第15話 華絵の涙

 事が大きく動いたのは、それから三日後の日曜日の事だった。


 枕元のスマホが鳴り響いたのは午前7時。

「ん~~~~。誰だ? こんな朝早くから。日曜日だぞー」

 寝ぼけ眼をこじ開けて、片目でスクリーンを確認する。


「零子か」

 一旦、無視しようかとも思ったが部活があったのだと思いだし、通話ボタンをタッチした。

「もしもし?」

「大変よ」

「え? なにが?」


「調査、取りやめになったらしいわ」


「え? 調査?」


「さっきパパに聞いた。斉賀夫妻、調査依頼、取り下げてきたって」


「なんで?」


「斉賀君のお父さんからの連絡で、これ以上の調査は必要ないって言われたらしいわ」


「どういう意味だろう?」


「ツイッターよ。ツイッターの動画が斉賀君のお父さんの目に留まったのよ!」


「あ~、なるほど」


「きっとそれどころじゃないって話なんじゃないかしら」


「って事は、開示請求とかもやらないよな?」


「やらない方向らしいよ。ただ、弁護士使って動画の削除はするみたい」


「って事はだよ? 偽物バズの正体も、ストーカー男の正体も、斉賀を殺した犯人も、闇の中。迷宮入りって事になっちゃうじゃん」


「そんな事はさせないわ。さっさと顔洗って支度して。8時30分、部室に集合よ」


 という経緯で、ギリギリ8時30分。なんとか遅刻せずに無事に部室に到着した宇佐美と飯田。

 零子は涼しい顔で、窓から流れ込む朝の風に吹かれていた。


「で? どうするよ?」


 宇佐美の問いに、零子は窓の外を眺めたままこう言った。


「どうしよう、か?」

 その後ろ姿は、なんともエモい。


「僕たちで、ストーカー男の特定をしましょう」

 そう言ったのは飯田だ。

 体側で両手の拳を握りしめている。


「どうやって?」


「手がかりは、あの動画です。撮影主は日常的に同じ場所から斉賀宅を監視していた可能性があります」


「つまり?」


「動画が撮影された方角に、犯人はいる!」


 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。Byニーチェ。


 ならば、その深淵から――。


 数十分後、宇佐美、飯田、零子は、ことぶき新町のことぶきニュータウン。斉賀恵斗の自宅マンションに来ていた。

 深淵から深淵を覗くために。


 厳重な警戒網を張るエントランス。オートロックを備えた高層マンションだ。


 3002号室。

 その番号をいともたやすく押したのは、零子。


「はい」

 と、インターフォンから響いたのは女の声。斉賀華絵だと推測できる。声だけでは、現在彼女がどのような状況にいるのかまでは判断できない。

 至って、よそ行きの張りのある声に聞こえた。


「おはようございます。えっと……、斉賀恵斗君のクラスメイトで……宇佐美瑛太と申します」


「宇佐美……さん?」


「はい。僕たち、斉賀君と仲良しで……。葬儀に参列できなかったので、仏壇に、お焼香をと思いまして」


「ああ! そうですか。わざわざどうも。どうぞ」


 その言葉のすぐ後に、エントランスの扉が開いた。


 まるでホテルのフロアのように、艶を帯びた大理石。エントランスをくぐってすぐ正面にはレセプションがあり、紺の制服に身を包んだ若い女が丁寧に頭を下げた。


「エレベーターこちらでございます」

 軽く会釈した後、手の先が示す方へと歩みを進めた。


 エレベータ―に乗り、30のボタンを押す。

「なんだか緊張しますね」

 飯田が震える声でそう言った。

「そうね」

 珍しく、零子の声もトーンが低い。


 緊張しているのは、高級マンションに来たからではない。

 深淵にこれから乗り込むのだという現実に、皆震えているのだ。


 ピーンと張り詰めたような音と共に開いたドアを出ると、赤い絨毯で覆われた通路が広がっている。

 目的の3002号室は、エレベーターの扉のすぐ前にあった。


 インターフォンを鳴らすと、すぐに玄関が開いた。

 中から出て来た女性の顔に、ぎょっとする。


「こ、こ、こんにちは。初めまして」

 つい、言葉が詰まってしまったのは、目の前の斉賀華絵の顔が傷ましく腫れていたからだ。宇佐美はその顔を直視する事ができなかった。。


 目のふちは赤黒く痣ができており、口の端には生々しく血の滲んだ跡……。


「あ、あの。大丈夫ですか?」


 宇佐美は、そう問いかけずにいられなかった。


「ああ、これ? 大丈夫よ。ありがとう」

 華絵は右手を頬に当てて、気丈な笑顔を見せた。

 どうしたのか? と問わずとも。いくら宇佐美たちが経験の乏しい高校生であっても。

 何があったのかぐらいは想像がついた。

 あまり触れない方がいいのだと言う事もわかる。


「その傷、もしかして恵斗君のお父さんが?」

 空気を読まずにそう発言したのは零子だ。

 おい! その質問はまずいだろ! という宇佐美の心の声は届かない。


「ふふ」と笑った華絵の顔は今にも泣き出しそうだ。

 頬に当てた手は、震えていた。


「さぁ、上がってちょうだい。恵斗も喜ぶわ」

 そう言って、こちらに背を向けた。

「お邪魔します」

 最小限の動きで靴を脱ぎ、彼女の後について歩く。


 通されたのはリビング。

 宇佐美の家のリビングの、倍はあろうかという程の広々としたスペースだ。

 正面には開放感のある大きな窓。

 ちょうど、その対角にダイニングテーブルを挟んで、キッチンがある。

 動画で見た、キッチンだ。

 この大きな窓の向こうから、あの動画は撮影された物だと推測される。


 壁掛けの大きなテレビの横には、葬儀場で見た斉賀の遺影。

 その前に、風呂敷に包まれた骨壺が鎮座していた。


「恵斗。お友達が来てくださったわ。よかったわね」

 華絵さんは、ろうそくに火を灯して、その場を宇佐美に明け渡した。


「どうぞ。お線香あげてやってください」

 重力に従って、彼女の頬から涙が一粒、床にこぼれた。


 三人それぞれ、備えてある線香の先に火を移して、線香立てに立てた。


 チーンとリンを一回鳴らして手を合わせる。


 斉賀。あんまり、というか、一度もしゃべった事なかったな。仲良しで――、なんて嘘ついてごめん。お前、ちゃんとお母さんに愛されててよかったな。無念は必ず俺たちが晴らしてやるから、安らかに眠ってくれ。


 そう、心の中で語りかけ、目を閉じた。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 次回予告。

 次話は、斉賀華絵視点になります。

 恵斗と華絵の関係。そして華絵の想いが、華絵本人のモノローグにて語られます。

 二人の真実と恵斗に一体何が起きていたのか?

 お見逃しなく!!

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