第13話
待ち合わせには十分も前に着いたのに、斜森さんは先に待っていた。
薄手のスタジャンに、白いミニスカート。遠くからでも、ひときわ目立つ女の子。私服姿の斜森さんは、髪色と優美なアクセサリーも相まって、そのへんの高校生よりずっと大人びて見える。おまけに口には、白い筒状のものを咥えていて……
「お待たせ。って斜森さん、もしかしてタバコ吸ってるの?」
「ああ、中沢くん、何? あ、これ? 違う違う」
斜森さんは笑って、口から棒つきのキャンディーを出した。「アメだよ」
「びっくりした。服装も大人っぽかったから。さすがにお洒落だね、すごく似合ってる」
「あはは、ありがとう。中沢くんって、意外にそういうことをさらっと言うよね」
俺たちは電車に乗って、二駅先のアウトレットモールへ向かった。路線はおろか、切符の買い方すら怪しい俺とは違い、斜森さんは慣れた様子で、戸惑う俺を優しくフォローしてくれた。「案外、抜けてるんだねー」なんて可笑しそうにしながら。意外だったのは、学校では男性恐怖症気味の彼女が、控えめとはいえけっこう自然に話してくれたことだ。
「斜森さんって、意外に話すんだね」それとなく感想を述べると、
「大地くんとか、大柄でいかにも男って感じの人は、ちょっと苦手なんだけど」
彼女はつり革を握ったまま言った。
「なるほど、俺はガキっぽいからなー」
「ううん、そうじゃなくてね、少しだけ、弟に雰囲気が似てるのかも。だからもしお節介しちゃったらごめんね」
斜森さんは、小さく首をかしげて微笑んだ。車内の騒音が遠くなって、俺はつかの間、その笑顔に見惚れてしまった。
「おーい、中沢くーん? 着いたよー?」
ひらひらと顔の前で手を振られて、はたと正気に戻る。発車のベルに急かされるように、二人で電車を降りた。
改札を抜けて、直通の通路からモールへ歩く。モール内はまるでRPGの村みたいで、服やら鞄やらソフトクリームやら、とにかくたくさんの店が建ち並んでいる。花壇や噴水も綺麗に飾られて、歩いているだけでもウキウキしてくる。
家族ずれや同性のグループもけっこういるが、やはりカップルの割合が多い。俺と斜森さんも、傍目からは恋人同士に見えるのだろうか? 迷路みたいに複雑なモールを、彼女は迷うことなく進んでいく。
「とりあえずここ見てみよう」
斜森さんが指さしたのは、かなりシックで大人っぽい店だった。男女の商品が区別なく置かれて、奥のほうには雑貨のスペースもある。大きな鏡に、観葉植物、低音の強調された流行りの洋楽……。
「山下さんって、どんな人なのかな? デートするなら、相手の雰囲気に合わせたほうが無難だと思うけど」
「うーん」
俺はお洒落な店内で首をひねった。最初に会ったときは、内気で大人しい感じに見えたけど……、次に会ったときには、ちょっとあざといギャルみたいで。
「……わからないな。キャラが定まらないって言うか」
「なんかユキもそんなこと言ってたな」
「私服も見たことないし」
「ふーむ、じゃあ無難な感じで揃えようか」
斜森さんは俺を連れて店内を回り、適当なコーデを見繕ってくれた。そのまま彼女に導かれるまま、店内奥の試着室へ。
「着れたらさ、私にも見せてくれる?」
「うん、なんかちょっと恥ずかしいけど」
返事をしてカーテンを閉める。なるべく待たせないようにしないと! なんて焦りながらシャツを脱ぐと、手狭なこともあって、壁に腕をぶつけてしまった。カーテン越しとは言え、すぐそばに斜森さんがいると思うと、服を脱ぐのもちょっと恥ずかしかったり。
緊張しながらベルトを外して、一気にズボンをおろしたそのとき、
「えっ、やばっ! ユキだ!」
斜森さんがカーテンの隙間から、するりとなかへ入ってきた。
「わっ、えっ!? ちょっと斜森さん?」
「しーっ、静かに! ユキに見つかっちゃうよ」
「舞雪がいたの?」
「きゃっ」
斜森さんがバランスを崩して、俺の足元に崩れ落ちる。彼女のやわらかい胸が、俺の下腹部に押し当てられて……。
「ちょっ、斜森さん?」
「ごめんね、……ちょっとだけ我慢して」
「どうして舞雪が?」
「お買い物に来たんじゃないかな?」
「てかなんで隠れるの? 普通に合流すればよくない?」
「声が大きいよ」
すぐ近くで、舞雪が店員さんと話すのが聞こえる。どうやら隣の試着室に来たらしい。
斜森さんが、息を殺して小さくなる。やわらかい感触が、ふにゅん、と俺の下腹部でひしゃげて、心地よいぬくもりに押し潰されそうになる。
「な、斜森さん……?」
「我慢して」
「……いや」
みるみる意識が遠のいて、こそばゆい感覚が、体の中心に集まっていく。おかしな緊張が全身に走って、……やばい。今にも弾けてしまいそうだ。
「もう無理、ごめん!」
堪らずカーテンに手を伸ばすと、斜森さんがぎゅっと俺の体を押さえつけた。
「動かないで!」
「でも、……もう」
「……出ちゃいそうなの?」
「へ?」
「……出しちゃってもいいから」斜森さんは、顔を真っ赤にしてささやいた。「私は気にしないから、静かに……ね?」
その可愛い声に暴発した。細かい震えを押さえるように、斜森さんが俺の腰を強く抱く。終わってしまうと、激しい罪悪感に襲われた。
……最悪だ。
せっかく仲良くなれたのに。
故意ではないとはいえ、最低だろ。
俺たちは無言で立ち尽くしたまま、離れることもできずに固まっていた。
やがて舞雪が行ってしまうと、
「よかった、服は汚れてないね。ここで待ってて。替えの下着を買ってくるから」
斜森さんは何事もなかったように言って、試着室を出ていった。
「あ……」
俺はろくに返事もできないまま、試着室に取り残された。
何もできずに立ち尽くしていると、しばらくして斜森さんが戻ってきた。カーテンの隙間から、買いもの袋を渡してくれる。なかには新品のボクサーパンツと、ウェットティッシュが入っていた。
「……ありがとう」
泣きたくなるのをぐっと堪えて、着替える。
試着室を出て会計を済ませると、二人で逃げるように店を出た。
「……ごめんね、斜森さん。なんて謝ったらいいか。本当にキモいよね。マジでごめん」
「気にしないで。むしろ私が襲ったようなものだし。こちらこそごめんね」
斜森さんは眉を八の字にして、俺の背中をそっと撫でた。
それにしても、ちょっと密着しただけなのに……
「俺って病気なのかな……」
「へ?」
斜森さんは唐突に立ち止まって俺を見つめた。視線を逸らして、頬を染める。
「……斜森さん?」
「病気じゃないよ?」
「え?」
「知らないの? さっきのは精通って言うんだよ」
斜森さんが、赤くなった顔をさらに赤くする。
いやいや!
さすがに俺もはじめてではないのだが……、このさい細かいことはどうでもいい。
「ああ、これが? もしかして保健で習ったやつ?」
顔から火が出る思いで、大芝居を打った。
「そう、だと思うよ? だからぜんぜん変なことじゃないし、恥ずかしいことでもない。私は弟がいるから、そういうことも、ちょっとは理解してるつもりだし」
「斜森さんが相手でよかったな」
「ふぇっ?」
「いやっ、べつに変な意味じゃなくて! これがもし学校だったら、あやうく不登校になってるとこだったし」
「ああ、そういうことね。私は女だけど、はじめてのときは戸惑ったな」
あははは、あははは、と二人してぎこちなく笑う。
「ねえ、アイスでも食べない?」
俺は前方のキッチントラックを指さした。
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