第22話

学校で顔を合わせても、大地はほとんど口を利いてくれなかった。

修学旅行の話し合いの際には、必要最低限の会話こそするが、声のトーンも表情も、普段と比べてあきらかに素っ気ない。それは舞雪に対しても同様で……、俺たちの班はまだ山下さんを迎える前から、バラバラになってしまいそうだった。


「横島くん元気ないよね。部活とかで何かあった? 中沢くんも、なんか怪我してるみたいだし」

大地が席を離れたすきに、斜森さんは舞雪と俺に訊いた。

だけど二人とも、彼女に事情を話すことはできなかった。公園でキスしようとしていたところを目撃された――そんなこと、とてもじゃないけど言えなかった。そもそも俺たちは付き合ってすらいない。


「まいったわね」

「大地にどう謝ればいいんだ……」

舞雪と休み時間に嘆いても、気分が落ち込むだけで解決の糸口は見えず――、俺の足は、自然と相談室へ向かった。


「女の取り合いか。颯太くんも隅に置けないなあ」

ナツキちゃんは頬杖をついてくつくつと笑った。

「真面目に聞いてくださいよ。カウンセラーでしょう?」

「聞いてるってば。でもやっぱり、正面から謝るしかないんじゃない? べつに悪いことしたわけじゃないけど、君が大地くんと仲直りしたいならさ」

「やっぱりそうですよね」

うーん、と腕組みをして唸っていると、


「こんにちはー」

山下さんが入ってきた。今日は黒縁の眼鏡をしていて、制服も校則通りに着込んでいる。

「お、美雨ちゃん、久しぶり! もう会えないかと思ったぞ」

「気が向いたので」

山下さんは俺の隣に、少し距離をあけてちょこんと座った。「おはよう、中沢くん。ナツキとなんの話してたの?」

「ちょっと相談を、ね……」

俺は助けを求めるようにナツキちゃんを見つめた。


「内容は話せないけど、颯太くんは悩んでるみたいでね。美雨も元気づけてあげてよ」

「ならちょうどよかった」山下さんはニコッと笑った。

「なになに、どうしたの?」とナツキちゃんが尋ねる。

「今夜は流星群なんだって。二駅先に星が綺麗に見える場所があるから、もしよかったら、一緒に行ってみない?」

「ははーん、それで今日は、遅れてまで学校に来たんだな」

「うるさいな」

山下さんは冗談っぽく言った。「でも本当に会えるとは思わなかった」


「それで、中沢くんはどうなの? 今夜は予定ある?」

「いえ、何も」

「じゃあ付き合ってくれる?」

山下さんが不安げに俺を見つめる。

そんな目をされて、誰がノーと言えるだろう?


「電車賃はいくらぐらい?」

「往復で五百円もかからないよ」

「ほかに必要なものはあるかな?」

「特には……? もしあれば、虫よけスプレーをふってくるといいかも」

「わかった」

「それじゃあ駅に八時でいい?」

「家まで行こうか?」

「家?」

「暗いだろうし」

「くぅーっ」ナツキちゃんは突然、目頭を押さえて奇声をあげた。「青春だね。うるさい大人みたいなこと言うようだけど、あんまり遅くならないようにね」

「はーい」

と俺と山下さんは声を重ねた。

 

結局、俺と山下さんは駅で待ち合わせた。彼女は山ガールを思わせるラフな服装で、個人的には、こないだのセクシーなファッションより親近感を覚えた。俺は手ぶらで来てしまったのだが、彼女はリュックを背負っていた。


「なに持ってきたの?」

「レジャーシートと懐中電灯」

「ごめん、俺は何も考えてなかったな」

「いいのいいの、来てくれただけで嬉しいから」

山下さんはリュックの紐を握ってにっこり笑った。


二人でホームへおりて、電車に乗り込む。夜の電車は、まるで異界の列車みたいに静かに進んで、二駅先へ行くだけなのに、もうずっと一緒に冒険しているような気分になった。降り立った先は無人駅で、無機質な外灯の白い光が、逆に夜の闇を際立たせていた。俺と山下さんは改札を抜けて、暗い夜道を歩いていった。


「こんなところはじめて来たな」

「私もだよ」

「はじめてなんだ?」

「ずっと来たかったんだけどね」

山下さんは山道のふもとで立ち止まると、リュックから懐中電灯を取り出した。弱々しい光であたりを照らすと、ぱっとお地蔵さんの祠が浮かびあがった。


「わっ」

山下さんは短い悲鳴をあげて、懐中電灯を取り落とした。びくびくと震えながら、俺の腕にしがみつく。どうやら計算でも誘惑でもなく、本当に怖がっているらしい。なんだか今日の山下さんは、怖がりな妹みたいに見えて。


「大丈夫、お地蔵さんだよ」俺は懐中電灯を拾って、山道の先を照らした。「行けそう? 無理ならまたにしとく?」

山下さんは首をぶんぶん横に振った。が、そのそばから、

「きゃっ」

とまた短い悲鳴をあげた。虫がかすめただけだったが、今度はひときわ強い力でしがみつかれて……、ちょうど、ふにゅん、と胸の谷間に、右腕ががっつり挟み込まれる。


「あのっ、山下さん……?」

「ごめんねっ、もし嫌じゃなければ、このまま進んでいい?」

「こ、このまま?」

「嫌、かな?」

「俺は平気だけど」

むしろめちゃくちゃ幸せではあるけど――、ちょっと刺激的すぎると言うか。

「上まで行けば、ひらけた場所に出るはずだから」

「わかった、それまでは任せて」


俺たちは身を寄せ合ったまま、暗い山道をあがっていった。澄んだ山の空気に、涼しげな虫の声。山下さんも少しは落ち着いてきたのか、次第に絡めた腕が緩くなって――、俺はちょっとしたイタズラ心で呟いてみた。


「なんか出そうだね」

「ちょっとやめてよ!」

山下さんがギュッと密着してくる。

狙い通り、と俺は心のなかでガッツポーズした。


「おばけが怖いの? それとも殺人鬼とか?」

「どちらかと言えばおばけかな」

「だったら心配することないよ。おばけって元は人間でしょう?」

「えー、怖くない?」

「怖くないよ。俺の拳術の先生も死んでるし、べつに特別なことじゃないよ」

山下さんは不思議そうに俺を見つめた。


「たしかにそうかも。私が死んでも、きっと中沢くんを呪ったりはしないだろうしね」

「でしょう? 相手の怖さなら、生きた人間も幽霊も大差ないよ」

「なんか怖くなくなってきたかも」

山下さんはほっとしたように頬を緩めた。


山道の先の階段をのぼると、展望台のような広場に出た。真暗な田舎の町並みが、夜の海のように広がっている。芝生に寝転んで懐中電灯を消すと、自分の手も見えないほどの暗闇に、おびただしい数の星が浮かんだ。


「わあ」

「おお」

俺たちはため息みたいな声を漏らした。

「宇宙にいるみたいー」

「もう怖くない?」

「うん、まったく」

 

俺たちは仰向けに寝転んだまま、広い夜空に星が降るのを待った。

最初の流星はあっけないほど早く見られた。それを皮切りに、ぽつぽつと銀河に降る雨みたいに夜空を流れた。俺は身一つで宇宙に投げ出されたような、不思議な心地を感じていた。恐怖とも安らぎとも違う。星も大地も銀河さえ、まるで同じ大きさになったみたいで。


「なんだか変な感じだな」

「宇宙に融けたみたいだね」

山下さんはまさに俺の思っていたことを言った。

時間の感覚が希薄になって、ふと気がついたときには、かなりの時が過ぎていたようだった。


「そろそろ行こうか」

「そうだね」

山下さんはスマホを見つめて頷いた。

俺たちは山道をくだって来た道を戻った。ホームのベンチで待っていると、二十分ほどで帰りの電車に乗ることができた。二人掛けのシートに座って、まだ遠い現実をふわふわと眺める。電車は滑るように線路を進んだ。途中、何度も減速を繰り返して――、そのうち完全に止まってしまった。走行音のやんだ車内は、ちょっと不気味なほど静かだった。


「どうしたんだろう?」

俺は意味もなく窓の外を眺めた。人気のない夜の田んぼが、ずっと遠くまで続いている。ふいに車両内にアナウンスが流れて、列車がお客様と接触したため――、と女性の車掌が告げた。


「すぐ動くでしょう」俺は深く考えずに言った。

「どうかな? 接触って言ったからには、しばらく動かないと思うけど」

「そうなの?」

電車に閉じ込められた形になって、俺たちは二人して途方に暮れた。


「とりあえず親に連絡しとこう」

山下さんはスマホを取り出してメッセージを打った。「中沢くんも連絡する?」

「ありがとう。俺は平気」

山下さんはスマホをしまうと、気を落ち着けるみたいに目を閉じて、深い息をついた。


「中沢くん? これからちょっと変なこと言うけど、驚かないで聞いて」

「どうしたの?」

「もしかしたら、私はこれから口数が少なくなって、表情がなくなったりするかもしれない。でも怒ったわけでもないし、気分が悪くなったわけでもない。ましてや中沢くんのせいでもないから、どうか気にしないで。それで一つお願いなんだけど、もし本当にそうなったら、悪いけど家まで送っていってくれない?」

「いいけど、……大丈夫?」

「うん、ありがとう。ごめんね」

山下さんはリュックから小さなポーチを取り出すと、個包装の薬を出して、花の蜜を吸うように口に含んだ。なんの薬だろう、とは思ったが、俺は何も訊けなかった。

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