第6話 水面下で渦巻く欲

「このガキ…ッ」

「本題から話が外れております。暁殿、発言は挙手にて行いますように」


 少年が暁に向かって叱責する。


「失礼いたしました」


 暁は一切悪びれていない様子で、飄々とした返事を返す。

 自分より一回りも歳が上の者に対して、よくこれだけ対等に渡り合えるものだ。これも、ここ数年で荒波に揉まれるが故に身に付いたものかと思うと、感心せざるを得ない。


(俺も、早く追いつかなくては)


 右も左も敵だらけの一室で、場に呑み込まれない忍耐、思考力、そしてこの背に託される覚悟。

 各々が背負うそれらの重圧が今、まさにこの空間でせめぎ合いうごめいている。

 地位を獲得するため、誰かを陥れるため、そして、誰かを護るために、皆戦っているのだ。

 暁や行平も、士門家や御門家の存続のため、なにより次代を担う四季たちのために、いつもこの強欲に塗れる空間で、言葉を武器に戦っている。


「全く……これだから最近の若いもんは……」


 ブツブツと文句を垂れながら、燧石はまたもや手を上げる。


「燧石殿」


 名を指された燧石は、今度は座ったままではなく、その場に立ち上がって見せた。

 身長こそそこまで高くない者の、恰幅かっぷくの良い背格好に合わせた狩衣は良く映えており、威圧感を強調させている。


「先程も申した通り、結界を張り替え、そして術者の皆が立ち入れるようにしろ。次期分家筆頭の座はどの一族がふさわしいのか、今こそ明らかにするのだ」


 四季は心の中でため息を漏らした。息子の燧石夏樹もこうして、定期的に挑戦状のようなものを突き付けてくる。

 これは燧石家の遺伝のようなものらしい。この親にして子ありだ。


「そもそも、若い男女が夜に逢瀬など……。本当に怨霊を全て祓っておるのか?隠れてやましいことでもしておるのではないか?」


 燧石はハン、と小馬鹿にしたように鼻で笑う。

 その態度や言葉に、今度は四季の額の欠陥がプチ、と切れた音がした。


 ——このクソジジイ。


 四季は、その場で真っ直ぐに手を上げる。

 

「……御門家、四季様」


 少年の四季を呼ぶ声には戸惑いが混じっていた。まだ学生である身分の四季に、発言権を与えていいのかと悩むものだろう。だが、四季の名を、凛とした声で紡ぐ。


「ありがとうございます」


 四季は座ったまま少年に深く頭を下げた。そして、燧石の方を向かずに、下の畳を見つめたまま言葉を発した。


「……アンタ、そんなだから筆頭に選ばれねぇんじゃねぇの」

「何?」

 

 燧石が、四季の声に反応する。四季は、折っていた腰を元に戻すと、その場に立ち上がり、真っ直ぐ燧石の方を向いて、堂々とした様子で答えた。


「卑劣な考えで頭が埋め尽くされてるから、重要な場面で正常な判断が出来ない。そのことを、天人様に見透かされてるからそんなところで立ち往生してんじゃねぇの。第一、紅葉はしっかり仕事をこなしている。なんなら、アンタんとこのバカ息子よりもいい仕事してるぜ」


 四季はまくしたてるように一気に言葉を吐き出した。息継ぎする間もないその言葉の羅列に、燧石はもちろん、暁や行平さえ、四季を見つめて呆然としている。


「……と、俺は思います」


 急にいたたまれなくなり、四季はまた座って正座に戻り、姿勢を正した。

 絶妙に、微妙で、険悪なムードが流れる。


「……お前ェ……」


 燧石がわなわなと震え始めたと同時に、四季の隣に座っていた暁が、もう耐えられないと言った様子で、正座したまま前のめりに屈む。


「あっはっはっは……いや、失礼……。でも、お前、俺が予想していた以上の働きをしてくれてるよ」


 あーおかしい、と腹を抱えてひと笑いした後、暁は四季の肩をバシバシと叩く。


「暁! お前の教育はどうなっとるんだ!!」


 燧石が、今度は暁に向かって怒鳴る。暁はニコニコとした笑みを浮かべて、四季の肩に手を置いたまま答える。


「いやぁ、立派に育っているでしょう」

「皆さん、これ以上無意味な怒鳴り合いを続けるのでしたら、問答無用でトばしますよ」


 少年が、抑揚のない声でそう告げる。そちらの方を見てみると、まるで退屈だというように、安部統司は肘起きに寄りかかり、頬杖をついている。

 その瞳は冷ややかで、まるでつまらない道楽を見ているかのような視線だ。


 ……トばすとは、何をするのだろうか。

 

 その一言で燧石も暁も、元のように姿勢を正し座しているのだから、相当効力があることなのだろう。




 静寂が満ちた空間で、またもや一人、手を上げた。

 四季が座っている位置からは遠く、その上がった手の平しか見えなかったが、色白くてすらりと細いその線をみて、思わず目を見張った。


落合おちあい夫人、どうぞ」


 手を挙げたのは、集会に参加するには極めて珍しい女性だった。

 男所帯のこの場に女が出席するなど、また異例の事。


「本日は我が当主に無理を言って、この場に参加させていただきました。落合めぐみと申します」


 夫人は立ち上がり、一礼した後、真っ直ぐ安部統司に向き姿勢を正す。その立ち姿はまるで、咲き誇る菖蒲しょうぶのように精悍で美しい。


「恐れながら申し上げます。女子が戦場に身を投じること、燧石様と同じように、わたくしも反対させていただきますわ」


 緊張しているのか、その声には微かに震えが混じっていた。だがしかし、切れ長の瞳は、一度たりとも安部統司から逸らさずに、真っ直ぐにその言葉を伝える。


「もちろん、士門家のお嬢さんのご活躍は、私たちの耳にも伝わっております。元素がなくとも戦える、素晴らしい逸材で御座いましょう。ですがそれは、極めて異例のことと存じます。生まれが士門家であったこと、そして、幸いにも力を与えられる者がすぐそばにいたこと。この点が大きい」


 事実を、寸分の狂いもなく言いはめていく。その夫人の言葉を、その場にいる者達はただ黙って聞いているのみ。


「ですが、やはり女はいずれ子を為し、一族を、ひいては八咫烏の繁栄に尽力しなければならぬもの。それに本家当主様のご年齢であれば、そろそろ婚姻の儀を結ぶ者の選別に入る時期とお見受けいたします」


 その言葉に、それまで沈黙を貫いてきた一同が、動揺したようにざわつき始める。

 確かに、八咫烏に在籍する者は、年頃になると各所から縁談話を持ち込まれる。家族や親戚で話し合い、昔から付き合いのある家同士、内々で話を進めることもあれば、全然面識のない相手と突然見合いをさせられたりする。

 本家当主ともなれば、それこそ八咫烏の組織を挙げての花嫁探しとなる。年頃の女子は全員集められ、それぞれ見合いの席が設けられることになるだろう。


「その際に、そのような娘がいるとなると、どうしてもひいき目で見られる可能性があります。そういう雑念は、排除しておかなくては、争いの火種となることでしょう」


 迷いもなくきっぱりと言い放つ夫人を見て、四季は横一に口を噤んだ。

 つまり、夫人が言いたいことは、花嫁選びの際の加点を紅葉に与えることを阻止したいということだ。

 花嫁として候補に挙がるのは、単純に家柄の良し悪しもあるが、娘がその身に宿している術者としての素質も選別の対象となる。身体能力、元素の強さ、質、そして元素を操るセンス。他の令嬢たちに比べると紅葉は、戦場に立ち怨霊と戦う故に、そのどれもが抜きん出ている。

 だが、素質があるにもかかわらず今まで野放しにされてきたのは、ひとえに紅葉に元素がないから。

 

 ——だが、もし紅葉に元素が宿ったら?

 

 まごうことなき、花嫁候補の有力者となるに違いない。

 現に、紅葉は四季から元素の供給を受け、他者から得た元素を、まるで自分のもののように巧みに扱うことが出来る。

 夫人はそのことを知り、万が一にでも安部統司が紅葉を気に入り、統司自身が元素を供給すると言い出すことを危惧しているのだろう。

 危ない芽は、少しでも摘んでおきたい。そう考えるのは、至極当然のことだ。


「確か落合家には、丁度頃合いの娘がいたな」


 四季の背後で、誰かがぼそりと呟いた。夫人は自分の娘を、安部統司の花嫁にと望んでいるのか。

 落合家は、そこそこ優秀な人材を輩出しているにも関わらず、長年その地位は中堅止まりとなっている。その事に焦れていた頃、待望の女児が生まれた。きっと蝶よ花よと大事に育て上げ、安部本家の懐に入り込ませて一族に恩恵を受けようと思っているのだろう。

 なんとも、私欲にまみれた考えだ。愛する子供でさえ、自身の欲を満たす道具に成り下がる。

 いや、そもそもそれが子や一族の幸せだと、信じて疑わないのかもしれない。

 

 四季は分家次期当主としての責務を、生まれながらにして背負っている。

 四季自身も、これまで何度も「当主だからしっかりしなければ」「当主だからこうしなければならない」という制約を、嫌気がさすほど周囲から押し付けられて生きてきた。

 だが、それは他の家のものから見れば、恵まれているように映るのかもしれない。


 生まれながらにして、地位と権威を与えられた者。

 苦労なくその全てを手に入れた者。


 他の者が四季の抱えている苦悩がわからないように、四季も、他の者が抱えているものを真に分かることは難しい。

 想像はできても、実際に体験していないからだ。


「皇居の守りは紅葉様ではなく、以前と同じように暁様に戻しては? まだまだお若くいらっしゃる。ここで年配たちとの話し合いなど、さぞかし窮屈でございましょう?」


 暁は、その言葉を最後までしっかりと聞き届けた後、ゆるやかに右手を上げる。表情はいつもと変わらず、涼しげに口元を緩ませたまま。


「暁殿」


 少年に名指され、暁は夫人と同じようにその場に立ち上がる。


「落合夫人。お気遣いいただき痛み要ります。ですが、僕はここで行われる集会を、一度たりとも窮屈だと思ったことはありませんよ。いずれここにいる四季や、紅葉だって参加するようになるかもしれない。次世代がこの場を囲むその時までに、この腐り切ったいただきを立て直すことが、わたしの責務であり、使命ですから」


 その暁の言葉に、穏やかだった夫人の表情が曇る。片眉を顰め、もう片眉は斜め上に引き攣らせた。


「確かに、次期本家当主殿の花嫁候補のことはこれから考えなければならない、八咫烏にとっても重大なことではありますが……。そればかりに構っていては、常護が疎かになってしまう。それでは元も子もないですよね。我々はそれも含めてここで話し合いをしているんです。婚姻ばかりに気を割いているのであれば、分際を弁えていただきたい」


 暁の辛辣な言葉に、夫人はとうとう声を荒げた。


「ふざけないで! これは立派な組織繁栄のための話。未来の戦力拡充のための意見よ! アナタこそ、少々言葉が過ぎるのではなくて?」


 ……どうやら暁は、大人を煽るのが随分と上手いらしい。


「暁……」

「いやぁ、怒らせてしまったね。やはり年上女性の扱いは、古今東西難しいな。あの安倍晴明も、女子の相手には手を焼いたと資料に書いてあったしね」


 暁は、にこやかに笑った後、そのまま言葉を繋げた。


「ご心配なく。僕個人としては、紅葉と本家当主殿と結婚させるなんてとんでもないことと思ってます。そうですね、結婚して欲しい相手は、今も昔も……」


 暁はそう言葉を切った後、チラリと四季の方を見た。その暁の視線に、四季は思わず目を見張り、硬直してしまう。

 なおも暁は四季の方をじっと見つめていて、ようやく四季もその意味を理解し始める。そして、空いた口が塞がらないまま、口をパクパクと開閉した。


「な……あ、ま……」

「ということなので、この話はおしまいでいいですか?」


 暁の問いかけに、夫人は渋々と言った様子でその場に腰を落ち着かせた。

 すると、一連の騒動を我関せずといった様子で傍観していた安倍統司が、頃合いだというように口を開いた。


「ちょうど良いタイミングで話が出た。本日、もう一つ皆に問おうと思っていた事だ」

 思いがけない統司の言葉に、その場にいる全員が、興味津々といった様子で耳を傾ける。部屋の中を一周、ぐるりと見渡した後、統司は改めて口を開いた。


「今度の大安の日、宴を開こうと思う」

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