第14話

「ねえ、アイスでも食べない?」

俺は前方のキッチントラックを指さした。


「いいね、おいしそう!」

「お詫びにご馳走するよ。父さんからお金ももらったし」

「えー、自分の分くらい払うよ」

「でも悪いから」

「いいのいいの、これもお祝いってことで」

斜森さんは今度こそ自然に笑って、キッチントラックの列に加わった。


斜森さんはレモンシャーベットを、俺はヨーグルト味のアイスを注文した。それぞれカップを受け取って、近くのベンチに並んで座る。スプーンを持って食べはじめると、さわやかな甘みとひんやりとした食感に、思わず頬が緩んだ。


「そっちも美味しそうだね」

斜森さんは、スプーンをくわえたまま俺のカップを見つめた。


「……食べる?」

「いいの?」

「どうぞ」

俺がカップを差し出すと、

「ありがとう」

斜森さんは嬉しそうに、俺のアイスをスプーンですくった。生まれたばかりの子猫みたいに、小さな口でアイスを頬張る。


「どう?」

「おいしい。中沢くんも、こっち食べる?」

斜森さんはお返しに、と自分のカップを差し出した。


「いや、俺は」

「……ごめんね、嫌だったかな」

「ぜんぜん嫌じゃないけど!」

「けど?」

「その、……ちょっと恥ずかしいなって」

俺が呟くように言うと、斜森さんは黙ったままシャーベットをすくって、なんとそれを俺の口元へ運んだ。


「ちょ、斜森さん? 待っ、はうっ」

斜森さんのスプーンが舌に触れて……、俺はドキドキしながら口を閉じる。

彼女は、くぃっ、とスプーンを斜め上に引き抜いた。

……間接キスだ! と爆発しそうな心臓を必死に抑えていると、


「……しい」

「へ?」

「……私だって恥ずかしい」

斜森さんが拗ねるような目をして言った。


「ご、ごちそうさまでした」

俺はいろんな意味で言って手を合わせた。


「意外に早く済んじゃったねー」

斜森さんは仕切り直すように言って、からになったカップにスプーンを置いた。

「斜森さんは、ほかに見たいお店とかないの?」

「私はちょくちょく来てるからなあ」

「映画館もあるんだっけ?」

「あるよ。行ってみる?」

「今ってどんなのやってるんだろう?」

「調べよっか?」

「それより会場に見にいこう」

「お、頼もしいね。きっと山下さんも、そうやってリードしてくれると嬉しいんじゃないかな」

「あ、うん、……そうだね」

そうだった……。斜森さんはあくまで、服選びに付き合ってくれただけなのだ。それなのにデート気分で、ちょっとはしゃぎすぎたかもしれない。弟みたいだから怖くないって、たぶんそれだけのことなのに。


「どうしたの? 早く行こう?」

斜森さんが、立ちあがって首をかしげる。

「ああ、ごめん」

カップをゴミ箱に捨てて、二人で映画館へ歩いた。


映画館は敷地の最奥にあった。古いシネコン風のアメリカンな建物で、黄色や赤のネオンサインが、ジジジッと音を立てて明滅している。

入口からロビーに入ると、ほの明るい照明と、キャラメルポップコーンの甘い香りに包み込まれた。ふかふかの絨毯に、サーカスの夜みたいに華やかな売店。壁の巨大なディスプレイでは、最新作の予告編が流れている。


「斜森さんって、ホラーはいける人?」

「大丈夫、……だと思うけど」

斜森さんがディスプレイを見上げる。画面のなかでは、キャンプに訪れた若者たちが、殺人鬼に襲われて断末魔をあげていた。今どき珍しいほどわかりやすいホラー作品だ。


「これにしようか」

「……うん」

斜森さんはこくんと頷いた。


カウンターでチケットを買って、ジュースも買って、ロビーのソファで時間を潰す。開場の時間になると、スタッフに券をもぎってもらって、指定のシアタールームへ入った。


中段の端の二席に、俺と斜森さんは並んで座った。ローカルなCMが流れたあとで、ゆっくりと照明が絞られる。大迫力の予告編も終わると、いよいよ本編がはじまった。


内容は良くも悪くも予想通りで、時代めいたスラッシャー映画の典型だった。が、一つ予想外だったのは、殺害シーンが異様にリアルだったことだ。皮膚を裂き、血や内臓が飛び出るシーンは、グロ描写にいくらか耐性のある俺でも、思わず目を背けたくなる臨場感があった。


作品に夢中になっていると、ブロンドの女性が腕を刎ねられると同時に、横から腕を鷲掴みにされた。うわっ……! と驚きすぎて小さな悲鳴が漏れる。横を見ると斜森さんが、泣き顔で俺の腕を握っていた。

ホラーは平気だと言っていたが……、さすがにちょっとグロすぎたか?


(……大丈夫?)

と口パクで尋ねると、斜森さんは目に涙を浮かべたまま頷いた。

もしかして、無理に付き合わせちゃったかな……。

俺の腕を握る斜森さんの手は、小さく震えていた。


それからは、映画には集中できなかった。

たぶん斜森さんもそうじゃないか。震えはやがておさまって、それからは互いの横顔を、暗闇に乗じて盗み見ていたから。俺たちは怖すぎる映画を言いわけにしながら、いつまでも互いの温もりを感じていた。


エンドロールが終わると、殺人鬼が生きていることを示唆する短いシーンが流れて、それでようやく、劇場内に明かりが灯った。


「怖かったね」

「うん、予想以上だったな」

斜森さんは泣き笑いを浮かべて、俺の腕をそっと離した。

「ごめんね、本当は苦手だった?」

「テレビではたまに観るんだけど、……やっぱり映画館だと違うね」

「そう言えば小さいころは、よくテレビで映画やってたよね」

あれってなんていう映画だった? なんて話しながら、俺たちはシアタールームを出た。ポスターがずらりと並んだ長い通路を歩いていると、


「おい、ちょっと待て」


背後から、いきなり肩を掴まれた。打撃や足払いを警戒しながら振り返ると、高校生くらいの二人組が、鬼の形相で俺たちを睨んでいた。


「なんですか?」

俺は相手の手を払って尋ねた。

「上映中にイチャコラしやがって、目障りなんだよ!」

「お前らのせいでマジで台無しだわ。金返せよ」

男たちは口々に叫んだ。金髪のプリン頭と、青のツーブロック。たぶん真後ろにいたヤンキーだ。髪色が髪色だから、印象に残っている。


「やりたいならホテル行けや」

「さっさと金出せよ!」

二人は凄みのきいた声で喚いた。


斜森さんは俺の隣で、小さくなって震えている。

なんてことだ。また怖い思いをさせてしまった。鉈を持った殺人鬼に比べれば何百倍もましだが……、なるべく穏便に済まさなければ。俺は斜森さんを庇うように前に立って、すみません、と一辺倒に謝った。


「すみませんじゃねえ! 金払えって言ってんだ!」

プリン頭は俺の胸ぐらを掴んで、拳を振りあげた。


正直ほっとした。

動きにかなり無駄が多い。俺は胸ぐらの手に指をかけ、同時に相手の額をポンとはたいた。そのまま立ち位置を入れ替えるように体をさばいて、手首を極めたまま絨毯に転がす。遅れて踊りかかってきたツーブロックの膝を、俺は足裏で蹴り止めた。


「二人ともめちゃくちゃいい動きしますね! 格闘技とかやってるんですか? お二人みたいに動けたら楽しいでしょうね。ジムとか行ってるなら紹介してくださいよ」

俺は構えを解いて、馬鹿みたいに陽気にまくし立てた。


「え、いや……」

「何もやってないけど……」

二人は気圧されたように呟いた。


「ええ? 何もやってないんですか? だとしたら天才ですよ! もしお二人が有名になったら、自慢してもいいですか? 映画館でシメられたことがありますって!」

「お、おう」

「べつに構わねえぞ」

二人は体勢を立て直して、俺から距離を取った。


「じゃあ、頑張ってください。応援してますよ」

俺はおどけるように言って、斜森さんを引き寄せた。彼女を連れて、映画館を早足で出る。外はすっかり夜の景色で、煌びやかなお店の光が、こがね色に輝いていた。


「やれやれー」

 俺はため息をついて、斜森さんから手を離した。「無事?」

「すごかった!」

斜森さんは目を輝かせて俺を見つめた。電飾の光がまっすぐな瞳に溶けて――、まぶしくて直視できなかった。


「たいしたことないよ。怖い思いさせちゃってごめんね」

「映画のこと?」

斜森さんはいたずらっぽく笑った。

「そうだね、映画のほうが怖かった」


俺たちは話しながら駅へ歩いて、電車に乗って地元へ向かった。

斜森さんはいつになく饒舌だった。


「空手部のメンバーって、ちょっと憧れちゃうんだよね。好きなことに真剣に打ち込んでて、それにとっても楽しそう。空手部って、中沢くんたちが立ち上げたんでしょう?」

「まあ、そうだね」

「ほんとすごいよね。みんなもともとあるものから、なんとなくで選んでるのに。私には、そこまでできるものって何もないから」

「ファッションとかは?」

「もちろん好きだけど、それこそ、もともとあるものから選ぶだけだし」

「俺たちだって、教えられた通りにやってるだけだよ」


ふふ、と斜森さんは笑った。

「将来は、武道の先生とかになるの?」

「それも考えてたけど、俺の先生は死んじゃったし」

「それで空手部を作ったんでしょう?」

「知ってたんだ?」

「ユキに聞いたんだ。吹部で真面目にやってたのに、中沢くんの熱意に負けたって」

「そんなこともあったかな」

「中沢くんならできるよ。きっと先生がいなくたって。だって空手部は、何もないところから立ちあげたんでしょう?」

斜森さんは優しく笑った。

俺は家に帰ってから眠りにつくまで、その笑顔を繰り返し思い浮かべた。

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