第35話 混沌する宴 3
その名前を聞いて、四季は一瞬、固まってしまった。
聞き覚えのありすぎる名に、驚きを隠せない。
その四季の不自然な反応に千夏はキョトンとした表情を浮かべ、「御門さん?」と声をかけた。
「ああ、すみません。……千夏さん、もしかしなくてもお兄さんがいますか?」
「兄を知ってるんですか?」
途端に、千夏の表情がパッと明るくなった。
やはり、当たりだ。
あの夏樹に妹がいるなど聞いたことはないが、なるほど確かに、この愛想のいい柔らかな笑顔を作り出すこの小振りな目鼻立ちは、どこか夏樹の面影を感じさせる。
あの翠石の親父の面影もあるにはあるが、どうやらそれは夏樹が強く受け継いだらしい。
「ええ、まぁ。同級生ですね」
「そうだったんですか!家では学校でのお話はしたがらないので……。兄が迷惑をかけていませんか?」
なんと、夏樹は思いの外秘密主義だったのか。まぁ、妹に自分の悪行をわざわざ言いふらしたりはしないか。
四季は少し考えた後、少し困ったように眉を寄せて微笑んだ。
「……ええ、とても楽しそうに通われてますよ」
四季は、どこにとも、誰にとも言わないでおいた。そこは夏樹の顔を立てるわけではないが、全てを伝えてしまうと少々不憫に思った。
「よかった……。ああ見えて気が強いので、安心です」
四季の心の内を知らずに、千夏はそう言って胸の上に片手を乗せ、ほっと息を吐く。
「あ……」
突然、千夏が花道の方を凝視する。何事かと四季もそちらに視線を送ると、階段の手前辺りに、一塊の姫君たちの団体が、順に階段を登っている途中だった。
「先ほど、私も本家ご当主様に謁見をしたのですけれど、なんというかその……すごく冷たい視線で一目見られた後、すぐに追い返されてしまって」
千夏の声のトーンがひとつ下がった。
きっと家族から、わずかながら期待されていたのだろう。ここでもし、安倍統司に見初められでもしたら、一気に分家の頂点に上り詰めることができる。
千夏にとっては、相当なプレッシャーだったに違いない。
「大丈夫ですよ。これだけの姫君がいるんです。ゆっくり話せないのも無理はない」
四季は、慰めるようにまた千夏に声をかけた。
「あ、紅葉だ」
姫君を何人か挟んで隣にいる暁の声が聞こえてきた。その声に反射するように、四季はまた花道の方へ顔を向ける。
そこには、赤と黄金が少し入り混じる、紅葉色をした振袖に身を包んだ紅葉が、凛と背筋を伸ばして立っていた。紅葉は暁と四季の視線に気付いたのか、顔だけをこちらに向ける。
そうして、暁の方を向いて少しはにかむように笑うと、今度は四季の方を向いて、ジトリとした視線を向けてきた。そうして、フンッと鼻を鳴らす音が聞こえてきそうなほどの勢いで、そっぽを向いて階段を登り始める。
——一体なんなんだ?
「あのお方、士門家のご息女だったのですね」
驚いたように千夏が声を上げる。確かに、分家筆頭である士門家の娘が下座にいるなんて、思いもしないだろう。
そのことに少し四季は拳を握りしめる。
「それにしても、綺麗な方……。他の姫君とは少し違うような、オーラがありますね」
さすが士門家の姫君だわ、と、千夏は明るい声を上げる。
そうか、側から見れば、紅葉はそう見えるのかと、四季は少し面食らった。確かに肝は座っている方だろう。少々負けん気が強いせいで、引っ込みがつかないところもあるけど。
「いやいや、性格は意外と凶暴ですよ」
四季は先日、門の上から突き飛ばされた時のことを思い出し、ふっと笑った。
四季の笑顔を見て、千夏が目を見張った。そしてその後、少しばかり頬を染め、そして呟くように言う。
「四季様は、そんな表情もできるのですね」
しかし、その呟きは、四季の耳には届かなかった。
その時、少し周囲がざわついた。その者たちの視線は、一斉に壇上へと向けられている。
四季と千夏も、何事かと思い壇上を見上げると、安倍統司と紅葉が、互いの顔を見合って相対している最中であった。
他の姫君たちは階段下へと降りている道中のため、後ろの二人の異変には気づいていない。
安倍統司が何か短く言葉を発したのが、口元を見てわかった。それに反応するように、今度は紅葉が口元に手を当てがい、柔らかく微笑んで後ろへ翻る。
四季は、その紅葉の様子をただ見ていた。
「あんなに凛とした佇まいができるようになったんだねぇ。うちのお姫様は」
暁が、これまた愉快だと言うように、ニコニコと頬を緩ませている。
それくらい、紅葉の仕草が美しかったのだ。
紅葉は、ただ正面だけを見て一歩、また一歩と花道を辿ってゆく。その紅葉の姿を、花道の両脇で、沢山の人間が見ている。
だが四季は、なぜか皆と同じ方角ではなく、紅葉の遥か背後、自分の斜め後ろに腰を下ろしている安倍統治の姿を見た。
安倍統司は、扇子を広げて口元を覆っている。そのため、彼の表情は、正面に腰を下ろす者には絶対に分からないだろう。
だが、四季は見て、そして知ってしまったのだ。
何が起きても決して崩れることのなかったその口元を、広げた扇子の下で少し緩ませ、誰にも気取られぬように小さく笑みを浮かべていたことを。
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