第5話 新入部員

 騒々しくなり始めた教室は、未だどこか重い空気を帯びている。

 無理に笑顔を作り、日常を演出しようと努める者。どんよりと重たい表情で、どうにもならない不幸を演出する者。

 何事もなかったかのようにいつも通り仲間と談笑する者。

 クラスメイトの悲報から一夜が明けた学園は、日常のようであって、どこか非日常である。


 新しい朝が来て、わずかに更新された一日が始まる。


 宇佐美は窓側の自分の席に座り、そんな教室の風景を目の端に収めながら、視線を持ち上げた。

 目線の先には、宇佐美の机の上に座っている相沢零子。

 窓の方に体を向けて、宇佐美の前で足をプラプラさせている。

 前下がりのボブヘアーが、開いた窓から流れ込む爽やかな風にあおられて、さらっとなびく。と同時に柑橘系の香りが鼻先をくすぐった。

 唇にかかった黒髪を小柄な指で耳にかけると、ぷっくりしたと白い頬が露出する。その指が、零子の視線の先に向いた。


「あれって、ゲロ飯だよね?」

 くりっとした丸く大きな瞳を鋭く光らせる。


「あん?」

 パウダーを振ったような白い肌に、うっかり気を取られていた。

 間の抜けた声で、零子の指さした方に視線をやる宇佐美。

 確かにそこには飯田の姿があった。


「あーそうだね。え? なんで隣にあの子がいんの? なんで二人一緒?」


 校舎に向かう生徒の波に混ざって、いつになく顔をほころばせながら歩く友、飯田一星。その隣にはレインボーのオーラをまとった佐倉乙女。

 二人の間にはおよそ1メートル半ほどの距離はあるが、何やら会話しながら校舎に向かって歩いて来る。


「あの二人って仲良かったっけ?」

 零子は、どこかおもしろくなさそうにそう言った。


「いやぁ、飯田の方はわからんけど、佐倉さんは飯田を認識してたかどうかすら怪しいんじゃね?」


「鼻の下伸ばしちゃって、男って本当バカみたい」

 零子はプラプラさせていた足を組んで、ついでに腕も組んだ。


「ん? お前、もしかしてヤキモチ? 飯田の事好きなの?」


「はぁ、バカ言わないで。なんで私があんな陰のオーラ全開で鈍感なゲロ飯なんか……。」


「はぁ~ん」

 おもしろくねぇ。

 陽のオーラ全開で、察しのいい男にはもっと興味ねぇくせに。


「ゲロ飯のやつ、なんか楽しそうじゃない?」

 零子の眉間にしわが寄った。

 確かに、いつもの数倍は足取りが軽い。


「あんなかわいい子と一緒に登校すれば、どんな陰キャもスキップするというデータができたな」


 その瞬間。


 バチン!! と脳天に平手が降って来た。

「いってーーーー!! 何すんだよ!!!」

「どこがスキップしてるのよ!」

「いや、あれはもはやスキップだろ!」

 ってか、お前、絶対飯田が好きだろ!

 という言葉は呑み込んだ。

 強情でプライドの高い零子が認めるわけないし、認めたとしても宇佐美は面白くない。

 どちらに転んでもいい事ないのだ。


「おはようございます」

 教室の扉が開いて、飯田と佐倉が並んで入って来た。


 その姿に釘付けになる宇佐美と零子。


 飯田と佐倉は、揃ってこちらに歩いて来た。


「お、おはよう」

 ぎこちない挨拶をすると、飯田は佐倉に向かってこう言った。


「宇佐美エイト君。ミス研部員」

 どうやら宇佐美を佐倉に紹介したようなのだが……。


「瑛太だよ!! 宇佐美瑛太!!!」

 佐倉は手で口元を隠して、クスっと可愛らしい笑みをもらした。

「宇佐美君は知ってる。少しだけ話した事あるよね?」

 歌うような澄んだ声が耳を癒した。


「ああ、うん」


「こちらが、部長の相沢零子さん」


「うん。名前と顔は大体知ってた。話すのは初めてね。相沢さん、よろしく」

 緊張を見せる佐倉に零子は「ふん」と顎を上げる。


「なによ。いきなりわざわざ紹介なんかして、どうしたの?」

 零子は佐倉を視界の外に追いやり、飯田を見据える。


「あ、申し遅れました。新入部員です。佐倉さん、ミス研部に入ってくださるそうです」


「はぁ?」


「マジ!? やったー!!」

 とガッツポーズを決めた宇佐美は直後、悶絶する事となった。

 零子が宇佐美の尻に向けて放った蹴りが、ちょうどセンシティブスポットにヒットするという悲劇に見舞われたのだ。

「うううううっ!! そこはまずいだろ」

 肛門を抑えて机の上にうずくまる宇佐美に、コロコロと笑い声をこぼす佐倉。

 その顔を片目でチラ見して思う。

 笑ってくれてよかった。

 昨日は一日暗い顔を見せていたから心配だった。


 飯田は優しくて気遣いのできるヤツだから、きっと彼女を元気づけようと部活に誘ったのだろう。

 そういう事なら大歓迎。協力するぜ、マイメン!


「基本的に放課後は毎日活動よ。差し迫った案件がある場合は土日も返上する。夜にズーム会議もあるわ。よろしくね、佐倉さん」


 零子はにこりともせず、棘のある言い方で新入部員を歓迎した。


 零子にとっては複雑だろう。

 これまで紅一点。しかも零子だってクラスでは可愛い部類だ。

 いわゆるオタサーの姫気取りだったのが、佐倉に全部持って行かれる可能性は大なわけで――。

 女心とは複雑な物なのである。

 それに関わる男だって、気遣いは必須だ。

 間違っても佐倉だけを持ち上げるような事がないよう、後で飯田にも釘を刺しておこう。

 零子の機嫌を損ねると、けっこうめんどくさいのだ。


 シャっと教室の扉が開いた。

 と同時に、担任の水木しげこの姿が現れる。教室内をぐるりと見回し、こちらに視線を留めて手招きした。


「佐倉さん。ちょっといいかしら。職員室に警察の方がいらしてるわ。あなたにお話しを聞きたいそうよ」

 明るくなりかけていた佐倉の表情が曇り始める。

 反して、嬉々とするミス研部員たち。

 次は自分たちの番ではなかろうかと、ワクワクを隠しきれない3人であった。

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