第10話 相沢零子◆私のパパは・・・

 夏合宿の話合いどころじゃないわ。今年も寝袋持って、ねこ娘の自宅に押し掛けるしかないわね。うんうん、それしかないわ。

 例年にならって……。

 なんてったって、猫娘の実家は海沿いの古民家風の邸宅。庭にはバーベキューセットまであるんだもん。

 日程だけ適当に決めちゃおう。


 風呂から上がり、髪をバスタオルで拭き拭きリビングに戻ると、父が缶ビールで晩酌をしながら母の手作り小鉢をつまんでいる。ちょうどよかった。ナイスタイミング!

「パパ。それなに?」

「んー? これか。まぐろユッケ。うまいぞ、食うか?」

「うん、一口食べたい」

 甘えた声で、すり寄るように父の隣に腰かけた。テーブルの上の箸立てから塗り箸を抜き取り、一口拝借。

 大葉の爽やかな香りと、生卵でまろやかになったわさびがツンと鼻に抜ける。


「ん~。おいしい~」


「珍しいな。零子から父さんに話しかけるなんて。裏がなければいいが」


「裏? なによそれ。裏なんて……」

 あるに決まってるでしょ!


「ビール、注ごうか? コップ持ってこようか?」


「い、いや、缶のままでいいよ」

 戸惑いを見せる父。だが、満更でもなさそうに目尻を下げている。

 もう一押し行きますか。


「肩こってない? たまにはマッサージでも」


「お、そうか。じゃあ、揉んでもらおうか」

 ほろ酔いの父は、はっきり言ってちょろい。

 背後に周り、肉厚な肩をグイグイと揉みほぐすと「あ~極楽だなぁ。娘っていいなぁ」

 と言いながら、缶ビールを口元で傾け、のどぼとけを派手に上下させる。


「こってますねぇ。パパ、いつもお仕事ご苦労様。飲み過ぎには気を付けてね。また痛風とか出ちゃったら、零子、心配」


「でへへへへへぇ」


 今だわ!


「あのさぁ、パパ。斉賀華絵って知ってる?」


「斉賀華絵か。元はハナエっていうローカルのファッションモデルだろ。確か3年ぐらい前にいきなり脚光を浴びて、ちらほらテレビにも出てるようだったな。美人すぎる料理研究家だっけ。年齢は35歳。一昨年の春に出演していたトーク番組のプロデューサー、斉賀宏、当時52歳と結婚。斉賀は再婚で……息子は確か、そうだ、お前と同じ歳だな。結婚を機にテレビ業界から引退。インフルエンサーとやらに転身して、今やカリスマ主婦か。しかしまぁ、収入は大した事はなさそうだよな」


「よく知ってるね。もしかして、調査依頼が来てた?」


 父はぎくっと肩をびくつかせてこちらに振り向いた。


「んあっ? そんな事、お前に言えるわけないだろう」


 そして誤魔化すようにビールをごくごくと煽った。


「クライアントは、斉賀宏、かな?」


「バカな事言ってないで、髪ぐらい乾かせ。風邪ひくぞ」


 急に汗流しちゃって、わっかりやすーい。


 父、相沢豊。

 AIZリサーチコーポレーションの専務であり、時期社長である。

 現取締役は、零子の祖父、相沢総一郎。

 AIZリサーチは今でこそ大手の調査会社だが、元は祖父が個人で立ち上げた、小さな探偵事務所だった。

 業務内容は、浮気調査から人探し、企業診断に社員の素行調査まで幅広い。顧客には、大手企業から芸能事務所、出版社、芸能関係者も多数――。


 父は調査員としての下積みの後、いきなり専務に就任。同族会社ならではの人事だ。

 現在は社員のマネジメントが主な業務である。

 会社では、依頼内容や調査内容にも全て目を通し、全ての状況を把握している唯一の人物。

 つまり、父の脳内にはたくさんの著名人、有名人の秘密がインプットされているというわけ。

 ちなみに、父は芸能界には、てんで疎い。調査で知り得た人物以外の事はほとんど何にも知らない。アイドルなんて男も女も全部同じ顔に見えちゃうらしい。

 インフルエンサーなんて、何をする人なのかさえ、最近知ったようなものだ。

 そんな父が斉賀華絵なんてマイナーなタレントを知っているはずがない。

 つまり、調査依頼が入っていたと言う事だ。


「あらそうだわ」

 キッチンで鍋をかき回していた母が急に声を上げた。


「そう言えば、斉賀さんとこの息子さん、なくなったらしいじゃない。零子、同級生よね」


「そ。同じクラスよ。この前の日曜日。電車にひかれて死んじゃったんだよ」


「なんだと? 息子が亡くなった? なんでそれを早く言わないんだよ」

 父は慌ててスマホを手繰り寄せ、通話履歴をスクロールしている。


「日曜日? って事は、今日が火曜だから、通夜に葬儀は……。いつになる?」

「明日がお通夜で、明後日が葬儀だって」


 やはり、依頼人は斉賀君の父親で間違いなさそうだ。


 しかし、ツイッターで拡散されている動画が、AIZリサーチが証拠として撮影した物だとしたら。

 それが漏れてしまっていると言う事であれば、会社としては非常にまずい事態だ。訴訟沙汰も免れないかもね。


「あ~、出ないな」

 スマホを耳に押し当てて、赤いのか青いのかわからない表情をしている。父は恐らく斉賀君のお父さんに電話しているんだわ。

 クライアントの身内が亡くなったんだもんね。知らん顔するわけにはいかない。それが大人のお付き合い。


「ねぇ、パパ。浮気調査で、情事の最中の動画撮ったりとかする?」

「情事の最中の動画? そんな事するわけないだろう。証拠ならホテルに入る瞬間の写真で十分だ。むしろ踏み込めるのはそこまでだ。調査とはいえプライバシーを侵害するわけにはいかんからな。盗聴器や隠しカメラなんかも違法行為に当たる。NGだ」


 それはよかった。

 という事は、あの動画は誰が撮影したの?

 自分たちで撮影、するわけないし、隠しカメラを斉賀君のお父さんが仕掛けた?

 という事は、ツイッターで拡散したのは、斉賀君のお父さん?


 いや、まさか。

 いくらなんでも、あれは斉賀宏自身の恥部でもあるはず。本人がそんな事するメリット、ないわよね。


「あ、そろそろ10時だ。私、ズーム会議だから、部屋に入って来ないでね」


「あー、わかってるよ」

 熊のようにうろうろおろおろと、ぶつぶつ言いながら部屋を歩き回る父をしり目に、零子は自室に入った。


 デスクのパソコンに電源を入れて、メールにアクセス。


 飯田から会議用のURLが送られていたのは30分ほど前だ。


「さて、時間だ」

 URLをクリックして、マイクだけをオン。

 カメラはオフ。

 二分割されたスクリーンに、宇佐美と飯田が映る。


「おつかれ~。あれ? 零子なんでカメラオフだよ」

 宇佐美が不服そうな顔を見せる。


「だって、風呂上りすっぴんなんだもーん」


「別にいいだろ」


「いつもはお化粧してるんですか?」


「はぁぁぁん? 知らなかったの? まぁ、そんな事はどうだっていいのよ。飯田。動画の分析できた?」


「一応できました」

「おお! さすがだな」


 満を持して、飯田が語る。

「わずか10秒ほどの動画ですが、この動画には音声が付いていませんでした。撮影した後にカットしたものと思われます。そして、画角から見て、これは外から撮影された物だと見て、まず間違いないと思います」


「外から?」


「はい。解像度が悪いだけかと思われましたが、ガラス越しに、遠くから望遠カメラで撮影された物ですね。解像度はそんなに低くありませんでした」


「斉賀の住まいは、ことぶきニュータウンのタワーマンションか。確か30階だったっけ」


「あの辺はけっこう高層ビルが立ち並んでいるので、周辺のマンションの住人による盗撮、という可能性はあると思います」


「盗撮か……。悪趣味だわ。という事は拡散させたのは撮影主って事なんだろうけど、特定できるかしら?」


「拡散が始まってから、元のアカウント消してたら終わりだけど、まぁ一か八か。やってみっか。引用元を追いかけてみるよ」


「うん。お願い」


 私はパパからもう少し情報引っ張るか。うちのパパ、一応探偵だからね。

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