第39話 幕引き

 宇佐美と飯田は、救急隊員によりすぐさまタンカに乗せられた。

「俺は大丈夫。歩けます」

 と言ったが、そんな宇佐美の言葉は全く聞き入れない様子で、救急隊員は半ば無理やりタンカに乗せた。

 仰向けに寝かされた事で、ようやくズクズクと背中が悲鳴をあげている事に気付く。

 いって~、と声をあげたい所だったが、もはや、どのタイミングでその言葉を言えばいいのかさえもわからない。

 傷口を守るように少し体を横に傾けた。

 背中をベタベタと覆う不快感は血液だろうか? そんな事を考えた瞬間、死への恐怖が襲い掛かる。


 救急車に運び込まれ、緊迫した空気の中、応急処置が施された。

 口元には酸素マスク。

 腕には点滴の針が差し込まれ、傷の手当をしてもらっている。

 別の隊員が、受け入れてくれる救急病院を手配しているところだ。


 閉鎖された救急車の中から、外は見えない。

 サイレンの音で、喧騒さえも遮られ、様子をうかがい知る事は不可能。


運ばれる最中、小言でも言いたげに、眉間を歪めた両親の顔だけが、視界に焼き付いていた。


 ベッドには飯田が仰向けに寝かされて、同じように酸素マスクを当てがわれている。

 意識は、ない。

 明らかに、宇佐美よりも重症だと言う事が伺える。


 宇佐美は反対側の長椅子に腰かけ、酸素マスクをした状態で飯田の様子を眺めていた。


「飯田は、大丈夫ですか?」


 隊員に訊ねると、うん、と頷き、快く返答をくれた。


「煙を吸った事で、呼吸困難になったようだね。意識障害を起こしているけど、バイタルも安定している。肺や喉にどれほど炎症が出ているかだけど、今の所呼吸も安定しているから、大丈夫だと思うよ。君は大丈夫か?」


「はい、僕は大丈夫です」


「無茶したねー。その傷で火の中に飛び込んで友達を助けに行くなんて。火事の現場に後戻りするなんて、御法度だぞ。幼稚園で習わなかったか?」


 隊員は少し厳しい口調でそう言った。


「あー、俺、保育園だったんで」


「保育園でも習うだろ! 今後は、絶対に無茶な行動はしない事! 救急隊員の救助を待つんだ、いいね。どんな時でも、一番守らなきゃいけないのは、自分の命だからな」


「はい」


 そう言われ、初めて自分の無茶な行動を自覚する。



『飯田が!! まだ、中にいるの』

 零子の悲痛な声で、宇佐美は目を醒ました。

 目前には、数台のパトカーが派手にサイレンを鳴らして敷地になだれ込んでくるところ。

 背後は、今まさに炎が活気を帯び始めたところで、半分ほど察した。


 そもそも、水木はこの家を燃やす予定だったのだ。

 いずれ火を点ける可能性はゼロではなかった。

『ネコ娘が……自分で自分に火を……』

 零子の震える事で、全てを察した。


 焼身自殺を図った水木。

 飯田は逃げ遅れ、中に取り残されている。


 ふと気付けば、和重に背負われているではないか。

 この人が助けてくれたのか?

 不思議な気持ちだったが、急がなくては手遅れになってしまう。


 体を翻してその背を飛び降り、みんなが制止する中、躊躇なく炎の壁の向こうに飛び込んだ。

 飯田を助けなければ。その一心だった。

 経験した事のない熱風と異臭が充満するリビング。

 火に包まれた水木が憑りつかれたようにもがいていた。



「応急処置は終わったよ。少し横になって安静にするといい」

「ありがとうございます」


 宇佐美は言われるまま、長椅子に横になった。

 その時。後部のドアが開かれて、母が乗り込んできた。


「あなたって子は、いつもいつも心配ばかりかけてー」

 いつもの小言を言いながら、頭側に腰かけた。


「不可抗力だろ。今日のは――」

 いいかけてやめた。

 反論しても、また小言が増えるだけなのだ。


「みんなは?」

 訊ねると、母は少し大げさにため息を吐いて話し始めた。


「相沢さんと……、佐倉さんだっけ? 目だった外傷はないけど、一応、病院に搬送されるそうよ。親御さんたちはそれぞれの車で救急車を追いかける。それから、水木先生のお兄さん?」


「和重?」


「うん。逮捕されたわ」


「そう。どんな様子だった?」


「特に、抵抗もせず、大人しく警察に両腕を差し出して頭を深く下げていたわ。あの人は何をしたの? 一体何が起こったの?」


「いろいろ。後でゆっくり話すよ。ちょっと疲れたよ。寝る」


 そう言って目を閉じると、頭がグイっと持ち上げられた。

 次の瞬間、右頬に懐かしい温もり……。


 母親の膝枕なんて、どれぐらいぶりだ?


 恥ずかしい。絶対誰にも見られたくない。


 心の中で、今だけは絶対に目を醒ますな! と飯田に念を送った。


「全く……、せっかくかわいい顔に産んであげたのに、こんなにドロドロ、ボロボロになって……、不細工になっちゃって……」


「うるせぇ」


 母親っていうのはほんとにうぜぇし、デリカシーがない。

 息子には何を言ってもいいと思ってやがる。


 母親はどこからともなくハンカチを取り出して、宇佐美の顔をごしごし拭き始めた。

「あら、この傷は何かしら? こんな所に痣があった? あらあら、耳くそが……」


「もういいって!!」

 右手で母親の手を振り払う。


 そして、救急車は目的を持って走り出した。


 ようやく緊張感から解放されて、安堵に包まれる。

 膝枕と、母親が髪をなでる心地よさで、不思議と痛みや息苦しさが和らぐのだから不思議だ。


 アドレナリンによって、変に冴えわたり緊迫していた脳は、ゆっくりと弛緩しはじめて。


 一つ息を吐くと、急激に眠りに誘われた。

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