第7話
朝日に煌めく川沿いの道を自転車で走り、欅並木を駆け抜けていく。
俺たちの通う
駐輪場に自転車をとめて、昇降口でスリッパに履き替える。白い廊下を歩いて教室へ行くと、まだ早いせいか生徒はまばらで、電気も消されたままだった。
幸い、舞雪はすでに登校していた。
朝から机に教科書を広げて、何やら予習の最中である。さすがは優等生。俺は静々と歩み寄ると、ビニール袋に入ったキャミソールを舞雪に渡した。
「ん? 何これ?」
舞雪が怪訝な顔で俺を見上げる。
「忘れ物だよ。昨日、ロッカーに置いてったろ。放置しとくと岩じいが怒るから」
「あら、ごめんなさい、わざわざありがとう」
正直ひかれるんじゃないか、とビビりながら渡したが、舞雪は平然と受け取った。
洗っといたよ、とかは特に言わないことにする。
悪目立ちしないように、そそくさとその場を去ろうとすると、
「ユキー、おはー」
斜森さんが現れて、舞雪のそばへやってきた。ぶかぶかのプルオーバーのパーカーのせいで、スカートの短さが際立っている。パーカーはもちろん校則違反だが、斜森さんがあまりに超然としているため、生徒指導の先生も、いつしか注意するのをやめてしまった。
「
「中沢くんに何もらったの?」
斜森さんは横髪を耳にかけて、ワイヤレスイヤホン(校則違反)を外した。
「ああ、これ? キャミソールよ。昨日、忘れてきちゃって」
「えええええええ!」
斜森さんは悲鳴をあげて赤面した。
「舞雪、今の言い方は語弊が!」
「……ふ、二人は、もう大人の関係なの?」
「は? ……ご、誤解よ! これはただの練習着で、その、ロッカーに忘れてったの」
舞雪があわてて釈明する。
平静を装ってはいるが、耳まで真っ赤に染まっていた。
「なんだ、勘違いしちゃった。あはは、恥ずかしいね、私」
斜森さんは照れたように笑った。
周囲から矢のような視線を感じて、俺はそそくさと自分の席に退散した。
間もなく大地がやってきて、いつものように駄弁っている間に、始業のチャイムが鳴った。朝のホームルームがはじまって、担任が連絡事項を伝え終えると、そのまま流れで総合の授業へ突入。
「みなさんも知っての通り、六月の下旬に三日間、東京へ修学旅行に行きます。今日はこの時間を使って、乗り物の席順や部屋割り、向こうでの行動班を決めたいと思う」
担任の言葉に、教室は一気に色めきだった。どこか遠くのおとぎ話みたいに感じていた修学旅行が、一気に現実味を帯びたからだ。さらに担任が「行動班はできれば男女混合で作ってほしい」などと続けたものだから、その緊張感たるや尋常ではなかった。
俺たちの中学は、生徒の数が少ないこともあって、いわゆるスクールカーストみたいなわかりやすい隔たりはない。陽キャとか陰キャとかサブカルとか、そんなラベルを貼らなくても、全員の性格がなんとなく把握できてしまうからだ。
とはいえ、可愛い女子がモテるのは、揺るぎようのない真理なわけで。
同性同士で組を作った時点で、男どもの狙いはどいつもこいつも、舞雪と斜森さんのコンビだった。男女で視線を飛ばし合い、見えない駆け引きを繰り広げていると、
「なあ舞雪、俺と颯太の班に入ってくれよ」
大地が馬鹿のふりをして、いかにも能天気に切り出した。
強行突破もいいところだが、悪い手じゃない。俺たちの代はどの年も二クラスしかなかったおかげで、斜森さんを除いた三人は、三年連続で同じクラスだ。二年の夏からは、部活だって一緒だった。行事で班を組むくらいには、俺たちは普通に仲がよかった。
「私はいいけど、向陽はどう?」思った通り、舞雪の反応は悪くない。
「私は、みんなが嫌じゃなければ?」斜森さんもまんざらではないご様子だ。
ほかの男子たちは、ひそかに肩を落としたに違いない。それでも各々が気の合う仲間同士、四人ないし五人の班を形成した。各チームで班長を決めて、アナログのほうの黒板に名前のプレートを貼っていく(うちの班長は秒で舞雪に決まった)。
「だいたい決まったな。お、川上の班は四人か、ちょうどいいな」
担任は黒板を眺めて言った。
「何がちょうどいいんですか?」舞雪が首をかしげる。
「まだ参加するかわからないけど、もし山下が来られるんなら、お前らの班に入れてやってほしいんだ」
担任の発言に、つかの間、教室はオバケが通ったみたいに静まり返った。
山下って誰……?
そんな心ない呟きもちらほら聞こえる。
名簿に名前はあるものの、一度も教室に現れたことのない、それこそ幽霊みたいな女子生徒だった。
「どうして私たちの班なんですか?」
舞雪がさらに尋ねる。心なしか表情が冷たく見える。『みんななかよし』『いじめ、カッコ悪い』の標語を地でいくような優等生の彼女が、難色を示すのは意外だった。
「川上は山下と同じ小学校だったろう? 昔から仲良しだったって、小学校の先生から聞いてるよ」
「そうですか」舞雪はやや不服そうに頷いた。
それから午前の授業を消化して、待ちに待った給食の時間。隣近所と席をくっつけて、他愛もない話をしながら箸を進める。わかめご飯、牛乳、サバの銀紙焼き、かきたま汁。背後のカーテンが風に吹かれて、午後の陽射しをはらんで揺れる。
「山下さんってどんな人なの?」
俺は斜向かいで給食を食べる舞雪に訊いた。
「さあ、知らないわ」
「仲良かったんじゃないの?」
「昔はね。けどいつからかわからなくなった。あの子、なんだか会うたびに違う人みたいで。印象がころころ変わって定まらないのよ」
「ふーん」
俺は適当な相槌を打った。ちょっと何言ってるかわからないですね、という感じだった。
生徒の大半が給食を食べ終え、片づけの時間を待っていると、担任が俺たちの島へやってきて声をかけた。
「川上と中沢、お前たちの班で、山下に声をかけにいってやってくれないか? 総合の時間だけでも教室に来て、修学旅行の話し合いに参加できるように。山下にとっては、いいきっかけになると思うから」
「だって。お願いね、颯太」
舞雪は少し険のある声で言った。
担任は何かを察したのか、すがるように俺のほうを向いた。
「……お願いできるか、中沢」
「いいですけど、放課後でもいいですか?」
「構わないよ。山下はいつも、けっこう遅くまで残ってるから」
「どこにいるんですか?」
「別室だよ、相談室。ハートルームって言えばわかるか?」
そんなわけで、俺は昨日に引き続き、相談室へ行くことになった
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