第36話 飯田一星★妹の死の真相

 宇佐美は背中から血を流しながらも、和重への攻撃を止めようとしない。

 歯を食いしばり、顔中から汗を滴らせて、猟銃を両手でしっかりと握り、喉元を押さえつけている。


 飯田は咄嗟に、水木を背後から羽交い絞めにしていた。

「宇佐美君! 宇佐美君、大丈夫ですか?」


「放せーー、放せーーーーー」

 錯乱して、暴れる水木を必死で制圧する。


「ああ、死には……しない! 絶対に生きて……帰ってやるんだからなー! 全員、絶対に死なせないんだからなーーー!!!」


 宇佐美はうめきながら立ち上がり、咳き込んでいる和重の脇腹を力任せに蹴っ飛ばした。


「ううう―――――」と唸り声をあげて、体を翻す和重。


 宇佐美は奪った猟銃を和重の喉元に突きつけた。


 その銃身を、和重は余裕の表情で掴んだ。息は切れているものの、表情に切羽詰まった感じは見て取れない。痛みに口元を歪めているだけだ。


 その仕草で、飯田は察した。


「宇佐美君、気を付けて! 弾は入っていません」


 抵抗する水木の動きを封じながら、宇佐美を案じる。


 和重は、銃身を掴んだまま、宇佐美を引き寄せた。

 接近戦なら、筋力も体力もありそうな宇佐美に分があるはずだが、深い傷を負っている。

 飯田は必死で水木の手から、血濡れたナイフを奪う必要があった。

 女性に暴力を振るうのは、いささか抵抗がある。

 制圧以外の方法は気が進まない。


 しかし――


 これは、女でも男でもない。


 殺人鬼だ!

「うりゃあぁーーーーーー!!」


 力任せに床に向かって投げ飛ばした。

 体育の授業でならった柔道の背負い投げ。試験なら不合格になりそうな下手くそなフォームだが――。

 小柄な水木はいとも簡単に宙を舞い、床に叩きつけられてうめき声をあげた。


 足元に転がったナイフを拾い上げ、再び水木を羽交い絞めにして喉元にあてがった。


「チェックメイトです。これまでの会話と音声は、僕のスマホを通じて、AIZリサーチの相沢専務に送られています。もう間もなく、警察が到着するはずです」


 和重の顔色は変わらない。


 まるで、こうなる事を予測していたかのように、堂々と立ち上がった。


 飯田は居ずまいを正して、ナイフを握り直した。


「このナイフで、あなた達を切り刻んでもお釣りが来るほど、僕はあなた達が憎い。妹は……美緒はなぜ、死ななければいけなかったのですか?」


「あれは……」


 和重は重々しく声を絞り出した。


「あの子は、ショッピングモールに置き去りにされていたんだ」


「は? 置き去り?」


「お前の母親が、他の男と密会している間、あの子は屋上の駐車場で一人震えていた」


「嘘だ! 母さんは、ほんの少し目を離した隙の出来事だったと……」


「まだ子供だったお前を、傷つけないための方便だ。双葉は屋上の駐車場であの子を見つけて、着ていたパーカーを被せた。春とはいえ、まだ時々冷たい風が吹く季節だったからな」

 

 嘘だ! 母さんが美緒をそんな目に合わせるなんて……。


「車を買ったばかりだった双葉は、あの子にドライブに行くか? と訊ねたそうだ。あの子は、屈託なく、迷いなく首を縦に大きく振った」


「嘘だ……、嘘だぁぁぁーーーーー!!!」


「警察が押収した防犯カメラの映像を見せてもらえばいい。お前の母親があの子をゲームセンターに置いて、男と姿を消す映像が残されている」


美緒があんなにお兄ちゃんも一緒に行こうと、駄々をこねていた理由は、そういう事だったのか……。


「じゃあ、じゃあ、なぜ……双葉は捜査線上に浮上しなかった?」


「お前の妹が震えながら佇んでいた場所は、駐車場の出入り口付近で、防犯カメラはその場所を捉えていなかった。双葉が自分のパーカーを被せた事で、駐車場に設置されたカメラが捉えた映像では、あの子だと判別がつかなかったんだ」


「なぜ、殺したぁぁぁーーー」


「双葉は殺してない。俺たちが連絡をもらった時、双葉は泣きじゃくっていた。何があったのかよくわからないまま事件になり、あいつの部屋で、無残な姿で遺体となっていたあの子を発見した。双葉は自分じゃないと泣きながら訴えた。その言葉を信じたかった。いや、信じた。だから、俺と、しげこの二人で、遺体をスーツケースに入れて遺棄したんだ。このままでは間違いなく双葉が犯人にされてしまう。

 その後、鑑識の結果、彼女の体内から検出されたDNAは確かに、双葉のものではなかった。しかし、双葉の痕跡ももちろんあった。双葉は必死で殺したのは自分じゃないと訴えた。しかし、司法は双葉を犯人に仕立て上げるだろう。そういう世界なんだ。だから、体内のDNA以外の双葉の痕跡を改ざんした。それは認める。申し訳なかった」


 和重は、丁重に頭を下げた。


「どうして? どうして、真犯人を突き止めようとしなかったの?」


 声を震わせたのは零子だ。


「映画やテレビドラマじゃないんだ。科捜研の一職員が、そんな事できるわけない。真犯人を突き止めて検挙するのは刑事課の仕事。司法で裁くのは裁判官だ。俺はただ、大事な弟を、守りたかった。俺も、しげこもただそれだけだった……」


「大人の女性に興味を持てなかった双葉が……」


 絞り出すように口を開いたのは水木だ。


「唯一、愛せた女性が……みーちょ、さゆさんよ」


「大人の女性に……興味が持てない?」


「小さい女の子しか好きになれないのよ。双葉はバカに真っすぐなところがあるから、結婚を約束した彼女に事件の事を話したのね。自分が小児性愛者だと言う事も。女に夢見すぎなのよね、あの子は。愛は全てを許して受けとめる事だとでも思っていたのでしょうね。相手にもそれを求めてしまった」


 飯田は拘束を緩めた。

 

 水木は立てた膝に額を乗せ、大きく息を吐いた。


「彼女は、事情も理解しようとせず、自首を迫った挙句、その情報をバズに売ったのよ。バズはそれを面白おかしく動画にした。けど、さすがにセンシティブだから、公開するには躊躇したんでしょうね。多額の口止め料を要求して来たのよ」


「いくらですか?」


「一千万よ。けどね、そんなお金いくらでも準備してあげるわ。でも、払ったからと言って、秘密が確約されるわけじゃない。いずれは漏れ広がってネットやメディアで、面白おかしくエンターテイメントにされるのよ」


「バズやみーちょ、斉賀君を殺すように指示したのは、あなた達なの?」

 佐倉の消え入りそうな声が聞こえた。


「それは違うわ。私たちが双葉に指示を出した事は一度もない。けれど、あの子は自分の為と言うよりは、私たちのために3人の殺害を計画したのよ」


「どういう事ですか?」


「6年前の事件の鑑識結果を、自分のために改ざんした兄。子供の頃から夢だった教師という職業についた姉。自分があの事件の犯人に仕立て上げられたら、私たちまで社会的立場を失ってしまう。そんな事のために、あの子は――」


 水木は声を詰まらせた。


「だからと言って、未来ある命を奪っていい理由にはなりません。隠蔽して協力していた時点で、あなた達も同罪です。あなたたちは人殺しだ!」


 飯田はナイフの刃先を水木の鼻先に向けた。


「飯田。もうやめろ。警察が……来るんだろう……。後は、大人に、任せよう……」


宇佐美の体は、限界に来ているようだ。

足元の血だまりにしずむように、ゆっくりと膝を付いた。


「宇佐美君……」


「先生……頼むよ。俺、ミステリー作家に、なりたいんだ。そして、金持ちになるのが、夢なの。飯田は、これから、また真犯人を、探さないと……。妹の、かたきを……。飯田なら、絶対、見つけられるから……。零子や、佐倉、だって……まだ、17歳で……死にたく……ない……」


「宇佐美君!」

 血だまりの中で、彼はゆっくりと意識を手放した。


 部屋には、強烈な血の匂いが充満していた。

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