第37話 混沌する宴 5
安部統司が去り、残された紅葉、四季、そして千夏は、その場に立ち尽くしていた。
四季は、安倍統司が何か言付けをした後、微動だにしなくなり、ただ斜め下の一点を見つめている。
その隣の千夏は、四季と紅葉の顔を行き来するように、視線を忙しなく動かしている。
紅葉は困惑していた。
——どうしてここに、四季がいるの。
見たところ、どうやら二人で抜け出してきたようだ。二人きりで逢瀬を重ねていたのだろうか。
その自分の想像に、紅葉の胸がチクリと痛む。だが、その痛みを見て見ぬふりして、紅葉はニコリと笑顔を浮かべた。
「……じゃあ、私も会場に戻ろうかな~」
正直、息をしているのもやっとなほど、胸が苦しい。息切れだとか、そういうのではない。
涙が出るのをすんでのところで堪えている、あの喉の奥がつかえるような息苦しさだ。
そそくさと紅葉が四季と姫君の隣を去ろうとした時、四季に手首を掴まれる。
恐らく、引き止められるだろうとは思っていた。
隣に女の子がいる手前、そうしないのではないかと淡く期待していたが、やはり四季は手を掴んで離そうとしない。
「四季、離して」
少し言葉尻を強めて、紅葉は言葉を放った。
だがしかしそれが逆効果だったようで、四季は更に紅葉を掴んでいる手の力を強めた。
「なんで」
その四季の素っ頓狂な返事に、さすがに紅葉はツッコまずにはいられなかった。
四季と紅葉の間柄を良く思わない子は多い。それは昔からだ。
現に今、四季の隣に立っている女の子は、紅葉の方を見て少し不安げな視線を送っている。
「はぁ!? 可愛い女の子を連れ出しといて、何言ってんの!」
紅葉は四季の手を勢いよく振り払い、その隣にいる女の子を真っ直ぐに見つめる。
——やっぱり、可愛い。
自分とは違い、丁寧に手入れされた肌や、見ただけで分かる程に艶めいている髪。
愛らしく小柄なその体躯は、女の紅葉であっても見下ろすほどの小ささだ。それがまた、彼女のかわいらしさを底上げしているのだろう。
「こんな可愛い子を連れてんのに、私と話してる場合じゃないでしょう」
紅葉は、ごめんなさいね、と千夏に一礼して、またその場を去ろうとする。
しかし、そんな紅葉を再び制したのは、他でもない、目の前の女・千夏であった。
「あの! 初めまして、燧石千夏と申します!」
彼女の中では精いっぱい、声を張り上げたのだろう。肩で息をするようにしている千夏は、少し怯えたような表情を紅葉に向けている。
「は、え……、燧石って」
「夏樹の妹だって」
四季が、後から情報を付け足す。その四季の言葉に、紅葉は空いた口が塞がらない。
「えええ!? あの夏樹に、こんな可愛い妹さんがいたの!?」
紅葉は目をまん丸にさせて、四季と千夏を交互に見やる。
千夏はコクリと首を縦に振り、そして紅葉の目を見てもう一度言葉を発した。
「紅葉さんの事は、ずっと兄から伺っていて……。同じ学校に、皇居をお守りしている女術師がいるって。それを聞いて、すごくかっこいいなって思って…。私も術師として前線で戦いたいって思ったんです」
その千夏の真っ直ぐな視線に、紅葉は思わず気圧されてしまった。
「ちょ、ちょっと待って、話が飛躍しすぎて何が何だか……」
紅葉は、その隣に立っている四季に助けを求めるようにアイコンタクトを送るが、四季も初めて聞いたようで目をパチクリさせている。
——ダメだ、四季もフリーズしてしまってる。
紅葉は一旦深呼吸してから、千夏に向かって微笑んだ。
「えーと、千夏さん……、でいいですか?」
その紅葉の問いかけに、千夏は大きく頷く。
「まずは、士門紅葉です。夏樹……、くんにはいつもお世話になってます」
思ってもないことを言うというのは、こんなにもしんどいものなのか。
本当はいつも絡まれて困っています、と伝えたいところだが、この千夏の様子を見た感じ、悪いように紅葉のことを言っているわけではなさそうなので止めておいた。
「千夏さんはどうして、前線で戦いたいの?」
紅葉は、勤めて落ち着いて、柔らかい口調で問いかける。姫君の中で戦場に出たいと言い出すなんて、よほどの事情があるのではないかと踏んだからだ。
だが、千夏は少し顔を下に向け、頬をピンク色に染めた。伏せられた視線は控えめに四季の方向へと向いていて、なにやら嫌な予感がする。
「ずっと前から、興味はあったんです……。術師として、私もお兄ちゃんのように戦いたいなって……。でも女だから、父も兄もそんなこと私に求めてない。でも、今日ここに来て、はっきりとしました」
一呼吸おいて、千夏は息を吸い、そしてゆっくりと吐き切った後、今度は紅葉の目を真っ直ぐに見て、そして力強い口調で答えた。
「私、四季さんの隣に立って戦いたいって、四季さんと出会って思いました!」
それはあまりにも突然で、過激な告白だった。
紅葉は目を大きく見開き、そして胸の前で拳をギュッと握りしめた。隣の四季も同様に思っているのか、千夏の方を見て大きく目を見開いている。
「お父様からは、本家当主様との縁談を進められるようにと言われていましたけれど、私は、四季さんをお慕いしています」
千夏は、隣に立っている四季の方を見つめた。その瞳は、今まで見てきたどれよりも輝いていて、濁りのない真っ直ぐな瞳をしていた。
そして、千夏のその瞳を見て、紅葉は悟った。
——ああ、恋をしているのね、と。
そして、恋をしている女の子は、こんなにも輝いて見えるのかと思うくらい、今の紅葉には千夏が眩しく映った。
「……うん。分かったわ」
紅葉は千夏に向かって肯定の言葉を口にした後、彼女の目を見て微笑み返した。
「でも、その話はまた今度にしましょう。そうね……。夏樹を経由して、またゆっくり、ね」
その紅葉の提案に、千夏は嬉しそうに「はい!」と返事をした。
四季は、その女二人のやり取りを見て、呆然としているしかなかった。
千夏の自分に対する好意が、ただの友人のそれとは違うことは、なんとなく気がついていた。
だが、その思いには応えるつもりは毛頭ない。それは、今の話を聞いても同じ答えだ。
それなのに、自分の考えとは裏腹に、不透明な話だけが、心を置き去りにして進んでいく。
自分の隣に立ち、背中を預ける者は、紅葉だけだ。
だが、その事実さえ今はグラグラで、崩れ去っていくような気さえする。
不安定な天秤の上にかけられて、少しでも傾けば、落ちて手からすり抜けていくような感覚だ。
紅葉は何を思い、千夏と話しているのだろうか。何を千夏と改めて話すことがあるのだろうか。
——紅葉の考えていることが、分からない。
そう思い、四季は紅葉を見る。
だが、紅葉はずっと千夏の方を見たままで、二人の視線は交差しない。
再び三人は宴の席に戻り、ただ無機質な時間だけが過ぎて行った——。
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