第3話
「それで二人とも、こんなに傷だらけになっちゃったの?」
佐野先生が消毒をしながら、困り顔を浮かべて言った。
夕暮れ前の保健室。抜け殻のようになった二台のベッドや、古びた機械式の体重計から、長い影が伸びている。俺と大地のほかに生徒はおらず、病院みたいな匂いのする室内は、吹き抜ける風の音が聞こえるほど静かだった。
「颯太が本気でかかってきたから」
「はあ? 大地だって爪まで立てて」
「まあまあ」
佐野先生は優しく微笑んで、俺たちのためにガーゼを切った。丁寧に消毒した傷口に、ちょっぴりオーバーなそれをあてがっていく。佐野先生は、とっくに四十歳を超えているらしいが、上品な仕草やおっとりとした口調のせいか、「おばさん」と言うよりは「落ち着いた大人の女性」といった雰囲気だった。
「先生、頼むから岩じいにはチクらないでくれよ」
大地が俺の横で、懇願するように頭をさげた。
「うーん、でも、そうは言ってもねえ」
「頼むよ先生、岩じいにバレたら、俺たち本当に殺されちまうよ」
「俺からもお願いします」俺は大地と一緒に頭をさげた。
「困ったわね」
佐野先生は蓋つきのゴミ箱のレバーを踏んで、手当に使った消毒綿を捨てた。それから逡巡するように虚空を見つめて、そうだ、とおもむろに指を立てた。
「ここは荒池先生にお願いしようかしら。顧問の先生への報告の有無は、彼女に判断してもらうことにして」
「荒池って誰だっけ?」大地は俺の耳元でささやいた。
「ナツキちゃんだよ。相談室の先生。大地も見たことぐらいあるだろう?」
「えー、誰だっけ? わかんねえや」
「どうする? 荒池先生か岩城先生か」
佐野先生が首をかしげる。
「どうするよ、颯太?」
「岩じいにバレるよりは、ナツキちゃんのほうが百倍マシだと思うな」
「じゃあ決まりね」
佐野先生は頷くと、さっそく内線電話の受話器を取った。
それから遊び半分に、身体測定をして待っていると、やがてガラガラと戸が開いて、
「失礼しまーす」
間延びした声とともに、ナツキちゃんが現れた。
パッチワークのロングスカートに、ゆるっとした白いパーカー、ハーフアップにまとめた茶色の髪。いくら「教師じゃないもん!」とは言っても……、相変わらず相談室のカウンセラーと言うより、能天気な教育実習生みたいな仕上がりだった。
「おお~、二人とも満身創痍だね。殺意の波動をビンビン感じる!」
「荒池先生、笑いごとじゃないんですよ」佐野先生はあきれ気味にたしなめた。
「やっほ、颯太くん、久しぶりだね」
ナツキちゃんはニカッと笑って、俺の頭をガシガシ撫でた(俺はもちろん無視をした)。
「あー、荒池先生ってこの人か」
「横島くんとは、こうしてお話するのは初めてかな?」
「俺の名前、憶えてくれてたんですか?」
「当ったり前だよ!」ナツキちゃんは居丈高に言った。
「へー、なんかちょっと嬉しいな」
「なにせさっき、佐野先生から聞いたからね」
「え……」大地はドン引きの表情で肩を落した。
「佐野先生、申しわけないんですけど、今日の相談は中沢くんか横島くん、どちらか一人にしていただけますか? 今からだと、ちょっと時間的に厳しいんで」
「それはもちろん。日程は荒池先生にお任せします」
「じゃあソッピー、私と一緒にハートルームへ。今日の相談は君に決めた!」
「教師が生徒に、変なあだ名つけてもいいんですか?」
俺はしぶしぶ立ちあがった。
「さあね、私は教師じゃないからなあ」
「でもスクールカウンセラーでしょう?」
「いかにも、美しすぎる臨床心理士!」
「早く行きましょう」
「スルーはやめてよ! 悪口でもいいから何か言って!」
先に出口に向かった俺を、ナツキちゃんがアワアワと追いかけてくる。
「二人とも仲良しね」
「ほんと姉弟みたいだな」
佐野先生と大地が後ろでしみじみと言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます