第7話

朝日に煌めく川沿いの道を自転車で走り、欅並木を駆け抜けていく。

俺たちの通う矢筈やはず中は、市内にある暮西中のマンモス校化にともない創立された、比較的新しい学校だ。生徒の数は三百名足らず。校舎には太陽光パネルや電子黒板が導入され、ノスタルジーの欠片もない。


駐輪場に自転車をとめて、昇降口でスリッパに履き替える。白い廊下を歩いて教室へ行くと、まだ早いせいか生徒はまばらで、電気も消されたままだった。


幸い、舞雪はすでに登校していた。

朝から机に教科書を広げて、何やら予習の最中である。さすがは優等生。俺は静々と歩み寄ると、ビニール袋に入ったキャミソールを舞雪に渡した。


「ん? 何これ?」

舞雪が怪訝な顔で俺を見上げる。

「忘れ物だよ。昨日、ロッカーに置いてったろ。放置しとくと岩じいが怒るから」

「あら、ごめんなさい、わざわざありがとう」


正直ひかれるんじゃないか、とビビりながら渡したが、舞雪は平然と受け取った。

洗っといたよ、とかは特に言わないことにする。

悪目立ちしないように、そそくさとその場を去ろうとすると、


「ユキー、おはー」


斜森さんが現れて、舞雪のそばへやってきた。ぶかぶかのプルオーバーのパーカーのせいで、スカートの短さが際立っている。パーカーはもちろん校則違反だが、斜森さんがあまりに超然としているため、生徒指導の先生も、いつしか注意するのをやめてしまった。


向陽ひまり、おはよう」

「中沢くんに何もらったの?」

斜森さんは横髪を耳にかけて、ワイヤレスイヤホン(校則違反)を外した。

「ああ、これ? キャミソールよ。昨日、忘れてきちゃって」

「えええええええ!」

斜森さんは悲鳴をあげて赤面した。


「舞雪、今の言い方は語弊が!」

「……ふ、二人は、もう大人の関係なの?」

「は? ……ご、誤解よ! これはただの練習着で、その、ロッカーに忘れてったの」

舞雪があわてて釈明する。

平静を装ってはいるが、耳まで真っ赤に染まっていた。


「なんだ、勘違いしちゃった。あはは、恥ずかしいね、私」

斜森さんは照れたように笑った。


周囲から矢のような視線を感じて、俺はそそくさと自分の席に退散した。

間もなく大地がやってきて、いつものように駄弁っている間に、始業のチャイムが鳴った。朝のホームルームがはじまって、担任が連絡事項を伝え終えると、そのまま流れで総合の授業へ突入。


「みなさんも知っての通り、六月の下旬に三日間、東京へ修学旅行に行きます。今日はこの時間を使って、乗り物の席順や部屋割り、向こうでの行動班を決めたいと思う」 


担任の言葉に、教室は一気に色めきだった。どこか遠くのおとぎ話みたいに感じていた修学旅行が、一気に現実味を帯びたからだ。さらに担任が「行動班はできれば男女混合で作ってほしい」などと続けたものだから、その緊張感たるや尋常ではなかった。


俺たちの中学は、生徒の数が少ないこともあって、いわゆるスクールカーストみたいなわかりやすい隔たりはない。陽キャとか陰キャとかサブカルとか、そんなラベルを貼らなくても、全員の性格がなんとなく把握できてしまうからだ。

 

とはいえ、可愛い女子がモテるのは、揺るぎようのない真理なわけで。

同性同士で組を作った時点で、男どもの狙いはどいつもこいつも、舞雪と斜森さんのコンビだった。男女で視線を飛ばし合い、見えない駆け引きを繰り広げていると、


「なあ舞雪、俺と颯太の班に入ってくれよ」

大地が馬鹿のふりをして、いかにも能天気に切り出した。

強行突破もいいところだが、悪い手じゃない。俺たちの代はどの年も二クラスしかなかったおかげで、斜森さんを除いた三人は、三年連続で同じクラスだ。二年の夏からは、部活だって一緒だった。行事で班を組むくらいには、俺たちは普通に仲がよかった。


「私はいいけど、向陽はどう?」思った通り、舞雪の反応は悪くない。

「私は、みんなが嫌じゃなければ?」斜森さんもまんざらではないご様子だ。


ほかの男子たちは、ひそかに肩を落としたに違いない。それでも各々が気の合う仲間同士、四人ないし五人の班を形成した。各チームで班長を決めて、アナログのほうの黒板に名前のプレートを貼っていく(うちの班長は秒で舞雪に決まった)。


「だいたい決まったな。お、川上の班は四人か、ちょうどいいな」

担任は黒板を眺めて言った。

「何がちょうどいいんですか?」舞雪が首をかしげる。

「まだ参加するかわからないけど、もし山下が来られるんなら、お前らの班に入れてやってほしいんだ」

担任の発言に、つかの間、教室はオバケが通ったみたいに静まり返った。

 

山下って誰……? 

そんな心ない呟きもちらほら聞こえる。


山下美雨みう――。

名簿に名前はあるものの、一度も教室に現れたことのない、それこそ幽霊みたいな女子生徒だった。


「どうして私たちの班なんですか?」

舞雪がさらに尋ねる。心なしか表情が冷たく見える。『みんななかよし』『いじめ、カッコ悪い』の標語を地でいくような優等生の彼女が、難色を示すのは意外だった。


「川上は山下と同じ小学校だったろう? 昔から仲良しだったって、小学校の先生から聞いてるよ」

「そうですか」舞雪はやや不服そうに頷いた。


それから午前の授業を消化して、待ちに待った給食の時間。隣近所と席をくっつけて、他愛もない話をしながら箸を進める。わかめご飯、牛乳、サバの銀紙焼き、かきたま汁。背後のカーテンが風に吹かれて、午後の陽射しをはらんで揺れる。


「山下さんってどんな人なの?」

俺は斜向かいで給食を食べる舞雪に訊いた。

「さあ、知らないわ」

「仲良かったんじゃないの?」

「昔はね。けどいつからかわからなくなった。あの子、なんだか会うたびに違う人みたいで。印象がころころ変わって定まらないのよ」

「ふーん」

 俺は適当な相槌を打った。ちょっと何言ってるかわからないですね、という感じだった。

 

生徒の大半が給食を食べ終え、片づけの時間を待っていると、担任が俺たちの島へやってきて声をかけた。

「川上と中沢、お前たちの班で、山下に声をかけにいってやってくれないか? 総合の時間だけでも教室に来て、修学旅行の話し合いに参加できるように。山下にとっては、いいきっかけになると思うから」

「だって。お願いね、颯太」

舞雪は少し険のある声で言った。


担任は何かを察したのか、すがるように俺のほうを向いた。

「……お願いできるか、中沢」

「いいですけど、放課後でもいいですか?」

「構わないよ。山下はいつも、けっこう遅くまで残ってるから」

「どこにいるんですか?」

「別室だよ、相談室。ハートルームって言えばわかるか?」



そんなわけで、俺は昨日に引き続き、相談室へ行くことになった

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