第20話

そんなわけで、俺たちは再び自転車をこいで、駅近にあるカフェに来たのだった。

緑に囲まれたこぢんまりとした店で、夏場なんかはアサガオの蔓で覆われて、なかは昼間でも薄暗い。サイフォンと古い蔵書が自慢の、木漏れ日の揺れるお店だった。


俺にはコーヒーの味はわからないけど、評判はそんなに悪くない。それにこの店のいちばんの売りは、カフェにしてはいささか本格的すぎるスイーツにある。


「ふーむ、今日のセットはチョコレートブランデーケーキと、苺のタルトね」

舞雪は店先に自転車をとめると、入口のブラックボードをしげしげと眺めた。

「やっぱりマックにしない?」

「なに言ってるのよ。いい加減に勘弁なさい」

舞雪が店のドアを開ける。

からんころん、とベルが鳴って、店員が「いらっしゃいませ」と俺たちを迎えた。


「あら、いらっしゃい」

「お久しぶりです。颯太も連れてきましたよ」

「ありがとう、舞雪ちゃん。この子、なかなか遊びに来ないから」

「……ども」

俺は店員に会釈をした。今は離れて暮らす実の母に。


窓際のテーブル席に座って、舞雪の前にメニューを広げる。

「飲み物はアイスティーでしょ、ケーキはどっちにしようかしら」

舞雪はまるで進路を選ぶような真剣さで、ケーキのメニューとにらめっこした。


「チョコケーキと苺のタルトで迷ってるの?」

「ええ、どちらも美味しそうで、捨てがたい」

「なら俺が舞雪の第二希望を注文するよ。俺はまるまる一つは食べきれないから、半分でよければ分けてあげる」

「いいの?」

舞雪は小さな女の子みたいに目を輝かせた。


「どっちにする?」

「それなら、チョコケーキにしようかしら」

俺は頷いて店員を呼んだ。


最悪なことに、やってきたのは母さんだった。

「ケーキセットが二つね。アイスティーとチョコレートブランデーケーキ、苺のタルトと、もう一つドリンクはどうされますか?」

母さんはうやうやしい口調で俺に尋ねた。


「ゆずスカッシュで」

「かしこまりました。ところで颯太、そろそろ行きたい高校は決まった?」

「何も今、聞くことないだろ」

「じゃあいつ話してくれるのよ。あなた、ぜんぜん会いに来てくれないじゃない。舞雪ちゃんは、もう進路は決まった?」

「私は西高を受けようと思ってます」

「そうなの?」俺は思わず訊き返した。


「西高なら成績的に、颯太にもぴったりだから、二人で一緒に通えるといいわね」

「そうですね。西高には空手部もあるし」

「まるで二人のための学校じゃない。高校生になっても息子をよろしく」

「勝手に話を進めるなよ。そろそろケーキを持ってきてくれる?」

「はいはい、かしこまりました」

母さんは苦笑してキッチンへ戻った。


「西高に行きたいなんて知らなかったな。舞雪なら、もう少し上を狙えるんじゃない?」

「ほんっとに鈍いわね……」

「何?」

「あんたと同じ高校に行きたいのよ」

「冗談だろ?」

「うるさい!」

舞雪はふいに立ちあがって、席を離れた。

「どこ行くんだよ」

「お手洗いよ。デリカシーがないんだから」

舞雪は、ベー、と舌を出して席を離れた。

「わるかったな……」

俺はひとりで呟いた。


母さんとはべつの店員が、ケーキセットを運んでくる。ほどなくして、舞雪が戻ってきた。「おいしそうー」と目を輝かせて、さっそく「いただきます」と手を合わせる。フォークですくって口に運ぶと、とろけるような表情を浮かべた。


「おいしい?」

「とっても。コンビニスイーツにはない複雑な風味ね」

「タルトもどうぞ」

「颯太は食べないの?」

「一緒に食べればいいだろう?」

「まあ、そうね……」

舞雪は目を伏せて、ほんのり顔を赤らめた。たとえ憎からず思っていても、それを素直に言えない彼女の気質が、俺はわりと嫌いじゃなかった。


「チョコも少しもらっていい?」

「どうぞ」

舞雪はチョコケーキの皿をこちらへ寄せた。

俺はフォークでそれをすくって、口に運ぶ。上品なチョコレートの甘みと、ココアパウダーの苦みが舌の上でとろけた。軽く噛むと、ふわりとブランデーの香りが鼻に抜ける。


「……これ、酒入ってるよな?」

「当然じゃない、ブランデーのケーキなんだから」

「子供が食べてもよかったのかな?」

「たぶん加熱してあるんでしょう? アルコールは飛んでるんじゃない?」

舞雪は警戒することもなく、パクパクとケーキを食べ進めた。

たぶん平気だとは思うけど……、それにしては喉の奥がポ~ッとするような。


「颯太はさ、西高に行く気はないの?」

「ないこともないけど、特に行きたいわけでもないね」

「ほかに行きたい学校があるの?」

「べつに」

俺は適当にこたえて、グラスを取った。


本当は興味のある学校はあった。でもそこは、偏差値の低い専門学校で、高卒資格は取れるものの、いい大学に入って大きな企業に就職する――そんな世間の価値観とは、大きなギャップがある。何より自分はどうしたいのか、本当を言うと、俺自身にもよくわからなかった。絵はあきらめたはずなのに、いつでも心の奥底にあって。


「同じ高校に入れたら楽しいと思わない」

「そうだね」

「なんだか上の空ね。悩みがあるならいつでも聴くわよ」

「ありがとう」と俺は言った。

心から感謝はしていたけれど、結局は何も話さなかった。


「ちょっと暑いわね。そろそろ出ましょうか」

「暑い? ……まあ、もういい時間だしね」

俺は伝票を持ってレジに行った。


「ご馳走するわよ」と母さんは言ってくれたが、

「いいよ」俺は丁重に断った。

それでもなお食い下がってきたので、舞雪の分だけ出してもらった。


「たまには親らしいことをさせてよね」

「なら帰ってこればいいだろ」

「無茶言わないでよ」

「結局は自分のしたいようにしてるだけだろ」

「ちょっと颯太?」

舞雪は困惑気味に、フォローらしきことを口にしていたが――、俺の知ったことではない。俺は二人を残して店を出た。店先に立って、ぼうっと遠くを眺めていると、

「ちょっと冷たいんじゃない?」

舞雪が出てきて眉をひそめた。


「べつに関係な……」

そう言いかけた瞬間に、彼女に口を塞がれた。レジでもらった棒付きのアメを、口に突っ込まれたようだった。どこか懐かしいグレープ味が、口のなかに広がる。

「少しは素直になりなさいよ」

「舞雪にだけは言われたくないな」

「何よ、べつに意地悪で言ってるんじゃないんだから」

舞雪は俺を置いて通りへ出た。

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