第36話 混沌する宴 4
紅葉達が席についてしばらくした後、紅葉が席を立ち、会場の脇に逸れた小道を進んでいくのが見えた。
四季は席を立とうとしたが、千夏やほかの姫君たちが四方から声を掛けてくるおかげで、上手く身動きが取れない。
すると、今度は安部統司にも動きが見て取れた。安部統司は側に控えていた少年に何かを告げて席を立ち、そして紅葉が進んでいった小道の方に歩みを進めていく。
先程から四季の胸の内にあった漠然とした憂いが、より一層強くなった気がした。
安部統司と紅葉が、二人にしか知りえない視線を交わしたあの数秒の間で、何かが大きく揺らぎそうな、そんな小さな違和感が四季の腹の中に燻っている。
焦れた様子の四季を察したのか、隣に座る暁が、明るい口調で四季に助け舟を出した。
「四季、燧石の姫君と一緒に、少し風に当たっておいでよ。確かこの屋敷はあの先に、小さい休憩所があったと思うから」
暁の指さす先は、丁度紅葉と安部統司が消えたあの方角だった。
暁も何かを察したのか、ニコニコと笑みを浮かべている中にある双眸は、研ぎ澄まされた光を宿している。
四季は頷き、そして左隣に座っていた千夏の手を掬って「行きましょう」と声を掛けた。
千夏はなぜか頬を赤く染めて、俯きながら「はい」と小さく返事をした。
二人で抜けることをよく思っていないのだろう。
他の姫君たちからは怪訝な眼で見られたが、今の四季にとっては些末事である。
千夏の様子を見つつ、極力急ぎ足で二人の後を追う。千夏は、四季の様子を少し不思議そうに身ながらも、口元を緩ませ、そして四季と繋がっている自身の右手を見つめていた。
小道に落ちている、赤や黄の色とりどりの落ち葉の絨毯が、足を踏みしめる度にパリパリと音を立てる。若干歩きづらそうにしている千夏を横目に見て、四季は自分たちの足元に落ちている枯れ葉たちを、術を用いて一掃する。
「ありがとうございます」
千夏は四季の顔を見てお礼を言ったが、四季はそちらへは向かずに「いえ」と一言、端的に返事をするのみ。
(どこへ行った?)
まだ大した距離を進んでいる訳ではないのに、四季の気が急いているからか、とてつもなく長い一本道に感じる。
そして、ようやく四方に明かりが灯されたウッドデッキが立つ場所が見えてきた。そして、そこに立つ人間が二人いることも、この距離から確認できる。
「あら、あれは……」
千夏も前方にある人影に気付いたのか、小さく声を上げた。
誰かなんて分かり切っている。あれは紅葉と安部統司だ。
四季はようやく勇み足で進んでいた足を緩め、ウッドデッキの少し離れたところで立ち止まる。
小さくはあるが、敷地内を守っている結界とは別に、この周辺には小さく安部統司の結界が張ってある。
誰かが来ることを拒んでいるようにも捉えられるし、だがしかし、内側の物事を周囲に漏らさぬようにしてあるようにも感じた。
それにしても、異様に二人の距離が近い。二人は向かい合ったまま一言二言交わすと、今度は紅葉の方が安部統司の横をすり抜けて、その場を去ろうとした——。だが、その時。
「ッ!?」
突然、安部統司が横を通り過ぎる紅葉の腕を掴んだ。
突然の事に、四季は勿論、隣にいる千夏でさえも、声を上げぬように両手で口元を多い、目をまん丸にさせて驚きの表情を浮かべている。
そして安部統司は、紅葉の腕を掴んだまま更に紅葉に接近し、紅葉の胸のあたりを人差し指と中指でトン、と押した。すると、その指に導かれるように、紅葉の身体の中から黒い光がポウ、と浮き出てくる。
「紅葉!!!」
四季はそれを見た途端、反射的に叫んでいた。
その瞬間、ザワ、と木々が風に揺れるように大きくさざめいた。
四季は必死に気を落ち着かせようとするが、全身が逆立ち、自分の身体から元素が漏れ出ているのが分かる。
それは、あの日感じた、あの男の気配に似たものだったのだ——。
♢ ♢ ♢ ♢
紅葉は、四季の大きな声にハッとして、声の方向へと勢いよく顔を向けた。
そこには、四季と、紅葉が知らない女の子が一人、ウッドデッキの入口からこちらを伺っている姿が見えた。
——あの子、どこかで……。
紅葉は、花道を歩いている時に見た光景を必死に頭の中で思い出す。確か、階段を上る前にチラリと見た、四季の隣に座っていた子だ。
彼女は、四季の隣に寄り添うように立っている。四季と並べばその身長差は明らかで、実に小柄で可愛らしい。クリっとした小ぶりな目元を覆う長い睫毛が、更にその愛らしさを引き立たせ、さらに思わず撫でたくなるようなぷっくりとした頬が、庇護力を更に掻き立ててくるようだ。
紅葉は二人の登場にまた驚きながらも、二人の距離感になぜか居心地が悪くなり、ふいっと顔を逸らす。
「結界に気付き近寄ってこなかったな。出来る術者だ」
安部統司は、紅葉の中から抜き取った黒い光を自身の手のひらに納めた。手のひらに元素を込めたのか、握った拳の間から少しの光が漏れ出ている。
だがしかし、次に安部統司がその拳を開いた時には、それはもう無くなってしまっていた。
「このことは、誰が知っている?」
安部統司からの質問は、紅葉に投げかけられているのではない。少し遠くへと発するようなその声量に、数メートル先に立っている四季が答えた。
「……御門と士門が」
四季のその答えに、安部統司はふむ、と考え込んだ後、四季の方を向いて命じる口調で言った。
「何故お前たちが我が本家に報告しなかったのか、薄々見当はつくが。また後日、使いの者を出す。その際にまた説明しろ」
安部統司はそう言って再び紅葉に向き直った。
「なるほど。お前、元素を持たぬ者か」
その安部統司の言葉に、紅葉の心臓は大きく跳ねた。それを知ってか知らずか、更に安部統司は言葉を繋げる。
「そこにいる者の元素を感じる。そういえば、何年か前に元素を共有している稀有な者達がいると、報告が上がっていたな」
それがお前か、という安部統司は、少し腰を屈めて紅葉にズイッと顔を寄せた。安部統司の目が、その距離十五センチのところまで迫った。
彼の鋭い眼は、まるで紅葉の全てを見透かしているかのような、冷たく、青く、美しい色をしている。
「……まぁ、引き続き土地を守る者として、その仮初の力を存分に奮うと良い」
安部統司は興が覚めたといでもいうように、さっさと踵を翻して、紅葉の元を離れていく。そして、来た道を戻ろうと四季と千夏の横を通り過ぎようとしたその時、四季の横で一瞬立ち止まり、そして小さく言付けた。
「いずれ、あの娘はお前の手には余ることになる」
そう言ってまた再び、安部統司は三人を残して去って行った。
謎めいたその言動に、四季は目を見張り、安部統司の去り姿を、背中で見送るしかなかった——。
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