第38話
「というわけで、うちのクラスは展示を中心にやろうと思います」
舞雪が黒板の前に立って、慣れた調子で学級会の進行をする。
うちの中学の学園祭は、一、二年生が中心になって運営される。受験を目前にひかえた三年生は、無人で運営のできる展示型の出し物が許されている。はじけたい連中は、後夜祭のステージにでも出ればいいし、あえて反対する人間もいないだろう。が、問題は何を展示するかで。
「小さな美術館をやれないか、と山下さんが提案してくれました。とりあえず山下さんと中沢くん、それから私が作品を出展する予定です。ここまでで、反対の人はいますか?」
クラスメイトの視線が美雨に集まる。
美雨は緊張した面持ちで、不安げに目を泳がせた。
「じゃあとりあえず決まりでいいかな? そうとなれば、なるべくたくさんの作品があったほうがいいから、ほかに協力してくれる人はいませんか? 絵に限らず、彫刻でも粘土でも現代アートみたいなものでも、自由にやってくれていいんだけど。あ、大地は強制ね」
「言われなくても立候補するって!」
大地が苦笑して、教室に和やかな笑いが起こった。
「ありがとう。ほかには?」
「服とかでもいいかな?」
斜森さんが小さく挙手をして言った。
「もちろん。もしかしたら、制服用のマネキンも借りられるかも」
その後も何人かの立候補があって、学級会はつつがなく進められた。
放課後になると、美雨を含めた五人で、だらだらと教室に居残って作品の構想を練った。
「向陽ちゃんは、手芸とか得意なの?」
美雨は遠慮がちに、ノートにデザインを描きつける斜森さんに訊いた。二人のあいだにはまだちょっとした距離があって、互いに好意はあるのにそのちょっとたどたどしい感じが、見ている側としては微笑ましかった。
「得意って言うほどではないかな。みんな絵とか武道とか、本当に好きなことに打ち込んでて、それがずっと羨ましかったんだ。だから私もって思って。美雨ちゃんも、絵が得意なんだよね?」
「中沢くんほどじゃないけどね」
「ご冗談を」と俺は言った。
「へー、山下さんって颯太より上手いの?」と大地。
「うーむ、どうだろう? ……まあ、舞雪よりは上手かな」
「ちょっと美雨?!」
舞雪がムッとした表情で美雨を見つめる。
「あはは、冗談だってば」
「委員だから仕方なくやってるけど……、私だって気にしてるんだから」
舞雪はうつむきがちにため息をついた。
「絵が苦手ならさ、写真でも撮ってみれば?」斜森さんが言った。
「たしかに」
「いいんじゃないか」と俺と大地。
「それもそうね」
舞雪は顎に手を当てて頷いた。「カメラを持ってきていいか、先生に聞いておくわ」
「絵に衣装に写真か。美術館らしくなってきたね」
美雨は嬉しそうに微笑んだ。
「俺はマンガ絵にしようかな。颯太はどんなんにするんだ?」
「一つはもう決まってるけど……」
というより、もうずっと描き続けている。
でも一向に、納得のいく絵に仕上がらなくて。
――私の絵を描いてほしいんだ。
二人で星を見に行った翌朝、美雨は二人きりの部屋でそう呟いた。俺の目に美雨はどう映っているのか。それを頼りに、自分のキャラクターを編みたいから、と。
けれど何度チャレンジしても、俺の絵が現実の彼女を捉えることはなかった。一見、上手く描けているように見えても、実際の彼女の持つ言いようもない魅力を、ごっそり損ねているように感じるのだ。不完全で上面だけの絵を見るたび、俺は自分の才能の限界を感じて、たまらない気持ちになる。それでも時間は、刻一刻と過ぎていくわけで……。
「お兄ちゃん、まだ行かなくて平気なの?」
学園祭当日の朝。
休日とあってゆったり朝を迎えた妹が、俺の部屋へやってきた。
「もう少し」
「あれ、もしかして男の子の時間だった?」
「バカ、絵を描いてんだよ」
「冗談だってば。なんの絵を描いてるの?」
花憐は俺の肩にあごをのせて、画用紙を覗き込んだ。首筋に伝わる部屋着のモフモフとした肌触りに、徹夜明けの俺は眠気を誘われる。
「綺麗な人……、誰の絵?」
「クラスメイトだよ」
「お兄ちゃんの好きな人だ」
「そんなんじゃないよ」
俺が言うと、妹は、うはははは、と吹き出して笑った。
「それはちょっと無理があるよ!」
「頼まれたから描いただけだって」
「うそうそ! この絵を見れば嫌だってわかるよ。お兄ちゃんがこの子をどう思ってるか」
「本当か?」俺が腕を掴んで尋ねると、
「う、うん」
花憐は気圧されたみたいに頷いた。「ちょっと痛いんだけど」
「あっ、ごめん」
俺はふと我に返って、時計を見つめた。
「そろそろ行ったら? その子も待ってるんじゃない?」
花憐は優しく微笑んだ。
妹はたまに、こっちがびっくりするほど大人びた表情をする。
「そうだな。行ってきます」
「気をつけて。行ってらっしゃい」
花憐に送り出されて、俺は生乾きの絵を持って学校へ行った。
学校はすでにお祭りムード全開で、メイド姿の女子がいたり、看板を携えた男子がいたり、中庭でライブが行われたりしていた。
俺は自分の教室へ行って、用意していた額縁に、持ってきた絵を入れて壁に飾った。まだ完璧とは言えない作品を、仮にも一般に向けて公開するのは、思いのほか勇気のいることだった。たとえ一ミリも絵を知らない人間にだって、「下手だな」と嘲笑われたら……、俺の心はその瞬間に、いとも簡単に折れてしまいそうだった。
「遅かったじゃない」
肩を叩かれて振り返ると、制服にクラティーを着込んだ女子三人がいた。
「みんな似合ってるね」
「颯太も早く着て」
「向陽ちゃんのデザインだよ」
俺は美雨からティーシャツを受け取って、カッターシャツの上に着込んだ。
「さすが、ポップでパンクで斜森さんらしいね」
「ありがとう」
斜森さんは唇を噛んで小さく笑った。
「あっ」
美雨が唐突に声をあげる。どうやら俺の絵に気づいたらしい。小さく口を開けて、食い入るように、というよりは呆然とした感じで、俺の絵を見つめていた。
「どうかな? 本当はまだ直したいところはあるんだけど」
「いい」
美雨は短く言って、なおも俺の絵を見つめていた。「すごくいい」
そのときふいに聞こえたシャッター音に振り向くと、舞雪がカメラで、俺と美雨を撮っていた。
「悔しいけどほんとにお似合いね」
「みんなで撮ろうよ」斜森さんが言った。
「大地は?」
「ステージに出てるわよ」
「なんの?」
「隠し芸大会」
「おっけー、じゃあ見にいこう」
美雨は俺の絵を見て「すごくいい」と言ってくれた。
震えるくらいの喜びを悟られないように、俺は一番乗りで中庭へ走った。
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