第16話
山下さんの私服は大人っぽくて、同級生とは思えないほどセクシーだった。
膝上までうっすら透けたロングスカートに、半袖のさらに半分くらい短い袖のブラウス。なんと言うのか、ガ〇ダムの肩みたいな形の袖で。
「おまたせ~」
先に来ていた俺に気づいて、山下さんが手をあげると、つるりとした腋が袖口から覗いた。思わず視線を吸い寄せられて、俺は出会って一秒で悩殺された。
……俺って、腋フェチだったのか?
「どうしたの? 無視なんかして。中沢くんって、好きな子には意地悪するタイプ?」
「ごめん、すごく可愛かったから」
「あはは、中沢くんこそ、大人っぽいコーデだね」
「ありがとう。そんなことはじめて言われたよ」
俺の服装がもしイケてるとすれば、それはぜんぶ斜森さんのおかげだ。次に会ったら、きちんとお礼を言っておかねば。
「ねね、早く行こっ」山下さんが手を差し出すので、
「繋げってこと?!」びっくりして声が裏返ってしまった。
「あははは、中沢くんったら可愛いー。ちょっとからかっただけだよ~」
「……こんにゃろ」
どうやら今日の山下さんは、ちょっと小悪魔なキャラらしい。「行こっ」と小首をかしげて、鼻歌まじりに券売機へ歩く。
俺が切符の値段を告げた時点で、彼女は今日の目的地を悟ったようだった。
「ははーん、水族館だ」
「気分じゃなかった?」
「まさか、すっごく楽しみ! ずっと行ってなかったからさ」
「最後に行ったのはいつ?」
「小学生のときかな。中沢くんは?」
「俺も小学生のころに、家族で行った以来かな」
一緒にホームへ降りて、滑り込んできた電車に乗る。途中で何度か乗り換えて、山下さんのスマホで路線を調べてもらいながら、なんとか目的の駅へたどり着いた。
水族館の最寄り駅とだけあって、薄暗い通路の壁には、海の生き物たちのシルエットがあしらわれてあった。階段から地上へ出ると、お洒落な港町に潮風が吹いて、まるで二人きりで旅行に来たみたいだった。
水族館はすぐ近くにあった。記憶より大きな建物で、外壁には巨大なシャチの垂れ幕が飾ってある。入場券を買って館内へ入ると、幻想的な世界に包み込まれた。
ひんやりとした薄暗いスペースで、青い水明かりが揺れている。濃紺の絨毯に波紋が映って、まるで遠浅の海に来たみたいだ。巨大な水槽の向こうでは、イワシの群れが竜巻のように、ギラギラと光って回っていた。
「綺麗」山下さんは俺の隣で呟いた。
「こんな感じだったか」
「記憶ほどじゃなかった?」
「ううん、記憶より綺麗」
「なんだ」
山下さんが笑って、水槽のそばへ歩み寄る。
俺たちは回遊する魚みたいに、ゆっくりと館内を見て回った。足の長いタカアシガニに、大昔の潜水服、水中を飛ぶように進むアデリーペンギン。奥まったベルーガの水槽の前に、休憩用のベンチを見つけると、俺たちは自販機でジュースを買って一休みした。
「いいところ見つけたな」
山下さんは呟いて、鞄からクロッキー帳を取り出した。鉛筆を握って、目の前で泳ぐ白いイルカを、優雅な筆致で描きはじめる。青いほの明かりのなかで筆を走らせる彼女は、まるでイルカとたわむれる人魚みたいで。
「中沢くんも描いてよ」
「俺は描かない」
「どうしてなのか聞かせてくれない? 前からずっと気になってたんだけどな」
「……うーん」
普段ならまず答えなかっただろう。
けれど幻想的な空間が、不思議と心を素直にさせた。
「昔から絵を描くのは好きだったんだ」
俺は言葉を探しながら訥々と話した。
山下さんは急かすでもなく、辛抱強く耳を傾けてくれた。
「ただ純粋に楽しくて、小さいころは、寝るときもラクガキ帳を離さなかった。小学生のころは、けっこう賞をもらったりもして。母さんが、すごく喜んで褒めてくれた」
「ほっこりする話だね」
「でも賞がもらえないとしたみたいに。あの人は、俺の描いた絵なんて少しも見てなかった。あるとき大地ってのは仲のいい友達なんだけど――あるときそいつに、絵を教えたことがあったんだ。そしたらすごい才能で、俺なんて目じゃないほどの急成長で……。次のコンクールで、あっという間に大賞を獲ったんだ。俺の絵は、入賞すらしなかった。そのころに親が離婚して、関係ないって頭ではわかってたけど、俺は母さんに捨てられた気になって」
「つらかったね」美雨は慈しむような声でささやいた。
「今はちゃんと理解してるよ。俺の才能と親の離婚は関係ない。でもなんか、やる気がなくなったって言うか、俺が絵を描いても無意味な気がして」
「でもさ、中沢くん、本当はやめてないでしょう?」
「え?」
「だって小学生でやめたにしては、さすがに上手すぎるもん。私が誘ったときも、なんだかんだで付き合ってくれたし。本当は今も描いてるんでしょう?」
「まあ、えっと、……たまにはね」
俺は正直に白状した。山下さんの前では、不思議と素直になることができた。
「中沢くんはさ、私に心がないって言ったら驚く?」
「なんて?」
「絵の価値なんて、他人に測れるものじゃない。私はね、自分には心があるんだって、それを証明するために描いてるんだ。だから正解は、私自身にしかわからないし、私の絵も私の価値も、他人が決められるものじゃない」
俺は言葉を失った。
彼女からそんな言葉を聞くなんて、考えてみたこともなかった。
「なんてね! ちょっとカッコつけすぎたかな」
「すごいや」と俺は言った。
「すごい?」
「ねえ、道具って余分にある?」
「もちろんあるよ!」
「俺はイルカを描いてる山下さんを描くよ」
「えー、なんでー?」
「なんかさ、綺麗だったから」
「……きっ、きれい?」
山下さんは動揺したように目を泳がせた。ギャルモードの彼女にしては、意外にウブな反応だ。気のせいか、頬も少し紅潮している。
「ごめん、変なこと言ったかな」
「むぅー、中沢くんのくせに生意気だぞ」
山下さんは頬を膨らませながらも、俺に道具を渡してくれた。
それからは二人とも喋らずに、夢中で絵と向き合った。
「ねえ、実物とか模型を手で触ると、立体感のある絵が描けるって知ってる? 空間認知力があがるみたいで」
先に描き終えたらしい山下さんが、おもむろに俺に尋ねた。
「前を向いててよ」
「聞いたことない?」
山下さんは水槽に向き直ると、横目で俺に訊いた。
「あるような気もするけど」
「実物がここにいますけど」
「だから?」
「触る?」
「……サワル?」
俺は思わず生唾を飲んだ。やわらかそうな胸の膨らみ、ムッチリすべすべな白い二の腕、艶やかでまっすぐな短い黒髪……。
「べつに変な意味じゃなくって、あくまで画力向上のために、ね?」
「でも……」
「ふーん、そっかー、中沢くんは私のこと嫌いかあ」
山下さんが、傷ついたように目を伏せる。
「そ、そういうわけじゃ」
「なら、はい……どうぞ?」
山下さんは体ごとこちらを向いて、胸を寄せるように肩を抱いた。
「じゃ、……じゃあ」
俺は震える手を差し伸ばした。でも……、いったいどこに触れと? 胸? いやいや、それはだめだろ! 肩? でも袖が短すぎて、山下さんの柔肌に直で触ることに……。
「ねぇ~え~、あんまりじらさないでよう」山下さんが、もじもじと足をすり合わせる。
「そんなこと言われても……」
ならば袖の上を触るとしよう。そう決めて、俺が再び手を伸ばすと、ピ~ンポ~ンパ~ンポ~ン、とアナウンスが流れた。
――本日は当館へご来場いただき誠にありがとうございます。間もなく十六時からメインプールで、イルカショーを開催いたします。……
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