第8話
帰りのホームルームが終わると同時に、校舎の片隅にあるカウンセリングルームへ向かう。
「やあやあ颯太くん、昨日ぶりだね」
入口のパーテーションの前に立ってなかを覗くと、ナツキちゃんがひらひらと俺に手を振った。「話は聞いてるよ」と奥の衝立で囲われたスペースを指さす。
「姫はあちらでお待ちです」
「山下さんって、もしかして昨日の子ですか?」
「自分の目でたしかめてみたら?」
俺は少し緊張しながら、山下さんのいるという窓際のスペースへ向かった。
「山下さん? クラスメイトの中沢です。修学旅行のことで話があって。入ってもいい?」
衝立越しに呼びかけてみるが……、いつまで待っても返事はない。
助けを求めるようにナツキちゃんを見ると、
「入っちゃっていいよ」
あっけらかんと言われて戸惑った。
「山下さん? ねえ、……は、入るよ?」
衝立を迂回して、相部屋の病室みたいなスペースに足を踏み入れる。
古びた深緑のソファで、昨日の女の子が眠っていた。きちんと膝下まである制服のスカート。学校指定の白いソックス。邪気のない寝顔は、まるで遊び疲れた少年みたいだ。小さなローテーブルには、彼女のものとおぼしき黒縁の眼鏡と、描きかけの絵が置かれてあった。
「綺麗な線だな……」
ウルトラマンに登場する怪獣の絵。スケッチブックのそばにはモチーフのフィギアと、濃さの違う鉛筆が数本、エボニーペンシルに、練り消し、カッターナイフと、使い込まれた色鉛筆……。マナー違反とは知りつつも、気づけば俺はスケッチブックを拾って、パラパラとなかをめくっていた。
エレキング 4/27
メフィラス星人 4/30
バルタン星人 5/1
ジャミラ 5/2
メトロンン星人 5/4
怪獣の絵が延々と続く。
俺は特撮には明るくないが、絵にはすべてタイトルと日付が添えられてある。
てか、そんなことより、
「上手いなあ……」
妙に迫力のある絵だった。暴力的なまでの陰影と、独特の色遣いに目を奪われる。フィギアを見ながら描いたのだろうが、まるで実際に暴れる怪獣を、目の前にして描いたような臨場感があった。
気づけば俺は、ローテーブルに自分のノートを広げて、彼女の絵の模写をはじめていた。
どれだけそうしていただろう。
最終下校の放送を耳にして、俺はふいと我に返った。
顔をあげると、山下さんが膝を抱えて俺を見つめていた。
「あっ、山下さん! おはようっ、ごめん、はじめまして! じゃなくて、俺は中沢って言って、君とは同じクラスで」
「落ち着いて」
彼女は囁くように言って、くすくすと笑った。
俺はつかの間、その笑顔に吸い込まれそうになった。
胸の空洞に押し寄せてくるような、不思議な魅力のある女の子だった。
「中沢くんだよね? ナツキから聞いてるよ。絵、見てもいい?」
俺は咄嗟にノートを胸に抱えて隠した。
でも自分は、さんざん山下さんの絵を盗み見たわけで……
「どうぞ……」
「ありがとう」
山下さんは眼鏡をかけて、俺の大学ノートを覗き込んだ。
「目、悪いの?」
「ちょっとだけ。そんなことより、……すごい。だいぶ専門的にやってるんじゃない?」
「もうやめたんだ」
「どうして? こんなに上手なのに」
「絵のことはいいんだ。それより、六月の終わりに修学旅行があるんだけど」
「ああ、修学旅行……」
山下さんの表情が途端に曇った。
「大丈夫?」
「ちょっと疲れちゃって。申しわけないけど、また次回にしてもらってもいい?」
「もちろん。放課後は部活があるから、明日の昼休みとかはどう?」
「うん、待ってる」
山下さんは力なく笑った。
「じゃあ今日はこれで。山下さんはまだ帰らないの?」
「私はもう少し残ってくよ」
「そう? じゃあまた明日」
「うん、また明日」
山下さんは微笑んで、俺に小さく手を振ってくれた。
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