第32話

「遅かったな。スマホは借りれたか?」

俺が戻ると、大地はガウン姿でアメニティーのお茶をくゆらせていた。


「満喫してるね」

「颯太ほどではないよ。で、どうだったんだ?」

「なんとか借りられたよ。早く美雨に電話しないと」

「番号は憶えてるのか?」

「アプリを使うから」

「舞雪は山下さんと〈友達〉になってるんだ?」

「それは問題ないはず」


俺はスマホを握りしめたままベランダに出た。向かいには夜空にそびえるホテルの棟と、そのふもとで煌めく青いプールが見えた。夜風が少しだけ強く吹いて、リゾートチックな椰子の葉が、さわさわと揺れる音が聞こえてくるようだった。

俺はスマホのロックを解除して、アプリから美雨に電話をかけた。彼女はすぐに電話に出た。今にも消え入りそうな掠れ声で、


「もしもし、……中沢くん?」

「ごめんね、遅くなっちゃって」

「大丈夫だった? 見つかったら怒られちゃうよね?」

「こっちは平気だよ。それより美雨、もしかして泣いてた?」

「え、わかった?」

「声がいつもと違うから」

「そうかな?」

「何かあった?」

「何もないよ。けどなんだか、一人だけどんどん取り残されていくような気がしちゃって」

「そっか」


俺は自分の鈍さを呪った。美雨は修学旅行の夜に、一人だけ家で過ごしているのだ。寂しいだろうし、哀しいだろうし、怒りや悔しさもあるだろう。簡単には言葉にはならない思いもあるはずだ。そんな彼女に対して「何かあった?」なんて、間違っても訊くべきではなかった。やっとの思いで電話したのに、俺たちは言葉のつぎ穂を失って、ただ遠くの沈黙を繋いでいた。


「私も行きたかったな」

重苦しい空気に照れたみたいに、美雨はおもむろに苦笑した。

「また行こうよ」

「でも私、八時間くらいしかちゃんと起きていられないし」

「だから俺と行けばいいよ。舞雪たちも誘って、美雨は遊びにいくとき以外は、ずっとホテルで寝てればいいんだ。寂しかったら、俺が残って一緒にいるよ」


「中沢くんは優しいね」

「本気だよ?」

「でも舞雪は許してくれないから」

「じゃあ舞雪がいいって言ったら? みんなで卒業旅行でも行こうよ」

「許してくれるかな?」

「わからないけど、あいつは素直じゃないだけで、悪いやつではないから」

「ありがとう。なんだか元気でてきたよ」

「行先はどこがいい?」

「東京、……はダメかな? みんなは二回目になっちゃうもんね」

「じゃあ東京で」

「いいの?」

「もちろん。美雨と行くのは初めてだから」


ふふ、と電話越しに、彼女の笑う声が聞こえた。

俺はその泣き笑いの笑顔を、まるで間近に見たように思い浮かべることができた。

「本当にありがとう。明日も楽しんできてね」

美雨は耳元でささやくみたいに言った。

俺たちはお互いにおやすみを言って、それから余韻のような沈黙を共有してから電話を切った。

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