第3話 飯田一星★恋とは一体どんなもの?

 クラスメイトである斉賀恵斗の死が知らされた日から一夜が明けた。

 飯田一星いいだいっせいの暮らす、ことぶき町から学校までは、およそ10キロほど。

 電車なら5駅。時間にして15分ほどだが飯田はいつも自転車で通学している。

 祖父母の世話になっている身であるため、定期代の負担をかけないためだ。

 生まれつき、軟弱な肉体の鍛錬にもなっていい、と本人は至って前向きである。


 最寄り駅から一つ先のことぶき新町駅の駐輪場に自転車を停めてロックをかけた。

 今日は、この駅から電車に乗る。毎日きっちりいつものルートを通る飯田にとっては、極めて異例の行動だが、致し方ない


 何故なら。


 ことぶき新町駅は、一昨日、斉賀が電車にひかれ、死んだ場所だからだ。斉賀の自宅はこのことぶき新町駅から徒歩でおよそ5分の位置にある。

 一人現場検証、と張り切っているわけでもないのだが。


 昨夜、22時。

 ミス研ズーム会議が執り行われた。

 部長、相沢零子から、斉賀が没した場所を確認して来いと仰せつかった。都合よく通り道だからだ。否はない。相沢零子に対して首を横に振るなど無謀な事はしたくない。いじめられているわけではないが、断るはずないわよね、あたしの命令は絶対! というオーラを発してくるのだから仕方がない。


 という経緯で、わざわざ一駅分を自転車で移動し、電車に乗る事にした。


 改札を抜けてホームに出る。


 ホームに乗り場は1番から5番までの5カ所。


 上部に取り付けられた防犯カメラの位置を確認する。


 カメラは中央に、やや外側に向けて2つ設置されている。


 斉賀が電車に乗ろうと並んでいた場所は3番ホーム。


 パネル型のカメラからでは、やや死角ができそうだ。


 この駅の混雑具合といえば、通勤通学及び帰宅ラッシュ時以外はそれほど多くない。この頃、近くに子供向けのテーマパークが開設されたため、土日、祝日は終日混雑する。

 斉賀がホームから転落した日は日曜日。午後5時20分ごろ。通過する電車に飛び込んだ形である。

 ちなみに、この情報は公式な発表ではない。

 ツイッターには、あの日、ここに居合わせたらしい野次馬のツイートが散見された。検索せずともツイッターにアクセスすれば嫌というほどTLに流れて来る。

 解像度は低かったが、斉賀が線路に落ちる瞬間の動画も拡散されていた。

 家族連れで溢れ、込み合うホーム。

 頭一つ飛び出ていた斉賀の姿は一瞬消え、その直後に線路に勢いよく落下していた。

 ミス研部の見解では、地面に落ちた何かを拾おうとしたのではないか、という結論に着地した。

 例えば、スマホ。それを拾おうとしゃがんだ所、バランスを崩して線路に落下したように見えた。


 やはり事故なのか。或いは何者かが故意に背後から押したのか?


 愉快犯の犯行か?


 はたまた計算され尽くされた、誰かの陰謀か?


 ミス研部の連中の影響で、すっかりそんな風に考えるクセが身についてしまった。


 あれは、2年に進級した時の事だ。小学校の頃はスポーツ少年団で剣道をしていたが、中学からは部活など考えてもみなかった。

 部活と言えば、青春。

 青春など、飯田にとっては不要な物のはずだった。

『おい、ゲロ飯』

 新学期早々、いきなり零子にそう声をかけられた。朝の読書中の時だ。ヘッセの車輪の下は何度読んでも面白い。あの日もそう――。

 すっかりヘッセの世界に没頭していた。


 ゲロ飯とは一体?

 恐々顔を上げると、机の前で零子が仁王立ちしていたのである。


『あんた、部活入ってないわよね?』

 仏頂面でそんな風に声をかけられたのが運の尽き。


『は、はい。部活に入る予定は、ありません』


『ちょうどよかったわ。今日の放課後、ミステリー研究部の部室に来てちょうだい』


『はい?』


『旧校舎の旧家庭科準備室よ』


 否はない。あの圧で首を横に振れるやつなど、この学園にはいない。


 言われた通り、放課後ミス研部の部室に行くと――。


『これ、書いて』


『ん? これは、なんですか?』


『見ればわかるでしょう。入部届よ。3年が卒業して1年がなかなか入らないのよ。二人じゃあ廃部になっちゃう。あんたが入ればミス研部の存続は約束されるの』


 否は……ない。


 そして、飯田は晴れてミステリー研究部の部員となったのであった。


 しかし、それはそれで、何か因果めいたものを感じる。

 飯田がミス研部に入ったのはきっと――。



 飯田は役目を終え、電車に乗るため2番ホームの列に並んだ。

 視線を上げると、さらっとなびく美しいロングヘアの女の子が視界に映った。

 清々しい陽光を含み、黄味を帯びた柔らかそうな髪は、頭を振る度に、繊細に揺れ動く。

 あれは――。


 佐倉乙女だ。


 そうか、彼女はこの電車で毎日通学しているのか。最寄り駅なのかな。

 不意にこちらを向いた顔は、直視できないほど眩しい。


 彼女の視界に、飯田は映り込まない。


 誰かを探しているのか、周囲に視線を泳がせている。


 派手なブレーキ音と共に、電車が止まった。扉が開き飽和している乗客は色めき立ち動き出す。


 飯田は佐倉と同じ車両に乗り、しばし視線で追いかけた。

 彼女はフォロワー40万人を抱える人気のティックトッカーだ。

 個性的でキレのあるダンスは、かっこよくもあり、可愛らしくもある。

 誰かれ構わず、彼女に魅了される。

 飯田もその一人だ。

 動画で見るよりも、実物は数倍可愛らしく、美しく、尊い。同じ学校に通えただけでも奇跡なのに、クラスまで同じになるとは、一生分の運を使い切ったと言っても過言ではない。


 がしかし。


 彼女の表情に、陰りが見える。 

 当然だ。恋人が死んだのだ。斉賀の死が、彼女の表情に陰を落としているのだろう。

 そういえば、ほぼ毎日投稿していた動画やインスタも、ここ一週間は更新されていない。

 更新が滞っているのは、斉賀の死が原因ではないようだが。


 この駅から電車に乗ったと言う事は、利用する電車も佐倉と斉賀は同じだったのか。

 そんな事を考えて、飯田は胸が苦しくなる。

 恋人がいる高校生活とは、どんな感じなのだろうか?

 恋とは一体、どんな感覚なのだろうか?

 胸の奥がむず痒く、時に痛みを与え、寝ても覚めても熱いため息に支配される。それが恋という物だ、と宇佐美は言っていた。

 何もかも、どうでもよくなってしまうほど、彼女の存在に焦がされる。


 飯田には到底、想像もつかなかった。


 いや、いらない。そんな物は。


 自分だけが人生を謳歌するなんて。


 妹の美緒は生まれて6年しか生きる事ができなかったのだ。青春も恋も知らずにこの世を去った。

 美緒の無念を晴らすまでは、飯田に青春も恋も訪れない。


 必要ないのだ。

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