第9話

翌日は朝から雨降りだった。でも、午前中にはあがったらしい。

昼休みになると、俺は給食を早食いして、山下さんに会うべく相談室へ向かった。三日連続とあって、もはや勝手知ったる他人の部屋。ナツキちゃんも俺を迎えると、


「どうぞどうぞ」

挨拶もそこそこに俺を奥に通した。


「山下さーん」

と衝立越しに呼びかけると、


「入って~」

なんだか気怠い声が返ってきた。


失礼します、と呟いて、衝立の内側へ入る。

俺は思わず生唾を飲んだ。


山下さんがソファに座っている。昨日とは打って変わって短いスカート。ムッチリとした生足を抱えるように座って、自分の横髪を編み込んでいる。胸元のボタンは二つ目まで開けられ、すべらかな素肌がまばしくて……。


「どうしたのー? 立ったまま固まっちゃったりして」

山下さんは俺を見上げてニマニマと笑った。


「べつに」

とクールに吐き捨てたものの……


なんか昨日と違くない!?



俺は平静を装いつつも、内心、激しく動揺していた。昨日、怪獣の絵を見せてくれた(正確には勝手に見たのだが)、あの内気で慎ましい少女はどこへ行った?


――なんだか会うたびに違う人みたいで。印象がころころ変わって定まらないのよ。

昨日の舞雪の言葉が頭をよぎる。


「修学旅行の話だよね? 計画を立てるのに、教室に来て参加しろーって」

山下さんは編み込んだ髪をピンで留めた。


「その通りだけど」

「ならさ、私と勝負してよ」

「勝負?」

「中沢くんって空手部員なんでしょ? 勝負をして、君が勝ったら私は教室に行く。その代わり私が勝ったら、中沢くんは私のお願いを聞いて」

「俺はべつに無理に参加させるつもりは……」

「はは~ん、女子に負けるのが怖いんだ? 中沢くん、体も小さくてカワイイもんね」

「なんだと?」


さすがにちょっとムッとした。

そこまで言われて、引きさがっては男がすたる。


「山下さんの望みは?」

「おー? やる気になった?」

「さすがにここまで言われたらね。山下さんは格闘技の経験とかあるの?」

「古流の暗殺拳を少々」

「暗殺拳?」

「もし私が勝ったらさ、中沢くんの知ってるなかで、いちばん綺麗な場所に連れていって」

「綺麗な場所?」

「人生の最後に、行きたくなるようなところだよ」

「うーん」


俺はこれまでに訪れた綺麗な場所を思い浮かべた。東山スカイタワー、金華山ロープウェー、名古屋港水族館、三保の松原……?


「あはは、中沢くんってば負ける気満々?」

「そ、そういうわけじゃ!」

「異論がないならさっそく行こう」


山下さんはぴょこんと立ちあがると、いきなり俺の手を掴んでひっぱった。彼女にされるがまま、相談室を退出する。


「おや? 二人でお出かけ?」

ナツキちゃんは意外そうにこちらを見つめた。

「ちょっとね。すぐ戻りまーす」

「気をつけて。颯太くんも、授業に遅れないようにね」

「わかりまっ、っておおお!」

山下さんに強く引かれて、昼休みの廊下を駆け抜けていく。


――あの子、誰だろう?

――うちにあんな可愛い子いた?

――なんかエロいな。


不躾な囁きが校舎を飛び交う。


「あの、そろそろ離してもらえるかな?」

俺は昇降口で立ち止まった山下さんに言った。


「あっ、ごめん。……やっぱしちょっと怖かったから」

彼女はうつむきがちに呟いて、俺の手をそっと離した。

「怖い?」

「なんでもない! 五限、遅れたくなかったら急いで急いで」

山下さんはローファーをつっかけると、小走りに外へ飛び出した。



――ここで話が冒頭に戻る。



勝負の決着は、すでに語った通りだ。

大地に舞雪に斜森さん、それからいまいち、キャラの掴めない山下さん。


ここからようやく、俺たちの物語が動きはじめる。

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