第39話 不器用な乙女心
♢ ♢ ♢ ♢
夜風がサラサラと流れ、もうすっかり冷え込む季節となった。頬を撫でる風が冷たくて、思わず身を縮こませる。
その風の冷たさから手を温めるように、紅葉は、はぁ、と小さく指先に息を吹き込んだ。
ちらりと、斜め前を歩く四季を盗み見る。四季は一切口を開かずに、ただ黙ったまま、まっすぐ前を向いて歩いている。
紅葉は、視線を足元へと戻し、また自身の指先を見た。所々に置かれた蛍光灯の光に照らされていて、指の先が赤くかじかんでいるのが確認できるが、その輪郭はぼんやりとしている。
まるで、今の四季と紅葉の置かれている現状のように、とても朧げだ。
任務は真夜中に行われる。そのため、夜道を歩くのはすっかり慣れたものだと思っていたのに、今はその暗さが心許ない。
トボトボと歩く紅葉は、先ほど、暁から告げられた言葉を思い出した。
《お前の抱えているその思いは、きっと恋だよ》
(恋?)
そんな感情を、自分が四季に抱いているのか。
紅葉は自問するように、右手で胸を押さえた。
千夏と四季が共に連れ立っているのを見た時、胸の奥がギュッとなって、喉の奥が苦しくなって、なんだか泣き出してしまいそうだった。
なんともないのに悲しいような、そんな気分に陥ったことに、紅葉は混乱していた。
だがそれは、きっと自分の中にずっとあった、小さなしこりだったのだ。
四季に聞きたいことが山ほどある。
学校で2人きりで話していた女の子とはどういう関係? 千夏ちゃんのことを気に入ったの?
もしかして、好きな人ができた?
——私は、四季にとって何?
それらの答えを出す術もわからないし、自分の気持ち、そして四季とのこの関係に答えを出すのは、少し怖い。
そして、問題はこれだけじゃない。
答えを出した先、もし一緒にいられなくなってしまったら?拒まれてしまったら?
もし、隣で戦う相手が、紅葉以外でもいいと言われてしまったら。
四季がいないと、紅葉は戦えない。
自分の居場所が、なくなってしまうのではないか。
——でも、それが本当に私の気がかりなこと?
きっと、考えるタイミングはこれまで何度もあった。それに目を背けて、心の奥底に隠してしまったのは、他でもない自分だ。
でも、それももう限界なのかもしれない。
頭の中がぐるぐると渦巻いていて、思考がうるさい。落ち着かない。
——苦しい。
小さなしこりが、積もり積もって大きなものとなり、そして紅葉を追い詰めた。
気づけば、紅葉の相貌からはポロポロと雫が滴り落ちていた。
「……グス……」
紅葉の異変を感じ取った四季が、パッと後ろを振り返った。
そして、紅葉を見て目を丸くする。
「おい、なんで泣いて……」
四季は紅葉の方へと手を伸ばしたが、その動きをピタリと静止した。
まるで紅葉に触れることを躊躇うかのような、そんな動きだ。
今までどんなことがあっても、四季が紅葉に対して躊躇することなどなかった。どれだけ喧嘩しようと、紅葉に何かあればいつでもそばにいてくれる存在。それが四季だった。
——それなのに……。
その四季の些細な変化にも、また紅葉は一喜一憂をして、どうしようもなく胸が締め付けられる。
(もう、四季は私と一緒にいたくないのかも)
どうしようもない、ただの憶測のそんな考えが、頭に巣食って離れてくれない。
でも、思考すればするほど、悪い方にばかり考えが行きついてしまって、もう自分ではどうしようもできないのだ。
「どうしたんだよ……」
目の前の四季が、狼狽えたようにポソリと呟く。そして、四季は自分の懐からハンカチを取り出して、そっと紅葉に差し出した。
しかしそれを拒むように、紅葉はブンブンと頭を横に振った。
「……もう、分からない」
「は?」
紅葉は、今度は顔を上げて、真っ直ぐ四季の方を見る。目を真っ赤に腫らして、なお、これ以上涙を流してなるかというように堪えている紅葉は、四季の目にはとても儚く映った。
——こんなにも、小さい奴だったか。
今の紅葉は、触れると壊れてしまいそうなくらい、それくらい危うい雰囲気を持っている。
四季は紅葉の濡れた瞳から目を逸らせずに、その場で立ち尽くす。
四季を真っすぐに見つめた紅葉は、堰を切ったように乱雑に言葉を並べ立てる。
「自分の気持ちも、四季の考えてることも……!」
そうして、ドンッ、と四季の胸を、小さな拳で叩いた。泣いているせいであまり力が入ってないのだろう。その力は弱弱しく、だがしかし、言葉を吐き出す度にドン、ドン、と四季の胸を叩いていく。
「千夏ちゃんのことも、何もかも分からない!」
千夏……? どうしてあの娘の名が、いまここで出てくるんだ。紅葉の口から発せられた言葉に、四季の頭には戸惑いが浮かんでくるばかりだ。
「ちょっと待て、どうして翠石の妹のことが出てくるんだよ」
「だって今日ずっと一緒にいたじゃん」
「だからって、なんでお前が泣く?」
「〜〜だからッ! 分かんないの……」
そう言って紅葉は、自分の顔を手で覆い、今度こそうずくまって大泣きしてしまった。
その様子をぽかんと見ていた四季は、周囲をまばらに歩いている人の視線に気づく。
このままでは、痴話喧嘩中に彼女を泣かせてしまったカップルの図の出来上がりだ。
「……ちょっと触るぞ」
四季は紅葉の腕を取り、手を引いて横道に逸れていく。
そして人目のつかない路地に入ると、四季は紅葉を抱き抱え、ビルの屋上へとジャンプした。途中踊り場の階段で羽休めをして、再び高く飛び上がる。
そうして、煌々とした灯りが一望できるビルの屋上に、四季は静かに紅葉を下ろした。
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