第39話

学園祭が終わると、教室は受験ムード一色になった。

部活動も引退になり、放課後は教室や図書室で、居残り勉強する生徒も目立つようになった。休み時間でさえも、うっすらと緊張が漂っていて、みんな問題集や単語長を、競い合うように広げていた。


冬休みに入っても、受験の息苦しさは消えないままで。クリスマスくらいはみんなで会おうよ、という話もあったが、結局は流れて、各々が孤独なクリスマスを過ごしていた。


――寂しいよう! ちょっとだけでも顔見れないかな?


ゲーム機のメールボックスに、美雨からメッセージが届いた。

俺も同じことを思っていたので、すぐに返事を送った。


――公園で少しだけ話そうか。


俺たちは共犯者みたいな秘密めいた気持ちで、クリスマスの夜に繰り出した。さすがに夜道は危ないからと思って、俺がマンションまで迎えにいった。

美雨は厚手のダッフルコートにマフラーを巻いて、エントランスで待っていた。着膨れた寒がりな彼女が、なんだか無性に愛おしくて、会うなりわけもなく笑ってしまった。


「こんばんは、待たせちゃったかな?」

「ううん、ありがとう、寒かったでしょう?」

「手の感覚がないな」

俺がかじかんだ手を擦り合わせると、美雨は花束を受け取るような自然な仕草で、俺の両手を包み込んだ。


「ほんとだ、こんなに冷たくなっちゃって」

「美雨はあったかいね」

「えへへ、お母さんにこれもらったからね」

美雨はコートのポケットから、はちみつレモンのペットボトルを取り出した。


「あったかいの?」

「お鍋で温めてくれたから。はい、中沢くんにあげる」

「美雨は?」

「私はこれ、じゃじゃーん」

美雨はおどけるように言って、ココアの缶を取り出した。

「二本も持ってたんだ。そりゃ手があったかいわけだ」

「ふふ、じゃあちょっとお散歩しよっか」


俺たちはジュースで暖を取りながら、夜の町をあてもなく歩いた。クリスマスの夜だからと言ったって、こんな田舎じゃ雰囲気も何もない。それなのに二人で歩いているだけで、不思議なくらい特別だった。


俺たちは公園のベンチに座って、カイロ代わりにしていたジュースを飲んだ。女の子と二人きりのクリスマスは、俺にとっては初めてのことで、一秒一秒がきらきらと輝いていた。


「舞雪も結局、北高志望にしたんだってね」

「あいつはもともと頭がいいから。むしろ西高を志望してたのがおかしいんだよ」

「中沢くんと同じ高校に行きたいんだね」

「そうなのかな?」

「絶対にそうだよ。私だって一緒だもん」

美雨はなぜかいじけるように言って、どん、と肩をぶつけてきた。俺がやり返すと、彼女は勢いを殺すように引き込んで、綺麗なカウンターを返してきた。


「おわっと」

危うくベンチから転げ落ちそうになって、すんでのところで手をついた。

「あまい!」

美雨は白い歯を見せて少年みたいに笑った。


「そういえば君は、暗殺拳の使い手だった」

「もうずっと昔のことみたいだね」

「あれも今年のことだったんだ」


俺は美雨とはじめて会ったときのことを思い出した。相談室でたまたま見かけて、その二日後には、なぜか拳を交えていた。


「中沢くんはさ、舞雪のことどう思ってるの?」

「舞雪にも同じこと訊かれたな」

「うーむ」

美雨は考え込むみたいに唸って、それからぱっと俺の手元を見つめた。

「はちみつレモンも美味しそうだなぁ」

「飲む?」

「間接キスだ!」

「べ、べつに嫌だったら」

あたふたする俺を尻目に、美雨ははちみつレモンをひったくって、ペットボトルに口をつけた。


「うん、おいしい。中沢くんは? ココアいる?」

「もらおうかな」

「はい、あーん」

美雨がココアの缶を俺の口元へ寄せる。

心臓が爆ぜる思いで目を瞑ると、


「なんちゃって」

すんでのところで引っ込められた。

「からかったな?!」

「どきどきした?」


美雨は小悪魔な笑みを浮かべて、ココアを口に含んだ。それから急に、俺の目元を手で押さえたと思ったら――、次の瞬間に、ココアが口に流れ込んできた。頭がとろけるような甘みが、口内に広がる。気持ちいい大人の感触が、一瞬だけちろっと俺の舌に触れた。


「ぷはっ、死ぬかと思った」

「なっ、何してるの?!」

「……嫌だった?」

「嫌ではないけど」

「中沢くんがはっきりしないからだぞ」

「俺のせいなの?」

「ぜーんぶ君のせい! でも、これで一歩リードかな」

美雨はベンチから立ちあがると、俺の腕をつかんでひっぱり起こした。


「突然だったのにありがとね。これでまた頑張れそうだよ」

「俺もだよ。思いがけないプレゼントももらったし」

うはははは、と美雨は可笑しそうに笑った。


「メリークリスマス、みんなできっと志望校に行こう」

「メリークリスマス」と俺は言った。

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