第1話

どうして俺が縁もゆかりもない別室へ出向いて、それまでまったく面識のなかった女子と決闘などするはめになったのか。少し時間をさかのぼって説明したい。


ことの発端は昨日の放課後、空手部の活動中でのことだった。短縮授業のため、生徒は十五時には自由の身。暇を持て余した俺たちは、顧問不在の自主練に励んでいた。


「よっしゃ、これで全員分入力できたな? ランダムで作成するから、あとから言い合いっこなしだぜ」

大地が後輩に借りたスマホのアプリで、トーナメント表を作成する。うちの部は頑固な顧問の方針で、普段の稽古は、もっぱら基礎練が中心だ。だから今日みたいな自主練のときには、ちょっぴり荒っぽい稽古になりがちなわけで。


「なあ、女子も一緒にやらないか?」

大地は畳張りのスペースに向かって、熱心に受身の稽古をする女子部員に尋ねた。

「あのねえ、この子たちはあんたらみたいなお猿さんとは違うの! わかったら大人しく型の稽古をするか、どうしてもヒーローごっこがしたいなら、すみっこのほうでやってくれる?」

舞雪まゆきが腰に手を当てて、仁王立ちで大地に言い放った。モデルのような長身に、お腹まで伸びた艶やかな黒髪。容姿端麗、成績優秀なクラス委員だが、やや性格がきついのが玉にキズだ。


「ちっ、なんだよ、つまんねえな。べつにいいけど、岩じいにチクったりするなよな」

「あら、大地に言われなくても、きちんと報告するつもりですけど?」

「おっ、おい、舞雪!」

「あんたたちは平気でも、後輩たちが怪我でもしたらどうするの? 少ないとはいえ、新入生もいるんでしょう? まずは基本を教えるのが筋なんじゃないの?」

「……うっ」

一分の隙もない正論に、大地は俺の隣で小さくなった。


「颯太は? 部長として意見はないの?」

 舞雪の鋭い眼光に負けて、俺は肩をすくめて振り返った。

「男子集合! 全員で集まって基礎練するぞ」

「おいっ、颯太」

「仕方ないだろう」

俺は声を潜めて大地に言った。


それからしばらくは、男女にわかれて稽古をした。血の気の多いわりに、集中力に欠ける男子部員を尻目に、女子たちは、馬鹿真面目に型を繰り返している。


「やっぱり綺麗だよなあ」

粉ポカリの水筒をシェイクしながら、大地がしみじみと呟いた。視線の先では、舞雪が後輩たちの前で型の見本を披露している。

「綺麗って型のこと?」

「型もそうだけど、ほら、突きを出すたびに道着の前がはだけて、……わっ、ほらっ、あ、あっ、あの玉の汗を弾く美しいデコル」

「こら!」

俺がタオルで強くはたくと、

「……って!」

大地は顔をしかめて肩を押さえた。「何すんだよ」

「お前がおかしなこと言うからだろ」


大地は決して悪いやつではないのだが……、なんて言うのか、尋常ではないスケベなのだ。顔立ちはさわやかな感じのイケメンだし、鍛えてるだけあって体も引き締まってはいるんだけど、


「か~っ! あの蒸れ蒸れの谷間に顔うずめ」

「おい!」

彼はドのつく変態なのだ。

「……って~!」

大地はまた肩を押さえながらも、その目は舞雪に釘づけのまま微動だにしない。彼の舞雪への情熱には頭がさがるが……、俺たちはまだ中学生なのだ。もう少しピュアでもいいんじゃないか。


「せめて稽古中は変な目で見るなよ」

と一丁前に注意はしてみたものの……、俺にも舞雪の魅力は痛いほどわかる。あの切れ長で涼しげな目、どこかいたずらっぽい薄い唇、高身長でスタイルも申し分ないし、おまけに胸は道着の上からでもわかるほど存在感があって……


きっと絵に描いたなら、最高のモチーフになるだろう。ダヴィンチ風の線の少ない素描でもいいし、河下水希みたいな漫画絵も素敵だ。色は陽光が反射したような透き通った水彩をのせて……


「おい、颯太!」

「痛っ」

大地に背中を叩かれ、俺はふと我に返った。

「俺をタオルでひっぱたいておいて、自分だって舞雪を視姦してんじゃねえか」

「し、視姦なんて!」

「違うのか?」

「型を見てたんだよ」

「そのわりには、舐め回すような目つきだったぞ。体のラインを目で撫でつけるみたいに」

「そんな目で見てないよ!」

「ならどんな目で見てたんだ?」

「そ、それは……」

 

俺は答えに窮してしまった。頭のなかで絵を描いていた、なんて死んでも言えない。俺はもう辞めたんだ。ほかでもない大地のおかげで。人の能力には、生まれつき大きな開きがある。俺が長年かけて培ってきたものを、一瞬で軽々と跳び越えてしまうやつがいる。そんな残酷な事実を、彼には嫌というほど思い知らされた。


「颯太も素直になれよ。お前だって、舞雪のふかふかおっぱいで、パフパフされてみたいだろう?」

「またそんなこと言って。俺は普通にイオンに行ったり、一緒に映画を観たりしてみたいけど」

「ガキか!」

大地は大口を開けてガハハと笑った。

「自分だって、ろくに女子と出かけたこともないくせに」

「はあ? 悪いけど、俺はデートの経験ぐらいあるぜ」

「なんだと!?」


衝撃の事実に俺が大声をあげたそのとき、唐突に背後であわただしい足音が鳴った。

後ろを振り返ると、同じクラスの斜森ななもりさんがいた。アッシュグレーのセミショート。ふわりとしたシルエットは無造作に跳ねて、ファッションの前では校則など無力! なんて斜森さんのちょっとパンクな思想が、先端の落とされた透ピとともに見え隠れしている。


「……ユ、ユキー、面談! 今やってる子の次だから、急がないと遅れるよ」


不良っぽい見かけとは裏腹に、内気な斜森さんの囁くような美声。そのギャップのエグすぎる萌えボイスは、練習後の疲労した体と心に優しく響いて。


「げっ、もうこんな時間? みんなごめん、悪いけど先に抜けるね」

舞雪はほかの部員に謝ると、

「颯太ー、清掃チェックと、最後の戸締りよろしくね」

壁際で汗を拭う俺に叫んだ。

「了解」

俺が手をあげて応じると、舞雪は猛スピードで更衣室へ駆け込んで、あっという間に武道場を出ていった。


「斜森さんはいいの? 舞雪と一緒に行かなくて」

俺が尋ねると、斜森さんはビクっと体を震わせて、沈黙したきりうつむいてしまった。うっすらメイクされたすべらかな頬が、みるみるうちに紅潮していく。


「あっ、ごめん、急に声かけたりして」

「べつに嫌ってるわけじゃないんだろう? 男と話すのが苦手ってだけでさ」

とりゃっ、と大地が斜森さんの腕に軽くチョップをすると、

「はうぅぅっ……っ!」

彼女は髪を逆立たせて、俺たちのもとから逃亡した。


「大地さあ、あんまり斜森さんをいじめるなよ」

「わりい、まさかあんな大声で叫ばれるとは……」

大地は傷ついたようにうなだれた。

 

それから男子部員で片づけをして(清掃は曜日ごとに男女で分担している)、だらだらと駄弁りながら着替えていると、




「た、大変だああああああああ!!!!」




施錠当番を担っていた大地が、女子更衣室から叫び声をあげた。

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