞こえた。
「くそっ。何も無い壁から、急に出てきやがった! どうなってるんだ」
“幻覚のまじない”を看破できなかった場所では、不死鳥がまるで土から水が染み出すがごとく現れたことだろう。あのような能力を持っている化け物に不意打ちをされればタダでは済まない。実際、いくつかの調査隊は明らかに人数を減らしてしまっている。
「魔術なら止められます! 寄って来た鳥の進路を魔術で塞いでください!」
「聞いたか!? 総員、魔術を使って炎を塞げ! “
しかし、さすがは歴戦の騎士たちと言うべきか、シュリクライゼさんの言葉を受けてすぐに戦況の保持を続けようとした。数人かが隣接するように横並び、地面からドーム型の水が浮き上がってくる。半円形の水の壁は騎士たちを覆って不死鳥の脅威から騎士たちを守った。
その内側に入り込んだ俺たちの視界は揺れる透明越しに、行く手を阻まれて周囲を飛び回る怪鳥の姿を捉えていた。嘴から足の爪の先まで全てがあの青い炎で構成されている。透けた体の中には臓器らしきものは見えない代わりに、胸の辺りには見覚えのある大きさの石が存在した。
「あれ、刻時石か……?」
水中で目を開いたような視界に加え、動く雛鳥の小さな体を詳細には確認できない。しかし、事前の調査で見つかった刻時石と大枠の特徴は一致している。マイの依頼のために何度も研究した経験が正解だと叫んでいた。
隠していたとしか思えない不死鳥の存在。さらにはかつてドゥーマを封印した刻時石によく似た石。これだけでも間違いのない推測が一つ浮かぶ。
――不死鳥は、人為的に動かされている。
目的も人物も不明のまま。だが、あの無数の洞窟は言わば不死鳥の巣だ。何者かが用意し、加えて刻時石を使って雛鳥を生み出している可能性すらある。すぐにこの状況を打破しなければ好転のチャンスが訪れるのは薄くなってしまう。胸の内にはえも言えぬ焦りが生まれていた。
「ぬうぅえあ!」
一際凄みのある掛け声とともに莫大な水が放たれた。小川の嵩を増やしてしまいそうな量がどばっと広がって、不死鳥たちはそれを嫌うように一斉に広がって直撃を避ける。後ろを振り向くと、後方に居たはずのガルシアンが前線に立って魔術を行使して不死鳥たちに応戦していた。彼の部隊だけは水のドームの外に出て攻撃の手を緩めずにいるのだ。
「予定通り、不死鳥を掃討する! 作戦開始だ!」
雛鳥を追い払ったガルシアンの一声に騎士たちが気迫で返す。戦意喪失などとは程遠い。すると近くに居たシュリクライゼさんが胸に手を当てながら俺に浅くお辞儀をした。
「ルミー殿。暫し護衛を離れることをお許しください。散開する不死鳥を一箇所に集めます」
「ど、どうやって?」
嘘みたいなことを早口で言った騎士は頷きを残し、その身を翻す。驚くべきことに、たった一度の踏み込みで“
不死鳥たちは親鳥でも見つけたかのようにシュリクライゼさんに標的を移した。四方八方を囲んでいた青い炎が彼目掛けて集結していく。しかし“英雄”シュリクライゼ・フレイミアはその胆力で微動だにしない。抜いていた剣を高く掲げ、堂々と立つ彼までもが刀身の一部と化したように見えた。
「“フレイミア”ッ!」
家名を叫んだ騎士の剣先から炎が噴き出す。魔術の奔流は無数の細いリボンとなってぐねぐねと放射され、不死鳥たちを遠く上空へ追いやって行く。燐光纏う炎は天にいくつもの川を描いた。夜はさっきまでの夕焼け色を一瞬だけ取り戻した。
「綺麗な炎……」
同じ系統の魔術を得意とするマイでさえ感嘆した様子を見せていた。やがて炎は収縮し、真ん中が広がった鳥籠型になって無限の雛鳥を封じ込める。見事に有言実行してみせた騎士の背中は誰と比べても頼もしいという一言に尽きる。
このまま次の作戦に移行する。不測の事態だったにしても順調に進む事態の中で、騎士の一人が叫んだ。
「見ろ! 不死鳥が……!」
雛鳥たちにも負けない数の視線が一点に向けて動いた。その先で起きていたのは謎の現象。不死鳥たちが炎の鳥籠の中で互いにぶつかり合っていたのだ。互いを食らわんとばかりに何度も衝突を繰り返して、やがて一匹、また一匹と鳥の形を失っていった。
青い炎は融解し重なって、その大きさが増して行く。時間にして十秒もなかったと思う。やがて雛鳥の姿は無くなって、鳥籠の中でも窮屈ではなさそうな球体が出来上がった。そして蒼炎は最初に見た不死鳥の時のように、新たな翼を生み出した。違うのは、広がる両翼がどんな鷹をも凌駕する巨翼だということ。
「アアァア――……ッ!」
一際大きな奇声が警告中に響き渡る。蝙蝠みたいだった炎から十を超える尾が伸びて、天辺にはトサカと嘴の生えた頭が顔を出した。鉤爪のある足が生えた頃には球体などとは呼べなくなっていた。もしこの生物を表すなら、最近ぴったりな言葉を聞いた――青い巨翼の怪鳥。
「偵察隊が見たのはこれだったんだ」
小さな不死鳥は雛鳥ではなく、全てこの巨体の一部に過ぎなかったのだ。分裂して存在を隠し、時に群れの形から一個体の成鳥の姿へと変貌する。真の脅威を剥き出しにした不死鳥は、何倍にもなった嘴でシュリクライゼさんの魔術の奔流に噛み付いた。
「炎の籠を食い破るつもりだ」
小型化するにも限度があり、ならば破壊してしまおうという思考が見て取れる。鳥籠の枠が一本歪むも、シュリクライゼさんの剣を握る手がさらに力むと、檻に突き返すがごとくすぐに元通りになった。
「良くやった、フレイミアの倅! そのまましばらく捕まえていろ!」
後ろからガルシアンの賞賛と命令が飛んだ。シュリクライゼさんは騎士団長を一瞥すると、閉じ込めた不死鳥の捕縛に集中する。
「総員、“複合魔術”構え!」
集まった騎士の全員が両腕を目の上に掲げた。騒がしかった世界が黙り込む。時折聞こえる不死鳥の叫びも、極限の集中をする騎士団には届かない。
「我ら、ルディナの矛とならん」
発されたガルシアンの言葉で、空中には大量の液体が凝縮されていく。
それは水。一切の混じりがない、純然たる透明。山の湧き水よりも早く、小川の下流よりも緩やかに溜まる。やがて夜空に湖でも描くみたいに、水の塊の周りを無数の氷が筒状に取り囲んだ。それはあたかも不死鳥に続く道のようだ。
「放て――“青の
静かに、そして確かにその音は渓谷に反響した。
圧縮された水が前方へ解き放たれ、氷の道が激流の川と成す。一直線に伸びる水はさながら太陽から伸びる光線のようだった。光が目の前を通り過ぎるのはどれほどの速度だろう。気づいた時には天空を水のラインが割り、シュリクライゼさんが用意していた鳥籠を瞬く間に破壊した。
貫通。そして、衝突。当たり前の事象しか認知出来ない世界で、激流と蒼炎がせめぎ合うことはない。渓谷には崖を破壊する爆発音を轟いて、燐光を帯びた赤い炎と冷たい青の炎が一斉に霧散した。
「ゥアアアアァァ――ッ」
それが不死鳥の断末魔と気づいたのはしばらくしてからだった。あまりの威力に唖然としながら目を見張っていた。冷涼な風に混じって文字通り粉々になった崖の砂埃が口膣に貼り付く。
川べりから斜め上方向に射出されたため、渓谷には森まで貫通したトンネルが出来上がってしまっている。まさに墓穴――さっきまで宵の色を支配していた不死鳥は、跡形もなく消え去っていた。
「本当に一撃で……!」
百人規模の力を束ねた“複合魔術”。これまでに様々な開拓者の戦う姿を見てきたが、破壊力の一点では群を抜いている。ルディナ王国を強国とする由縁は開拓者ギルドだけではないと証明してみせた。
砂煙の止まない世界で、誰の一人も慢心してはいなかった。墓参りのような静けさが渓谷を埋め尽くし、やがて視界がぼんやりと開けていく。他のどんな空洞よりもすっきりしてしまったトンネルの中に、おかしな残り方をする細かな石が見えた。その正体が信じられず、俺は隣で驚愕する少女に話しかけていた。
「マイ。あそこに残ってるのって……」
「あれほどの攻撃を受けても、刻時石は壊れなかったんですか……!?」
百を超える不死鳥それぞれが持っていた刻時石が欠けることなくトンネルの中に転がっている。とてつもない強度――そんな性質があったことはマイも知る由がなかったようだ。何せ母親から託された大切な物を敢えて傷つけようなどとは思うまい。もしくは、刻印の違いはその部分にあるのではないか。
しかし、今は石の謎が悠長に思えるほどの懸念が浮かんでいた。不死鳥の心臓たる刻時石が残っている。それが意味するのは、つまり。
「――醜い人の中でも、唯一美しい瞬間があります」
どこからかそんな声が聞こえた。上擦った発音だけでも口角が大きく上がっているのがわかるほどに上機嫌。この状況において笑う――否、嘲笑うことができる人間などどこに居ようか。
「それが絶望。その
湿り気のある声が言葉を閉ざした瞬間、出来上がったトンネルから炎が巻き上がった。その場に居た誰もが遠くの光景に釘付けになる。鎮火したはずの青が狼煙のごとく靄を生み出す。あたかも反撃を告げるように奇声が再び鳴り響いた。嘴も、鉤爪も、二枚の翼も、全てが元通りになって。
「アアァアァァ――……ァッ!」
艶やかなまでの蒼炎がもう一度不死鳥を象る。ハリウェル・リーゲルの推測は最悪の形で的中したのだ。
「やっぱり、不死の能力は本当だったんだ」
全員がどよめきを隠せずにいる中、先頭に立つ指揮者は盛大に舌打ちをかましてから唾を飛ばす。
「ちぃっ! 総員、第二“複合魔術”準備! 次は確実に仕留める!」
「はっ」
返事はあったが、多くの騎士たちが絶え絶えの息を隠し切れていない。もしもう一度大規模な魔術を使えば逃げることすらままならなくなる。
「やめろ! あれはただの炎じゃない。このままじゃ体力が尽きて追い詰められるだけだ! 魔術を連発するな!」
俺は近くに居た騎士の肩を正面から掴もうとした。しかしその手は届く直前に振り払われ、悪鬼のごとき形相で凄まれる。
「黙れ! 開拓者ですらない我々に口を出すな、支援者!」
「……!」
そうして騎士はこちらを見向きもしなくなった。こんなところでも戦う者と戦わない者の隔たりは、この
「“フレイミア”!」
遠くでシュリクライゼさんの新たな声が響いた。襲いくる不死鳥に対して、今度はお椀型に広がった炎が巨体を捕縛しようとする。しかし不死鳥には人並みの知能があるのだ。もし戦いに有効な手段を選ぶことができるならば同じ手は通用しない。彼の炎が届く直前に、青い炎の扇がぶわっと広がる。
「これでは抑えられない……!」
「くるぞぉ!」
不死鳥は一個体から無数の群れの状態に切り替わった。殆ど全方位からの波状攻撃。あまりにも正確かつ統率された群れの動きは青の騎士団に勝るとも劣らない。持ち前の機動力によってひと塊になった人間たちを攻め立て、瞬く間に渓谷が埋め尽く直される。魔術での応戦で時間を稼ぐことはできるが、無尽蔵の復活を遂げる不死鳥を一匹たりとも仕留めることができないでいた。
「うわぁ!」
やがてどこからか叫び声が聞こえた。最も恐れていた事態――体力の枯渇である。唯一不死鳥に対抗し得る“魔術”は体内のエネルギーの形を変えて外に放出する技術だ。ゆえに使い続けることは全力で走り続けることと同義である。限界を迎えてしまえば打開策どころではなかった。
一箇所の崩れが伝染するがごとく本隊に蒼炎が侵食していく。留まることを知らない火の勢いは容赦なく騎士たちを喰らい、物言わぬ人形へと化していった。
「散開せよ! 六時方向の者は不死鳥の進行を食い止めながら時間を稼げ! 体制を立て直すぞ!」
ガルシアンの新たな指示が飛ぶ。彼はまだ戦闘を続けるつもりだ。不死の恐ろしさは目の当たりにしたはずなのに、力押しで勝てる――否、この期に及んでもまだその性質を信じていない。今度こそ掴みかかる勢いで青髪の大男に叫んだ。
「撤退しろガルシアン! あいつの倒し方がわからない以上、長居するだけ被害が大きくなる! 時間さえくれれば必ず見つける! だからっ」
「撤退など有り得ん! 我々は常に勝ち続けなければならない。ルディナに仇なす者は、どのような犠牲を払ってでも尽くを滅する!」
「ガルシアン!」
言葉を残した大男の影が小さくなって行く。聞く耳を持たない身勝手さに大きく悪態をついた。
「店主さん……」
「あのわからず屋……! くそっ、どうすれば良いんだ」
不安そうなマイに声をかけてあげることもできない。騎士団を頼りにしていたままでは戦況は返らないだろう。曲がりなりにも一度は不死を攻略したことのある俺が、あの鳥のアルゴリズムを解き明かすしかないのだ。
青い炎の群れを観察する。ギョロギョロと動く不死鳥の瞳たち。そのいくつかが同じところを見ている。それはあたかも、俺の方を向いているようで。
「まさか……!」
一つの可能性に行き当たり、俺は騎士たちの間を縫って走り出した。向かう先は味方の居ない森の方面。
「店主さん、どこへ!?」
「試したいことがあるんだ!」
もし勘違いでなければ、絶望的なこの状況に少しの猶予を与えられるかもしれない。徐々に後退する騎士団を追い抜いて集団から一人飛び出した。それと同時に振り向くと、数羽の不死鳥が部隊の頭上を通り越して、間違いなく俺を追って来ていた。
「やっぱり狙いの一つなのかよ……! くそっ、何だって言うんだ!」
俺が持つものと言えば呪術の才能だ。しかし、それならばマイが狙われていてもおかしくない。思えば刻時石を握った時もそうだった。俺とマイの間には何か決定的な隔たりがある。
「この痣か……?」
ドゥーマを封印した後に残っていた角のような痣。走りながら後ろに向かって右手を握り拳にして突き出した。すると不死鳥がキャアキャアと騒ぎ立てるみたいに鳴いて、正解と言わんばかりに目の色が変わる。
やはり、という得心とともに、一体この痣は何なのだという疑問がさらに深まった。こんな化け物たちに追われるなんて呪い以外の何物でもないではないか。
「どうにかして森の中に戻れれば……」
しかし現実として、シュリクライゼさんのような脚力があればともかく、俺にできることでは森に到達することは叶わない。
考えろ。このまま不死鳥を引き連れて遠くまで離れさえすれば本隊が撤退する時間を稼ぐことができる。そうすれば自ずとマイも逃げられる道理だ。どんな無茶だと知っていても、ルミー・エンゼは一度不死を打ち破った人間。今回だってきっと、どうにかする手段があるはずなのだ――
『ならば貴様のような未熟者を頼ったのは、余程の人選ミスだな』
ガルシアンの言葉が脳裏を掠める。心の脆い部分を的確に射抜くような記憶に無理やり蓋をしてひた走った。
駆け上がる段差は途方もなく感じる。高低差を無視する不死鳥の群れはあっと言う間に近くまで来ていた。森に辿り着く前にやられる――せめて遠くへと次の階段を踏もうとした時、森から星よりも明るい輝きがかっと光った。
「うわっ」
突然のことに目が眩む。そして次の瞬間、掛けられていた階段の下何段かが鉄の悲鳴をあげて吹き飛んだ。
驚きに声も出ない。ただ落下する危険を察知した頭が急いで上へ逃げろと命じる。しかし崩壊はすぐそこにあって、木材と屑鉄に巻き込まれながら硬い地面へ叩き落とされた。そこに細かい瓦礫じみた資材が雨みたいにばらばら降り注ぐ。頭や顔を守った腕が鈍い痛みに苛まれた。
「うぐっ……何に壊されたんだ」
体が埋まりかけたところで瓦礫は止んだ。細い体を通して、がらがらと音をたてながら這い出る。幸か不幸か、俺の足ではそこまで高い場所にはなかったようで動けなくなることはなかった。しかし右の人差し指と中指の痛覚は鋭敏になっているし、額から流れた血が鬱陶しく目に入る。
荒い息を繰り返す暇もない。落ちた先には俺を追いかけて来た何匹もの不死鳥が飛んでいる。星明かりではない冷淡な光が追って来た。
「はっ、はぁっ」
踵を返して再び走り出す。土を踏む度に意識が揺れる感覚はしばらく前にも味わった。いつもどうしようもない場面ばかりで嫌になる。朦朧とする頭が、とうとう足に信号を送るのを止めた。
「やっぱ、弱いなぁ。俺」
終わりを悟る瞬間は呆気ないものだと思えた。一人では何もできない。わかっていた失望をこんな時まで再認させられるなんて、なんて残酷な人生か。ドゥーマを倒して良い気になっていたのだ。伝説は綺麗なものではないと知っていたはずなのに。
死を運ぶ鳥が背中を包む。熱を感じることはなかった。今まで味わった苦痛に比べたら幾分かマシに思えて、訪れる永遠の眠りに目を閉じた。
「――」
声がした。同時に、誰かに背中を押し出される感覚。その言葉の意味を理解する前に、倒れ行く視界の中で赤い髪の少女を見た。青藍の瞳に小さな涙を浮かべ、笑っていた。
炎が全てを覆い隠す。蒼く、蒼く――
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