第28話
テスト前の土曜日に、大地と待ち合わせて舞雪の家に行った。
ガレージの前に自転車をとめて、インターホンを鳴らす。すぐに、ガチャ、とドアが開いて、私服姿の舞雪が現れた。とろみのある白いブラウスに、黒いミニスカート。胸にはサバトラの猫が抱えられていた。
「遅かったわね。もう向陽も来てるわよ」
「ごめんごめん、なんか大地が、女子の家に行くときには、微妙に遅刻するべきだって妙なことを言って」
「余計なお世話だったか?」
大地が訊くと、舞雪は可笑しそうに微笑んだ。
「いい心がけだと思うわ」
舞雪は俺たちを二階のリビングへ通した。大きなテレビに、空気清浄機、アップライトピアノ。舞雪によれば、家族は夜まで留守らしい。ふかふかのラグマットの上には、斜森さんの姿があった。机にノートを広げて、目を伏せたまま横座りしている。オーバーサイズのティーシャツに、やぶれかぶれのジーンズ。耳にはゴールドのピアスがさがっていた。
「やっほー、斜森さん」
「ああ、中沢くん。お休みに会うと、なんか変な感じだね」
斜森さんは笑って手を振った。
「俺もいるんだけど……」
「よ、横島くんもよろしく」
「固いわねー」
舞雪は笑って、大地を斜森さんの隣に座らせた。
言うまでもなく、今日は勉強会ということで集まったのだが――、テレビには映画が映っていて、テーブルにはジュースとお菓子が並んでいる。是が非でもスマホが欲しい俺は、さっそく舞雪にせっついて、率先して勉強をはじめた。
俺たちが集中しているあいだ、大地と斜森さんは映画を見ながら、ひかえめに会話を続けていた。流れていたのはホラー映画で、それで怖がりな斜森さんは、大地が相手でも饒舌になっているようだった。
「てかなんでホラーなの?」
手を止めて画面を見ると、風呂場で血を流す女性が映っていた。どうやら自分の手首を切って、命を断とうとしているらしい。
「向陽が選んだのよ」
舞雪はポッキーをつまんで言った。
「斜森さんが?」
「前に映画館で見てから、ホラーにはまったそうよ」
「そうなんだ?」
「う、うん、まあね」
斜森さんは俺を見つめて目配せをした。
察するに、俺と映画へ行ったことは、舞雪には話していないようだ。べつに隠すことでもないとは思うが、女子にはいろいろあるのだろう。
「手首を切っただけで、本当に人って死んじゃうのかしら?」
「水につけておくと、血が固まらずに死ぬらしいぜ」
大地はもっともらしいことを言ってコーラを呷った。
その後はなんだかんだで、全員で勉強に集中した。まだ一学期とは言え、俺たちも立派な受験生なのだ。みんな漠然とした焦りがあって、こうして集まって勉強しても、最後に頼れるのは自分だけ。不安なら、こつこつ頑張るしかないのだった。
「テストが終わったら、いよいよ修学旅行だねー」
なんとなく一段落ついたかな、というころに、斜森さんが呟いた。俺が顔をあげると、斜森さんは頬杖をついて、軽く唇を噛んだ。傾いたピアスが小さく揺れる。
「楽しみだな」と大地が言った。
「山下さんは来られそうなの?」と斜森さん。
「それが、参加できないって」
「美雨がそう言ったの?」
「うん」と俺は舞雪を見つめて頷いた。
「残念だな」
「山下さんは可愛いみたいだもんね」
斜森さんが、大地に向かって冗談っぽく言う。彼との会話にも、少しずつ馴れはじめているようだった。
「べ、べつにそういうわけじゃ」
「男子はスケベで嫌ね」
「ちょっ、舞雪、誤解だって」
「まあよかったんじゃない? 大地と向陽にとっては赤の他人なんだし、当日いきなり知らない子が入るよりは、このメンバーで行けたほうが」
「そんな言い方ないだろう?」
俺は舞雪に言った。
思いのほか険のある声が出て、自分でも少し戸惑ってしまった。
「何ムキになってるのよ」
「美雨の気持ちも考えてやれよ。あいつがどんな気持ちで、修学旅行に参加しないって言ってるか。面倒臭いからパスしますって、そんなふうだとでも思ってるのか?」
「知ったような口ぶりじゃない?」
「舞雪にはわかるのか?」
「わかるわけないでしょう!」舞雪が声を張りあげる。
「お前を避けたのだって」宥めようと肩に触れると、
「触らないで!」
思いきり腕を突っぱねられた。
その拍子に紙コップが倒れて、彼女のブラウスがジュースに濡れた。
「わ、ユキ、大丈夫?」
「ごめん」
俺は咄嗟にティッシュを差し出したが、舞雪は受け取らずに立ちあがって、そのまま部屋を出ていった。
「おい、舞雪」
大地が廊下に呼びかけると、
「布巾を取りに行くだけよ」
舞雪はいくらか落ち着いた声音で言った。
ドアが閉まり、足音が一歩ずつ遠のいていく。
「びっくりしたな」
大地は空気を和ませようと顔をゆがめてみせた。
「珍しいね、ユキがあんなに怒るなんて」
「いつもこうだよ。美雨のことになるとムキになるんだ」
「それ、中沢くんもだよね?」
「え?」
俺が訊き返すと、斜森さんはどこか寂しそうに笑った。
それから俺たちは、勝手にテレビを操作して、休憩がてらサブスクの映画を見はじめた。パリピの大学生がキャンプ場へ行って、さんざん騒いだ挙句、ホッケーマスクの殺人鬼に皆殺しにされても、舞雪は戻ってこなかった。
「遅いね」斜森さんが言った。
「まだ怒ってるんじゃねえの?」
「ちょっと見てくるよ」
と俺は立ちあがった。
「私も行こうか?」
「大丈夫、舞雪も俺だけのほうが怒りやすいだろうし」
「さすが仲良しだね」
「そのわりには、いつもケンカしてるような」
「大地もだろう?」
と言って俺は部屋を出た
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