第9話 死人の墓

 完璧すぎるアリバイが、どんなに怪しかろうと、これ以上佐倉乙女の事情に踏み込む事はできない。

 日曜日、斉賀が亡くなったあの駅に、佐倉はいなかった。

 それはどうしようもなく真実で、佐倉は斉賀を殺害していないという証明なのだ。


 頭の中をぐるぐるといろんな憶測が飛び交う帰途。

 電車に揺られながら、零子も飯田も、そして宇佐美も、無言だった。


『佐木沼ー、さぎぬまー。次は佐木沼です』

 車内のアナウンスが、宇佐美の降車駅を知らせた。


「じゃあ、また明日な」


 ポツポツと出口に並び始める乗客の列に同化した。


「ねぇ、宇佐美。今夜10時、ズーム会議しよ。夏合宿の事決めなきゃ」

 零子が珍しく、宇佐美呼び。


「いいけど。今日は銭ゲバって呼ばないの?」


「ついでに僕も苗字呼びに変えてもらえませんか?」


 飯田が零子に抗議する。


「奢ってもらっちゃったから、銭ゲバって呼ぶの申し訳ないかなと思ったんだけど。やっぱやーめた。あんたはやっぱり銭ゲバね!」

 口をすぼめてそっぽを向いた顔は、少し赤い。なんで?


「別になんでもいいけど」


 合理的で常にメリットorデメリットで物事を判断する宇佐美にとって、銭ゲバという呼称は遠からず、いやぴったりだ。夢が金儲けで何が悪い。

 それが嫌だなんて事も、別に思ってない。


「飯田のゲロ飯は変えてやった方がいいぞ。本人嫌がってるみたいだし」


「わ、わかった。たまにしか呼ばないようにする。それでいい?」


 つっけんどんな言い方で飯田の側面を肘でつついた。


「はい。たまにでお願いします」

 直立でつり革を持ったまま、飯田は大きくうなづいた。

 宇佐美はクスっと笑う。

 そんなに嫌ならなんであんな奇妙な飯の食い方をするんだ?

 さっきだって。

 格式も香りも高いブルーム自慢のブレンドアイスコーヒーに、ミルクとガムシロップ入れまくってたし。

 何かトッピングしないと気が済まないみたいだ。

『もはや、コーヒーの味、しなくね?』

 と聞くと

『いえ、そんな事は』と目を反らした。


 全くもって謎の多いヤツだ。飯田一星。


 プシューーーとブレーキがかかり、車体が大きく前後に揺れた。

「じゃあな」

 と手を上げて、電車を降りる。


 改札を抜けて、徒歩でおよそ10分足らずで自宅マンションに到着。

「ただいま」

 と、玄関を入るも、おかえりという言葉が返ってくることはない。

 親父は夜9時まで診療。おふくろは、親父のクリニックの受付をやっていて、二人が帰ってくるのはいつも10時過ぎだ。

 3つ上の兄は、都内の歯科大学に行ってるため、大学の近くにマンションを借りて自活している。

 宇佐美はお気楽な次男。

 後継ぎなんて面倒な事も考えずに、自由に将来を選択する権利が与えられているというわけだ。


 キッチンのテーブルには、一人分の夕飯が準備されている。

 キッチンペーパーを被せた皿には、コロッケとエビフライ。

「唐揚げがよかったなー」

 そんな独り言を言いながら、シンクで手を洗う。


 備え付けのタオルで雑に手を拭って、制服のまま椅子に腰かけ、テーブルの脇に据えてある炊飯器からご飯をよそう。

 皿の横にスマホを置き、ツイッターにアクセスしながら、コロッケを一口かじった。


「ん? なんだ、これ?」

 タイムライン上にはまたもやフォロー外のツイートが散見される。

 男女の所謂いかがわしい行為動画が、堂々と並んでいるではないか。

 キッチンで何やら作業をしている女性の背後から、甘える仕草で抱きつく若い男。

 その後ろ姿には、何となく見覚えがある。

 女性が性行為に同意を見せた様子で、キッチンからカメラの方に正面を向けた。必然的に男は女性の背後になるが、頭一つ分背の高いその男の顔は、はっきりと視認できる。


「はぁ? 斉賀……」


 斉賀は慣れた手つきで、襟元が大きく開いたカットソーから胸元を露わにすると、まるで小さい子供がお乳を欲しがるような仕草で顔をうずめた。

 女は優しく斉賀の後頭部を撫でている。


 女は当然、佐倉乙女ではない。


 ツイートをタップすると、ツリーが表示されコメントが読めた。


『この女の人、斉賀華絵だよね。カリスマ主婦のインフルエンサー』


『斉賀華絵、詰んだな』


『ハイ、人生終了のお知らせ~』


『やだ、嘘!! 好きだったのにーーー!!』


『華絵も女だったかー。相手の男だれだ? 旦那にしては若すぎだろ』


 斉賀華絵? だれだそれ?


 サファリを開いて検索する『斉賀華絵』。


 苗字が斉賀恵斗と同じなのは、偶然なのか? それとも――。


 RRRRRR……。


 突然、スマホが着信を知らせた。

 スクリーンには【相沢零子】の文字。


「もしもし。零子」


『宇佐美!! ツイッター見て! 大変!!』


「うん。今見てた。誰? 斉賀華絵って」


『それ、斉賀君のお母さんだよ』


「はぁ?? うそだろ? 若すぎん?」


『血は繋がってないらしい。お父さんの再婚相手で確か2年ぐらい前に入籍して一緒に住み始めたはず。元モデルでそこそこ有名なインフルエンサーよ』


「それはまた、エグいな。近親相姦と不倫のダブルパンチか。いや血のつながりないなら近親相姦は免れるのか。親父の奥さんと、って、うわぁー、処理しきれねぇー」


『言ってる場合?』


「あ、ごめん。飯田は?」


『もう別れた後』


「まぁ、一旦落ち着こうぜ」


『これってさぁ、自殺の可能性高くないかな? 斉賀君、これをネタに脅されてたとかっていう線は考えられない?』


「いやぁ、どうだろう? ちょっと今、頭ん中パニックだわ」


『どっちにしても、これ、ただの事故じゃないと思うよ』


「ああ、それは俺もそう思う」


『このタイミングで、この動画が流れたっていうのも、なんか怖すぎるんだけど』


「もしかして、佐倉さんはこの事知ってたんじゃ?」


『私も、それ思った』


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