第30話 フラッシュバック
車はどんどん山奥に進入していく。
目の前をすごいスピードで木々が流れていく様を、ひたすら車窓から眺めている部員たち。
既にスマホを触れない事へのストレスが蓄積され始めている。
佐倉のツイッターアカウントにメッセージは届いていないだろうか。目新しい情報が拡散されていないだろうか?
そんな事ばかりが気になる。
うっすらと霞がかっていた空は色を濃くして、雨の匂いを運んでいた。
「雨が降りそうね。山の天気は変わりやすいから」
水木は少しめんどくさそうにそう言った。
「そういえば、宇佐美君。事故の時の記憶は戻ったかしら?」
同じような風景ばかりが流れる眺めに、飽き始めていた宇佐美は、運転席の水木に目をやった。
「いや。警察の人も何度も訊ねてくるけど、全くと言っていいほど何も思い出さない」
「そう」
その時―――。
チリンと音がして、足元に何かが転がった。
「あっ! 切れちゃった」
隣に座っていた零子が、膝に抱えていた小さなリュックのサイドを気にしている。
「キーホルダー……?」
リュックにつけていたブリキのキーホルダー。梅の花を象った小さな物で、宇佐美はこのキーホルダーに見覚えがあった。どうやらヒモが切れてしまったらしい。
それを拾い上げようと手を伸ばして、急激に頭が締め付けられた。
「あっ、頭が……、痛い……」
目の奥に、針を刺されたような激痛に、思わず頭を抱えてうずくまった。
「大丈夫?」
零子が心配して背中をさすっている。
「大丈夫ですか?」「大丈夫?」
「あら、どうしたの? 山に近付いたから、気圧の変化かしら?」
そんな声が歪んで鼓膜を通過する。
「あああーーー、あああーーーーーー」
痛みで、思わず声がもれる。
見た事もない映像が、脳内に描かれていく。
「キーホルダーだ。あの時……、駅の、ホームで……子供が持っていたキーホルダーが……足元に転がってきて……」
「もしかして、事故の記憶?」
零子の言葉に、どうにか首肯する。
「ああ、あ、あおやま……ゆうと……」
言葉にしようとすると、脳が握りつぶされたような痛みを訴える。
しかし、これは伝えなくては……。
「青山、優斗は、死んだ……って声が聴こえて、次の瞬間、線路に……。あれ? なんで線路に落ちたんだ?」
「宇佐美君。それ以上は、危険です!」
後ろの座席から飯田がそう叫んだ。
「え? 危険?」
「いえ、あの……まだ、本調子じゃないので、無理は禁物です」
飯田は宇佐美の目を真っすぐに見据えている。
その目は、何かを伝えようとしているかのように鋭い。
「ああ、そうか。そうだな」
一旦、記憶を辿るのをやめる事にした。
飯田は、何かを掴んでいるのかもしれない。
もしかして、この車内に、スパイでもいるのか?
盗聴器か? 小型カメラか?
どちらにしても、飯田の指示には従っておいた方が良さそうだ。
リュックから水筒を取り出して、麦茶を喉に流し込み、零子のキーホルダーを拾い上げた。
堰を切ったように、次々と記憶がフラッシュバックする。
そうだ。あれは、背後から誰かに蹴り飛ばされたのだ。宙で体は一回転して仰向けの状態で線路に落下したのか。
目前に迫る電車の隙間で、ほくそ笑むあいつの顔が見えた。
斉賀華絵のストーカー。
間違いない。
あのストーカーと松浦双葉は、同一人物だ。
という事は、同じ方法で斉賀も――。
タイミングが一歩悪ければ、同じ目に遭っていたのかと思うと、背筋に悪寒が走った。
「もうすぐ着くわよ。降りる準備しておいてね」
一人、温度差の違う水木の甲高い声が車内に響いた。
「はーい」
零子がいつもの調子で軽く返事をする。
「はい、キーホルダー」
宇佐美は、拾い上げたキーホルダーを零子に差し出した。
「ありがとう」
「なくさないように、リュックの中に仕舞って置けよ。後で直してやるから」
「うん。ありがとう。これ覚えてる?」
零子は、先ほどのキーホルダーを指先で摘まんで、こちらに見せてきた。
「ああ、覚えてるよ」
「宇佐美も、まだ持ってる?」
「ああ、家にあるよ」
これは、去年の元旦に、零子と一緒に初詣に行った時に買った物だ。
恋愛、結婚、子宝、学業、幸福、色取り取りのお守りがあった中、零子が選んだのは安全祈願の赤い色のキーホルダーだった。
宇佐美が選んだのは金色。
「金運アップ」
そんな事を言ったせいで、確か、零子は宇佐美の事を銭ゲバと言い出したのだ。
「やぁね、安全祈願のお守りが、切れちゃうなんて、縁起悪いわね」
零子は冗談めかして、そんな事を言った。
じゃりじゃりと小石を踏みながら、車は私有地へと侵入した模様。
広い敷地には、コテージのような戸建てがあり、見渡す限りでは、その他に建物は見当たらない。
住むには不便そうだが、たまに遊びに来る別荘なら有りなのか。
「さぁ、着いたわよ」
ギリっとサイドブレーキがかかり、車は完全に停車した。
エンジンを切った水木が、運転席を降りて、天に向かって体を伸ばしている。
部員たちもそれに倣って車を降りた。強烈な土と青葉の匂いが鼻をつく。
「避暑地って感じね。めっちゃ涼しいー」
零子は興奮気味に、そう声をあげた。
水木は、車から5メートルほど離れているコテージの鍵を開けに行き、その後を佐倉と零子が小走りで追う。
宇佐美は車から荷物を降ろす。
背後に飯田が近づいて来て、ひそめた声でこう耳打ちしてきた。
「宇佐美くん。僕が合図をしたら、零子さんと佐倉さんを連れて、逃げてください。来た方向にひたすら走って」
飯田はそう言って、宇佐美のポケットに、そっとスマートフォンを差し込んだ。
「は? なんで?」
「僕は常にスマホは三台持ち歩いてます。それは5Gです。パスコードは1かける6。1が6つです。充電も満タンです。先生には絶対にばれないようにしてください。山の中でも電波は入るので、助けを呼んで、逃げてください。事情は後で――」
飯田の顔はこれまで見たどんな顔よりも険しい。
逃げろとは、一体――――?
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