第32話 死にたくない

 空はたちまち暗雲が立ち込め、遠くで雷鳴を轟かせていた。


「あら、やっぱり雨が降るわね」

 水木はリビングを掃除しながら、窓から空を見上げて呟いた。


 体操服に着替えたミス研部員たちは、お昼のバーベキューの準備で、野菜や肉の下処理に励んでいる。


 宇佐美は、勝手口に並んでいる赤い石油缶が気になる。

 灯油はその辺に流すわけにはいかない。自然の生態系を崩してしまうからだ。


 言ってる場合か?


 しかし、合法的に処分するには、業者に頼むか、購入したスタンドに依頼するしかないのだ。

 飯田は簡単に水に入れ替える、なんて言っていたが、無理だ。


 これを、どう処分するか、宇佐美はそんな事ばかりを考えていた。


「まぁいいわ。食堂にガスコンロ置いて室内バーベキューにしましょう」

 水木はそう言って、大きなガラス戸を開け放った。


「先生。これって、灯油? ここに置いとくの危なくない?」

 宇佐美は灯油缶を指さして、それとなく水木にそう話しかけた。


「ああ、それ? それは灯油じゃないのよ。ガソリンよ」


「ガ、ガソリン?」


 ガソリンと聞いて、背筋が凍る。


「な、なんで、ガソリンなんか、こんなところに……」


「ここ、ガソリンスタンドも遠いのよ。いざと言う時の備えなんだけど、確かにそこに置いておくのは危険よね。引火したら大変だわ」


 呑気な声でそんな事を言った。


「後でコンテナに移動しておくわ」


「じゃあ、僕たちで運びますよ。コンテナはどこですか?」

 飯田がジャガイモを剥いていた手を止めた。


「勝手口を出て、すぐ右よ。助かるわ」


「わかりました。宇佐美君、行きましょう」


「ああ」

 宇佐美も肉を切っていた包丁を置いて、手を洗った。


「気を付けてね」

 零子が心配そうな顔を見せた。


「ああ、大丈夫だよ」


 飯田に目配せをして、玄関から靴を取り、勝手口に降りた。


 扉を開けると、水木の言った通り、すぐ右隣に銀色のコンテナがある。

 割と新しく、容量も大きい。

 開けてみると、庭ボウキに、撒き割り用と思われる斧、大きなショベルが入っている。

 灯油缶を二個置くスペースも十分にある。


「どうする?」

「ガソリンはさすがに、そこら辺に流すってわけにはいきませんね」

「匂いですぐにばれるだろうしな」

「そうなったら、即ゲームオーバーですね」


 しばし、コンテナの前で考え込む宇佐美と飯田。


「そうだ!」

 閃いたのは宇佐美だ。


「ショベルがあるよな。林の中に穴を掘って、ポリ缶ごと埋めてしまおうぜ」


「なるほど、いいアイデアです」


 早速、頼りがいのありそうなショベルを手に取り、行先を決める。


「あの辺、木が生い茂ってていいんじゃない?」


「そうですね。行ってみましょう」


 コテージの裏口からおよそ50メートルほど離れた場所は木が生い茂っていて、奥は殆ど見えない。

 およそ18リットルのガソリンが入ったポリタンクを片手で持ち上げ、小走りでそちらに移動する宇佐美と飯田。


 雷はまるで追手のように、ゴロゴロと頭上に迫る。

 空を引き裂くような稲妻が、恐怖を煽ってくる。


「飯田! 絶対に生きて帰ろうな!」

 宇佐美は恐怖を振り払うように、飯田を振り返った。


「はい。もちろんです」


 飯田は宇佐美の顔を見ずに、そう答えた。


「宇佐美君、僕はついさっきまで、自分の命なんて惜しくないと思っていました。生かされているから生きているだけの毎日で、ただ、妹の仇討だけを考えて、毎日過ごしていました」


「バカな事考えんな!」


「はい。今、こうして危険に晒されてるのかと思うと、なんだか命が愛おしくなってきました。生きたいです。僕は美緒が果たせなかった青春や恋を、してみたくなりました。死にたくない。死にたくないです。みんなでまた、バカみたいに探偵気取りで陰謀論を繰り広げ会いたいです。佐倉さんの儚げな横顔をもっと見ていたいです」


「お前、佐倉さんが好きなのか?」


「はい。佐倉さんの事がずっと気になってました。誰にも内緒にしててくださいね。特に零子さんには……」


「わかった」


「宇佐美君は? 恋してないんですか?」


「俺? 俺は……。やっぱり零子が好き、かな。いつも憎たらしい事ばっかり言ってるけど、二人きりの時は案外かわいい所もあってさ。ギャップっていうのかな。金持ちのお嬢様なのに、全然気取ってなくて、嫉妬深い所も、なんだか笑えるんだよな」


「確かに、言えてます。お似合いですよ。宇佐美君と零子さん。僕はずっとそう思ってました。きっと両想いですよ」


「ふふ」


 だといいが、零子はきっと飯田が好きだ。

 そんな事を思いながら、立ち止まった。


「この辺だな」

 空を覆うほど木が生い茂った林の中に、灯油缶を置いた。


「よし、急ごう」

 宇佐美は早速、地面にショベルを入れる。

 土は柔らかく、案外簡単に穴を掘る事ができるような気がした。


 が、しかし――。


「なんだこれ? 木の根っこか」


 地面の中では、木の根が絡み合って、スムーズに事が運ばない。


「変わりましょうか?」


「いや、いいよ。誰も来ないか見張っててくれ」


「わかりました」


 死体を埋める時って、こういう気持ちなのかもしれないと宇佐美は思う。

 誰かに見つかれば一巻の終わり。


 戻るのが遅くなれば不審に思われる。あまり時間もかけられない。

 渾身の力を振り絞って、必死で穴を掘った。


 空からは、パラパラと雨が降り始め、すぐに本降りとなった。

 ボタボタとポリ缶に雨があたる音はやたら大きくて気になる。


 急がなければ――。

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