第2話
「た、大変だああああああああ!」
施錠当番を担っていた大地が、女子更衣室から叫び声をあげた。
「横島先輩、どうしたんすか?」
「急に大きな声だしたりして」
上裸でシーブリーズをふっていた後輩たちが、わらわらと女子更衣室へ群がっていく。
「舞雪のロッカーに忘れ物があったんだけど」
大地が女子更衣室の奥を指さして言う。忘れ物の点検と、最後の戸締りはたしかに当番の人間の役目だが……、なんだかキケンな匂いがするのは気のせいだろうか?
「これ、舞雪のだよな?」
「インナーですか?」
「川上先輩のインナー?」
「使用済みのインナーだああああああっ!」
突如として巻き起こった歓声に、俺はシャツの前も留めないまま、変態どもの騒ぐ現場へ急行した。
「おいっ、お前ら何やってんだ!」
「ああ、颯太」
「女子更衣室に忘れ物があったんすよ」
「忘れ物?」
俺が人混みを掻き分けて、ロッカーで小さく丸まった黒い服に手を伸ばすと、
「わあああああああーっ!」
「えええええ?」
「うわあああああああ、颯太ぁぁっ?」
部員たちが一斉に悲鳴をあげた。
「え、何?」
服の端をつまんで広げてみる。スポーツ用のティーシャツを想像していたが、どこを探しても袖はなく、あるのは細い細い肩紐だけで……
「…………ッ!」
顔がカッと熱くなって、鼓動が途端に早くなった。
「中沢先輩、それキャミソールですよ!」
「きゃっ、キャミソール!?」
これがもし、ティーシャツならセーフだろう。
でもキャミソールは……?
これってブラの親戚みたいなものじゃないのか?!
「どうするんすかそれ」
「お、置いておこう」
「でも私物を置いてったら、また岩じいの雷が炸裂しますよ。その挙句ペナルティで、地獄の補強トレーニングを」
「それは困るな……」
岩じいの体罰じみたメニューが脳裏をよぎる。
想像するだけでゾッとした。
「……俺が届けるよ」
「え、先輩、それ持って帰るんですか?」
俺は広げたままのキャミソールを見つめた。心なしか、水気を含んでじっとりと重い。洗剤の芳香か汗の匂いか、女の子の濃い匂いがする。
「……今から走って渡してこよう」
「さすがにもう帰ってるんじゃないですか?」
「仕方ない、ここは当番の俺が、責任を持ってあずかろう」
大地が背後から口を挟んだ。「家で洗濯して、改めて舞雪に届けるよ」
「え、横島先輩、お持ち帰りですか?」
「変な言い方をするな! 俺は当番として当然の責務を……」
「そんなこと言って、家で匂いでも嗅ぐつもりでしょう!」
「な、何を!」
「夜な夜なこっそりクンカクンカと……」
「これって生地の内側に触ったら、間接的に川上先輩の裸に触ったことになるんじゃないですか?」
「なん、だと……?」
大地が真剣な目で後輩を見つめる。
部員たちは一斉に生唾を飲んだ。
「や、やっぱり僕が持ち帰りますよ!」
「いやいや、ここは俺が!」
「僕がやります。先輩たちに雑用を押しつけるわけにはいきませんし」
後輩たちが次から次へと、我こそはと挙手をする。
「勝手なことを言うな! このキャミソールは、俺が持ち帰って今夜のおともに」
「ずるいですよ横島先輩! ここは平和的にいきましょう」
「そうですよ! 独り占めしないで、みんなで仲良くシェアすれば」
「いい加減にしろ!」
俺はロッカーを叩いて怒鳴り声をあげた。
部員たちは、水を打ったように静まり返った。
「颯太……」
「いくらなんでもキモすぎだろ! ちょっとは舞雪の気持ちも考えろよ」
部員たちは一斉に神妙な顔を浮かべた。
「わかったら今日はもう帰るぞ」
俺は舞雪の服を畳んで、更衣室の外へ出た。
「颯太、……お前、そんなこと言って、まんまと舞雪のキャミを持ち帰る気だな?」
大地は震える声で言って、後ろから俺の肩を掴んだ。
「は? そんなわけ」
「はは~ん、中沢先輩も策士ですね」
「クレバーで変態とはさすがです」
「お前ら何を言って……」
「でもマジな話、颯太が持ち帰らないといけない理由はないよな?」
「横島先輩の言う通りです。中沢先輩がその役を担う正当な理由がありません」
「こ、この変態ども!」
「ああそうだよ、俺は変態だよ!」大地は感動的なほど堂々と開き直った。「でもな颯太、俺たちがいくら変態だからと言って、お前が舞雪のキャミソールを持ち帰る理由にはならないぜ。なぜならお前だって、変態じゃないとは限らないからな!」
「言いがかりだ!」
「いいえ先輩、ここにいる全員が、完璧に対等な条件ですよ」
「全員だと?」
部員たちは、互いに押し黙ったまま睨み合った。
「どうやら話し合いでは決まりそうにないな」
大地は挑むような目をして言った。
「仕方ないですね。僕らは曲がりなりにも空手部員」
「話し合いで解決しないなら、拳で決めるしかありませんね」
「さっき作ったトーナメント表もありますし」
「颯太も異論はないな?」
俺はしぶしぶ頷いた。
「仕方ない。ここは正々堂々、試合で決着をつけよう」
かくして、舞雪の使用済みキャミソール争奪トーナメントの火蓋が切られた。
ルールは安全性を考慮して、防具着用のうえ、独自に定めたものを採用した。
主審は大地と俺が交代で務める。
初戦から、後輩たちは普段にない熱気を見せた。とはいえ俺と大地とは、さすがに実力に開きがある。部活動でも先輩のうえに、俺と大地は小学生のころから、それぞれべつの道場へ通っている。大地はフルコン系の空手道場。俺は剣術をルーツに持つ古流の武道。もっとも俺の通っていた道場は、師範の死を境に看板をおろしてしまったのだが。
「やっぱりあの二人が勝ち残ったか」
「さすがに無謀だったかな」
トーナメントの頂点は、やはり大地と俺で争うことになった。
互いに服装を正して、畳の中央で向かい合う。
「なあ颯太、一つ提案があるんだけど」
「なんだ?」
「防具をはずしてやらないか?」
「どうして?」
「お前は投げ技に頼ってるだろう? 流派の特性なのか、後輩への配慮なのかは知らねえが、はたして生身の状態でも、相手を捕えることができるかな?」
「何が言いたい?」
「はっきりさせたいんだよ。実際のところ俺とお前、実力はどっちが上なのか」
場内は一気に静まり返った。
「さすがにそれは……」
「危険すぎます。怪我しますよ?」
後輩たちが宥めるように言う。
俺はその場に座って面をはずした。
「いいよ、防具はなしだ」
「さすがは颯太」
大地は不敵に笑って、立ったまま防具をはずした。「そうこなくちゃな」
「先輩!」
「本気すか?」
お互い生身の状態になって、畳の真ん中で対峙する。
後輩たちは叫ぶのをやめ、固唾を飲んで俺たちを見守っている。
こいつにだけは――。
俺は黙って手に汗を握った。
こいつにだけは、もう二度と負けるわけにはいかない。
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